今回は、「術科の長い長い歴史」余話となります。「べ、別に、ネタがなかったからまだひきずってるとか、そんなんじゃないからね!」…って、オッサンがツンデレヒロインの真似をしても気色悪いだけですんで🤢、本編に行きます。
「術科の長い長い歴史」のなかでも幾度か触れましたが、柔道はわが国武道史上初となる「人の殺傷を目的としない、できない武道」であり、その原因は「武道の学校教育化を目指したから」…詳しくは連載第16回で触れていますが、「本邦剣術柔術等ニ就キ教育上ノ利害適否ヲ調査スヘキ旨」の調査結果が「不適」と出たことに対するカウンターとして、嘉納がこれまで学んできた柔術に、ランカシャースタイル・レスリングをアレンジして作ったのが「柔道」の初期スタイルでした。
成立の第一歩がそうなのですから、後年嘉納が希求した「勝負法(=要するに、実戦で用いられる、殺傷能力のある技術)」の枝葉が全く伸びなかったことや、講道館柔道をベースに作った「警視庁柔道基本 捕手の形」が全く実戦に使えない、あまりにもトホホンな出来だったのは、ごくごく当然の帰結と言えます。
さて、そんな柔道から派生した一派であるにも関わらず、「我々のやっていた柔道こそ、本来あるべき柔道の姿なり」との主張をやめない一派がいます。
そうです。いわゆる「高専柔道」関係の皆様です。
高専柔道の成立過程や、寝技主体のファイトスタイルになった過程と原因については、連載第11回~13回に記載した通りですが、要するに「たった2年半しか修行時間がない旧制高校生が、団体戦を効率よく勝つために捻り出した最終回答が寝技だった」というだけのことであり、高専柔道の代名詞と言える、ものすごく長い練習時間をひねり出せた理由も、旧制高校が「激烈な受験戦争を勝ち抜いた末の、モラトリアムの学校」だったから。そして戦前、高専ルールが講道館を凌駕する勢いで一世を風靡した理由は「どこの団体よりもいち早く、シンプルなルールを明文化して、日露戦争終結を契機に一大ブームとなった『武道ブーム』のビッグウェーブにうまく乗ったから」です。
いずれもよくよく調べれば、「な~んだ…」というくらいの理由です。
(これらの結果は全て、連載最終回末尾に掲示した、きちんとした研究論文で明らかにされているものであり、どこかのインチキライターが勢いに任せて書きなぐったものが出典ではありません。この点、お間違いないようお願いいたします。)
高専柔道愛を語る人々は言います。「高専柔道は練習量が全てを決する柔道である」。
一見素晴らしいことを言っているように見えますが、「猛練習」はべつに高専柔道だけの専売特許ではなく、講道館関係者だって、高専柔道と同時期に存在した武徳会関係者だって、ゲロが出るような猛練習を積んでいたことは間違いないですから、これはおかしな話です。
正確に言うなら「高専柔道は、練習量が全てを決する可能性が高いルールを持つ柔道」というべきであり、上のような言葉は、別の組織で柔道をやっている人に失礼な気がします。
また「真の柔術は寝技が必ず発達している。武士の寝技は一騎打ちのとき、組討から頸を掻き斬るのに必要な技術だった。」などというという主張もありますが、これは高専柔道の技術成立過程を見れば「んなアホな…」の一言で片づけていいものであり、単なる権威付けのためのこじつけでしかありません。
同じことを繰り返しますが、講道館柔道は、わが国武道史上初となる「人を殺傷しない、できない武道」であり、その究極の目的は学校教育に取り入れられることでした。
そこからある意味、イビツな形で発展した高専柔道も、実は講道館とよく似た成立過程を辿っており、戦後一気に霧消してしまった原因は、「時間に余裕があるモラトリアムの学校・旧制高校がなくなったから」以外の何ものでもありません。
弊ブログで武道関係の歴史をたどる度、ワタクシは「なんであんなバカな伝説を信じていたんだろう」と愕然とすることが多々あり、ものを並べてトレースして調べる重要性に気づかされるわけですが…高専柔道に関してわからないのは、あんなに偏差値が高い学校で学んだ人たちが、なぜどっからどう見ても嘘八百としか思えない「高専柔道伝説」を後生大事に奉じて「我々の柔道こそが真の柔道だった」と言い続けるのか、ということです。
これは、たくさんある認知バイアスのうち、「スリーパー効果」(ウソやいい加減な話でも、時間が経つとそれが真実のように思われてくるという心理作用)が働いているからと思われますが…「賢い人、偉い人も、見たいものだけ見るとバカになる」(←「情報を正しく選択するための認知ハバイアス事典」(フォレスト出版)の帯文句)としか言いようがありませんね。
