集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第34回・早大精神の権化・飛田忠順の野球道)

2018-02-18 08:37:30 | 周防野球列伝
 昭和2年、早大野球部に入部したオッチャン。同期入部の諸君は「早稲田大学野球部五十年史」で氏名が確認できる者が以下の6名。
高橋正男(相馬中)、高橋外喜雄(早実)、佐伯喜三郎(姫路中)、小口静男(水戸中)、高木忠衛(弘前中。別史料では藤田姓)
 さらに「東京六大学野球連盟結成90周年シリーズ⑥早稲田大学野球部」で確認できるのが、上記6名のほか、以下の3名。
山田良三(根室商)、阿部留治(新潟商、別史料では内川姓)、黒田正二(姫路中)
 これらメンバーの中で甲子園を経験しているのは、オッチャン以外には阿部留治、高橋外喜雄と3人だけであり、甲子園で活躍したスタープレーヤーがほとんど存在しません。
 当時、ライバルの慶応義塾には宮武三郎(高松商)、山下実、町田重信(ともに第一神港商)、梶上初一(広島商)などなど、甲子園を沸かせ、また、オッチャンともなじみのある中等野球界のスタープレーヤーがたくさん入学、甲子園での人気そのままに活躍しておりましたが、それに比べると早大のそれは明らかに少ない。その理由は前監督・飛田忠順(明治16(1886)~昭和40(1965)。筆名穂洲)の野球哲学に起因するところが大きいのですが、今回はその飛田の野球哲学・野球精神についてお話ししたいと思います。

 飛田は「球道即人道」「一球入魂」といった言葉に代表されるように、野球は学生が清貧の中、死力を尽くして取り組むべきものであると考えていました。
 飛田の野球観を、著書を参考にもうちょっと詳細に見てみましょう。
「コーチの持つ熱を選手にぶっつけて、その選手の熱が、またコーチに反発するくらいでなければ、真の練習効果というものはあげえない。
 ベースボールを楽しむのだ、野球を苦しむためにやっているのではないなどと、寝言をいう選手に名人じょうずができ上がるはずがない。野球は苦しんでこそ、その選手生活に意義を生じ、精神の修養も完成される。シュミたれたへたくそな野球なら、やらぬほうがましである。」
「練習場では楽をしているくせに、試合場で功名手柄をと望んでいる(選手がいる)。ちょうど遊んでいて多額の俸給にありつこうという外道人と、なんら選ぶところがない。世の中にそんなつごうのよいことがあるものかといいたい。」(いずれも「熱球三十年」【飛田穂洲著・中公文庫】より抜粋)
 この著書の初版が発行されたのは昭和9年。世は東京六大学野球人気真っ盛りのころであり、この前年、有名な「リンゴ事件」などが起き、過熱しすぎた人気と応援が、ともすれば贔屓の引き倒しのような行為を生んで世の中を騒然とさせ、また、その人気に思い違いした選手が慢心し、驕慢な態度を取るようになったことに、早大野球、ひいては大学野球を黎明の時代から知る飛田は心を痛めており、そのアンチテーゼとして、日常生活を清貧に過ごし、猛練習によって辛く苦しい目に遭うことで、初めて技術と人格が陶冶されるという、独特の「精神野球」を標榜したわけです。
 飛田は続けて、当時の大学野球界のありかたを舌鋒鋭く批判しています。
「(大学野球の選手は)その私的生活にも、大改善をなし、反省しなくてはならぬであろうけれども、第一には、試合場における態度を改めなければならない。(中略)下品なのが今の大学リーグである。これで日本の野球がリードできると思っているのなら、まことに情けない次第といわねばなるまい。」
「今日野球をもてあそぶかのごとき選手のあることを思うと、野球精神の堕落は実にあさましい」(上掲著)

 …と、ここまでの飛田の主張を見ますと、前近代的な精神主義に凝り固まったジジイなのではないか、と思われるむきもあるかもしれませんし、後年、飛田の「一球入魂」などの言葉を安易に使うバカ指導者が続出したせいで、飛田の言葉や人物像はゆがめにゆがめられて伝えられましたが…飛田の人物像、そしてその主張は「根性論」「精神主義」の真逆であり、そうした陳腐な言葉では評することのできない高潔なものでした。

