集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

うちの会社は「女尊男卑」ですが、当ブログは絶対に違います!!!!

2015-05-29 20:13:56 | 兵隊の道・仕事の話
 多分もうないとは思いますが、この春まで、人生で初めての女性の部下というのがいました。
 普通に生活している分には何も問題はないのですが、とにかく非力。機関部員として働かせるには、本当に不向きでした。
 部品の蓋が開けられない。ちょっと大きめの径のネジを締められないから、すぐになんでもかんでも片締め(ネジ山にそってねじ込まず、中途半端な締め方をすること。一番やってはいけないこととされる)にする。重さ20キロの油の缶が一人で持てないなどなど・・・・
 本人は一生懸命仕事をしているつもりなのでしょうが、監督しているこっちは、何をしでかすかわからんので、ヒヤヒヤものです。
 しかも、力仕事になったら全く戦力にならないので、完全に除外でした。
 あからさまに仕事から除外するとメソメソ泣き始めるので、私が絶対にできないそのへんのケアを、もうひとりの若い男の部下にフォローしてもらいました。若い男の部下には、本当に悪いことをしたと思っています。
 
 うちの会社でも、親会社でも、やれ男女平等だの、男女雇用機会均等だの、男の育休だのの、耳障りのいいことばかり言っています。
 しかし、うちの会社の仕事がまさにそうなのですが、力と気合がないと絶対にできない仕事が厳然として存在するところで、アホな教育者やアホな評論家がいうような綺麗事が、本当に通用すると思っているのでしょうか。
 警察・消防さんのように、いくら女が「できない、わからない」だのいっても、犯罪者や火事が否応なく襲ってくる職場であれば、それなりに覚悟を決めて鍛えたり勉強したりするのでしょうが、そういう切迫感のある仕事が少ない我が社は、危ない仕事があるかもしれない船に、平気で女を乗せてきます。しかも、その資質はまったく見ることなく、単純な頭割りです。
 うちの会社の子会社が発行している労○新聞・・・じゃなくて、「ホニャララ新聞」という、職場のプロバガンダ丸出しの部内報があるんですが、この新聞には毎号必ず、やれ女の職員が赴任しただの、就任しただのという記事が踊ります。
 就任赴任を喜ぶんじゃなく、きちんと仕事をしてから喜べよ!
 私はいつもこういう記事を見るたび、上の血圧が200くらいに上昇します(怒)。

 本当に完全なる私の私見ですが、女は完全に開き直って覚悟を決めた時には、男を驚愕させる恐ろしい力を発揮します。これは連れ合いが戦争から帰ってきたと思ったらすぐに病死し、田畑と家を守るため、男2人掛りでもできない力仕事をやっていた、うちの母方のばあさまを見ているのでよくわかります。ですから私は女の人が社会に出て仕事をすることを悪いと言っているのではありません。そこんとこ、間違えないでください。
 その反面、女は甘っちょろい男が周囲にいっぱいいると、すぐさまいい加減なことばかりしますし、その女がたまたま顔の印刷が良かったり、下世話ですが、顔以外の性的な魅力があるとの自覚症状がある場合、90パーセント前後の確率でそれを駆使して、何かと「ラクする」「偉くなろうとする」「その他自身に有利になるバカ男を捕まえようとする」傾向にあります。いわゆる枕営業ちゅうやつですね。
 うちの会社は女が少なく、しかも警察や消防さんのように、体力や性別を問題にしない仕事がおきにくいため、そういうクサレ女が跋扈する土壌が、ものすごくできています(泣)。
 バカ男とクソ女が織り成す出世双六。見ていて吐き気がします。

 男女平等などという言葉を見るたび、私はいつも虚しさとバカバカしさを感じます。
 性別がいらないなら、人間はゾウリムシとかプラナリアとか、そういう下等な生き物のままだったはずです。なんで性別があって、言語があって、社会生活をできるようになっているのか。中学校の生物で習うそんなことすらわからない教育者や公務員が多いなんて、笑止千万です。
 「置かれた場所で咲きなさい」なんて言葉がもてはやされてますが、それは男女にはあてはまらないんでしょうか。非力な女が石油の缶を持ち上げることができないのと同様、子供を母性で包んであげることは、男にはできないのです。何が「イクメン」なのか。バカバカしい。
 男女平等という言葉には、終戦後に押し付けられたアカとアメリカの悪意しか臭ってきません。それに踊らされるうちの会社のバ幹部(患部?)。話になりません。

