集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

「〇〇込み」の目的性と純情な感情???

2018-06-19 20:49:41 | 格闘技のお話
 日本のスポーツには、いわゆる「〇〇込み」、そう、野球であれば走り込みや投げ込み、素振りなど…をやり込むと、なんだかよくわからん神秘なる力が身につく、という都市伝説みたいなものがあります(;^ω^)。

 そんな都市伝説の信者?もと近鉄バファローズ監督・鈴木啓二氏のお言葉に、こんなものがあります。
「投げ込め、打ち込め、走り込め。秋になればその『コメ』が豊かな実をつける」
 …米と「込め」をかけるあたりは中々イキですが(;^ω^)、「〇〇込め」に変なこだわりを持ち続けた鈴木元監督率いる近鉄は、野茂英雄をはじめ、主力選手が次々と故障または離脱して最下位に転落。鈴木氏の評価も「最後の300勝投手」「ド根性投手」から一転、「天下のダメ監督」「野茂をアメリカに放出したバカ監督」と変化したのは、皆様もご存知のとおりです。 

 とはいえ、鈴木啓二氏のみならず、「〇〇込め」に、ひとかたならぬ思い入れを持つ指導者や、「『〇〇込み』をするのは、スポーツをやる人間として常識だ」と思い込んでいる指導者は、未だウジャウジャ現存します。
 そこで今回は、スポーツなどの世界では常識以前・当たり前の練習種目として厳然と存在し続ける「〇〇込み」の目的とは?そのメリット・デメリットとは?本来あるべき「〇〇込み」の姿とは?ということを、改めて考えてみたいと思います。

 まず話の冒頭、「〇〇込み」の定義と、実施目的を明らかにしておきたいとと思います。 
①【定義】相手のリアクションがない状態での、単体の技術の反復練習を「〇〇込み」と称する。
②【実施目的】目的とする運動に必要な技術を習得するための反復練習

 「〇〇込み」を考える上で絶対に見失ってはいけないことは、その実施目的の第一が「技術練習」であるということです。
 もう少し踏み込んでお話ししますと、「初心者が初歩の技術を習得する際、もしくはある程度の熟練者が現在のレベルを超え、より高いレベルの技術を習得する際には、各種スポーツ等で必要とされる特定動作について、目的性を持った反復演練を行い、同動作に対する神経系の開発をすることが必要となります。
 「〇〇込み」究極の目的は、ここにあると断定してもいいでしょう。

 「〇〇込み」を実施すれば当然、技術力が向上するわけですが、実はそれ以外にも、副次的な効用をもたらすことが広く知られています。
 そうです。「〇〇込み絶賛推進派」が二言目には口にする「その競技に適したカラダができる」という、アレです。
 推進派は大抵、「競技のカラダは競技で作る!だから競技の練習をしろ!」と言いますが、じゃあ、競技の体が競技の練習でできる機序って何なの、と聞くと、これまた大抵「知らないけど、身につく」という、答えにもならない答えしか言いません(;^ω^)。では、語る言葉を持たない推進派のかわりに、不肖ワタクシめが、ショボい知識で話せる範囲の「競技のカラダは競技で作る」機序をお話しします。

 筋肉の発達機序には2通りのアプローチがあります。
 走ることや重量物を上げることなどで筋繊維に微細な傷がつき(こうした負荷をメカニカルストレスと称します)、その修復過程で筋肥大が起きるというものと、特定の動きを反復し続けることなどにより、筋肉の中が低酸素・低栄養の状態となり(こうした状態をケミカルストレスのかかった状態と称します)、この状態を解消するため、各種のホルモンが分泌されることにより筋肥大が起きる、というものの2通りです。
 各種スポーツの技術というのは「いくつかの異なる筋肉を連動させ、特定の動作を連続して行うこと」と換言して差し支えないでしょう。
 特定の筋肉を連続して使っていれば当然、疲労物質がたまりますし、それなりの筋繊維の破壊も起きます。先述のメカニカル&ケミカルストレスの理屈でいえば、その双方が折半してかかっている状態になるわけです。
 それを修復する過程で筋肥大が起き、いわゆる「競技に適したカラダ」なるものができる…という機序ですね。