 飛田はもともと新聞記者として野球評をものしていた人。野球技術書も多数著しており、おそらく当時、日本最先端の野球論を持つ斯界の一人者でした。
 しかし飛田は、ただ最先端の野球技術を持っているのみならず、「これらの技術を緊張を、強いられる試合の場で発露させることは容易なことではなく、これを正しく身に着け、自在に発露するようにするためには猛練習以外ない」との哲学を合わせて持っていた。これが野球の技術だけ、あるいは根性論だけしか持ち合わせていない凡百の指導者と、大いに違う点なのです。
 最新の技術に裏打ちされた、妥協なき厳しい練習。そこから生まれる確実で自信に満ちたプレーが、どんな相手がやって来てもこれを四つに組んで打ち破ることができる実力を呼ぶ。これこそが飛田畢生の球道であったのです。

 また、飛田は、まだ「野球の監督」の社会的認知度が全くなかった当時、安定した読売新聞の記者職をなげうち、大正9年、稲門倶楽部が払ってくれる50円(現在の金額で20万円前後。当時は米騒動直後で、物価の高騰がハンパない時期ということを勘案すべき。飛田の著書によると当時東京では、米一升が60銭もしたとか…)ばかりの賃金で、早大初となる専任監督を引き受けました。
 奥さんと男児2人を抱えた飛田家の家計は当然貧窮のどん底に陥り、世間からは「世の中はいろいろにかわるものだ。今度はベース(ボール)の先生というのができたネ」などと皮肉を言われながら、飛田はボロ家に蟠踞し、ひたすらに部員を鍛え上げました。しかもその生活は、大正14年の飛田退任までの6年間も続いたのです。
 飛田が提唱した「清貧の中で厳しく鍛える」が口先だけのものではなく、本気だということを理解している部員も当然、いつ終わるともわからぬ、周囲からは「虐待」ともいわれた練習に真摯に取り組みました。大正時代における早大の黄金時代は、そうした師弟の心意気の結晶だったのです。

 従って、当時の早大野球部の部風を考えたとき、「オッチャンの同期に甲子園スターが少ない」と表現すると語弊があります。正しくは「早大野球部の中に、一部甲子園スターが紛れ込んできた」と言うべきでしょう。

 後年オッチャンは「早大魂の権化」とも評されるプレーぶりで有名になりましたが、オッチャンが終生をかけて奉じることとなる「早大魂」は、このころ確立されていたわけです。

【第34回・参考文献】
・「熱球三十年 草創期の日本野球史」 飛田穂洲 中公文庫
・「早稲田大学野球部五十年史」早稲田大学野球部編
・「東京六大学野球連盟結成90周年シリーズ⑥早稲田大学野球部」ベースボールマガジン社
・「日本野球発達史」広瀬謙三 河北新報社
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今年初のサバキ、ふしぎ発見!(先代の格言の意図を探る!)

2018-02-17 07:16:52 | 芦原会館修行記
今も版を重ね続けるカラテ界不朽の名技術書・「実戦!芦原カラテ3 誰にでもできる空手」(講談社刊。芦原会館のネット販売ページで購入できます(;^ω^))は、左側ページ(同著は横書き・右開き構成)の下部に「ひとことアドバイス」が10~184ページに亘って書き連ねてあります。
 芦原会館の門人でなくなった現在でも、たまに稽古の内容や技術進歩に行き詰った際にパラパラ、とめくると「ハッ!」とする新たな発見があるのですが…今回の「サバキ、ふしぎ発見!」で特に取り上げたい名言はこちらです。
「すれ違ったら倒す」
 同著160ページ、「投げの3」の解説として記載された言葉ですが、これはサバキの、そして「実戦」の本質を見事に表現した、まさに至言ともいえるひとことです。

 サバキをものすごく簡単に、しかも周防平民珍山といういち個人の解釈により表現すると…「エネルギー確率論を軸に、効率論をギリギリいっぱいまで集成させた体系」です。
 それがどのように「実戦」の役に立つのか。今回のサバキふしぎ発見!は、そのへんをお話しいたします。 