 曲がりなりにも男の社会の中で平等を謳うなら、男に倍する仕事をしてから言うべきであって、枕営業やクソマスコミに泣き落としをして頼むものでは、決してありません。
 うちの会社ははっきりいって女尊男卑です。非力で仕事のできない女のわがままを、職場を上げて聞いてあげて機嫌を取っている。性悪なDV女に騙されているダメ夫と全く同じです。
 幹部は早く気づかないとダメなのではないでしょうか・・・って、もう手遅れか。
 

 
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潜水夫研修よもやま物語(その4)

2015-05-26 20:35:57 | 兵隊の道・仕事の話
 潜水夫研修(プール)の実習はまず、呼吸停止から始まります。
 要するに息こらえのことですね。息を瞬間的に止め、そこで作業をする。潜水夫にはとても必要なことです。なので、毎日研修の最初に、息を止めるということをやります。
 水深1.3mのところで、太ももの上にウェイトを置いて長座し、リラックスした姿勢で息を止めます。
 初日は30秒、45秒、1分の3セット。各セット間のインターバルは1分だったと記憶しています。
 息をこらえる際、大きく深呼吸をして呼吸を整える方法と、わざと息を早くして二酸化炭素の濃度だけを落とすという「ハイパーベンチレーション」という手法があります。教官から言われたのは前者の方法でした。
「いくら二酸化炭素の濃度を下げても、地球上の酸素の濃度は変わらんから、ハイパーベンチレーションをして極限まで息を止めると、落ちやすくなる。だから大きく呼吸をするのが一番いい」
 それがベストでした。

 息を止める上でもうひとつ大事なこと。それは「何も考えないこと」。
 そうです。呼吸停止で大切なのは、体をなるべく動かず、酸素の消費を可能な限りカットすることなのです。
 その意味で、最も動きをめなくてはならない人体の器官。それは脳です。

 脳は考えることにより、物凄く糖分と酸素を使います。
 なので、何も考えてはいけません。呼吸停止の時にものを考えることは厳禁です。
 教官いわく「もし苦しくなったら、頭の中で意識して『ボーっ』と言え!」。
 これは有効でした。
 この2つの方法で、1日ごとに15秒ずつ伸びていき、最後の日には2分、2分15秒、2分半の3セットになる呼吸停止も、そんなに苦労した記憶がありません。

 呼吸停止を会得することで、脳にまず「息を止めることは怖いことじゃない」ということをすり込むことが重要です。息を止めることに恐怖感を感じると、そのほかの課程が全く履修不可能になります。
 水平脱装着、垂直インターバル、バディブリージングなど、とにかく潜水夫研修の課程の多くは息を止めることが前提の種目ですからね。 
 幸いうちの期にはいませんでしたが、別の期の研修では、呼吸停止でパニックを起こすやつもままいました。
 そんな奴ははっきり言って推薦したヤツが悪い。息を止めること、暗いことや狭いこと、人の加えたものを嫌がる潔癖症は、まあ最初っから研修を希望しないことですね。
 なので、すべての練習の最初に息を止める練習を導入した、うちの会社の潜水夫研修…ではなく、そのモデルであった海自さんのスクーバ課程はとても偉いと思います。

 そういえば去年の夏、ひさびさに25m素潜りをしようと思った1本目、20m弱で息切れをしました。
 再度、「何も考えない」ことを意識してボーっとやったら、なんと3本目で、10年ぶりなのに25m素潜りが普通にできてしまいました。
 市民プールでやったので、周りのガキンチョの「なにこのヘンタイ!」みたいな視線が痛かったのですが、自分的には満足しました。
 研修を乗り切る体力と呼吸停止。潜水夫なら「あって当たり前」の最低スキルでございます。
 
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山口県の柔道部物語

2015-05-20 19:59:53 | 格闘技のお話
 何気なく家で山口新聞を読んでいますと、今年のインターハイ柔道競技山口県大会の予選櫓が掲載されていました。
 どれどれと眺めると、なんと男子の柔道部で、団体戦のメンバーを組めている学校がわずか17校!!!
 私が山口県立柳井高校柔道部にいたときは、50数校が参加してたのに・・・
 私は現在、柔道なんて全然好きじゃないんですが、何とも言えない寂しさが襲ってきました・・・

