集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

通常営業・タバコ甘いかしょっぱいか???

2017-07-28 11:28:43 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 沖縄県某島嶼部に赴任して4か月が過ぎました。
 昼間の最高気温は32~33度くらい。「なんだ、大したことはないじゃん」とお思いになるかも知れませんが・・・北緯24度という数値が示す通り、太陽が近くて日光が痛い!!!!そして夜になっても気温が下がらない!ということで、とても暑い毎日を過ごしております。
 
 その「暑さ」を象徴する事象として、こちらには「葉ものの野菜」を作っている農家がありません。日光があまりにもキツいせいで、葉ものの野菜はすべてしおれ、枯れてしまうからです。なんとキュウリすら枯れてしまうのです。
 そのためこちらで自作できる青物といえば…ナーベラー(へちま)、青パパイヤ、オオタニワタリ(野山に生える巨大な葉っぱ。若いうちは天ぷらにできる)、あとは珍しいところでアダンの芽。アダンの実は固くて食えず、ヤシガニの餌にしかなりませんが、意外なものが食えるんですね(;´Д`)。

 そんな美ら島の中で、唯一葉っぱをつける作物…それはタバコ。
 沖縄県では、たばこ栽培がとても盛ん。その理由は、タバコ栽培に適した「水はけと日当たりのよい、弱酸性の広大な土地」があるからです(;´・ω・)…逆に言えば土質の問題で、タバコとサトウキビ以外の生産に適さない土地が多いとも言えますが。

 沖縄ではかなり早い12月に苗を畑に植え、5~6月には収穫が行われます。
 ちなみに私の祖母が手伝っていた、山口県柳井市平郡島のタバコの苗植えは3月でした…って、かなり早い!!!!なので私が赴任したときには、空港付近の畑には、たばこの苗が堂々としたデカい葉をつけていました。
 こうして耕作される沖縄のタバコですが、平成19年度統計では生産量の多い順に熊本県、宮崎県、青森県、岩手県、鹿児島県だそうで、残念なことに後塵を拝しております。やはり、絶対的な作付面積の差…でしょうか。とはいえ、県の基幹農業であり、主要な農作物であることに変わりはありません。

 そんな沖縄県には、内地では見かけない「県産たばこ」2種類があります。
 白地に赤いハチマキ、黒く描かれたタツノオトシゴの絵がステキな「うるま」と、名は体を表すのとおり、スミレ色のパッケージがステキな「バイオレット」です。
 昔、米軍軍政下におかれていた頃の沖縄で販売されていた独自ブランドのタバコが「ゼット」「うるま」「バイオレット」「ピンク」「コロナ」「プロバー」など。
 日本復帰に伴い残された3銘柄が「うるま」「バイオレット」「ハイトーン」。そのうちハイトーンが平成23年に生産を終了したため、今は「うるま」「バイオレット」だけが残っているというわけです。
 ちなみに2銘柄はいずれも旧3級たばこ。内地で売られている「わかば」「エコー」とかと同じヤツですね。そのためタールがきつく、「うるま」「バイオレット」のタール量はなんとオドロキの17mg!ただしお値段はひと箱320円と安く、肺には悪いが財布にやさしい、という逸品となっております。
(参考・内地の「わかば」はタール量19mg、「エコー」が15mg)

 沖縄の農業の一角を支えるたばこ。そして他の地域では見ない独自ブランドのたばこ。皆様も来沖の際に、お土産としてお買い求めになってはいかがでしょうか。
 ちなみに私、たばこは一切喫えないのですが、「うるま」「バイオレット」はお土産によく買い求めます。もらって喫った人の感想は…皆一様に「カラい!」でしたっけか(;´・ω・)


 
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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第29回・3期連続甲子園と鈴木監督の苦悩)

