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集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

雑記・「講道館と高専柔道、どっちが正当な柔道か」論争≒「猿のケツ笑い」

2022-06-11 18:04:52 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 今回は、「術科の長い長い歴史」余話となります。「べ、別に、ネタがなかったからまだひきずってるとか、そんなんじゃないからね!」…って、オッサンがツンデレヒロインの真似をしても気色悪いだけですんで🤢、本編に行きます。

 「術科の長い長い歴史」のなかでも幾度か触れましたが、柔道はわが国武道史上初となる「人の殺傷を目的としない、できない武道」であり、その原因は「武道の学校教育化を目指したから」…詳しくは連載第16回で触れていますが、「本邦剣術柔術等ニ就キ教育上ノ利害適否ヲ調査スヘキ旨」の調査結果が「不適」と出たことに対するカウンターとして、嘉納がこれまで学んできた柔術に、ランカシャースタイル・レスリングをアレンジして作ったのが「柔道」の初期スタイルでした。
 成立の第一歩がそうなのですから、後年嘉納が希求した「勝負法(=要するに、実戦で用いられる、殺傷能力のある技術)」の枝葉が全く伸びなかったことや、講道館柔道をベースに作った「警視庁柔道基本 捕手の形」が全く実戦に使えない、あまりにもトホホンな出来だったのは、ごくごく当然の帰結と言えます。

 さて、そんな柔道から派生した一派であるにも関わらず、「我々のやっていた柔道こそ、本来あるべき柔道の姿なり」との主張をやめない一派がいます。
 そうです。いわゆる「高専柔道」関係の皆様です。
 高専柔道の成立過程や、寝技主体のファイトスタイルになった過程と原因については、連載第11回~13回に記載した通りですが、要するに「たった2年半しか修行時間がない旧制高校生が、団体戦を効率よく勝つために捻り出した最終回答が寝技だった」というだけのことであり、高専柔道の代名詞と言える、ものすごく長い練習時間をひねり出せた理由も、旧制高校が「激烈な受験戦争を勝ち抜いた末の、モラトリアムの学校」だったから。そして戦前、高専ルールが講道館を凌駕する勢いで一世を風靡した理由は「どこの団体よりもいち早く、シンプルなルールを明文化して、日露戦争終結を契機に一大ブームとなった『武道ブーム』のビッグウェーブにうまく乗ったから」です。
 いずれもよくよく調べれば、「な~んだ…」というくらいの理由です。
(これらの結果は全て、連載最終回末尾に掲示した、きちんとした研究論文で明らかにされているものであり、どこかのインチキライターが勢いに任せて書きなぐったものが出典ではありません。この点、お間違いないようお願いいたします。)

 高専柔道愛を語る人々は言います。「高専柔道は練習量が全てを決する柔道である」。
 一見素晴らしいことを言っているように見えますが、「猛練習」はべつに高専柔道だけの専売特許ではなく、講道館関係者だって、高専柔道と同時期に存在した武徳会関係者だって、ゲロが出るような猛練習を積んでいたことは間違いないですから、これはおかしな話です。
 正確に言うなら「高専柔道は、練習量が全てを決する可能性が高いルールを持つ柔道」というべきであり、上のような言葉は、別の組織で柔道をやっている人に失礼な気がします。
 また「真の柔術は寝技が必ず発達している。武士の寝技は一騎打ちのとき、組討から頸を掻き斬るのに必要な技術だった。」などというという主張もありますが、これは高専柔道の技術成立過程を見れば「んなアホな…」の一言で片づけていいものであり、単なる権威付けのためのこじつけでしかありません。
 
 同じことを繰り返しますが、講道館柔道は、わが国武道史上初となる「人を殺傷しない、できない武道」であり、その究極の目的は学校教育に取り入れられることでした。
 そこからある意味、イビツな形で発展した高専柔道も、実は講道館とよく似た成立過程を辿っており、戦後一気に霧消してしまった原因は、「時間に余裕があるモラトリアムの学校・旧制高校がなくなったから」以外の何ものでもありません。

 弊ブログで武道関係の歴史をたどる度、ワタクシは「なんであんなバカな伝説を信じていたんだろう」と愕然とすることが多々あり、ものを並べてトレースして調べる重要性に気づかされるわけですが…高専柔道に関してわからないのは、あんなに偏差値が高い学校で学んだ人たちが、なぜどっからどう見ても嘘八百としか思えない「高専柔道伝説」を後生大事に奉じて「我々の柔道こそが真の柔道だった」と言い続けるのか、ということです。
 これは、たくさんある認知バイアスのうち、「スリーパー効果」(ウソやいい加減な話でも、時間が経つとそれが真実のように思われてくるという心理作用)が働いているからと思われますが…「賢い人、偉い人も、見たいものだけ見るとバカになる」(←「情報を正しく選択するための認知ハバイアス事典」(フォレスト出版)の帯文句)としか言いようがありませんね。
 