 私が今は亡き柳井高校柔道部に入ったのは、高校1年の秋のことでした。
 中学校の時、選手としての才能はゼロなのに、変に老成していて交渉事が上手だったせいで、顧問にいらん仕事をたくさん押し付けられ、野球以外のことしかやらせてもらえなかった(当時の部活というのは、技術を教えるものではなく、ガキが悪さをしないよう、長時間拘束することに主眼が置かれていたんですよ。今の若い人には信じられないでしょうが・・・)私は、競技者としての野球に見切りを付け、「高校ではラクしよう」と、最初は生物部(!)に入りました。
 しかし、もともと血の気の多い私は、わずか1学期で文化部ののんびり生活にほとほと嫌気がさし、二学期に入ると同時に、柔道部に入ることを決意しました。
 理由は簡単で、もともと格闘技がやりたかったことと、もうひとつは、同じ中学野球部の1年先輩で、後輩に威張ることしかできなかったKというアホ先輩が先に柔道部に入っており、そんな人でも黒帯を取っていたのを見て「あのアホが大丈夫なら、ワシも大丈夫だ」と思ったのがきっかけです。けっこう不純ですね(笑)。
 実際に入部してみると、私と同じ1年は、4月に入部した5人に、後発入部の私を加えた6人。私と同じ不純な動機で入った生徒が、私を含めて3人。小学校のころから柔道クラブなどで柔道をしていたものの、付近の柔道強豪校に行くには偏差値が高かったことから、文武両道を目指して入部したというポテンシャルの高い部員が同じく3人、という、なかなかおもしろい布陣でした。
 当時は3年生が引退したばかりで、2年生が5人、1年生が5人という、とてもこじんまりした柔道部でした。
 顧問の教師はいるにはいるのですが、1年毎にコロコロ変わり、しかもみんな柔道の素人ばかり。なので、練習はキャプテンと上級生がよく考えて決める、というものでした。
 試合がなければ日曜日は休み。日々の練習時間も長くなく、しかも基本技術は先輩がやさしく教えてくれる。
 私にとっては、願ったり叶ったりのゆったり柔道部でした。
 ただ、そうしたゆったり部活にも、ちょっとした波風はありました。

 ひとつは、隣町にいた柔道強豪校・田布施工業高校(現・田布施農工高校)です。
 F沢という柔道キチガイの教師が率いる柔道部は、当時山口県でも1、2の実力を誇っており、ときたま近辺の学校の柔道部を集め、合同稽古という名のシゴキ大会をするのが大好きでした。
 日曜日のお昼。JR田布施駅から田布施工業に行く足取りの重いこと重いこと。
 体操の後始まる、無間地獄のような寝技乱取り。100キロを普通に越すテブがのしかかり、軽量級の選手は、恐ろしく早く強い動きで乗っかってくる。「うわ~」「ギエ~」「早く終われ~」ということ以外、なにも考えていませんでした。
 寝技のあとは打ち込み。それが終わったら乱取りという名のシゴキ。100キロ以上の肉塊が、「払腰」という名前の技で腹の上に落ちてくるあの苦痛ときたら…。
 また、柔道キチガイ教師F沢が、気合が抜けていると判断した自校の柔道部員を、試合中と言わず練習中と言わず、突然飛び込んできてはシバき倒す姿にも度肝を抜かれました。ちなみにF沢はこの数年後、県高校柔道選抜選手の合宿中、女の柔道選手のフロを覗いた罪で懲戒免職を喰らいました。

 もうひとつイヤだったのは、「山口県大会」という名前のついた大会です。
 私は日曜はゆっくり休みたい派だったので、日曜が潰れるこの大会、大嫌いでした。
 しかも当時は、個人でベスト8まで勝ち上がると、全ての試合が終わったあと、「県強化練習」などというわけのわからん練習が組まれ、強制参加させられるのです。
 でもそんな試合になると、私はなぜか、運悪く勝ち上がっちゃうんですよね(泣)。そうじゃない大会の時にはすぐに負けちゃうのに。
 高校2年秋の県大会と、高校3年春の県大会でその不運に接し、強制的に練習させられました。
 高校3年の時には、一回戦で負けたフリをして逃げようとしたら、すぐにバレて捕まって引きずり戻されました(泣)。
 私は運悪く勝ち上がっただけのやる気のないアホ。合同練習に残るような奴は、当然県トップレベルの選手ばかり。
 重いのも軽いのも、私の何十倍の柔道力を持ったヤツばかりです。
 私はぼろ雑巾のように投げられ、押さえ込まれ、ひどい目にあいました…。