2017-07-26 06:02:17 | 周防野球列伝
 第12回山陽大会決勝は準決勝2試合が終わったのち、午後3時50分という遅い時刻に開始されました。
 決勝の相手は、同じ山口県勢である防府中学。ここまで岡山商業に12-3、鴻城中学に9-5、岡山一中に9-1と、大差で勝ち進んできた強打のチームですが、昨年から延々と、全国レベルの強豪とつばぜり合いを繰り返してきた柳井にとって、防府中は強敵とは言い難い相手でした。
 結果は13-0で柳井の圧勝。見事2年連続の夏甲子園切符を手中にし、数日前に加島秋男主将が返還した優勝旗は、再びその手に戻ってきました。
 試合終了が夕刻であったこともあり、チームの柳井への帰還は午後11時とかなり遅い時刻でした。しかし柳井津駅には、速報台の試合結果で甲子園出場を知った町民が怒涛の如く押し寄せ、前年より2000人多い、5000人の町民が駅前を埋め尽くしました。
 柳井ナインは帰着後すぐ、車8台に分乗して代田八幡宮に赴き戦勝報告をしましたが、その車列の後にはいつ途切れるともわからないちょうちん行列が続きました。
 大阪朝日新聞は「山陽球界の覇権 再び柳井中学に帰す」と題し、第12回山陽大会の総評として、次のように報じています。
「柳井は誰一人として見劣りするものがない。その守備においても打撃においても実にあっぱれ堂々たるものである。」
「(柳井は)広陵と共に余程試合なれ洗練されたチームである。必ずや甲子園における本大会に於いて相当の成績を納めて呉れると信ずる。今や近く遠征の途につくのであらうが、希くば山陽に選ばれたる唯一の優勝者として万丈の気を吐いて呉れ。」
 この記事は最後に、「一般観衆も他の地域に比らべて雲泥の差があり、秩序整然としていた」と、山口の中等野球ファンの観戦マナーを褒めたたえ、昨年決勝で柳井が優勝した際、広島のファンからラムネの瓶を投げられ、罵声を浴びせられたことに対するイヤミのコメント?で締められています。

 さてそのころ、蝉の声がうるさく聞こえる、県立柳井中学の職員室。
 この記事を暗い顔で眺める、メガネと鼻ひげの似合う細身の紳士がひとり…。柳井中学野球部長兼監督、鈴木立蔵その人です。
 この時期には、第12回全国中等学校優勝野球大会の出場校が出そろい、新聞各紙は出場校の紹介や、その戦力分析に躍起になっていました。
 この大会の出場校は以下の通りです(カッコ内は出場回数)。
旭川商業(初)・八戸中学(初)・盛岡中学(4)・前橋中学(2)・千葉師範(初)・早稲田実業(6)・新潟商業(3)・静岡中学(3)・愛知商業(初)・敦賀商業(2)・東山中学(2)・浪華商業(初)・第一神港商業(3)・和歌山中学(12)・鳥取一中(7)・柳井中学(2)・高松中学(2)・長崎商業(2)・熊本商業(2)・京城中学(3)・台北商業(2)・大連商業(5)

 この大会は前年度優勝校の高松商業を始め、センバツ優勝の広陵中、センバツ準優勝の松本商業(長野)が出場できておらず、「本命不在の戦国大会」と目されていました。
 そんな12回大会の優勝候補は…前年度準優勝校であり、センバツにも出場した早実。センバツベスト4の和歌山中学、前年度夏ベスト4の大連商業の3校。早実は高橋外喜雄、和歌山中は小川正太郎、大連商業は円城寺満と、全国にその名を知られた名投手を擁するチームです。
 それに続くのが中等球界のホームランキング・山下実と、町田重信に代わる新エース・西垣徳雄がいる第一神港商業、それに春センバツベスト4の柳井中。大阪では知らぬ者のない名物捕手・伊達正男を擁する市岡中、豪打の一塁手・松木謙二郎を擁する敦賀商業なども有力候補として挙げられました。
 抽選の結果、柳井は大会2日目の8月14日、優勝候補筆頭・早実との対戦が決まりました。
 郷土柳井町民も、中等野球ファンもこぞって「これぞ事実上の優勝決定戦じゃ!」「柳井はセンバツじゃあ早実に勝っちょる。これさえ勝ちゃあ、優勝も夢じゃなーど!」と無邪気に騒ぎ立てていました。