 ともあれ、高専柔道も講道館も結局は同じ穴の狢であり、お互いが批判をしあうのは「猿のケツ笑い」レベルの話でしかありません。

雑記・「西野カナ戦法」を取らないことについては、永久保証の弊ブログだから(;^_^A

2022-03-15 19:34:07 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 女性向けメンヘラソングの大家(←失礼(;^_^A)西野カナさんの作詞方法は、「非常に現代的」であると有名です。ワタクシは現代的ではないので、ごく最近まで知らなかったのですが(;^ω^)
 西野さんの作詞は本人の感性によるものではなく、多数の若い女性にアンケートを取りまくり、どのようなワードが若い女性の心に刺さるかということを徹底リサーチして作り上げるそうです。
 なるほど、だからどこかで聞いたことのあるようなワードと、メンタルがヘラっている世界観の歌ばかりだったのか…(←失礼)。
 本稿ではこれ以後、「アンケートやマーケティング結果をかき集め、その結果だけをもとに、メディア作品をヒネり出す」ことを「西野戦法」と呼びます。
 弊ブログの読者に、西野カナさんの曲を愛聴している方はたぶんいないと思いますが(;^ω^)、上記「西野戦法」という名称、そして本稿中における、「西野カナさんをディスってるのではないか?」という表現につきましては、周防平民珍山が西野カナさんをリスペクトしゃーげていることの裏返しでありゃーすので、悪しからずご了承してつかーさい(←怪しすぎる)。

 さて現在は、「これって、そうなんだよ」と説明されないと気付かないレベルで、多数の「西野戦法」を駆使作品が並んでいます。
 有名どころを挙げますと、数年前、「君の●臓を食べたい」とかいう作品が話題を呼んだことがありましたね。
 ワタクシはこのタイトルを見た当初、わりとマジで「焼肉屋がウマいとか、焼き鳥がウマいとかいう話かな?」と思ったんですが(;^ω^)、ネットであらすじだけ追っかけますと「ヒロインが出てきて、なんやかんやあって死ぬヤツ」という、縄文時代(;^_^Aからずっと使われているテンプレの作品であり、何の目新しさも感じませんでした。
 しかしなぜか作品は大ヒットし、映画化までされたのは皆さま周知のとおりです。焼肉屋の話なのに(←誤解がまだ解けていない)。
 同作が「西野戦法」を駆使して組み上げられたとワタクシが気付いたのは、一連のブームが完全に過ぎ去ったあとだったのですが、それを知ったワタクシは初めて「君のホルモンを食べたい」に抱いていた様々な違和感や疑問が一気に「腑に落ちた」次第です。ホルモンだけに(;^_^A。
 実は「君のホルモンを食べたい」が出てくるちょっと前あたりから、「エゴサーチをやりまわした作品は、大きく当たらないけど外れない」との仮説がかなりの精度で実証されており(ここ10年くらい、レベルが低すぎるマンガ原作映画が濫造されている理由がそう)、「君のホルモンを食べたい」はそうした無機質作品群の象徴的存在だったわけですな。

 「君のホルモンを食べたい」的な作品を作るのは、AI全盛の昨今、実は簡単にできたりします。
 現在はキーワードをいくつか入力するだけで「●●先生のような小説を書いてくれる」「●●新聞のような社説を書いてくれる」といった便利ソフトが実際に存在します。
 AIはの本質は単なる「電子計算機」ですから、エゴサーチの結果を増やせば増やすほど、出力結果に多様性が出るうえ、それをきれいにまとめる「計算」までしてくれるわけです。
 その結果「メディア作品を出す側のアホ」は、アンケートの集積とそれをAI様に入力する作業に奔走し、「見る側のアホ」は、アンケート結果だけをもとに無機質に作られた作品を見て、何も考えずに喜んでいるという形態が常態化しました。阿波踊りのお囃子「踊るアホウに見るアホウ」とは、まさにこのことですな(;'∀')。

 こうした「西野戦法」によって生み出された作品は、「売らんかな」という目的だけを達成する場合、一定の効果を発揮することは間違いないでしょう。
 しかしそれが千古に語り継がれる名作たり得るか?あるいは一定以上の審美眼を持つ人間の魂を揺さぶれるか?と考えた場合、答えは間違いなく「NO!」です。
 げんに、「本を売るならブック●フ~」の書棚を見てください。「アンケート結果が書籍に形を変えただけ」の、「君のホルモンを食べたい」的な本が、ゴッソリ捨て値で売られていますから(;^ω^)。

 知の巨人・外山滋比古先生のスーパーロングセラー「思考の整理学」(現在はちくま文庫にて発行中)は、発想を形にする取り組み方法として「ビールのように醗酵させる」「カクテルのように混ぜ合わせる」「わすれる」「捨てる」「とにかく書いてみる」「しゃべる」など、ユニークかつ非常に説得力のある論が展開され、刊行から30数年を経た現在でも読み継がれる名著として知られます。
 このうち「醗酵」と銘打たれた項目に、こんなことが書かれており、実はこの部分はそっくりそのまま、「西野戦法」のアキレス腱を指摘しています。
「人間は、正本(せいほん)に対して、つねに異本をつくろうとする。Aのものを読んで、理解したとする。その結果は決してAではなくA´、つまり異本になっている。文学がおもしろいのはこの異本を許容しているからである。六法全書を読んでも、小説のようにおもしろくないのは、法律では異本をほんのすこししか許さないためだ。」