 競技に学生時代を賭けたわけでもなく、ただなんとなく楽しく過ごしていただけですが、そんなのんきな柔道部時代、懐かしいですね。
 今のグレコローマン柔道にロマンを求めろとはいいませんが、今の若い人にも、身一つでいろんなことを追求する格闘スポーツの素晴らしさに、ぜひ目覚めてもらいたいとは思います。
 人生は長く、また、戦うことの連続です。ですから長い人生の1ページの半分、いや三分の一でもいいです。肉体的に戦う季節があっても、全然いいんじゃないかと思います。私みたいにライフワークになると、ちょっと問題がありますが(笑)。
 不肖わたくしの「柔道部物語」は、また思いついたら思い出話を書きたいと思います。
 
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潜水夫研修よもやま物語(その3)

2015-05-14 20:42:50 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 映画「サルウミ(仮称)」のせいでけっこう有名な言葉になりましたが、研修になると、2人1組のバディというものを組まされます。
 これはもともと、うちの会社の潜水夫研修ができるときにモデルとした、海自さんのスクーバ課程の丸パクリだと思うのですが、そのあたりは私も詳しい歴史を知りませんので、知っている方は教えてください。

 それはともかく、私のバディになったのは、宮城県の塩竃支社から来たAさんという人でした。

 士官学校を出てまだ1年のピチピチの若者。将来はトッキュウ鯛に進み、レスキューの真髄を極めたいという、絵に描いたような潜水夫研修希望者でした。
 研修が始まる時の自己紹介で、「志望理由は?」と教官に聞かれて「業務命令です」と堂々と言っていた私とは、えらい違いです。
(私の回答は恐ろしいことにシャレでは処理されず、教官が後日、部内誌にまとめた「潜水夫研修の考察」という論文の「研修の志望動機」なるコンテンツで、本当に私が「業務命令だ」といったことが記事として入っていた。まあビックリ(笑))

 これでもし、Aさんがそうした希望理由だけを外に向かってガチャガチャ叫んで、しかも実力が全く伴っていなかったら、私もブチ切れていたかもしれませんが、Aさんはそういうことは日頃は全く内に秘め、与えられた課題をしっかりこなして、きっちり自分のものにしていくというタイプでしたので、研修中、衝突することも喧嘩することも全くなく、終始のんびり、まったりしたバディでした。
 そういえば、8バディにいたE木という若い奴は、そういうことを恥ずかしげもなく言っていたので、私はものすごく嫌ってウザがっていましたっけ。
 研修では1~8バディまでが組まれ、私たちは6バディだったのですが、6バディはプール・海を通じて課題をほぼ一発で決めており、達成率がかなりよかったので、けっこう余った時間を自主トレにさせてもらいました(余った時間を自主トレに当ててくれたのは、当時のバディ教官であったSさんの配慮も大きかったです。いまでもSさんにはとても感謝しています)。
 小さな自慢ですが(汗)、きちんとクリアできなかった課題は、慣海実習のときのコンパスナビだけです!
 
 課題を一発で決めるコツは、と言えば・・・まあわたし的には、「課題は一発で決めないと、体が辛くなってどんどん体力を消耗するだけ。体力を損耗した状態で何回も同じことをしてもクオリティが下がるだけ」というのを、当時所属していた泉州支社の訓練で嫌というほど味わったので、課題は最初の一発で極める!という覚悟をもって訓練に臨んでいただけで、なんのタネもしかけもありません。
 逆説的に言えば、映画「サルウミ」なんかで出てきますが、研修の課題をクリアできて泣いて喜んでいるようじゃ、はっきり言って話にならん体力と覚悟であるとしか言えません。
 それはさておき。

 バディのAさんとは、本当にいい関係を保って研修を修了。結婚式にも呼んでもらいました。
 そしてAさんは、研修終了後からわずか数年で、本当にトッキュウ鯛に行ってしまいました。
 Aさんが鯛の鯛員(笑)になったのをいいことに、私が東京派遣されたとき、忘れ物をしたときには、羽田にいるAさんを訪ね「ちょっとアレ貸して~」なんてお願いしていましたっけ。迷惑なヤツですね。
 Aさんはその後ビジネスマンとしても大成功を収め、現在は、うちのさらに親会社に出向しちゃいました。スゲエ。ちなみにAさんが働いているところの現在の大親分は、詳しくは言いませんが、テレビにもよく出てくる「スガ」という人です。(  ̄▽ ̄)スゲェェェ

 休みの日には焼肉食ったり、カラオケ歌ったり、朝まで遊んだので、寮が開くまで近くの浜で寝たり(!)しましたが、まあ、いい思い出です。
 優秀なバディAさん。ぐうたらな相方は、ただただ感謝するばかり・・・・