 しかし、鈴木監督はひとり、こんなことを考えていました。
 …郷土のみんなも、中等野球ファンも、無邪気に「今度こそ全国優勝だ!」とか「上位に勝ち進め!」などと期待を寄せている。しかし、エース清水も本調子ではなく、捕手加島の指の傷も、思った以上に悪い。
 他の選手はそのことをよく知っていて「ワシらが何とかせんといけん!」と、自分と関係のないところで無用に力み、それが知らず知らずのうちに焦りを生み、心身の疲労を呼んでいる。チームのコンディションは悪くなる一方…しかも緒戦の相手は優勝候補の早実…どうすればいいのか…
 鈴木監督にできることは、他校の生徒や中等野球ファンとの接触をなるべく避けるため、甲子園大運動場から離れた郊外に宿を取り、なるべく選手の精神を静謐に保たせようと試みることだけでした。
 試合前日の8月13日、開会式直後の鈴木監督は大阪朝日新聞の取材に対し、「広陵との試合のときのように、平気で戦うことができればこの大会だってそんなにこわいチームはありませんがね」とちょっとした自信をのぞかせつつ、実に正直に、不安な心境を吐露しています。
「あすの試合は心配です。清水の病気が十分に回復していないのと、山口の対広陵戦で捕手の加島主将が指を傷つけて球がつかめないので杉田屋を捕手にしなければならないため、こちらには非常に不利な試合です。
 早実なんか東京のど真ん中で鍛え上げたチームだからこんな大会に出ても平気ですが、私のところなんか戦う前から上がってしまうので損です。」
 鈴木監督の苦悩と悪い予感は杞憂に終わるのか、それとも的中してしまうのか…。

【第29回参考文献】
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「山口県高校野球史」山口県高等学校野球連盟
・「ホームラン2016年9月号臨時増刊 歴代春夏甲子園メンバー表大全集」
廣済堂出版
・「毎日グラフ特別増刊 センバツ野球60年史」毎日新聞社
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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第28回・最後の広陵戦!リベンジの万能野手オッチャン)

2017-07-13 21:38:12 | 周防野球列伝
 第12回山陽大会で事実上の決勝と目された広陵―柳井の一戦、スタメンは以下の通りです。
【先攻・柳井中学】
1番キャッチャー加島秋男・2番センター川本昇・3番ファースト久甫侃・4番サード杉田屋守・5番ピッチャー清水光長・6番レフト田中清人・7番セカンド鶴田英雄・8番ライト川近勝・9番ショート井上高明
【後攻・広陵中学】
1番セカンド牧野明治・2番ショート武智稔・3番サード角田隆良・4番キャッチャー吉岡米蔵・5番センター谷原博・6番ピッチャー田岡兵一・7番ライト三浦芳郎・8番ファースト山城健三・9番レフト中尾長

 柳井は打撃好調の加島、川本、久甫、オッチャンで打線の先頭を固め、早めの得点を企図した打順を組み、対する広陵も、センバツから同打順の打者が1、7、9番だけという大幅な入れ替えを行い、必勝を期しました。

 試合は大方の予想通り、息詰まる投手戦となりました。
 センバツ優勝投手である広陵エース・田岡は初回から速球でひた押しに押し、また、変化球もシュート、ドロップと冴えわたり、好調柳井打線を封じ込めます。
 一方、体調が万全ではない柳井エース清水。本調子の投球ではないものの、コーナーを丹念に衝く投球で決定打を許さず、また、エースの力投をバックが守備で盛り立てます。  
 広陵は2、3、4回と、全て先頭打者がヒットで出塁するものの、主将の捕手加島がこれらのランナーの二盗を完全に封殺。得点圏への進塁を許しません。
 また3回裏には、広陵7番三浦のレフトフェンス際への大飛球を、柳井レフト田中が背走一番ダイビングキャッチするなど、柳井の好守に広陵はなかなか付け入るスキを見出すことができません。

 この試合、先制したのはセンバツ優勝校の広陵。5回裏には一死二・三塁の好機に7番三浦の犠牲フライを放ち、先制の1点を挙げます。
 しかしその後の広陵は、なかなか追加点を挙げることができません。7回裏にはノーアウト一・二塁のチャンスに加え、柳井の捕手加島が負傷退場、オッチャンが捕手に入るなど、絶好の追加点のチャンスを迎えながら、後続が続かず無得点。8回裏には1番牧野がヒットで出塁したものの、オッチャンに二盗を見事に刺されるなど、センバツ王者らしからぬ拙攻を重ねます。
 ここで注目してほしいのは、センバツでは急造捕手として、広陵に走られ放題に走られたオッチャンが、夏には普通に広陵の選手の盗塁を刺せるようになっていること。キャッチャーという専門の練習を擁するポジションにいきなり座り、わずか数か月で本職以上の仕事をこなせる。しかも場合によっては投手もできる…オッチャンのずば抜けた野球センスが伺えます。