 上の論でいいますと、耳触りの良い単語やセンテンス、昔から使い古された筋書でガッチガチに縛り上げられた「西野戦法」作品の本質は、思考や発想の振れ幅が大きい文学作品などにおける「異本」ではなく、振れ幅が極端に小さい、法律の「異本」と同じ性質を持つと言えます。
 こう言うと、「いや、西野戦法作品だって立派な文芸だ!」という人も出てくるかもしれませんが、西野戦法作品は原則「アンケートで出てきたセンテンス以外は、絶対使っちゃダメ」なのですから、その点における融通の利かなさは「法律の異本と同質」と断じて、何の問題もないですよ。
 だから「西野戦法」の作品は深みがなく、リピーターがつかず、「1回読んだらもういい」というものしか作り得ないのです。

 このように、「西野戦法」作品を「マーケティングと売り上げがウッチャラスッチャラ」とかいう安易な視点ではなく、外山先生のいう「正本」「異本」視点から見てみますと、現在の出版不況はなんだか、ギャンブル狂いがいかがわしい「必勝法」にすがりつき、どんどん貧乏になっていく負のスパイラルを見ているように感じます。

 数十年・百年単位で読み継がれている名作は、「正本」をもとに、作者が様々なアプローチをかけて作られた「異本」であることがほとんどであり、そのアプローチの質が良ければ良いほど、大量であればあるほど、「異本」の価値が極限まで高まるわけです。
 しかしこれまで見てきました通り、西野戦法作品には「正本」に対する質量的アプローチが一切ありません。
 アンケート結果をAIくんに入力し、AIくんが電子計算した結果を、漫然と文字や映像にしているだけ。
 そんな西野戦法から生み出された「異本」が面白くない・深みがない・先がすぐ読めるというのは至極当然のことであり、ワタクシは今後も、西野戦法式の作品を目にする、あるいは耳にすることは一切ない、と断言いたします。

 弊ブログも外山先生のデンでいけば「異本」の一種になりますが、その振れ幅はご存じのとおり極端に大きく、その偏執・変態ぶりに関しては、広い広いブログ界隈においても、屈指のものと自負しております(断言)。
 この品質につきましては「♪これか~ら~もどうぞよろしくね~ (中略) 永久保証のわたしだ~か~ら~」(タイトルは全っ然思い出せないが、西野カナさんの歌より)という感じであり、永代供養…間違えた、永久保証致します。


雑記・「高齢化社会」は来ない(断言)

2022-03-07 06:19:56 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 新聞やテレビは毎日毎日飽きもせずガセ情報を垂れ流し、恬として恥じるところがありませんが、そんなヤツらの常套手段は、どこからともなく引っ張ってきた三流大学のコジキ教授や、どこの馬の骨ともわからん研究者を「●●にお詳しい専門家」に仕立て上げ、自説を代弁してもらうことです。
 近年の代表的コジキ代表選手としては、コロナの第1波~2波くらいにかけ、TBS系のニュースなどに頻繁に出てきては社会不安を煽りに煽り立てていた、岡田●恵とかいうババアがそうでしたね。
 弊ブログの読者にそういう方はいないと思いますが、中にはワタクシがこうした手合いに対し「コジキ」と呼ぶことに眉をひそめる方がおられるかもしれません。
 しかしコイツらは、自分の学者としての節度を大きく屈することによってカネを得ているのですから、コジキと呼んで何の差支えもなく、何でしたら、本業のコジキの方に失礼なくらいです。
 またこのババアは、コロナによって社会がどんどん疲弊するのに反比例して、着る物やメイクがどんどん派手になっていきました。
 その財源はすべてマスゴミから受けた汚らしいゼニであり、しかもそれをすぐさまファッションに費やすというあたり、もう、心が穢れているとしか言いようがありません。
 あるビジネス誌には、「オンナ(女の場合なら男)・ファッション・クルマ・ギャンブル」を話題にするヤツには近寄るな、とありました。理由は「どんな馬鹿でも話題に出来るから」。
 してみればこの岡田なる人物は、マスゴミに近づかれるべくして近づかれた、下劣な精神の持ち主と断定してもいいでしょう。それはさておき。

 この「自社説をどっかのコジキ教授に代弁させる」ことは、新聞やテレビ各社にとってはその説が問題視されたとき、「●●教授個人の見解だ」としてシラを切りとおすことが可能であり、場合によっては●●教授を切り捨てることで、そのまま自社説を「なかったこと」にできるという、一粒で二度おいしいシステムです
 この「ヤクザの親分と鉄砲玉」のようなシステムを最初に発案・運営したのは朝日新聞を以て嚆矢とする、と、週刊新潮の名物コラム「変見自在」に書かれてありましたが、いまやこの便利システムは、様々な報道機関で悪用されております。

 そんな「新聞・テレビが、カネで買収したバカ学者を使って騒ぎ立てるウソ説」のなかでも、ワタクシが最も「そんな未来は絶対に来ない」と予想しているのは「高齢化問題」です。「少子」のほうを否定できないのは、申し訳ないんですがm(__)m。
 これはいわゆる「二酸化炭素による地球温暖化」に匹敵する大嘘であり、絶対に信用してはいけません。

