山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

青柳城

2017-08-12 21:20:31 | 山城ー信州
松井田城には熊が縄張りとして生息しており、熊の威嚇行動を受けたと、安中教育委員会に通告し、駐車場にクマ出没注意の看板を出すよう進言たが返事がなく、無視しているようである。このブログを読まれた方は単独での登城は控えたほうがよいです。熊ベルを鳴らして、遺構を見て歩いていましたが、熊は逃げませんでした。

青柳城は長野県筑北村にあります。

青柳城地図
国道403号線の信号六工から左折しますと(松本方面に向かって)、すぐに青柳城址の案内板が出ています。さらに500m先で青柳城址と青柳城址公園との二つの案内が出ています。今回私は青柳城址(清長寺)に向かいました。清長寺は青柳清長の館跡があります。ただし、城山までは1kmの登山歩きをしなければなりません。青柳城址公園に向かえば復元城門に着き、尾根筋を歩いて200mくらいで城内です。

青柳宿の入り口にある案内板

清長寺、青柳氏館跡、この手前に駐車場があります。

清長寺の本堂西から登り道があります。

林道を200m歩くと、山道にぶつかり、そのまま道を進むと、看板が左にあり、正面には城池、この池の左手から山に入ります。右手の道を進めば復元城門に付きます。(車で)

標高905mですから登りがいはあります。



山のつづら道には所々に段曲輪が配されています。城内手前で帯曲輪に柵が構築されていました。

登りつめると、冠木門が構えた青柳城です。

次回 二の丸から本丸へ

青柳城について
青柳城はこの地の豪族で、麻績氏の一族である青柳氏の城であった。
信濃守護の小笠原長時が武田晴信に敗れた後、小笠原氏に臣従していた青柳清長は武田氏に従った。
天文22年(1553年)の第1次川中島の戦いでは、晴信が一時ここに居城した。また、この合戦では長尾景虎(上杉謙信)は更級郡から筑摩郡へ進出し、青柳城に放火した。
武田氏滅亡後、青柳頼長は上杉景勝に従い、信濃府中を回復した小笠原貞慶と青柳城・麻績城を争い、後に和議を結んだが、天正15年(1587年)には深志城(松本城)で誅殺される。その後は小笠原氏の家臣の松林氏が在番したが、慶長年間には廃城になった。ウィキペディアより









不安を煽り、支持率アップを狙う姑息な安倍政権

2017-08-12 21:04:08 | 日記

PAC3も配備 米朝緊迫で国民の不安煽る安倍政権の罪深さ

日刊ゲンダイDIGITAL / 2017年8月12日 15時6分
「米朝が戦闘状態になれば、在日米軍基地がある日本は間違いなく標的になる。そういう危険をいたずらに煽る日本政府は、本当に国を守る気があるのでしょうか。本来なら、米朝開戦を回避するための外交努力をすべきなのに、ミサイル危機を悪用して国民の不安をかきたてる。同時に米国への従属を強め、莫大なカネを使ってミサイル迎撃システムを購入する。安倍政権がやっていることは犯罪的です」(孫崎享氏)

 韓国政府が米朝双方に対して緩和を働きかけているのとは対照的に、安倍首相は「さらなる行動を取っていかなければならないとの認識でトランプ大統領と完全に一致」とかイキリ立っているのだから、正気の沙汰ではない。「さらなる行動」って何なのか。支持率と対米従属のためには、国土や国民を危機にさらすこともいとわないというのなら、あまりに無責任だ。

 こういう政権が憲法解釈を変え、安保法を整備したことの意味をあらためて考える必要がある。安倍政権存続なら参戦は不可避だ。安倍政権か平和か――。この2択が今、国民に突きつけられている。


国民の命と安全を確保することが政治家のなすべき最大の任務であろう。岸信介の孫であり、歴史に名を残すことへ夢見るお坊ちゃんが権力を握れば困ったものである。「さらなる行動」をアメリカと共同して作戦に参加すれば、間違いなく嘉手納基地、岩国基地、横田基地、三沢基地などスカッドミサイル、火星12の攻撃対象になるだっろう。そのとき日本人の犠牲者をどれだけ生み出すだろう。アメリカに追従して、多くの犠牲者を生み出しても構わないというなら、これは売国奴である