 ここまでの試合展開としては、完全に広陵が主導権を取り、柳井が堅守でなんとか耐えている、というものでしたが、柳井は最終回、ついに千載一遇の反撃のチャンスを迎えます。
 9回表、柳井の先頭打者・3番久甫はストレートの四球で出塁。続くオッチャンもショート強襲の内野安打で続き、無死一・二塁。ここで5番の清水がエンドランを決め、清水だけがアウトとなり、一死二・三塁と一打同点、あわよくば逆転のチャンスを迎えます。
 このシビれる局面で真っ先に心が折れたのは…なんと広陵エースの田岡でした。
 このチャンスで打席に立った6番田中へのサインはスクイズ!柳井の名将・鈴木監督は、センバツ準決勝で田岡が見せた、フィールディングの悪さを忘れていませんでした。
 田中は初球を見事、ピッチャー前に転がします。しかし、田岡はこのなんでもないバントゴロを弾いてしまい、三塁ランナー久甫は悠々のホームイン。センバツ準決勝のときにも同様のシーンがあり、その際には主審の佐伯達夫から「滑り込まなかったからお前はアウトだ」などと、因縁にも似たジャッジを下された久甫でしたが、今度は完璧なセーフで同点としました。柳井はなおも、一死一・三塁のチャンス。
 鈴木監督はこの機を逃さず、7番鶴田にも連続のスクイズを指示。鶴田はこれまた見事に、三塁線上に勢いを殺した見事なバントを決めます。田岡がマウンドから猛然とダッシュ、これを処理しようとしましたが、またまたタマは田岡のグラブを弾き、三塁ランナーのオッチャンは一気にホームへ。柳井、ついに勝ち越しの1点をもぎ取ります。
 最終回での連続得点に、押せ押せムードに沸き返る柳井ベンチと応援団。しかしさすがはセンバツの覇者広陵、捕手吉岡の見事な三塁牽制球で田中を憤死させ、8番川近をショートフライに打ち取り、柳井にそれ以上の得点を与えません。

 広陵最後の攻撃となる9回裏は、打順良く2番武智から。一人出れば、センバツ優勝と、数々の個人賞をもぎ取った強力クリーンナップが控えています。
 しかしこの日の柳井には、1点のリードがあれば十分でした。
 広陵の山崎数信監督は、きょう2打席ノーヒット1三振と、清水の前に分が悪い武智を下げ、大浜静を代打に送ります。
 しかし大浜は三振に倒れ、強打の3番角田もショートフライ。4番吉岡はサードゴロ…エース清水は見事最終回を3人で片付け、宿敵広陵を倒したのです。
 柳井は前年夏の山陽大会準決勝で、前々年夏全国優勝の広島商業を倒しておりますが、この夏の準決勝でもセンバツ優勝チームの広陵を食うという、2年連続のジャイアントキリングを見せつけたのです。
 「春全国優勝の広陵が柳井にまたしても敗れる」の報は、広島市内の野球ファン、とりわけ広陵ファンを震駭、落胆させました。試合前「広陵が負けたら、ワシャあ腹を切る」といきまいたていたファンがおり、引込みがつかなくなって本当に切腹してしまったそうです。幸い一命は取り留めたそうですが。

 柳井の昨年のチームカラーを表現するなら「基本プレーの徹底とスモールベースボールの堅持、あとは初出場独特の騎虎の勢い」でしたが、この年の柳井はさらにそこから長足の進歩を遂げ、各人が勝利に向かって何ができるかを考え、実践できるチームになっていました。そして、その「チームの成長」を象徴する存在こそが、打って、投げて、守ってと何をやらせても不屈の闘志で完璧にやり遂げるオッチャンでした。
 翌日の新聞でも、オッチャンは一等高い評価を受けております。

「柳井は昨年の精悍と猪突振りはないが、遊撃二塁がやや物足らない外はよく充実したチームで杉田屋の上達振りは特筆に値し、加島、清水、久甫は一軍のスターといえる。」(大正15年8月6日大阪朝日新聞)

 柳井、2年連続の甲子園まであとひとつ!