 永田宏という医療経済学者(←そんな商売があること自体、知りませんでした)は、こんなことを吐かしていました。
「医療の進歩により、昭和62年生まれの人は4人に1人が男で101歳、女で107歳まで寿命が延びる。生きる定年を迎えた後も、医療の進歩によってあと40~50年は働かなければならなくなる。」
 これを受け、さらにバカな三文マスゴミはこう騒ぎます。
「近未来には、定年を迎えた後、何十年間も働かないと生きていけなくなる!」

 この永田とかいうバカ学者はおそらく、これまでのわが国平均寿命統計の数字と、それを図面化したグラフだけを見て、小学生でも言えそうな未来予想をしたのでしょうが、ほんの少しでも「人体というものの本質」を顧みれば、そんな未来が訪れないことは、すぐにわかります。
 まず元来、人体とは40~50年くらいで一度限界を迎えるようにできており(終戦直後ころまで、日本人の平均寿命は55歳くらいであり、定年年齢が永くその辺りに定められていたのはそのため)、それを解消するためには一にも二にも、トレーニングや食事によって身体の基礎能力自体を維持・向上させなればダメなのです。
 いくら医療が進歩しても、治療を施す相手の身体がガタガタだったら、薬も手術何の役にも立ちません。治療を施す前に体が限界を迎えて死ぬか、薬や手術に体が堪えられずに死ぬかの二択ですよ(;^ω^)。

 ではなぜ、これまでわが国の平均寿命が伸び続けていたかと言いますと、男女問わず「大東亜戦争の経験者」たちがいたからです。
 これらの方々は、日本の生活が機械化される前に生まれたため、物心がつくと同時に「自分の体を動かさないと何も始まらない」生活がスタートします。
 メシを食べたりフロに入るには必ず薪を割り、水を汲み、クドに火を焚かなければいけませんし、ランプを使えばホヤの掃除をしなくちゃいけませんし、移動するなら自分の足で、一里や二里は平気で歩かなくちゃいけない。
 ろくな教育も受けさせてもらえず、小学校卒業と同時に社会に放り出され、粗衣粗食でコキ使われ、男の場合は大人になったら兵隊に取られて死地に放り出され、女であれば、男がいなくなった分だけより働かないといけない…という生活で鍛え上げられた人たちが、終戦後には、急激に栄養状態や生活状態が上がった生活ができるようになったわけですし、さらに言えば同年代の連中のなかでも、平均寿命を下落させるような意識の低いヤツ…たとえばケンカやバクチで命を落とすヤツ、あるいはメチルアルコールの呑み過ぎで死ぬヤツなんかは、終戦直後の混乱時期にみんな死んでしまっているのですから、そりゃー生き残った戦争経験世代の平均寿命が、バリバリ延びるわけです。

 翻って現在、団塊世代以後のいわゆる「戦争を知らない」人々は、ちょっとしたことでコロコロコロコロ死んでいます。
 理由は簡単で、戦中派が生活のために「やらざるを得ない」ものであった「運動」がなくなってしまったから。
 これは雰囲気や思い付きで言っているのではありません。ちゃんとエビデンスがあります。
 これを証明してくれるのは、沖縄県の平均寿命。
 一例を挙げますと、沖縄県は戦後永く「平均寿命日本一」を誇っていましたが、数年前にその座を滋賀県に明け渡して陥落、今では3位以下に後退しています。
 この最大の原因は、沖縄県では戦後、生活全般がわが国のどこよりも早くアメリカンナイズされたこと。
 アメリカンナイズされた生活とはこれすなわち、「極端な味付けをした、脂質糖質タップリ食料のバカ食い&車社会」。
 戦前までの沖縄県は内地以上に粗衣粗食の生活を強いられ、それに堪え得る強いDNAを持った人々が暮らしていたわけですが、そうした人々が戦後、脂肪&砂糖100%のアメリカンフード(;^ω^)を常食し、さらに沖縄の暑さを避けるため、車にガンガン乗る生活が常態化した結果…沖縄県では団塊以降の世代における肥満率や生活習慣病罹患率が増大し、それら戦後派世代の死亡率もうなぎ上り。その結果、全体の平均寿命も下落したというわけです。
 沖縄の地方新聞に毎日山ほど掲載されているお悔み欄(本島の新聞ともなると、毎日中央の2面ブチヌキで掲載されている( ゚Д゚))を見れば、オジーやオバーを残し、60代や70代になりたての息子・娘がコロコロ死んでいるのが実感としてわかりますし、健康診断の受診や運動を促すテレビCMがこれでもか!と垂れ流されている地域をワタクシ、沖縄県以外に知りません。

 また、わが実家近辺に目を転じましても、ここ3~4年の間に出た死人は、90代を大きくオーバーして天寿を全うした戦中世代と、その息子・娘にあたる60代ばかりで、しかもその比率は3:7くらいであり、7割を占める「戦争を知らない世代」が死んだ状況を聞きますと、判で押したように「気候がちょっと悪い(暑いとか寒いとか)日に、少し根を詰めて作業をしていたら突然死んでしまった」というものばかり。
 余談ながらワタクシの母方祖母が60~70代の頃といえば、当時中学~高校生くらいだった孫どもを圧倒するパワーであり、毎日根を詰めて農作業をしていたのですが…やはり鍛え方が足りないと、人間は簡単に死んでしまうのです。ここに医療の進歩がどうこうという話は、介在する余地がありません。
 「戦争を知らない」第一世代である団塊からしてかくの如き状態なのですから、それ以降に生まれた人間は、おそらく加速度的に「人間としての根幹の強さ」が失われていることはもう、疑いようがなく、これ以上わが国の平均寿命が延びるとは、とても考えられません。ワタクシども「戦後最大の負け組世代」の寿命は当然、もっともっと下落するでしょう。