 ただ、この「競技のカラダは競技の動きで作る」という方法には、大きな落とし穴があります。
 競技者の技術レベルが上がり、熟練するほど、人間は同じ動きを、よりエネルギー損失の少ない動きで行えるようになります。いわゆる「ムダのない動作」を習得・実行できるようになるわけですね。
 しかし、カラダ作りはいわゆる「筋トレの七原則」を避けて通ることはできません。筋トレの七原則、おさらいしましょう。過負荷・目的性・継続性・全面性・特異性・個別性・意識性の7原則です。
 身体の出力(筋力)を向上させるためには、上記7原則の中で最も上位に位置する「過負荷」をかけ続けなければいけないわけですが、競技の動きに習熟し、無駄なエネルギーを使わなくなるように進化することとで、「〇〇込み」の練習の中から「過負荷」の占める割合がどんどん低下していきます。つまり、競技レベルが上がれば上がるほど、「〇〇込み」だけでは、競技に必要とされる体力や、「競技のカラダ」ができにくい状態になってくるわけです。 
 つまり、「〇〇込み」で「競技のカラダができる」のは、その競技を開始したごく初期の段階か、練習レベルの段階が上がったごく初期の段階のみであり、以後は何がしかの専門的なストレングストレーニングを行わないと、その競技レベルに見合った出力は得られなくなるというわけです。
 「競技のカラダは競技で作る」という信仰に捉われている人は、いまいちどこのあたり、よく勉強して見直すべきなのですが…これが分かっていない指導者は未だに山ほど居り、選手に要らない損害を与え続けております。

 いまひとつ、ワタクシが思いつく「〇〇込み」を信仰しすぎることに伴う危険性を挙げさせて頂きます。
 「〇〇込み」究極の目的は、冒頭に掲げました通り、「技術の習得」であり、ここに異論をはさむ余地はないと断言してもいいでしょう。
 しかし世の中には馬鹿な指導者がたくさんおり、「〇〇込みを実施して、技術レベルがどの程度向上したか」ではなく、「〇〇込みをした回数と費やした時間」だけを以て、「オマエは練習している」「オマエはさぼっている」と断ずるヤツが後を絶たない。
 そうした馬鹿な指導者の下に運悪くつかされた選手・競技者は、本来の競技のパフォーマンスではなく、「どうやったら効率よく、〇〇込みの本数を稼げるようになるか」ということにばかり神経が傾注するようになります。
 その結果、競技では全然役に立たない動作を身に着けてしまい、パフォーマンス全体を崩す…これは学生の頃、ワタクシ自身が受けた被害でもあるので、実感を以て「危険!」と、声を大にして警鐘を鳴らしたいところです😡。
 
 以上、「〇〇込み」について長々と所見を申し述べましたが、結局、「〇〇込み」が選手にとって毒になるか薬になるかを決するのは、指導者が目的性を明確に持つか否か、ただそれだけです。
 手段が目的化すれば、「〇〇込み」ならずとも、すべての事柄が陳腐化していきます。
 世のスポーツ・競技指導者と呼ばれる人はこのあたりをぜひ取り違えないよう、心してほしいものです。

 なお、タイトルはバカな指導者の「〇〇込み」に対する盲目的な愛が、「純情な感情が空回り~♪」に見えたことから、発作的につけたものであり、大した意味はありません(;^ω^)。
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サバキ、ふしぎ発見!(軸と移動とサバキとワタシ?その2)

2018-06-04 10:01:15 | 芦原会館修行記
 とっても長く、分かりにくい文章となった第1回ですが ゴメンナサイm(__)m 
 とかなんとか謝罪しながら、第2回も激長の文章となってしまい…大変申し訳なく思っておりますが、それでも「読んでやろう」という奇特で優しい方は、お付き合いよろしくお願いいたします。

