goo blog サービス終了のお知らせ 

集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

再び山口県発! 愛?と復讐の高校野球2022(その2)

2022-09-03 08:36:09 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 続きです。
 坂原監督は勉強も、スポーツも、ケンカもダメダメな無気力部員に、少しずつ、少しずつ練習を課していきますが、根性なしをこじらせた部員は「突然厳しい監督が来た」と逃亡。部員が最少1人に減じたこともあります。
 しかし坂原監督の「まずは強制させ、我慢を覚え、そこから競える力を養う」という信念に狂いはなく、まさしく身をなげうっての指導が続きます。
 坂原監督は厳しい練習と並行して部員集め、とくに、チームの飛車角となる有望選手の発掘にも力を注ぎますが、有望選手とその親は「下国(シモコク)~?そんな学校入るわけないでしょ!!!」と門前払いを食らわせます。まあ、当時の下関国際の校風と野球部の「これまで」を知っている人なら、当然の反応ではありますが…。
 その後、ごくまれに有望選手が入ってくることはありましたが、坂原監督の厳しい指導に「オレはお山の大将になるために来たのに。こんなはずじゃなかった」とばかりに、ボンボン辞めていきました。
 逆に、坂原監督の厳しい練習や指導に食らいつき、ハイレベルな坂原野球を体得、チーム底上げの原動力となったのは、中学時代には全く無名の選手だった部員ばかり。
 この現象の一番の好例は、前回ベスト8に入った時のエースだった鶴田くん。中学時代まで全く無名のキャッチャーだった子が、坂原野球で鍛え上げたことにより、甲子園ベスト8に入るチームの「エースで四番」に上り詰めたわけです。
 坂原監督の厳しい練習・ハイレベルな野球は部員になかなか浸透せず、ちょっと好成績を上げては沈滞し…ということを繰り返します(原因は部員の逃亡(;^ω^))が、平成25(2017)年、下関国際は夏の甲子園山口大会の決勝まで進出。決勝では下関商業に0-5で敗れますが、その確かな強さは衆目を集め、「下関国際に行けば、何かが変わる」と感じた野球少年が三々五々、下関国際に集結して来るようになります。
 監督就任から10年、坂原監督に対する風向きが、ようやく変わりはじめました。
 しかしこの時に及んでも、学校から野球部への特別の経済的優遇措置は一切なく、部費を集め、保護者にカンパをお願いしての苦しい部経営は続いていました。

 下関国際の夏甲子園初出場は平成29(2017)年。センバツに続いての、2期連続出場でした。
 このとき、「2018」でも取り上げた、日刊ゲンダイとの「文武両道ありえない」記事騒動が勃発。これに悪乗りしたTOKYO MXのクソバカ番組「バラいろダンディ」において、アスリートでもタレントでもないハンチク野郎武井壮、マンガ家を描かず、テレビでネクジばかり垂れている自称漫画家倉田真由美、ドクサレオカマ・カルーセル真紀の3人が、日刊ゲンダイのインタビュー記事の一部を切り取って坂原監督の悪口を言いまくった挙句、「このチームは甲子園の1回戦で、自身が嫌っていた進学校に負けました。ザマアw」みたいな終わらせ方をしました。
 このバカ番組の中で、武井はおおむね、このような発言をしています。
「野球にひたすら打ち込ませるのは、その頑張りがのちの人生に役立つことは間違いないが、みんながプロ野球選手を目指すわけじゃない。だから、ゲンダイの記事が報じている『文武両道あり得ない』というほど追い込むのは反対だ」