 ですんでワタクシは「医療が発達すれば寿命が延びる」などというのは、患者を薬漬けにすることで儲けている医者や薬屋、医療器具屋の世迷いごとあり、同時に、定年後の経済不安に付け込む悪徳金融関係者のアオリ文句でしかない、と結論付けており、今後もその手の話には一切乗らないし、賛同しません。
 ですんで、少子高齢化問題における「高齢化」の弊害…「多数の高齢者の年金を少数の若者が支える」という点については、今後わが国の平均寿命はどんどん落ちますし、もし落ちない場合は、有名なトマス・ロバート・マルサスの「人口論」にあるように、伝染病と飢饉によって老若問わず、大量の死人が出るから大丈夫ですよ(←ひどい言い方(;^ω^))!!!!

 最後の余談ですが、いわゆる「専門家による未来予想」というヤツの正答率はだいたい5割ちょいであり、これは素人が思い付きで予想したものとほぼ変わらないそうです(ちゃんとした研究結果があります)。
 このことだけでも、マスゴミの説なんて聞くに値しないものであり、そんな世迷いごとに踊らされることが、いかにバカげているかと言うことがわかります。
 
 とりあえずワタクシは「寿命を延ばす」ためではなく「悔いなく生きる」ため、トレーニングを継続します。

雑記・某高等教育機関OBの「コメ食うな」論を排撃するの文

2022-02-02 20:19:46 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 先般の投稿で取り上げたクサレホストは、中学校もろくすっぽ通わないまま奈良県の生家を勘当されたという、典型的な低学歴DQNでしたが、今日のお話は「高学歴のくせにバカ」を取り上げます。

 毎度おなじみ・弊社の某高等教育機関のOBには卒業時期の古今、出身地の東西を問わず、いくつかの悪臭芬々なクセがあるのですが、その中のひとつに「自らのチンケな成功体験や、聞きかじりを基にした誤解がひどい」というものがあります。
 ワタクシも弊社に入って今年で27年目。その種のバカは、スコップで掬ってトロ箱に入れ、量り売りできるくらい(;^_^A出会ってきましたが、今回はそんな中でも、特級品ともいえるクソバカ&下劣なヤツをご紹介します。

 そいつの名前をT山といいます。昨年春、横浜地方本社の社長を最後に定年退職したので、いまはもう弊社にいないんですが。
 コイツが部下に盛んに啓発していたことは「米を食うな」でした。
 おそらく、T山という人間をご存じない方はここまで読んで「は?T山というのは池沼(←ネットスラングです(;^_^A)なの?」と思うでしょう。ワタクシもそう思います。しかし盗人にも三分の理、T山がこんな愚劣なことを言って愧じない背景には、T山の極めてチンケな成功体験が隠れているのです。

 T山が得々と語っていた「成功体験」とは、T山が高等教育機関の実習船に科長(航海長や機関長といった、船務各パートの親玉)として乗り組んでいた頃の思い出話。
 弊社のフネは大抵ご飯の質がいいのですが、某高等教育機関実習船は(ワタクシから見ればゴミのような)エライヤツが多数乗っているうえ、(ワタクシから見ればお金の無駄遣い極まりない)国際航海を行う関係上、腕利きのコック長が乗っており、三食非常にいいものが食べられます。
 それまで霞が関の本社で、1食300円くらいの安弁当を食っていたT山は調子に乗り、ガツガツと乞食のように貪り食う生活を始めたところ、たちまち体重増加。それを気にしたT山は、当時流行っていた「糖質制限ダイエット」を始めます。
 ちなみにT山が糖質制限を選択した理由ですが、当時T山は国際航海に従事していた関係上、当時流行っていた「朝バナナ」や「朝リンゴ」ができなかったことから消去法で残っただけ、とのことです。
 T山がやったことは、「米を食わない」を徹底しただけだったんですが、T山の体にはこれが見事にハマり、もとの体重に戻ったのことでした。
(ほかにも「剣道の素振りを、毎日●回やった」的なことも書いていましたが、そんなもん、全然大した運動量じゃないので取り上げません)
 ワタクシがT山の「糖質制限話」を知ったのは、本人がこの経緯を部内誌に掲載したことがきっかけなのですが、その文体はまるで、ネットワークビジネスの親玉が「僕と一緒に金持ちになろう!」と訴える文章と同じくらいのバカさと軽薄さがギットギトに浮き上がっており、ワタクシはただただ、失笑を禁じ得ませんでしたwww。