【第28回参考文献】
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「山口県高校野球史」山口県高等学校野球連盟
・「ホームラン2016年9月号臨時増刊 歴代春夏甲子園メンバー表大全集」
廣済堂出版
・「毎日グラフ特別増刊 センバツ野球60年史」毎日新聞社
・朝日新聞 広島の50大会史(昭和43年5月22,23日付。朝日新聞デジタル「バーチャル高校野球」内掲載)

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通常営業・「クラッシャー」としてのU系・フルコン論

2017-07-09 18:20:17 | 格闘技のお話
 私が現住している島は、離島には珍しく書店が4軒(ふつうの本屋さんが3軒、古本屋さんが1軒)あり、至極便利なのですが、先日、島の古本屋さんで「キック・ザ・ちゅう」(なかいま強原作、杉崎守画 ジャンプコミックス)8巻セットが1200円で売られているのを発見。即買いしました。

 おそらく、弊ブログをお読みの物知りの皆様でも、「キック・ザ・ちゅう」を知っている人は少ないかな?と思いますので、まずは作品の注釈をお話し致します。
 同作品は「月刊少年ジャンプ(現・ジャンプSQ)」平成3年1月号から5年9月号まで、約2年半に亘り連載されていた格闘技漫画です。
 「キックボクサーを父に持つ少年がタイで修行、帰国し、プロレスラーや実戦空手の大会などで活躍していく」という、少年漫画によくあるストーリーの作品なのですが、今読み返しましても、正確な技の描写やお話の作り込み度合いは少年漫画の範疇を超える素晴らしいものがあり、ぜひ集英社文庫あたりで復刊してほしいと願う名作です。
 この作品に描かれている「格闘技の世界」は上記の時期…当時、世の中で「実戦的!最強!」の名をほしいままにしていたのは、U系のプロレスと極真に代表されるフルコン空手。同作品ではその世相をモロに反映し、おそらく高田延彦をモチーフにしたと思われる「松田章彦」というU系のレスラーと、明らかに極真会館がモデルと思われる「誠鸞会館」という空手団体が登場します。

 この極真会館、昭和の中頃には漫画の影響もあり、「既存のカラテをぶちこわす、すごい存在」としてセンセーショナルに登場、一時は自他ともに認める「地上最強の空手」として威勢を振るっていましたが、現在のフルコンは「空手を利用した、ある競技のいち形態」という地位に落ち着くようになっています。
 フルコンは空手というものの知名度・社会的認知度を飛躍的に高めるという役割を果たした半面、誤解を恐れずに言いますと、伝統ある空手の文化を破壊し、「空手のチャンプルー化」を加速させた「罪人」としての側面もまた見逃すことはできません。
 U系プロレスは「実戦最強」を謳いつつ、数次に及ぶ分裂、糾合の結果、結局ファンの前で見せた「リアルファイト」はプロレスの範疇を出ないものであり、その線引きをあいまいにし続けた結果、ファンはプロレスを離れ、総合格闘技に流出していくきっかけとなりました。
 
 「キック・ザ・ちゅう」で取り上げられた2つの格闘技、U系プロレスとフルコン空手は、「革命者」としての新鋭性と、「伝統を破壊する罪人」の二つを併せ持ち、その始まりから終わりまでを並べてみますと、恐ろしいほど団体としての特色が酷似しています。
 思いつくままに列挙してみたいと思います。

1 異端の「カリスマ」の存在
 U系プロレスは佐山聡、藤原喜明、そして前田日明。フルコンはもちろん、大山倍達。
 「才能があるのに不遇の存在」に、一種の選民思想を持つファンはしびれました。

2 既存の「プロレス」「空手」の否定とガチンコ思想…とその裏側
 U系、フルコンとも、既存のプロレスや空手にケンカを売り、「ガチンコ勝負での勝者こそ尊い」という思想を啓蒙。
 ただ、ガチの格闘経験がないレスラーが異種格闘技戦で本当に勝つのは難しかったと見え、第二期UWFでは、前田日明がクリス・ドールマンやジェラルド・ゴルドー、ドン・中谷・ニールセンにフィックスドマッチ(要するに八百長)を頼み、「U最強」の伝説をマッチポンプ式に作ったということは、「1984年のUWF」(柳澤健著・文芸春秋)で明らかにされています。
 いっぽうの極真は大会を開催、オープンに最強を決めるということをうたい文句にしていましたが、トーナメントに様々な「忖度」があり、強そうな他流派の選手や地方支部の選手は、強い者同士でつぶし合うような予選櫓に入れたり、それでも負けない場合には判定で負けるように仕向けるという事実があったということは、「人間空手」(中村忠著・福昌堂)を筆頭に、複数の極真関係者の著書で明らかになっています。
 最強伝説を作るのは、タダではできないっつうことですね。