 前回の「その1」記載内容をものすごく短くまとめますと、以下の2点になります。

【要点①】
 スポーツ等のパフォーマンスにおいて必要な「横回転運動」とは、
・1回転、あるいはそれに近い回転数の中で「タメ→加速→出力」を行うものであること
・必ず移動を伴うものであること
の2条件を満たすものである。
【要点②】
 しかし、昭和の末期ごろまでは、その「横回転運動」の機序を、おおむね
①移動する→②目的とする移動場所に停止し、ガッツリ居つく→③居ついた場所で回転運動を行ってパワーを出力する
といった、一軸回転をもってしか説明ができていなかった

 今回は、芦原会館が【要点②】の旧弊を廃し、【要点①】で掲げた「理想の横回転運動に拠る打撃」を如何にソフト化したか、という点についてお話しします。

 まず何といっても大書特筆したい「芦原カラテの軸を制する試み」は、昨今、伝統派・フルコンを問わず、凡そカラテと名の付くところでは「最新鋭の技術!」として頻繁に取り上げられている、「外に軸を作る」と形容されるパフォーマンスを、どこよりも早くソフト化したことです。

 「外に軸を作って殴る、蹴る」という動作ですが、打撃系格闘技をしておられない方の中には「?」と首を傾げる方も多いと思います。
 これを定義づけることはなかなか難しいのですが…浅学非才を承知で、あくまでもワタクシ個人による「外に軸を作って殴る」の定義づけは、以下の通りとなります。
【定義1】「軸」の位置は、自分の現在所在位置ではなく、相手を殴るのに適した距離・間合いであること。
【定義2】【定義1】に挙げた「距離・間合いを取る」ことの根拠が、相手の動きにより、無目的に何気なく呼応する性質のよるものではなく、あくまでも自己の予測・判断に基づくものであること。
【定義3】身体の移動で得たパワー(前進慣性など)をロスすることなく、正確に「殴る力」に転換できる動きであること。

 芦原カラテをやっておられる、あるいはやっておられた方は「基本の4ステップ」を当然ご存知のことと思いますが…実は、この「基本の4ステップ」と、これとタイアップしたパンチこそ、「外に軸を作って殴る」の3定義を見事に満たし、かつ、それを万人に理解できる言語と手法で広めた、おそらく格闘技界では初の試みであったのではないか、と思います。

 芦原カラテにおける「軸と横回転」を考える際、ワタクシが特に重要と位置付けたいのは①②のステップです。
(ご存じない方のためにお話ししますと、相手の右ストレート系の攻撃に対し、自分から見て左側にインステップする動きが①、相手の左ストレート系の攻撃に対し、自分から見て右側にインステップする動きが②と呼ばれるステップになります(詳しくは「実戦!芦原カラテ」の書籍などを参考にしてください))。

 ①のステップを使ったパンチのサバキ、だいたい入門すれば白帯の初期段階に習うものですが、文字に起こすとこんな感じです。
①受けが右ストレート打つ→②取りが外受けから①のステップで相手のアウトサイドに入る→③アゴ等に右ストレートを返す
 「初心の型①」の2の挙動としても知られる、一見何でもなさそうな動きですが、実は「外に軸を作る」ということと、それに関連する驚きの秘密が隠されているのです。

 上記のステップ→パンチと、その動きに対する定義の合致性について考えます。
 ①のステップは相手の動きに応じ、的確な位置に占位、反撃の一打を繰り出すというものです。
 今では「何だそんなもん、当たり前じゃないか」と思うかも知れませんが、実はサバキが創設される以前の空手の技術書を見ると、「その場で留まって受ける」「その場で留まって殴る」というものばっかりでした。これは本稿の記載に当たり、4冊ほどの当時の技術書を確認しましたので、間違いありません。
 これはおそらく、殴るときの回転と軸を、一軸の理屈でしか理解してなかったことによる悲喜劇であるとは思いますが…それにしてもヒドイ(-_-;)。