 しかし、T山の米嫌いはこの体験談を部内誌に載せたあたりから、いかがわしい宗教の信者の如き生臭さを帯びてくるようになります。

 T山はその後、幾度かの転勤を経て八重山支店長になりました。
 現在も同支店員であるワタクシですが、じつはワタクシの赴任とT山が支店長就任が同タイミングでした。
 そのため、ヤツが異動するまでの1年ちょっとの間、ヤツの動きを子細に(遠くから)見ていましたが、このころヤツの「コメ食うな」病膏肓に入っていました。
 本人がコメを食わないのは勝手なのですが、手下にも「コメは毒だから食うな」「コメを食うと太る」「ダイエットしろ」とキャンキャン吠え、「私はコメを食わず、週に1回、すばらしいトレーニングをしているからこんなにスリムなんだ!」と自慢することを忘れませんでした。驚くべきことに、それを地元の新聞にまで自慢し、記事にしてもらっていたのですから(極めて悪い意味で(;'∀'))スゴいです。
 ちなみにワタクシは当時、T山が週に1回、某フィットネスクラブで行っているトレーニング内容を関係者から聞きいたことがありますが、「グラウンドゴルフをやっているジイさんバアさんの方が、よほど気合が入っている」という、極めて低レベルなものでした( ´艸`)。
(この「ショボい運動を自慢する」というのも、某高等教育機関OBに共通することです。学生の頃、よっぽどレベルの低い運動しかしてなかった証拠ですね)

 T山は八重山支店長から鹿児島地方本社長に移り、先述のとおり横浜地方本社長で定年しましたが、当時の鹿児島地方本社員や横浜地方本社員に聞きますと、T山は退職するその日まで「コメを食うな」とうわ言のように唱え続け、手下にも強要していたとのことでした。
 これらT山による、一連の「コメ食うな」の動きをワタクシなりにまとめますと、こんな感じでしょうか。 
「T山は60歳になるまで、『糖質制限とは如何なるものか』という本質を学ぶことなく、自らのチンケな成功体験を、さも万人にあてはまる真実のように唱え続けた愚か者であり、また、自分がコメを食わないならまだしも、『コメは毒』などいう人として間違った言説を唱え、米の生産・流通・消費に携わる人を愚弄し続けた。
 これは人間として決して許されざる所業であり、その下劣な人間性は、犬畜生どころか、虫にも劣るものである。」
 T山がいかに知識的にも、人間的にも間違っているか。ここからはその点をお話しします。
 
 まず、T山が全く学ばず、また、これからも学ばないであろう「糖質制限の機序」について触れておきます。
 食べ物には「PFCバランス(Pがタンパク質、Fが脂質、Cが炭水化物)」というものがありますが、食事における最適なPFCバランスはC(炭水化物)60:F(脂質)25:P(タンパク質)15であり、これは各種論文でも証明されている「公理」でもあります。
 糖質制限ダイエットとは、一般的な食事において60%を占める炭水化物の割合を任意にカットする、あるいはタンパク質や脂質で代替することによって、食事全体に於けるカロリー摂取量を減らし、ダイエットを企図するというものです。
 このダイエット法は、飢渇感を感じることなく「栄養失調状態」を簡易に作り出せることから、「体重の数字を減じる」ということについては高い即効性を持ちますが、その反面、身体にとって最も必要・即効性の高い炭水化物=糖質が体に入らない状態を安易に継続すると、身体に種々の悪影響が出ることも失念してはいけません。

 糖質はご存じのとおり身体活動エネルギーの根源であり、「すぐに使える」スクランブル用糖質は、グリコーゲンという形で肝臓に蓄積されています。しかしこれは活動開始から15分程度で消失してしまい、その次は筋肉を分解して水と糖質に変換する、という現象が起きます。ボディビルダーが嫌う「カタボる」というヤツですね。
 ちなみに身体活動時において、「脂肪の燃焼によるエネルギ―供給」と「筋肉分解によるエネルギー供給」を比べた場合、優先度は断然、後者に軍配が上がります。そうです。「脂肪燃焼」とは「筋肉分解によるエネルギー供給」が呼び水となって、ようやく開始されるのです。
 つまり糖質制限を長く続けますと、脂肪燃焼の呼び水となる筋肉が消失し、脂肪がより燃えにくい体になるうえ、筋肉の合成には糖質が不可欠であるべきところ、その糖質がないため、筋トレをしても筋肉がつかないという悲惨なことになります。
 糖質制限ダイエットを試した人間のうち、人前に出てこない多くの方が「体重は落ちたけど、体がしぼんだだけで、全然カッコよくならなかった」と言っていますが、これはこういう理屈に基づくものです。
 この症状が膏肓に入れば、トレーニングやスポーツのような体力を消耗する運動のみならず、日常生活動作すらしんどくなってきます。最近介護関係で人口に膾炙してきた「サルコペニア(筋肉の減少による動作障害)」っつー、これが起きるのです。恐ろしいですね~。