3 後進が続かない
 U系とフルコンは、必ず内輪争いが起き、分裂を繰り返します。
 「ガチの勝負を繰り返す」ことは、自分の強さや稼ぎを脅かす後輩の芽を摘むことに直結、「門外不出、オレだけの技術や練習」を抱え込むことと≒となり、本当に強くなる機序を構築することを故意に阻害するようになります。
 これは技術屋によくありがちな「ひとり一派」の風潮を助長することとなり、それはそのまま、後に続く若い世代の闊達な発展を阻害することに直結します。特にプロレスのように、「強い伝説≒稼ぎに直結」という業界ではなおさらです。
 極真はまあ、現状を見れば説明をしなくてもわかると思います。正道会館も最近、同じ轍を踏んでおります。
 U系も結局、船木誠勝など、目端の利く若い衆はパンクラスという新団体を設立、いかがわしい後輩しかついてこず、滅亡の憂き目を見ています。

4 マジの「異種格闘技戦」でつまづく
 U系は、フィックスドマッチではない、ガチのヒクソンとの戦いで一気にその名を落とし、団体消滅に追い込まれました。
 極真はK-1に送り込んだ選手が全て対グローブマッチへの練習を怠ったため、フランシスコ・フィリオ、ニコラス・ペタス、黒澤浩樹といった、極真の大会でその名を謳われた強豪が全て凡戦に終始。「極真最強伝説」凋落の大きな第一歩を踏み出してしまいました。
 関係書籍を読みますと、「あいつがこんなことをした」みたいな話が乱れ飛んでいますが、種々読み込んだ結果、これは他の誰かが悪かったわけではなく、組織維持のための内向きな努力?しかしていなかったヤツが受けるべき当然の報い、としか形容のしようがありません。

5 最後は主導権争いの末、先細り
 U系最後の団体となったUインターは、ヒクソン戦のちょっと前に消滅。新日との共催をしないと興業が成り立たないほど組織が劣化していたUインターは結局、自らが「古き悪しきプロレス」と禁忌していた新日と対戦、団体エースの高田が四の字固めで敗れるに至って、「結局、Uもプロレスだったか」ということが認知され、あれだけプロレスファンが熱狂した「Uのプロレス」は結局、ただの一過性の百姓一揆のような存在として、その幕を閉じました。
 極真はアマチュアの空手団体なので、現在もその命脈を保っていますが、組織はいくつもの団体に子別れ、孫別れして、今や全く訳の分からない状態になっているということは、皆様ご存じのとおりです。

6 その後の新しい格闘技底流の「捨て石」としての存在
 「1984年のUWF」では、現在パラエストラ東京の代表として活躍し、総合格闘技・BJJの大立者として活躍中の中井祐樹先生が、自らU系プロレスに熱中し、また、シューティングの選手として活躍した過去をふまえ、「日本の格闘技はプロレスから生まれた。過去を否定してはいけないと思います」とお話しされています。
 私も中井先生には2度お会いし、その高潔でお茶目な人柄に魅了された一人ですが、であるがゆえに、この発言は非常に重みがあると思います。
 U系プロレスもフルコンも現在、総合格闘技、あるいはキック系競技に前途有為な選手を多数輩出し続けていますが、その選手たちの師匠に当たる世代がまさに、この「U・フルコン狂騒曲」の中で生きていた世代。若い人につまらない苦労をさせたくないという師匠の心遣いがわかります。

 昭和から平成の頭にかけて、ほぼ軌を一にして発展し、そして消滅、あるいは先細りしていったU系プロレスとフルコン空手。
 現在、その「罪」の部分を断罪する書籍が多数出ており、その書籍に書かれてあることは間違いなく事実です。
 しかし「盗人にも三分の理」と言いますように、物事には必ず表裏があり、少なくとも多くの人間が関わることについて、一方だけの視点から論じることは厳に戒めなければなりますまい。
 現にわたくしもフルコンから格闘技をリスタートし、そのおかげでグラップリングやグローブ空手、アマチュアレスリング、総合と様々な格闘技の世界を体験できたのです。その最初のカギは間違いなくフルコンにあり、その恩は一生忘れてはいけないと思っています。

 しかし、U系プロレスと極真…本当に時代のあだ花、でした。


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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第27回 オッチャン、最後の夏に向かって!!!)