 この番組における、自称漫画家とオカマの感情的悪口は「2018」に記載したとおりなので省略し、今回は同番組において、どっちつかずながら、結局は坂原監督を批判していたズルい小男・武井の過ちを正してやりたいと思います。
 何度も言いますが、坂原監督の厳しい練習の目的は、これまでの人生で「強制される」という経験を持たず、そのため人と競う能力を何も持たないまま不貞腐れて生きている学生や、「何かになりたい、変わりたい」と渇望する学生に、野球を通じて「強制されてやらされる」経験を経て「できる、やれる」自信を持たせ、人生に誇りを持たせることです。
 だからこそ坂原監督はいわゆる有望選手のスカウトには目もくれず、二流・三流の選手を鍛えに鍛えるという方針を堅持し、昔の広島商のような「スモール・ベースボール」を旨としているわけです。つまり坂原監督の指導方針の中に、武井が上記番組で言っていた「部員にプロの選手を目指させる」は一切存在しません。
 これを証明するように、下関国際からプロに行った選手はたった宮崎敦次投手(広島国際学院大ー千葉ロッテー広島打撃投手)だけ。その宮崎氏は中学時代、有望選手どころか控えの一塁手。「中学限りで野球から足を洗おう」と考えており、プロを目指すなど、思ってもいませんでした。
 ですから、武井がこの番組で主張していた「高校野球部員はみんなプロを目標としている」というのは、武井の「甲子園に出てくる高校の野球部とは、所詮こんなもんだ」という思い込みから発せられたもので、坂原監督の信念や業績を全く調べていないからこそ出てくる傲慢な発言、と断じていいでしょう。

 また武井は、「文武両道ありえない」という発言につき、同番組ではモニョモニョ言いつつも結局否定的な発言をしていますが、これは下関国際という高校のことを全く調べていないが故の無礼な発言です。
 武井は大金持ちの御曹司で、自分が物心つく前から、私立の名門で高等な教育を受けることができていました。
 これは本人の努力ではなく、現在の言葉でいうところの「親ガチャ」で大当たりを引き当てただけです。親のカネと庇護、そして優秀なDNAを受け継つぎ、ヌクヌクと育てられたからこそ「学生というものは勉強もスポーツも、どっちも希求して当たり前だ」などという寝言を平然と発言できるのでしょう。
 しかし、幾度も言いますように、下関国際野球部に集う生徒は、武井のような「親ガチャ成功者」は全く存在しません。初期の下関国際野球部ではむしろ、「親ガチャ」では大外れを引き当てた子ばかりが集っていたのです。
 坂原監督の下、そうした境遇を自らの力で切り開こうと努力してきた下関国際の球児に対する「文武両道は目指して当たり前」「プロを目指しても途中で脱落する人の方が多いんだから」などという発言は、上から目線のふざけた発言でしかありませんし、しかも、そうした発言を無意識にやっていること自体、人前にチャラチャラ出てきて商売をする芸人として、ダメダメであると思います。
 その程度の粗末なアタマしかないから武井は、自らが理事長を務めるフェンシング連盟が不正会計で問い詰められたとき、シドロモドロな会見しかできなかったんですよ。それはともかく(;^ω^)。

 「文武両道ありえない」騒動から5年。下関国際には、「強制された経験がない、無気力にふてくされた部員」はもう、入ってこなくなりました。
 逆に「坂原監督の下で、より厳しい環境で野球をやりたい」という求道派の選手が、全国各地から参集するようになります。
 今回、大阪桐蔭戦で決勝打を放った賀谷勇斗選手は「10校ほど見学して一番練習が厳しいという理由で、子供が選んだ(父・崇さん)」。ライトを守っていた水安勇選手は「強いところでやりたい」。特に「2018」以降は、こうした求道派選手の参集率がほんとうに高くなり、常に甲子園をうかがう強豪チームとなりました。
 特に今大会のチームはついに、今まで行っていた朝練をしなくてよいだけの自主性を身に着け、自ら考え、動き、鍛えるチームにまで成長したのです。これは坂原監督がずっと希求し続けてきた「理想のチーム」像が、ついに現実のものとなった瞬間でもありました。

 そしていろいろあって…今回の夏甲子園準優勝。

 あの「文武両道ありえない」騒動の着火点となったバカイエローペーパー・日刊ゲンダイはその直後「朝練をやめる措置を取るなど、鬼監督も少し変わったようだ」などという、負け惜しみのクソ記事を発した以外、下関国際関係の報道を一切しておりません。
 そしてあのバカ番組「バラいろダンディ」出演者の武井・倉田・カルーセルの3人とTOKYO MXは、坂原監督への謝罪もなく、ダンマリを決め込んでいます。また、あのときに坂原監督を叩きまくっていたネット弁慶たちも、今やどこに行ったのかわかりません。
 坂原監督のたゆみない努力は、上から目線で罵声を浴びせてきたバカどもを全て、実力でねじ伏せ、蹴散らしました…。