 次に挙げる糖質不足による障害は「ボケてバカになる」。
 もっと詳しくお話ししますと「脳の栄養が不足し、脳が正常な働きをしなくなる」ということです。
 まず最初に申し上げておきますが、脳を活動させるのに必要な栄養素は、ブドウ糖だけ!です。
 ブドウ糖は炭水化物を原料に体内で生成され、GI値(食物中に含まれる糖質値)がほぼ100という、純度の高い糖分です。
 これだけ純度の高い糖分を作るには、原料も当然それなりに摂取しなきゃならんわけですが、糖質制限をすると、当然その供給が断たれますので、脳が正常な活動をしなくなります。
 よく、減量期のスポーツ選手が「頭が一日中ボーっとしている」とか、「意識が飛びそうになった」と言うことが多々ありますが、これは今お話したとおり、脳の栄養不足に起因するものです。
 このような場合、スポーツ選手ですと、ブドウ糖入りの飲料をすぐに摂るなど、専門知識に基づくリカバーができるのですが、生半可な知識で糖質制限をしている一般人に、そんなことがわかるはずもありません。
 栄養不足の状態が続くと、脳は恐ろしいことに活動を縮小=容積もシュリンクしていきます。つまり「ボケてバカになる」のですね。

 これはT山本人が語っていたことなのでほぼ事実だと思いますが、ヤツの食事は「コメを食わず、肉多め、野菜少し」だそうです。
 T山が毛嫌いする白米ですが、白米のGI値はいちおう「高」のカテゴリにはあるもののそんなに問題視するほどではなく(ある調査では76。フランスパンやベーグルより低い)、また、それ以外の部分は良質な食物繊維でできているため身体への吸収も割合ゆるやか、というかなりの健康食です。
 してみればT山の食生活とは「筋肉を減らし、脳みそを縮小させ、しかも便秘を招く食事」であり、だからアイツは八重山支店長のころ、あんなに頭がおかしかったのか…と、妙に納得してしまいました(;^_^A。
 さらに専門的な話をすれば、「糖質制限ダイエット」は、腸内環境によってハマる人とハマらない人がはっきり分かれます。
 日本人は乳糖不耐性…つまり、牛乳を飲むとハラが下る人が多いですが、あれは腸内に乳糖を分解する菌が少ないために起きる症状であり、実は糖質の分解・吸収にも全く同じことが言えます。
 糖質を分解してくれる腸内細菌が多い人は、少しの糖質摂取でも消化吸収がなされてしまいますから、ダイエット方法として「糖質制限」を選択してもハマりますが、もともと糖質を分解する菌が少ない人の場合、摂取した糖質が腸内を抜けやすいですから、これらの人には「糖質制限ダイエット」は何の効果ももたらさないことなります。
 そういう方の場合は、アトキンスダイエット(PFCのうち、F(脂質)をカットするダイエット)のほうがハマったりしますから、誰でも彼でも「糖質制限」で痩せるわけじゃないのです。
 ここまでの説明で、誰でも彼でも「糖質制限でヤセる」と言っていたT山の言説が、いかに一知半解のバカ発言だったかおわかりいただけたでしょうか。

 次にT山に関し断じるべきは、コメ嫌いが昂じるに従い、「コメは毒だ」などと公言して憚らなかったことです。
 コメを食う、食わないといったことはあくまで個人裁量であって、テメエがコメを食べないからと言って、第三者に対して「毒だ」「食うな」などとほざくのは、米農家・米流通者・米消費者に対する侮辱以外の何物でもありません。
 国民のだれもがその存在を知らない、ゴミのような三流企業のクソ社長のクセにこんな発言をするなど、恥さらし以外の何物でもありません。
 また、ダイエットのそもそもの原因は自分の不注意・不摂生で太ったことにあるくせに、その原因を「コメが悪い」などと言うのは、小学生レベルの因縁のつけかたであり、その低劣ぶりに呆れるばかりです。
 これらのことからも、T山の下劣極まる人間性は明白であり、その主張は一顧だにする価値はない、と断じてよいでしょう。

 お米は「豊葦原の瑞穂」であり、わが国の象徴ともいうべき食物です。
 自らの無知・無責任な言動を棚に上げ、その「瑞穂」を悪しざまに言うに至っては、もはや日本人の誇りを自分からドブに捨てたのも同じであり、できることならわが国の国民としての資格を全てはく奪してシナや朝鮮に放逐すべきだと思いますし、このような腐ったOBを多数輩出する某高等教育機関は、すでにわが国の教育機関と呼んではならないゴミです(断言)!
 個人的に某高等教育機関は、現住地である海軍の都・広島県呉市ではなく、シナの奥地とか、北朝鮮とか、そういうところに移転(そして、そのまま日本に帰って来るな!)すべきものだと心得ます。

雑記・「話せばわか」らない、「国民の下三分の一」への対処方法

2022-01-29 14:50:59 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 去る1月24日、JR東北線(宇都宮線)車内において、男子高校生が、優先座席に寝転んでタバコを喫っていたDQNホスト(28)を注意したところ、男は男子高校生の頭を踏み付けたり、ドアに身体を押し付けて顔面を殴るなどの暴行をはたらいたことから、このDQNホストこと宮本一馬容疑者は暴行・傷害で逮捕されました。
 高校生は顔面骨折の大けがであり、なんとも救いようのない事件です。

 本件に関し、ワタクシが最初に思ったことは「ああ、またしても『話せばわかる』病の患者が、『話せばわからない』ヤツにやられたな」でした。
 以前の雑記で、いわゆる「マスク警察」ジジイが、相手が半グレとも知らず、調子に乗ってマスク未着用を注意したところ首投げを食らい、半身不随になったという事件を紹介しましたが、本件も全く同様の構図であり、被害者の考え方と初動が、とにかく!マズすぎます。

