喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

思いつくままに、追憶その5。

2018-07-09 08:30:59 | 日記
 さて関西地方を襲った豪雨は 多数の死者を出しているようだ。
我が家の 裏は山で、この一帯 土砂災害警戒区域に指定されているが、
私の家の裏山は 標高も低く、谷あいでないことから危険度は低いと
思っている。

 さて、しばらくの間、ブログは 過去の出来事を書いてみたいと思う。
凸版に勤め始めたころ、同じパート社員に 大学進学を目指している
浪人している若者が居た。
私が、先行き目指していると宅建業が 果たして正解か不正解か?
相談と言う 大袈裟なものではなかったが、 彼は「増田さん。『思考は
現実化する』と言う本を読んでみないか?と言う。 
この辺の書店に置いていなかったので、休日に梅田の駅前の本屋まで探し
に行った。 有った。著者はナポレオンヒルと言う男性で、翻訳は田中某氏
だった。

 3巻ほど有ったと思う。分厚い本だった。 ナポレオンヒルと言うのは
19世紀はじめ 成功者の哲学と言うものを探求している人物だった。
彼は父を子供の頃 亡くしていたのか? 母と二人暮らしだったが、新しい
父が来たらしい。 その父はナポレオンを可愛がった。しかし、優しいだけ
で 他に取り柄はなかったらしい。
その義父は手先が器用で、母が虫歯で歯を失ったとき、義父は入れ歯を
作ったらしい。母は感激して「あなたは素晴らしい人だ。きっと素晴らしい
歯科技師になれるだろう」。と褒めたという。
 義父は これに気を好くしたのか 近所周りの入れ歯を必要とする人に
その人に合う義歯を作り、それが好評で あっという間に 歯科医よろしく
患者を診て回った。 ところが、当時も 医師免許がないと開業できなかった
らしく 歯科医は諦めたが、この母親が義父を上手に褒めて やる気を
ださせていたようだ。
 日本の 山之内一豊の妻 千代のようなものだ。 一豊は武功を上げる
事に邁進したが、いま一つ 世渡りが下手だったようだ。
賢妻の千代は 嫌味を見せず、夫 一豊が やる気を出させるように
仕向けて行き、長浜城主になり、掛川城主にもなっているが、千代の
アドバイスがなければ そうなっていなかっただろう。
後に 北政所側につき、徳川家康になびき、土佐一国の主になった。

 さてナポレオンヒルは 貧乏人の子供はなぜ高い確率で貧乏人に
なっていくのか? 成功者は どんな気持ちをもって成功するのか?
それには きっと訳があると気付き、彼は年頃になったとき、鉄鋼王
カーネギーとか、石油王ロックフェラー、発明王エジソンなどに近づい
たらしい。
 その会社の従業員になるのに無償で働いたとも書いてあった。

 そこで成功者に共通するのは「確固たる意志を持っている」と言う事を
結論付けた。
すなわち金持ちになる者は はっきりと「金持ちになる」と言う固い意志を
持っている。貧乏人と言うのは 大概の場合、”金は欲しい”と言う願望が
あっても、その金を手に入れる術を知らないのだ。漠然と指をくわえて
”成功したい。金持ちになりたい”と思っても、思うだけでは 成功もなく
金が入ってくることはない。

 成功者の全てが 『願望を達成するために、思考し、確固たる意志を持って
いる』と結論付けた。

 戦国武将に例えれば織田信長は”天下を取る”との固い決意を持っていた
だろう。天下を取るためにはどうすればよいか?試行錯誤しただろう。
 秀吉は織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたと聞き、敵には一切情報を
漏らさず、高松城の城主を自害させることで和睦し、 世に言う 中国大返し
と言う離れ技をやってのけた。
彼は火縄銃は雨にぬれると使い物にならないので油紙で火縄を包み、
街道筋の百姓などに 飯を炊かせ、草鞋を作らせ、兵馬も足軽たちも 
腹を空かせることなく、京都まで一気に戻ってくる。
これも秀吉が、信長の跡を継ぎ、天下を取ると 固い決意を秘めていた
だろう。
 運否天賦などと言い、時の運もあると思うが、努力する者に光は当たるのが
世の常だ。

明智光秀も こんなに早く 秀吉が戻ってくるとは予想もしなかっただろう。
また光秀は優秀な人間であったようだが、秀吉のように家臣以外には
人望はなかったようだ。
また光秀には大義がなかったように思う。知将だったようだが、残ったのは逆臣、
三日天下、残党狩りに遭った惨めな将と後々言われ続けることになる。

 まぁそんなわけで、この本は私を勇気づけた。そして不動産業開業に向かって
躊躇することなく、邁進していった。



 

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