 ワタクシは下関国際という学校やチームではなく、坂原秀尚という監督のいちファンであり続けます。
 高校野球というわが国トップクラスのメジャースポーツで、ほんとうの意味における「弱者が強者に勝つ」を体現した名指導者なのですから。

(とりあえず日刊ゲンダイと「バラいろダンディ」関係者は、全身の毛を剃って下関国際野球部に謝罪に赴いたほうがいいと思いますよ。そうしないと、人間として恥ずかしいですよ。)

再び山口県発! 愛?と復讐の高校野球2022(その1)

2022-08-27 18:46:10 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 4年ぶりの「愛?と復讐の高校野球」を、再び山口県より堂々お送りします!

 令和8月22日、第104回全国高等学校野球選手権大会決勝戦が行われ、宮城県代表・仙台育英学園が初優勝。深紅の優勝旗が史上初めて白河の関を越えました。
 そして、準優勝となったのはわが山口県代表・下関国際高校…そうです。今から4年前の100回記念大会開催時、「山口県発・愛?と復讐の高校野球2018」と題して取り上げた、あの学校でした。
 皆様もご存じの通り、下関国際高校は今春センバツの優勝校大阪桐蔭・準優勝校近江を立て続けに破って決勝進出。これは、高校野球史上古今未曽有の快挙であり、この準優勝は、高校球史に燦然と残る、非常に残る価値ある準優勝と言って良いでしょう。

 しかし、沸騰する下関国際への称賛とは裏腹に、ネットに転がる下関国際高校関連の記事は、お寒いことこの上ありません。
 いずれいずれも「下関国際へのリサーチを一切行っておらず、決勝まで進出したから、大慌てで誰でも知っているようなことを、さも知ったげに記事にしている」という状況がずっと続いており、夏の甲子園終結1週間を経たいまも、全く改善の兆しを見せません。
 これまで目にした「下関国際について、まともに調べず書いたクソ記事」は多々ありますが、その白眉は「下関国際はどんな高校?初の決勝進出、かつて部員5人だったことも」(8月20日付朝日新聞デジタル)。ちと長くなりますが、記事のバカさ加減を知っていただくため、全文を掲載します。

「第104回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の決勝(22日)に出場3回目の下関国際(山口)が初めて進出した。
 下関国際は男女共学の私立。1964年に下関電子工高として創立され、67年に下関高に、93年に下関国際に名称変更した。
 普通科と、機械コースと自動車コースを持つ電子機械科がある。野球部のほか、ウエイトリフティング部も全国レベルだ。
 野球部の創部は65年。05年に社会人野球のワイテックで投手としてプレーした坂原秀尚監督(45)が就任した。
 08年夏の山口大会で14年ぶりに1勝を挙げたものの、当時は部員不足に悩まされており、その秋には1、2年生だけで5人しかいなかったという。
 徐々に力をつけ、15年夏の山口大会で決勝に進み、準優勝した。
 17年の山口大会で初優勝し、春夏通じて初めて甲子園に出場した。初戦の2回戦で三本松(香川)に敗れた。
 翌18年の第100回全国選手権大会に2年連続で出場し、花巻東(岩手)、創志学園(岡山)、木更津総合(千葉)を破り8強にまで進んだ。準々決勝は日大三(西東京)に2―3で逆転負けした。
 現在の部員は75人。
 今夏は左腕古賀康誠、右腕仲井慎の二枚看板を擁し、準々決勝で春夏連覇を狙った大阪桐蔭を、準決勝では昨夏4強、今春選抜準優勝の近江を破った。
 学校は本州最西端の都市の山口県下関市にある。
 関門海峡に面する下関市は、源平合戦の際、壇ノ浦の戦いの舞台にもなった。」