 この「ステップ→パンチ」を一体化することで生まれるメリットを書き出すと、「外に軸を作った攻撃」の定義との合致性がバッチリと見られます。以下に、その合致性と理由を列挙します。
・相手を的確に叩ける位置にステップすることで、自分が打撃を出力する際における「軸」の意識を、自分の今いる地点ではなく、相手を的確に叩ける位置に飛ばすことができる(【定義1】)。
・その場に居座って迎撃するのではなく、自分から動いてタイミングを取るため、カウンターを取りやすくなる(【定義2】)。
 サバキが「相手の動き&自己の予測に基づくカウンター」であることは先代も著書で認めているところです。
 以下、「空手に燃え空手に生きる」(芦原英幸・講談社)からの引用。
「攻めの基本はカウンター。芦原カラテの攻めはすべて動きながらのカウンターをとる。」
「自分も動きながら、動く相手をカウンターで決めるには、タイミングが重要になる。」
「たとえばクレー射撃でも、的を撃つとき、動く的めがけて撃っても当たらない。なん分の一秒か先に的がくるだろう軌道上の仮定の一点を狙って撃つ。そうして初めて命中させることができる。」
・①のステップ、ポジショニングをすることにより、自分から見て相手を「真正面」あるいは「真横」でなく(←「真正面」「真横」からの突き蹴り、特に突きは、威力がだいぶ落ちます)、一番パンチの指向性が高まる、身体の略中央で捉えることができるようになるため、前進慣性の乗った、最も威力あるパンチを打つことができる(【定義3】)。
 
 …なかなか文章ではうまく表現できませんが、このように、芦原カラテのステップ&ポジショニングによる攻撃は、相手の攻撃の先を読み、「外に軸を作った攻撃」によるカウンター攻撃を取ることができるという機序を有しています。
 今一度言いますが、何も考えず、相手の出方に応じて何気なく移動して叩く、ということを「外に軸を作る」とはいいません。
 相手の攻撃を十分予測し、主体性を以てステップ(移動)し、そのステップした先でしっかりとした軸を作り、パワーロスの無い攻撃をすることこそが「外に軸を作る」です。
 そのことを、「ステップ&ポジショニング」という分かりやすいソフト、あるいは「まずはインファイトせよ!」という単純明快な言葉で、そのソフトを「解説」するあたり、先代のすごさを感じずにはいられません。

 …実はこの「軸とサバキ」、まだまだ続きます。あと2つほどまだ語りたい「発見」があるんです…楽しみにしている人はあんまりいないと思いますが、個人のやっているブログゆえ、読みたい方はよろしくお願いいたしますm(__)m

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サバキ、ふしぎ発見!(軸と移動とサバキとワタシ?その1)

2018-06-01 20:18:39 | 芦原会館修行記
 今回の「サバキ、ふしぎ発見!」は、予告通り「軸」について考察したいと思います。内容をもっと具体にお話ししますと「スポーツパフォーマンスとしての回転運動と、その中心軸に関するウンチクを中心に語るサバキ」みたいなお話しなのですが…原稿を書き始めますと、その専門性・複雑性に5回くらいくじけそうになりました(-_-;)。
 記載内容にはいちおう、事実の誤認などがないよう細心の注意を払っておりますが「読みにくい」「クドい」「わけがわからん」という点については、広い心でご理解いただきますよう、伏してお願い申し上げます。

 凡そ、球技・格闘技など各種運動競技(以下、スポーツ等と呼称します)におけるパフォーマンスの形態を煎じ詰めれば、「移動」と「横回転運動」に集約されると言っても過言ではないでしょう。
 球技であれば手足を振る、あるいは道具を持った腕を振るといった各種のスイング、投球動作。格闘技なら突き蹴り。これらの動作は全て横回転運動が基となっている、ということは、今更説明の必要もないですね。もっと厳密に言えば短距離のダッシュなどの「移動」すらも、ある種の「横回転運動」と言えなくもないでしょう(;^ω^)。
 ただ、ひとくちに「回転運動」と申しましても、単に軸を中心にクルクル回る、機械の回転軸のような「回転」と、スポーツパフォーマンスで見られる「回転」はかなり異なります。
 スポーツパフォーマンスに必要な「回転」にあって、機械などの「回転」にない特色を挙げますと、以下の2点になりましょうか。