 日本で唯一、学術的なケンカ術を研究している林悦道・士心館館長は、ケンカに勝つために必要なファクターを次の2点に絞っています。
(以下、林先生のお言葉として抜粋した箇所の出典はすべて「ケンカ術の科学 データと数式が示す不敗の構造」〔東方出版〕 )
 ① 的確な状況判断ができる頭脳
 ② 的確に人を倒せる技術と肉体
 林先生によりますと、必要なファクター①②の比率変換は7:3、名人クラスになると8:2、甚だしい場合は9:1になるとのこと。
 それじゃあ、②なんていらないんじゃないの?ということを考える人もいるでしょうが、そういうことではありません。逆に言えば、①のレベルがいくら高くても、②のレベルが低ければ完全に画竜点睛を欠きますし、だいいち、②なくして①のレベルが上がるはずがないので、①しか必要ない、という議論は成り立ちません。それはさておき。
 林先生はケンカ術を「頭脳を主としたエネルギー確率論(いかに自分が相手の攻撃を食わず、自分の攻撃を相手に命中させるか)」としています。
 ケンカ術ではとにかく、相手の攻撃行為を如何に適切に外していくか、ということがまず主眼となります。
 そのために必要なことはまず…適切な間合いを取ること、確率論を発揮しやすい有利な位置に占位すること、場所を味方につけ、接近戦に変化した場合は効率論(自分のエネルギーをいかにロスなく、相手に投射するか)にすぐ変化できるようにする…
 ここまで読んで「!!!!」と気が付いたあなたは、相当な芦原カラテ研究家とお見受けします。
 そう、林先生の言うケンカ術の基本理念、そこから必要となる各種ファクターを、サバキはすべて含んでいるのです。

 まず第一に、芦原カラテ、そしてサバキは打撃系格闘技たる「空手」を母体とします。
 サバキを見て「投げを使っている。これは合気道と同じだ」などと、「主張している人の頭は大丈夫か?お薬差し上げましょうか?」的な批評をする人が今も昔も後を絶ちませんが、これは後述する「効率論に変化する」箇所だけを切り取り、その部分しか見ていない粗末な意見です。
 相手の攻撃を食らわない、逆にこちらの攻撃を当てるためには打撃系格闘技の基礎知識は必須であり、逆にその知識と技術なくして「確率論」を体現することは不可能です。だからサバキの根本は空手であり、その技術なくしてサバキも成り立たない。当然の話です。

 ワタクシ、職場でタイーフォ術や格闘技を教えたりする係をしておるのですが、何がむつかしいと言って、格闘技経験のない人間に「打撃を避ける方法」を教えることほど難しいことはない!これは今までの経験上、自信をもって言えます!
 組みつく、取っ組み合うという「原始的効率論」は人間の本能に根差すものであり、誰に教えられなくてもある程度はできます。っていうか、素人同士の喧嘩はいつもそうなりますよね(;^ω^)。
 ところが打撃系格闘技の技術は「効率論」と違って完全に後天的なものであり、習得には練習が必須です。ところがうちの職場のアホはその「確率論は専門練習必須」の理屈がわからない。何度説明してもダメ。困ったものです。それはさておき。

 打撃系格闘技の技術を持つことは、「確率論」を高いレベルで体現する大きなアドバンテージとなります。ただ、ケンカの状況は時々刻々と変わります。例えば相手の人数が多い、武器を持っている、突き蹴りを振るえるほどの隙間がない、などなど…なので、「確率論」をただただ原則通り振りかざすだけでは、いつかジリ貧になる瞬間が訪れます。
 相手を「完全に叩きのめす」ためには、突き蹴りをただ振り回すだけでは完全に役不足。立って動いている人間を殴ってKOするのは、プロでも難しい。そこで必要となるのが自分のパワーをロスなく相手に伝える「効率論」です。
 そうです。実戦なるものを勝利に導くためには、「確率論」に準拠した「相手の攻撃を食わない」ことを主軸としつつ、相手を完全制圧しないといけない場合、どこかのタイミングで「効率論」にスイッチしなければならないわけです。

 「効率論」を最大に発揮する方法は、相手を壁や地面など、硬いものに叩きつけること。それも、相手に接触する面積を最小限にとどめつつ、こちらのパワーを投射する方法で…
 その答えこそが、芦原会館の「投げ」であり、「確率論」を「効率論」にシフトチェンジする瞬間こそ、冒頭に掲げた「すれ違ったら」なのです。
 相手とすれ違う瞬間までに受ける攻撃は「確率論」でかわす。しかし、それよりも詰まった間合の場合、あるいは相手を完全制圧する必要がある場合には積極的にインファイトし、「すれ違ったら」その瞬間に「倒す」。
 芦原会館の「投げ」は本当によく考えられており、少ない接触で最大限に「効率論」を発揮できるようにできている。これは芦原会館ののち、組技系格闘技に没入したワタクシも自信をもって「よくできてる!」と感心するほどです(;'∀')。

 以上グダグダと「すれ違ったら倒す」に関するお話を記載しましたが…門人じゃなくなった今頃気が付いても遅いのですが、本当にサバキというのは奥深いものだと思います。
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形として見えるレベルの鍛錬とは