 ご一読されてどうですか…。「え、それだけ?んなもん、誰でも知ってるよ!」という感想が聞こえてきそうです。
 小学生の壁新聞にも劣る取材力。「天下のアカヒ新聞様」も落ちたもんですwww。
 そのほかの記事もほんとうに五十歩百歩で、山口県内ではみんなが「もう知ってる」というような話を、ちょっと表現を変えて書き換えているだけの記事ばっかり。
 要するに山口県ローカルマスコミ以外は、下関国際のことを全くノーマークであり、調べることすらしていなかったわけで、それを糊塗するため、この程度の「誰でも知ってる」程度の内容の記事でお茶を濁しているのです。
 下関国際の準優勝は図らずも、スポーツマスコミのレベルの低さをもあぶり出してしまいました(;^_^A。
 
 とはいえ、これだけ話題になった準優勝ですから、今後はもうちょっとまともな記事が出てくるであろうと期待しつつ…弊ブログでは下関国際と坂原秀尚監督、とくに坂原監督の考えたことや、行ってきたことにスポットを当て、どこのスポーツマスゴミも絶対に書かない「坂原野球の神髄」に迫っていきたいと思います。

 ではまず、「2018」でも取り上げましたが、坂原監督が監督就任する前後の下関国際高校、そしてその野球部の状況について再度お話しします。

 坂原監督の監督就任は平成17(2005)年のことですが、そのころの下関国際の評判は…「山口県下随一のDQN学校」。ちなみに当時の偏差値は驚きの35~36。要するに「小学校レベルの読み書き・計算すら怪しい」というレベルです。
 校風もまた、偏差値の数字を正確に反映した、実に退廃した校風でした。
 生徒の3割が、なぜか自分で運転する自動車で通学(!)。タバコの煙は文字通り「空気のように」校舎内外を支配。
 授業は受けに来るだけで優等生。テストのときに出席していればさらに優等生。
 ただ、そのテストではカンニング・私語はし放題。しかも、生徒同士で解答を教え合う会話が「犬って英語で『グッド』やったっけ?」などという世紀末なものだったり…
 下関国際の準優勝を報じた、8月23日付「山口新聞」15面には「成長の軌跡 スクール・ウォーズさながら」という副見出しが躍っていますが、下関国際という学校や野球部の「ビフォアー」を知る人であればあるほど、この表現の正確さに、「そのとおり!」と膝を打つことでしょう。

 何事かを会得するためには、何事にもよらず、まずは「何かを誰かに強制的にやらされる」ことが入口になります。
 程度の大小はありますが、ある程度の強制力を持って「できるまでやりきる」ことを重ねることで、少しずつ「できる」ようになり、その「できる」が集まって初めて「人と競える力」が芽生え、人と競って勝ったり負けたりする経験を経てようやく「自発的にやる」段階に至るわけです。
 これは勉強、スポーツ、各種習い事、よろずのことに当てはまる「学びの基礎」です。
 これをふまえて考えますと、当時の下関国際の生徒は、学びの第一段階である「強制される」をずっとスポイルし続けた結果、勉強でも、スポーツでも、不良の必須科目であるところのケンカでも「人と競って勝つ」力が一切なく、無気力にふてくされ、欝々とした日々を送っていいた、といっていいでしょう。

 坂原監督はこの点をいち早く見抜き、自分の専門分野である野球で「強制を経て、できるようになるまでやりきる力」を身につけさせ、彼らの人生に誇りを持たせようとしたわけです。

 ちなみにこのころの下関国際野球部は、集団万引きで大会出場停止処分を食らったばかり。現在の下関国際野球部からは想像もつかない、当時の校風を体現した「ゴミ野球部」以外の何物でもありませんでした。

※ 文中、当時の下関国際を貶めるような表現が散見されると思いますが、これらは当時下関市民だった知人数名から聞き取りをした「事実」や、新聞等で報じられた事実をありのまま記載しただけであり、現在の下関国際高校を貶めるためのものでないことをお断りしておきます。

雑記・陰口や讒言に悩む皆様へ…「ウソはどこまで行ってもウソである」(芦原英幸)