 ひとつは「少ない横回転運動に伴って生まれるパワーを、どこか一点に指向・収斂させなければいけない」ということ。
 機械のシャフト等に必要な回転運動に必要なことは、「等速の回転を同じ場所でいつまでも円滑に続けること」ですが、スポーツ等に必要な回転運動は、1回転あるいはそれに近い少ない回転中で「タメ→加速→出力」を円滑に行うもの。同じ「回転」という言語こそ使いますが、全く異質なものです。
 「タメ」を作り出す方法は数々ありますが、同じ場所で何回転もクルクル回って回転のパワー溜めるということは、スポーツ等の競技の特性上、全く得策ではありません。おそらく「何度も回転し、回転パワーでタメをつくる」スポーツパフォーマンスと言ったら…せいぜい円盤投げとハンマー投げくらいのものでしょう。野球なんかその場で3回回ったら、三振になっちゃいますよね(;'∀')。
 
 いまひとつは、「移動を伴って行わなければならない」ということ。
 ある時は相手の動きに、ある時はボールの動きに追従して的確に自分の身体を移動させ、的確な場所で回転運動をしなければ、回転運動自体にいくらパワーがありあまっていても、全く無意味です。
 その場に留まって単に横回転運動をしているように見える野球のバッティングですら、よくよく見てみるとタマに追従するため、あるいは打球の指向方向を定めるため、打者は上下や左右に微細な「移動」をしています。ましてやその他のスポーツの回転運動においてをや…

 再度の記載になりますが、スポーツ等のパフォーマンスにおいて必要な横回転運動とは、①1回転、あるいはそれに近い回転数の中で「タメ→加速→出力」を行うものであること②必ず移動を伴うものであること、ということをまずはご記憶頂きたいと思います。

 上記の条件を二つながら両立させるための回転運動を確立しようと仮定した場合、まず、「軸の移動」のファクターを満たさない回転運動、すなわち、ひとつの軸をガッチリ固定し、その1軸のみを以て回転のパワーを出力するという回転運動は、最初から考えの埒外に置かれるようになる…。
 ここまで読んできた諸賢は、すぐその点にお気づきになると思います。
 しかし面白いことに、スポーツ等の世界では、「動く軸と出力の収斂を二つながら両立する回転」という命題を、なぜか永年に亘り、上記「埒外の発想」、つまり「一つのガッチリ固定した軸の回転」の理屈のみを以て解説することが常態化していました。
 簡単に言えば、こういう機序です。
①移動する→②目的とする移動場所に停止し、ガッツリ居つく→③居ついた場所で回転運動を行ってパワーを出力する

 …確かに、「横回転運動」のイメージだけはしやすい。
 しかし、この①~③の機序を正確に履行しますと、①→②の間には「回転軸を安定させるため、移動の応力を全て止めないといけない」、②→③の間には「全くの静止状態、ゼロポジションから、改めて回転の応力を生み出さなければならない」という状況が否応なく現出します。当然、パフォーマンス全体にかかる時間は無駄に長くなりますし、パワーだって中途半端なものにしかなりえないでしょう。
 昔は、スポーツパフォーマンスに必要な回転と、ただの回転を混同したバカ指導者による誤った指導により、その選手生命を損壊したガキンチョや、スポーツに嫌気がさしてスポイルするようになったガキンチョが、実に多数存在しておりました。
 中には天才的な人物もおり、指導者からは「一軸の回転」を教えられても、それを全く無視して独自の回転運動を確立して成功した人もいますが、それは全て「個人の技能」のレベルで終わってしまい、集団知とか、組織だったソフトウェアにはなりえていませんでした。

 平成もそろそろフタケタになろうか、というころになってようやく「スポーツ等における回転運動は、必ず移動を伴うもの」「少ない回転動作で、より大きなパワーを生み出すようにするもの」ということに、少数の目敏い指導者が気づくようになりました。
 で、実はその「目ざとい指導者」の中に先代館長と、その研究の精華であるサバキも当然含まれているという…(;^ω^)。
 ちょっとイントロダクションが長くなりすぎましたので、その「精華」の部分は、次回に回したいと思います。
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