2017-07-07 20:40:33 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 センバツ準決勝で広陵に敗れ、柳井町に戻った柳井中学は、「山口県勢初の甲子園ベスト4を勝ち取ったチーム」ということで、町の野球スズメのみならず、県下の中等野球ファン、そして山陽大会で対戦するライバル校注視の存在となりました。
 毎日の練習にも町民の目が注がれるようになり、練習試合の申し込みも驚くほど増えた柳井中学。しかし、夏の山陽大会への前途は、決して明るいものではありませんでした…というか、いきなりどん底に暗い話からです。
 最悪のどん底となる事態。それは…チームの大黒柱である絶対エース・清水が練習と登板の過多による疲労のためダウン。しばらく練習できないという事態に陥ったことです。

 「エースが体調不良で投げれない、練習もできない」。現在では大事件ですが、当時、こういった事態は当時の野球界では珍しいことではなく、劣悪な栄養状態のなか、猛練習に耐え続けた選手がある日突然体調を崩し、その後の野球人生を沈滞させてしまう、あるいはそのまま根性で練習に食らいついた挙句、人生自体を縮めてしまう、なんてことが普通にありました。
 一番著名な事例を挙げますと、オッチャンたちの世代から数年後の昭和7年ころ、兵庫県は明石中学に、楠本保という、戦前最強の剛速球投手が現れます。
 当時では破格の巨体をくるりと翻して投げる、いわゆる「トルネード投法」から投じられるストレートは超中等級。昭和5年から8年までのわずか4年で、甲子園での勝利数なんと15勝!春夏合わせて3回もの準優勝を達成した「常勝明石」の牽引車であった楠本ですが、昭和8年の5年生の夏には、なんと脚気とあせもがひどくなり、投手ができなくなってしまいます。脚気もあせもも、今では全く取るに足らない病気なのですが、当時の医療状況や栄養状態、練習環境からいえば、かなり深刻なことであったのです。
 昭和8年夏準決勝、今でも中等・高校野球を通じて最長延長記録となる伝説の、明石―中京商業「延長25回」の激闘がありましたが、この時楠本はライトを守っており、登板はしておりません。その後楠本は明大に進学、東京六大学でも一流選手として活躍しますが、投手としての命は結局、中学校5年の春には終わってしまいました。
 楠本のほかにも、前26回でお話しした和歌山中学のエース・小川正太郎も激烈な練習と登板による疲労のため胸を患い、その全盛期は極めて短いものでしたし、前年夏に優勝をはたした高松商業の優勝捕手・神田時雄も、腎臓病で戦線を離脱しております。
 …ろくに水も飲めない環境、麦メシやタクアン、みそ汁程度の粗食で猛練習に耐える選手の肉体が悲鳴を上げるのは無理からぬことといえましょうが…それにしてもエース清水の離脱は、イタイ!としかいいようのないできごとです。

 ともあれ、清水の代役を立てないとチームが成り立たない!
 鈴木監督は熟慮を重ね…代役投手として抜擢したのはオッチャン。そして、オッチャンとともにクリーンアップを担う打棒鋭い一塁手・久甫侃の2人でした。
 マウンド度胸満点で、タマの速さには自信があるオッチャンと、人を食ったようなヘロヘロボールながらコントロールの良い久甫を、対戦相手の打撃レベルに応じて入れ替えるという体制を取った柳井中学ですが、この凸凹急造ピッチャーは意外と奏功し、5月に行われた山口高校主催大会では、清水ぬきで見事優勝を遂げ、続いて行われた九州遠征でも、オッチャン・久甫の2枚看板で、当時九州最強と謳われた名門実業団チーム・門司鉄道局(現・JR九州)の胸を借りる栄にも浴しています。
 7月の全関西大会でも、オッチャン・久甫の2枚看板でベスト4。準決勝では愛媛の北予中学に2-4の接戦で敗れていますが、この試合は清水が久々に先発。久甫が中継ぎ、オッチャンがストッパーとして登板するなど、清水の実戦感覚や継投策を実戦でテスト。来る山陽大会への準備を着々と固めていきました。