 被害高校生の正義感は大いに誉めてあげたいところではありますが、その正義感を発露するためにはまず、
① 相手は、こちらの話に耳を傾けるような人物であるか?
② 相手が非常手段に訴えた場合、こちらにその対抗策はあるか?
ということを考慮しなければなりません。
 いくら相手が悪いことをしていても、それを制し、こちらの指示に従わせるためにはとにかく「強制力」が必要なのは、上は国家間の諍いから、下は個人の小競り合いまで、等しく同じ。
 逆に言えば、いくら正しいことであっても、「強制力」のない主張なんて空念仏と同じなんですが、世間知らずの被害高校生はおそらく、
「マナー違反の注意なんだから、相手も話せばわかるだろう」
「マナー違反の注意なんだから、何かあったら周りの人が助けてくれるだろう」
といった結構安易な気持ちで、宮本容疑者に注意したと思われます。
 といいますのも、後日公開された本件の一部始終を映した動画で、高校生は意味不明な日本語を駆使して詰め寄りつつ、「謝れ!」と叫ぶ宮本容疑者の剣幕に押されてすぐさまシュンとなり、「じゃあ、自分が謝ったら手を出さないですか?」と言って土下座をしており、そこには「絶対に言うことを聞かせる」という強い決意も、「強制力」を発動する準備も覚悟も、何も感じられません。ですから「安易な気持ち」としか、評価ができないのです。

 ちなみに被害高校生が行ったこれらのアプローチは、DQNに対するものとしては最悪です。
 DQNというのは、人の言うことに耳を傾ける習慣がない(だからバカのままなんですよ)ため、人の意見は原則全て「説教」あるいは「因縁」、つまり自分を否定するものと受け止めます。
 また、バカな人間は例外なく、チンケなプライドが高いため、人前で説教されることを「自分の顔がつぶされること」として病的に嫌いますし、その説教をかましてくる相手が自分より年下、あるいは腕力で勝てそうな相手である場合、今回の事件動画で奇しくも宮本容疑者が喋っていた通り「このガキ、俺に喋りかけられる分際ちゃうやん」(←日本語の文脈において、このような「分際」の使い方は存在しません。しかもDQNにありがちなインチキ関西弁( ´艸`))という心境にしかならないんです。
 つまり被害高校生は、知らず知らずのうちに「DQNにやってはいけないこと」という地雷を全て踏んでしまったわけですから、DQNが激しく抵抗するのは当然といえば当然です。
 しかも高校生はそのDQNの剣幕にすぐに押され、自分の主張を曲げ、「謝る」ことで場当たり的な収拾を図ろうとしましたが、この場合のDQNの心境は「オレにイチャモンを着けてきたくせに、こっちがちょっと強く出たらチビりやがって!」であり、DQNを勢いづかせるだけ。その場の収束手段としては、最悪の一手です。
 
 話は少し変わりますが、わが国の成人人口のうち、下から三分の一は、日本語の読み書きができず、正しい日本語を使った会話が出来ません。
 これは冗談でもなんでもなく、平成23~24年にかけて行われたPIAAC(国際成人力調査)という調査で明らかになった「事実」です。
(PIAACについては文部科学省HPに専用コンテンツがありますので、そちらを参照してください)
 今回の犯人・宮本一馬はまずもって「優先座席に寝転がって喫煙」という社会常識のなさ、そして先述の「俺に喋りかけられる分際ちゃうやん」などという誤った日本語を吐いているあたり、間違いなく「下三分の一」程度の頭脳しか持ち合わせていない、典型的な「話せばわからないバカ」です。
(本件に関するネットの書き込みで、「彼は身体障碍者だったから優先座席にいた。頭の中身に障害がある人間として」というのがあり、不謹慎ですが笑ってしまいました(;^_^A))

 皆様も一度ならず、「話せばわかる」などというおためごかしを耳にしたことがあると思いますが、個人的には、学校でも家庭でも、「話せばわかる」という下らない常識???を教えるのはもう、やめるべきだと思います。
 日本は永い不景気の真っただ中であり、既に教育にお金を使える層と、そうでない層の二極化が顕在化しています。これは今後、更に激化するでしょう。
 それは「下三分の一」の層がさらに分厚く、濃くなることを意味していますから、今回のような「話せばわからない系事件」も、どんどん増えることが予想されます。
 「話せばわからないヤツ」への対抗策は「会話や説得」ではありません。物理的な強制力。これしかありません。
(ちなみにこの「物理的」とは、単純な腕力・武力だけではなく、権力(警察官や、その場を収める地位のある人間を臨場させ、言うことを聞かせる等)・財力(カネの力で言うことを聞かせる)なども含まれます(;^ω^))
 
 このような時代にあたり、きちんとした武道・格闘技を磨き、DQNを制する力を持つことは非常に有意義なことであります。
 今回被害を受けた高校生はこれをきっかけに、ぜひ武道・格闘技にまい進し、よりよい人生を送ってほしいものだと思います。
 あ、でも、神秘系武道と、国内にある合気道諸派のほとんどは、その術理の根底に「話せばわかる」という甘えが横たわっているので、個人的にはオススメしません。

 いつものような我田引水のオチをつけて、終わりと致しますm(__)m。