2022-07-16 17:30:28 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 皆さんは「陰口」「讒言」を言うほうですか?言われるほうですか?
 おそらく弊ブログをご覧の皆様の多くは「言われるほう」だと思いますが、かくいうワタクシも、ガッツリ「言われるほう」です(;^ω^)。
 とある姓名判断サイトでワタクシの本名を占断しますと、「総画 凶」。その総画が示すワタクシの運命は「孤独・失敗・天災・多難」だそうで、「天災」以外は占断結果を見事に反映した人生を送っており、やはりワタクシは馬鹿から悪口を言われる人生なんだなあ…と、ヘンな意味で感心してしまいます。
 余談ですが、PNの「周防平民珍山」は総画大吉、その他が激烈に悪いという相となっており…何もかもが両極端、本名とPNを足して二で割って人生をヨタヨタ進んでいる、という感じがあるわけでありますなあ(←詠嘆)。それはさておき。

 ワタクシはこれまで、数えるのも嫌になるほど、先輩・上司・同僚からの「陰口」「讒言」を受けてきましたが(後輩や部下からされたことが一度もないのが、ちょっとした自慢ですが(;^ω^))、過去に受けたそれらの傾向を再度リサーチしなおしますと、ひとつの面白い法則性が見えてきました。
 ワタクシが本当にやらかして、「どうぞ、バレませんように…!」と祈る思いをしていることに関する「陰口」「讒言」を受けたことは一切なく、逆に、ワタクシがやってもいない、言ってもいないことを、さもワタクシが言った・やったように吹聴する、捏造の「陰口」「讒言」ばかりでした。
 ここからわかることは、いかなる理由によらず、陰口や讒言で人を陥れようというヤツは、アタマも根性も激烈に悪いヤツばかりだから、リサーチ能力がないうえ、ウソ情報すらまともに作れないバカだということです(;^ω^)。

 世の中には…そして、弊ブログをお読みの方の中にも、会社や学校などの各種所属組織で「陰口」「讒言」を受け、苦しんだり、悩んだりしている方がおられるでしょう。
 今回は、「陰口」「讒言」を、枡で計って車に積んで売れるくらい(;^ω^)受けてきた、「孤独・失敗・多難」相のワタクシからその本質をお話させて頂き、「そんなもん、大したことじゃないですよ!」という応援をさせて頂きたく存じます。

 まず先ほどお話した、個人的体験のとおり、「陰口」「讒言」の内容は、十中八九ウソや捏造ばかりです。
 理由は先ほどお話ししました通り、損な手段で人を貶めようと考えるヤツは、アタマも根性も腐っているため、「ウソ情報」すらまともに作ることが出来ないほどのバカだからです。
 また、「陰口」「讒言」というものは、「アイツには正面切って勝てない」という相手にだけ発せられるという性質を持ちます。
 正面攻撃で、何をやっても勝てないバカは、レベルの低いウソで捏ね固めた言質を以て相手を貶めるという搦手を駆使する以外に、その相手を攻撃の手段を持たないのです。
 つまり「陰口」「讒言」というのは、相手方のある意味「敗北宣言」ですので、相手がおかしな手段に訴えない限りは、むしろ優越感に浸っていいものだったりもするのです。

 ワタクシが生涯尊敬する、先代の芦原館長は、その天才性ゆえ、生涯にわたって「陰口」がつきまとい、各種の「讒言」によって極真会館を追われた経験を持ちます。
 そんな先代館長は、陰口や讒言について、著書で「ウソを100回言えば本当になるという人もいるようだが、ウソはどこまで行ってもウソである」と喝破しています。
 まあ、先代の全盛期に、正面切ってケンカを売って勝てた人はおそらくいない(やったら素手、または手裏剣でもれなくブチ●されますね(;^ω^))でしょうから、相手がレベルの低い陰口や讒言以外に攻撃手段を持たなかったというのは、むべなるかな…です。

