今日の言葉
大丈夫? 大丈夫です。
1月一日の夕方に突然起きた地震
あれからもう5日になりました。
余震が時々あって何回あってもなれると言う事もなく
恐い日々が続きました。
1日目は近所の方二人を誘って、孫が迎えに来たので
慌てて車に乗り込み体育館に避難しました。
思ったよりたくさんの人が来ていました、
畳の部屋に入ったのですが、ほとんどの方が毛布を配布されていましたが
数が少なく、役場の職員の方に今手配をしているのですみません
と言われてそれでも人いきれのせいかそれほど寒くもなく
寝る前に3人で1枚もらえました。
隣に座られた方が、こんな時は炊き出しでもあるもんじゃない
と言っていましたが、役場の職員の方の大変さを見ていると
それどころじゃないでしょうね、と言って返しました。
結局、夕食、朝食、昼食、みんな食べずに過ごしました。
まあ、それ程食欲も無かったですけど、、、
二日目
家に帰って見るととまとの家は目の前が海ですのでもろに津波被害に遭いました。
津波って水?と思っていました、、、
甘かった、、、長靴をはいても歩きにくいほどのヘドロ、、、
とまとの家の方は目の道路と玄関の中まででしたが
息子夫婦の家は下がほとんど土間なので量が大変でした
スコップにすくっても大変な量です
勿論道路もヘドロで1杯です。
家は外から見た分には大丈夫なのですが
引き戸がほぼスムーズな動きがしません
押入れの物を出したくても開きません
中はカイタラモタラ。。。
3日目
とまとの家は電気が来ていましたが息子達の家は停電していました。
なので5人全員泊まっています。
めったにないのでちょっと楽しい、、、
只、地域全体水道が止まっています
先日、大雪が降ったのでペットボトル飲料を4本ストックしていたのですが
2本は使ったので2ほんで何とかしのぎました。
4日目
自衛隊の車が走っています。
放送で給水の放送があって一人ペットボトル2本
息子夫婦、孫二人、とまとの5人で体育館の近は長い行列でした。
順番待ちをしていたのですが10人程手前で自衛隊の給水車は空っぽになり
次の給水は中学校になります。
浄水場から給水をして中学校に行くまでに40分ほどかかります
すみませんがそこまで移動をお願いしますと言われました。
誰一人文句を言うひともなくそこは解散しました。
息子にどうすると聞かれて中学校に行くと言って
車に乗り込み着くともう長蛇の列でした。
真っ青な青空の下、外に立っていても暑いのお天気でした。
ボランティアの方かどうか分からなかったのですが
お茶や水のペットボトルを配っていたのですが
とまとでお茶も終わりになってしまいました。
ああ、、取られてしまった。と言われたので
水が欲しいだけやからどうぞと言うと
いらんわいねって言われてしまいました。
余計なことを言って後悔しました。
その戻り、道端で行列が有り見て見ると水が流れています。
ここはいつも水が流れているよと中学生の孫が言ったので
飲み水で無くてもトイレの水でも貴重です。
後で汲みにこようかな、、、と息子がつぶやいていました。
今日、1月 5日
このブログを書いている時も結構揺れる地震が有りました。
全く慣れると言う事が有りません。
息子がはかを見て来た、倒れていた。
どうしょうもないしそのままにして来た
屋根を見たけど大丈夫だった。
只、揺れが続いています。
安心はできません。
ご近所では道路にはみ出して壊れた家も
屋根の瓦が浮いている家もあり
道路は凸凹です
取り敢えず地震が収まったら家中の
戸の建付けを直したいです。
スーパーマーケット コンビニ みんな閉まったままです
新聞も今年は1度も来ていません。
地震が収まってほしいです
大丈夫? 大丈夫です。
1月一日の夕方に突然起きた地震
あれからもう5日になりました。

余震が時々あって何回あってもなれると言う事もなく
恐い日々が続きました。

1日目は近所の方二人を誘って、孫が迎えに来たので
慌てて車に乗り込み体育館に避難しました。
思ったよりたくさんの人が来ていました、

畳の部屋に入ったのですが、ほとんどの方が毛布を配布されていましたが
数が少なく、役場の職員の方に今手配をしているのですみません
と言われてそれでも人いきれのせいかそれほど寒くもなく
寝る前に3人で1枚もらえました。

隣に座られた方が、こんな時は炊き出しでもあるもんじゃない
と言っていましたが、役場の職員の方の大変さを見ていると
それどころじゃないでしょうね、と言って返しました。

結局、夕食、朝食、昼食、みんな食べずに過ごしました。
まあ、それ程食欲も無かったですけど、、、

二日目
家に帰って見るととまとの家は目の前が海ですのでもろに津波被害に遭いました。
津波って水?と思っていました、、、

甘かった、、、長靴をはいても歩きにくいほどのヘドロ、、、
とまとの家の方は目の道路と玄関の中まででしたが
息子夫婦の家は下がほとんど土間なので量が大変でした
スコップにすくっても大変な量です
勿論道路もヘドロで1杯です。

家は外から見た分には大丈夫なのですが
引き戸がほぼスムーズな動きがしません
押入れの物を出したくても開きません
中はカイタラモタラ。。。

3日目
とまとの家は電気が来ていましたが息子達の家は停電していました。
なので5人全員泊まっています。
めったにないのでちょっと楽しい、、、

只、地域全体水道が止まっています
先日、大雪が降ったのでペットボトル飲料を4本ストックしていたのですが
2本は使ったので2ほんで何とかしのぎました。
4日目
自衛隊の車が走っています。

放送で給水の放送があって一人ペットボトル2本
息子夫婦、孫二人、とまとの5人で体育館の近は長い行列でした。
順番待ちをしていたのですが10人程手前で自衛隊の給水車は空っぽになり
次の給水は中学校になります。
浄水場から給水をして中学校に行くまでに40分ほどかかります
すみませんがそこまで移動をお願いしますと言われました。
誰一人文句を言うひともなくそこは解散しました。

息子にどうすると聞かれて中学校に行くと言って
車に乗り込み着くともう長蛇の列でした。
真っ青な青空の下、外に立っていても暑いのお天気でした。

ボランティアの方かどうか分からなかったのですが
お茶や水のペットボトルを配っていたのですが
とまとでお茶も終わりになってしまいました。

ああ、、取られてしまった。と言われたので
水が欲しいだけやからどうぞと言うと
いらんわいねって言われてしまいました。
余計なことを言って後悔しました。
その戻り、道端で行列が有り見て見ると水が流れています。
ここはいつも水が流れているよと中学生の孫が言ったので
飲み水で無くてもトイレの水でも貴重です。
後で汲みにこようかな、、、と息子がつぶやいていました。

今日、1月 5日
このブログを書いている時も結構揺れる地震が有りました。

全く慣れると言う事が有りません。

息子がはかを見て来た、倒れていた。
どうしょうもないしそのままにして来た
屋根を見たけど大丈夫だった。

只、揺れが続いています。
安心はできません。
ご近所では道路にはみ出して壊れた家も
屋根の瓦が浮いている家もあり
道路は凸凹です

取り敢えず地震が収まったら家中の
戸の建付けを直したいです。
スーパーマーケット コンビニ みんな閉まったままです

新聞も今年は1度も来ていません。
地震が収まってほしいです

テレビの報道を見ますと、お気の毒で言葉も有りません。
まだまだ余震が起きているようです。
引き続きご注意下さいませ。