ともあれ、高専柔道も講道館も結局は同じ穴の狢であり、お互いが批判をしあうのは「猿のケツ笑い」レベルの話でしかありません。
「術科の長い長い歴史」のなかでも幾度か触れましたが、柔道はわが国武道史上初となる「人の殺傷を目的としない、できない武道」であり、その原因は「武道の学校教育化を目指したから」…詳しくは連載第16回で触れていますが、「本邦剣術柔術等ニ就キ教育上ノ利害適否ヲ調査スヘキ旨」の調査結果が「不適」と出たことに対するカウンターとして、嘉納がこれまで学んできた柔術に、ランカシャースタイル・レスリングをアレンジして作ったのが「柔道」の初期スタイルでした。
成立の第一歩がそうなのですから、後年嘉納が希求した「勝負法(=要するに、実戦で用いられる、殺傷能力のある技術)」の枝葉が全く伸びなかったことや、講道館柔道をベースに作った「警視庁柔道基本 捕手の形」が全く実戦に使えない、あまりにもトホホンな出来だったのは、ごくごく当然の帰結と言えます。
さて、そんな柔道から派生した一派であるにも関わらず、「我々のやっていた柔道こそ、本来あるべき柔道の姿なり」との主張をやめない一派がいます。
そうです。いわゆる「高専柔道」関係の皆様です。
高専柔道の成立過程や、寝技主体のファイトスタイルになった過程と原因については、連載第11回~13回に記載した通りですが、要するに「たった2年半しか修行時間がない旧制高校生が、団体戦を効率よく勝つために捻り出した最終回答が寝技だった」というだけのことであり、高専柔道の代名詞と言える、ものすごく長い練習時間をひねり出せた理由も、旧制高校が「激烈な受験戦争を勝ち抜いた末の、モラトリアムの学校」だったから。そして戦前、高専ルールが講道館を凌駕する勢いで一世を風靡した理由は「どこの団体よりもいち早く、シンプルなルールを明文化して、日露戦争終結を契機に一大ブームとなった『武道ブーム』のビッグウェーブにうまく乗ったから」です。
いずれもよくよく調べれば、「な~んだ…」というくらいの理由です。
(これらの結果は全て、連載最終回末尾に掲示した、きちんとした研究論文で明らかにされているものであり、どこかのインチキライターが勢いに任せて書きなぐったものが出典ではありません。この点、お間違いないようお願いいたします。)
高専柔道愛を語る人々は言います。「高専柔道は練習量が全てを決する柔道である」。
一見素晴らしいことを言っているように見えますが、「猛練習」はべつに高専柔道だけの専売特許ではなく、講道館関係者だって、高専柔道と同時期に存在した武徳会関係者だって、ゲロが出るような猛練習を積んでいたことは間違いないですから、これはおかしな話です。
正確に言うなら「高専柔道は、練習量が全てを決する可能性が高いルールを持つ柔道」というべきであり、上のような言葉は、別の組織で柔道をやっている人に失礼な気がします。
また「真の柔術は寝技が必ず発達している。武士の寝技は一騎打ちのとき、組討から頸を掻き斬るのに必要な技術だった。」などというという主張もありますが、これは高専柔道の技術成立過程を見れば「んなアホな…」の一言で片づけていいものであり、単なる権威付けのためのこじつけでしかありません。
同じことを繰り返しますが、講道館柔道は、わが国武道史上初となる「人を殺傷しない、できない武道」であり、その究極の目的は学校教育に取り入れられることでした。
そこからある意味、イビツな形で発展した高専柔道も、実は講道館とよく似た成立過程を辿っており、戦後一気に霧消してしまった原因は、「時間に余裕があるモラトリアムの学校・旧制高校がなくなったから」以外の何ものでもありません。
弊ブログで武道関係の歴史をたどる度、ワタクシは「なんであんなバカな伝説を信じていたんだろう」と愕然とすることが多々あり、ものを並べてトレースして調べる重要性に気づかされるわけですが…高専柔道に関してわからないのは、あんなに偏差値が高い学校で学んだ人たちが、なぜどっからどう見ても嘘八百としか思えない「高専柔道伝説」を後生大事に奉じて「我々の柔道こそが真の柔道だった」と言い続けるのか、ということです。
これは、たくさんある認知バイアスのうち、「スリーパー効果」(ウソやいい加減な話でも、時間が経つとそれが真実のように思われてくるという心理作用)が働いているからと思われますが…「賢い人、偉い人も、見たいものだけ見るとバカになる」(←「情報を正しく選択するための認知ハバイアス事典」(フォレスト出版)の帯文句)としか言いようがありませんね。
ともあれ、高専柔道も講道館も結局は同じ穴の狢であり、お互いが批判をしあうのは「猿のケツ笑い」レベルの話でしかありません。