 ただ、陰口や讒言に関して面倒くさいのは、こうした陰湿な攻撃をする人間は、「言葉責めでは相手が折れない」と見た瞬間、さらに上の手段…具体的に言いますと「無視する」「仲間はずれにする」「モノを隠す」「共有情報を与えない」といった陰湿な手段に出てくるわけです。
 これは小学生や中学生といったガキンチョの世界の話ではなく、いい年こいたオッサン・オバハンでも、バカはそういうことを平気でします。なぜなら、バカという生物はモノと恥を知らないからです(;^ω^)。
 こうした行為で心をやられる方は、世間には大変多いわけですが…すみません、ワタクシ実は、陰口や讒言はシコタマやられましたが、そうした「レベルの低い実力行使」にまで至られたことは一度もなかったりします。
 理由は明らかで、「武道・格闘技をやっているから」。
 バカという生き物は「学ぶ・鍛える・損して得取る」という発想が出来ないからこそのバカなのですから、鍛錬を結晶させなければ上達できないうえ、ヘタすれば自分の身体に直接攻撃される危険性を孕む「武道・格闘技」に対しては異様な畏怖心を抱いており、「いつでもやったるぞ、コノヤロー!」という気を発している人間に、おかしなことはしません。
 また、バカという生物は「コイツは自分より強いか、弱いか」ということを鋭敏に察する能力を持っています。
 理由は簡単、バカという生物は「自分より弱い相手をいじめる」ことが、唯一無二の快感を得る手段だからです。
 そうした救いがたい性質を持つバカにとって、いじめるターゲットを見誤って、激烈な反撃を受けることがいちばん苦痛を感じることですから、「自分より強いか弱いか」という見極めの目だけが発達するわけですね。

 こんなことをシメに言うと「また我田引水のオチか」と批判されそうですが、武道・格闘技をある程度治めることは、精神衛生的にも、そして、世の中で生きる限り、あらゆる形で出会うであろう「陰口」「讒言」に打ち勝つ、最も効果的かつ即効性のある対抗手段だと心得ます。
 「心理カウンセラー」などという詐欺師連中は「毅然とした言語や態度をしておけばいい」などと言いますが、それは武力を修めた裏打ちがあっての「毅然」とした態度に依る場合のみであり、ヘナチョコが「毅然とした態度」をしていても、「コイツ、スカしやがって」と、さらなるイジメの標的になるだけです(安易に「毅然とした態度」などというヤツは、十中八九詐欺師です。保証します。)。
 バカは言語がわからず、ヒトのしぐさや表情が読めないからこそバカなのですから、そうした低能に対して即効性があるのは「肉体言語」。それ以外の対抗策はまず、ありえないといっていいでしょう。

 最後はなんとも救いようのないオチになってしまいましたが、ワタクシの経験上、「肉体言語」の即効性は本当に抜群です。
 陰口や讒言に苦しむそこのアナタ!まずは簡単な筋力トレーニングから始めてみてはいかがですか????
 とりあえず3か月、マジメに継続すれば、何かが絶対に変わってきます。経験者のワタクシが、保証します!

雑記・弊社に「安全文化」が根付かない理由

2022-07-10 19:21:36 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 いわゆる「安全工学」と呼ばれる学問でいうところの「安全文化」(safety culture)とは、昭和61(1986)年のチェルノブイリ原発事故を契機として使われ始めた概念で、
① トップから現場の末端1人1人までが
② 安全最優先の意識を持ち
③ 組織として安全確保に向けて取り組んでいる状態
のことをいい、その文化を形成するためには、以下の4つの「文化」を根付かせる必要があるとされています。
イ 報告する文化…組織内で起きていることを、包み隠さず報告すること
ロ 正義の文化…ルール違反には厳正に対処する。非難しない文化は誤り
ハ 学習する文化…ミスやルール違反を繰り返さないよう、教訓とすること
ニ 柔軟な文化…状況に柔軟に対応する組織を目指すこと

 ワタクシが現在働いているクソしょうもない会社では、少年院にも劣るような幹部学校を卒業したバ幹部が、口を開けば「安全に留意、安全は何にもおいて優先する」などとほざいていますが、弊社の職歴30年弱のワタクシから言わせて頂きますと、コイツらが上に立っているからこそ、弊社には安全文化が根付かないのだ、と強く信じて疑いません。
 その理由は簡単。弊社のバ幹部は、上記イ~ニに反する人生・勤務を送ることによって「偉くなる」ことができるからです。