 


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マイナーからそうじゃないものまで

2015-05-08 18:38:36 | 兵隊の道・仕事の話
 我が社をモチーフにしたマンガや映画といいますと、今の人に聞くと十中八九、「サルウミ(仮称)」と言うでしょう。
 興味を持って調べてみますと、意外とうちの会社をモチーフにした作品は、太古の昔から存在します。
 なんと一番古くは、「ゴジラ」にもちょこっと出てくるそうです。あまりにも端役過ぎて、誰も気づいてないんですが。
 
 それ以外でうちの会社に関する出版物や映像といえば・・・順不同に紹介いたします。

・「渚」シリーズ
 小説家・西村寿行(昭和5~平成19年)の作品で、うちの会社の特別警備監・関守充介という人が活躍するという架空小説です。『遠い渚』(昭和54年)、『ふたたび渚に』(昭和56年)、『沈黙の渚』(昭和59年)、『風の渚』(昭和62年)という4部作です。
 この人の小説らしく、エロ描写満載です。困ったな。

・「陸影を見ず」
 うちの会社が平成の頭ころ、なにかの物質の警備をしたのですが、それをモチーフにした小説。曽野綾子さんの作品らしく、よく調べた読み応えある作品なのですが、すごく品薄です(文庫は文春から発行されています)。復刊が待たれる名作。

・トッキューGO
 さいとうたかをが昭和50年代ころ書いた、我が社の「トッキュウ鯛」という組織を舞台に描いたトンデモマンガ。調べ方が極めてずさんでいい加減。後年のゴルゴの調べっぷりとは雲泥の差があります。
 トッキュウ鯛というのは原則、人助けをする舞台のはずなんですが、なぜか陸自のレンジャーみたいなことをしていました。
 まさかこれが、さいとうたかを初期の名作、「サバイバル」のもとになったんじゃ・・・変な心配をしてしまう怪作です。

・喜びも悲しみも幾年月
 最初の映画は昭和32年に封切られ、大ブームを巻き起こしました。昭和40、47、51年にはテレビドラマ化。さらに数十年を経過した昭和61年、「新」として、続編が封切られました。
 面白かったですね~!最初の映画だけ・・・・。
 ちなみに「新」で、若きうちの会社の職員役をやっていたピチピチに若かった中井貴一が、いまや「サラメシ」のナレーションをしています。

・「サルウミ(これだけ仮称)」
 皆様ご存知、サルウミ。
 漫画は忘れもしない平成11年3月、今は亡きヤングサンデーで連載開始。その後フジテレビ系列で映画4本、テレビドラマ1本を作成する、まさに我が社と、主演俳優イトウプデアキ(仮名)にとって、金の鶏とも、まぐれ当たりともいえる1本となりました。
 これについて多くは評しません。
 ただ、皆さんはほとんど忘れていることと思いますが、実はNHKでもドラマ化(しかも2回)されています。
 あまりにも漫画原作を無視したトンデモ作品で、主演した国分太一くんの黒歴史になっています。

・トッキュー!!
 週刊少年マガジンに、なんと堂々単行本20巻分連載された漫画。
 「サルウミ」とは異なり、ありとあらゆるディディールに、こだわりにこだわった作りが、とても好感が持てる作品でした。
 漫画の久保ミツロウさんの出世作ともなりました。そういえば久保さんは最近、「久保みねヒャダイン」の1人として、テレビにラジオにと活躍されていますね。よかったよかった。
 どうでもいい話ですが、トッキュー!は連載が終わってから何年も経つのですが、ネット上では未だにBL作品としての人気継続中です。たまたまそういうサイトを見つけて、度肝を抜かれました(驚)。
 
 こうやって並べてみますと、けっこうリサーチのいい加減な作品が多く、変な意味でびっくりします。まあ、警察や自衛隊さんは、うちの何十倍もいろんな作品のモチーフにされ、しかも悪意ある作品がいっぱいあって、ほんとうに大変だと思いますが・・・。
 しかし今回、これを書くにあたって再度作品のリサーチをかけ、一番度肝を抜かれたのは、しつこいようですが、連載終了後7年(連載は平成20年33号まで)も経つのに、未だにBL作品としての需要がいっぱいある「トッキュー!!」でした。
 うーん、それだけキャラに魅力があったと褒めるべきなんでしょうか・・・・うーん・・・・

 興味がある方は見てみてはいかがでしょうか・・・私はノンケなので、もういいです。



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