 全関西大会が終わって間もなく、山陽大会の季節はすぐにやってきました。オッチャンたち柳井中学野球部2期生が甲子園を目指せる、最後の山陽大会です。
 大正15年8月3日。第12回全国中等学校優勝野球大会の山陽代表を決する山陽大会は、山口高等商業学校グラウンドにおいて盛大に開始されました。わずか3日で出場16校の中から代表1校を選出するという、かなりハードな日程です。
 出場校は下記のとおりです(前年度から新たに参加した学校については、現在の校名を記載)。
【岡山県】岡山一中、岡山二中、津山中、岡山商業(現・県立岡山東商業)【広島県】広陵中、広島商業、三次中(現・県立三次高)、忠海中(現・県立忠海高)、福山中【山口県】柳井中、山口中、防府中、長府中、徳山中、下松工業、鴻城中

 ディフェンディングチャンピオンの柳井中はまず一回戦で岡山二中と対戦。17-0(五回コールド)で一蹴します。
 オッチャンは初回無死満塁のチャンスで、レフトフェンス直撃のタイムリーを放つなど大活躍。また、阪本昇に代わってセンターを守るようになった強打の5年生・川本昇の打棒も冴えわたり、岡山二中に浴びせたヒットは13本。投げては復調したエース清水は5回参考ながら2安打完封でした。
 柳井は翌4日、2回戦で三次中と対戦。この試合でも柳井は昨日同様、大量13安打を放ち、9-0(7回コールド)で圧勝します。この試合の投手は久甫。7回を投げて被安打2。柳井は1、2回戦とも「完勝」といって良い内容で、順当に準決勝にコマを進めました。

 さて、柳井が順調に予選を勝ち上がっていく一方、広島県勢では、ちょっとした波乱が起きていました。
 広島の両雄・広島商業と広陵中学がいきなり1回戦で激突し、春センバツ王者の広陵はこれを11-4であっさり退けたのです。逆に、2年前の夏の全国王者・広島商業は、山陽大会1回戦で消えるという屈辱にまみれました。名門広島商業の復活は、新たなエース灰山元章や、強打の三塁手鶴岡一人が登場する昭和5年ころまで一時お預けとなります。閑話休題。
 広陵は続く2回戦でも山口中学を8-1で軽く屠って準決勝にコマを進め、準決勝ではもはや宿敵と言って良い関係となった、柳井と対戦することとなりました。

 柳井対広陵・山陽大会及び甲子園での過去の対戦成績は、広陵の3勝1敗と広陵が圧倒的に優勢ですが、その1敗こそ、昨夏山陽大会の決勝でのこと。何度もお話ししましたとおり、その敗戦によって、広陵は屈辱に次ぐ屈辱を味わい、その反動が、センバツ優勝を生んだといっても過言ではありません。

 「山陽大会の借りは山陽大会で返してこそ真の王者」として復讐に燃える広陵。一方、センバツ準決勝での惜敗を胸に秘め、厳しい練習に耐えてきた柳井。その軍配は一体どちらに上がるのか…

 第12回山陽大会・準決勝と決勝の開催日となった大正15年8月5日。
 この日、山口高商グラウンドには広陵―柳井戦の帰趨を見極めたい、そして、山陽の代表決定を見届けたいという多数の中等野球ファンが、朝からギッシリとつめかけました。
 運命の広陵―柳井戦は午前10時、柳井の先攻で幕を開けました。
 センバツ優勝投手・田岡兵一の左腕から、トップバッターの加島秋男に対して剛速球が投じられ、捕手吉岡のミットで乾いた音を立てました。
 オッチャンたちにとって最後の夏、そして、最後の広陵との直接対決。勝敗やいかに!!!

【第27回参考文献】
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「山口県高校野球史」山口県高等学校野球連盟
・「ホームラン2016年9月号臨時増刊 歴代春夏甲子園メンバー表大全集」廣済堂出版
・毎日グラフ特別増刊 センバツ野球60年史」毎日新聞社
・フリー百科事典ウィキペディア「楠本保」の項目
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