 バ幹部の皆様は、広島県呉市に所在するバ幹部学校において5年弱もの歳月を過ごすことにより、世間で一切役に立たない高等数学、チンケな法律論、そして「バ幹部ムラ社会の論理」だけを身に付けて世の中に出てきます。
 で、この「バ幹部ムラ社会の論理」をものすごく煮詰めて言語化しますと、↓のようになります。
「バ幹部学校の先輩に媚を売るのは当たり前。後輩から媚を売られるのも当たり前。兵隊の取り扱いについては、媚を売る兵隊はいい兵隊で、媚を売らない兵隊は悪い兵隊」
 かつて「マルチ商法=現代ネズミ講」に加担していた元詐欺師が書いた本に、こんなことが書かれてありました。
「媚を売ることは信用を売ること。媚を売られて悪い気持ちになる人間は1人もいない。しかも元手がかからない。だから、成功するためにはどんどん媚を売れ。これは最も簡単で、最大の効果が出る身過ぎ世過ぎだ!」
 ここまで読んで、皆さんもうお分かりになりましたよね…そうです。「バ幹部ムラの論理」は、現代詐欺師の価値観と全く同じ…犯罪者と何ら変わらないアイデンティティの下、組織を運営しているということになるんです。

 詐欺師と同じ「媚体質」を是とするバ幹部の皆様は、頭の中に「フィルター機能」というバイアスがかかっています。
 つまり、自分の都合がいい情報だけを「いい情報」「必要かつ重要性高の情報」として吸い上げ、自己に都合が悪い情報や、耳の痛い意見は「不要な情報」として目をつぶり、耳をふさぐわけです。
 そんな生活を送っている輩が、「安全文化」を形成するのに必要な上記イ~ニに掲げた「安全形成に必要な文化」を根付かせられると思いますか????????
 …それは「砂浜でコメを作る」「男が赤ちゃんを出産する」レベルの、ムリな話ですよ(-_-;)・・・・・・・・・・・。

 そういえば、安全工学の本の中に「安全は終わりのないゲリラ戦である」(J・リーズン)という言葉が書かれてありました。
 これはまるで、上っ面では「安全は大切だ!安全を守ろう!」と唱えているくせに、実は安全文化を根付かせるうえで、最も有害かつ邪悪な倫理観に固まっている弊社バ幹部との戦いを示唆しているようで、なんとも味わい深い一言だと心得ます(;^ω^)。

 ちなみにワタクシ、バ幹部が気に入らないことをわざと本人の目の前で発言するなどして、自分から地雷を踏みまくって爆発させまくっていますんで、そもそもワタクシなんかが安全について語っちゃいけないんですけどね…_| ̄|○



雑記・「ゼロ戦思考」は「ゼロ戦神話」並みに意味がない

2022-06-19 17:30:34 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 今春に弊社を退職し、現在はトレーナー&ボディビルダー修行にまい進している若者がおります。
 彼とはウマが合ったため、現在も連絡を取り合っているのですが…彼曰く、初心者からは十中八九「いわゆる『細マッチョ』体型になるには、どういったトレーニングをしたらいいか?」という質問や要望ばかり受ける、と言っていました。
 国営放送で筋肉啓発番組が永く放送されて好評を博すなど、一昔前に比べて「トレーニング」というものがだいぶ人口に膾炙したと思っていましたが、やはりまだまだ、わが国における「筋肉アレルギー」や、それに起因する無知や誤解は根が深いようです。

 「細マッチョ志向派」はおおむね、以下のような誤解をしています。
① 筋肉はちょっと運動すれば、簡単につく。
② 筋肉は重量のある部位なので、つけすぎると動きが鈍くなる。

 まず①ですが、筋肉というのは、本当につきにくいものであり、細マッチョ志向はそもそも、この大前提がスッポリ抜け落ちています。
 なんで筋肉がそう簡単につかないのかといいますと、「何をしなくても莫大な栄養を消費する機関」であるため。
 筋肉が簡単についてしまう部位であった場合、食べたいものが食べられない状況下にあっては、宿主のいちはやい飢餓・餓死を招いてしまいます。
 ですから筋肉は「豊富な栄養・十分な休養」という、飢餓とはいちばん縁遠い状況にあって、かつ、脳みそに「これは筋肉を増やさないとヤバい!」というシグナルを送れるだけの強烈なトレーニングがあって、はじめてつくという性質を有しているのです。
 もっと細かいことを言えば、腕や肩、脚といった、日常生活でもよく動かす部位であればあるほど、筋肉はつきにくくなります。
 ですから、いわゆる「細マッチョ」を志向する程度のトレーニングで、体形が明確に変わるほどの筋肉がつくはずがありません。

 アーノルド・シュワルツェネッガーといえば、筋肉でアメリカンドリームを成し遂げた名人ですが、そのシュワルツェネッガーはこんな名言を残しています。
「筋トレする前から、すぐにマッチョになってしまうと考える人へ。
 筋トレして、ムキムキなったら嫌だ、なんて言う奴がいるが安心してくれ。
 あんたには、なれない。
 あんまり、筋トレをなめないでくれ。」
 筋肉は簡単にはつかないということを見事に表現した、達人ならではの名言と心得ます。

 次に②について。
 これは①の誤解から派生した誤解なのですが、細マッチョ系はこんなことを考えています。
「スポーツに使うパフォーマンスは、そのスキルトレをしないと身につかない。だから、重い筋肉はそのパフォーマンスを落としてしまう。」
 これは一見まっとうな意見のようでいて、実は天動説並みに間違った見解です。

 筋肉は人体唯一のエンジンであり(←ここ超重要)、脂肪以上の確実・利便性を持つボディアーマーでもあります。あたりまえですが、スポーツのみならず、よりよい日常生活を送るうえでも、「多すぎて困ることはない」という部位です。
 そんな筋肉は①でもお話ししましたとおり、そう簡単につかないという特性があります。ボディビルダーが生活のすべてをかけても、1年で薄皮1枚程度の筋肉しかつかない…という、そんなものです。
 ですから、「筋肉が重すぎるとパフォーマンスが落ちる」などというのは、無知に起因する傲慢な考えであると同時に、「ハレー彗星が地球に直撃する」とか、「1999年に地球が滅亡する(←懐かしいですね(;^ω^))」レベルのデマであり、一顧だにする価値のない意見です。
 まあ、スポーツのパフォーマンスが落ちるほどの筋肉を付けるなんて、ステロイドをバカ食いしてもムリですよ(;^ω^)。
 また、細マッチョ志向派や、アタマの悪いスポーツ指導者はよく「特定スポーツのパフォーマンスは、専用の練習をしなければならない」という、一見まともそうなことを言いますが、これは「筋肉は、特定スポーツの動きだけでは身につかない」という「逆また真」な意見を完全に無視し、自分たちの狭い知識の中で物事をハンドリングしようという恣意に満ち満ちた、実にしょうもない意見です。

 こうしたバカスポーツ指導者や、細マッチョ志向派の意見を見れば見るほど、私は日本海軍のレジェンド・零式艦上戦闘機を思い起こさずにはいられません。

 現在に至るも、無用といっていいほどの伝説に彩られた零戦ですが、コイツをメカとして見た場合、所詮は「1000馬力くらいしか出ない、栄エンジンありき」という前提のもと、「最高速力500キロ以上・20ミリ機関砲搭載」という課題を提示された技術者が心身を削って作った、「この条件だったら、これ以上の解答はありえない」という、その時の100点満点の答案でしかありませんでした。
 そのため、戦局の激化に伴い、現場から血を吐くような切実さで上がってくる改造要請…速力増加・防弾性能向上といった要請に一切対応することができず、ベテランパイロットを次々に失い、戦局のさらなる悪化を招くといった悪循環をもたらしました。
 逆に、エンジンのハイパワー化をどんどん推し進めた米軍は、同一の機体にもどんどん改造や改良を重ねることができ、日本軍を圧倒することができました。
 トレーニングの中に「筋肉を増やす」ことを加える可否については、今お話した「零戦VSグラマン」に示したとおりであり、個人的な見解を申し上げれば、筋肉を増やすことのメリットはあっても、デメリットは一切ない。逆に「筋肉はそんなに要らないというヤツ」「スキルトレに逃げるスポーツ指導者」のような、人体の窮理を無視する輩とは、一生口を利くことがないと思っております。

 「とにかく物体重量が軽ければいい」「エンジン馬力は全く無視して、単純な重量が重いのはパフォーマンスの低下につながる」という「ゼロ戦伝説」は、こと人体を用いる分野においては一切顧みなくてもいい、どうでもいいクソのような神話だ…ワタクシは武道・格闘技や各種スポーツにおいては、少なくともそのように思っております。