2018-02-06 19:36:15 | 格闘技のお話
 最近、「筋トレ社長」なる人物の著書が売れており、また、ライ〇ップのCMなどの影響もあって、筋トレや各種のトレーニングが人口に膾炙しているようです。
 しかしこうした「トレーニングブーム」なるものは10数年に1回くらい、思い出したように訪れる一過性のムーブメントであり、時間が経てば自然に忘れ去られ、古本屋にその手の本が投げ売りされることでしょう。
 私が尊敬するのは、そうした世間の流行りすたりとは全く関係なく、自分で目的を持ってしっかり勉強し、常に鍛錬を欠かさない人。やることの種別に関係なく、鍛錬することを日常に組み込み、たゆまず取り組んでおられる方は実に尊敬に値します。

 …と先日、職場でそんな話をしていますと、若者やジジイが「私もやってるんですよ~」みたいなことを言ってきました。
 で、その方々の鍛錬の内容を詳細に聞いてみますと…なんとも少ない(~_~;)。具体に言えば、ボールゲームなどを週に1、2回やる程度であり、しかも仲間と集まってくっちゃべりながら行う、強度的には極めて低いものばかり…。
 
 こうした不届きなヤツ(~_~;)に分かる程度に「鍛錬」の定義を分かりやすく説明するためには…といろいろ考えた結果、「全ての運動の根元となる筋肉の成長に関する話をすれば、より具体性をもって理解できるのでは」と思いましたので、ここで「トレーニングと筋肉の成長の関連性」についてお話ししたいと思います。
 
 筋肉は人間のエンジンに相当するものであり、いわゆるパワーを出力する唯一の機関です。
 人体唯一のエンジンですから、当然維持にかかるエネルギーも大量に必要。普段、特段運動をしていない成人男性の基礎代謝が、1日だいたい2500キロカロリーくらいといいますから、いかに筋肉がカロリーを消費するものかということが分かると思います。
 
 ちなみに人類の歴史は、現代を除くほとんどの時期が「ひとたび食えなかったら飢えて死ぬ」という状態でした。
 筋肉は基本的に大量のカロリーを消費する機関ですから、そんな機関がちょっとしたことで増えるものであれば、人間の未来には全員餓死という未来しか待っていません。
 そのため神様はうまいこと考えました。
 まず筋肉は、よほど栄養状態がいいときに、よほど辛い負荷をかけない限り増えないようになりました。
 筋肉は激烈に辛い負荷を受け、脳みそが「今のままの筋肉状態では身体が持たない!もっと筋肉増やせ!」という指示を出して初めて、身体が「筋肉を増やすぞ!」という体制を整える、ということになったわけですね。
 さらに、栄養補給や水分補給がない状態で体を動かし続けると、筋肉が勝手に水と糖に分解される(筋肉の異化作用と呼ばれるもの。メシを食わず酒ばっかり飲んでいるアル中のおっさんがガリガリなのは、この異化作用が顕著に働いている証左)ようにもなりました。  

 と、ここまでお話すれば、弊ブログをお読みの諸賢にはお分かりいただけると思いますが…
 そうです。かりそめにも人様に「鍛錬をしている」と公言するからには、その身体に競技に即した筋肉がしっかりとついている(=競技に即した身体を備えている)こと。これなくして「鍛えてます」もなにもないものです。
 先ほどお話しした通り、目に見える程度に競技に必要な筋肉が増えるということは、それだけ辛いことをしているという証左です。これほど雄弁にきちんと鍛錬しているということを物語るものはないでしょう。
 また、必要な筋肉をきちんとつけているということは、見た目の問題以外にも、いずれのスポーツや競技によらず、「質の高い反復訓練ができる」という証左ともなります。これは当然、競技パフォーマンスの巧拙に直接影響を及ぼします。
 むろん、バカみたいにウェイトだけに血道を上げ、競技とは無関係の「見た目」だけを追求する(単純にボディビルを競技としてやっておられる方は別ですm(__)m)のは本末転倒で愚かなことではありますが、仮にも「鍛錬をしている」と人様に吹聴するのであれば…きちんとそれにふさわしいだけの身体を備えておいてほしいものだ、と思います。

 …まあとりあえず、うちの会社にいる自称「鍛錬をしてます」というボケナスには、HIIT(ハイ・インテンション・インターバル・トレーニング。20秒のキツい運動と10秒のインターバルを8セットやらせるという、今はやりのトレーニング)から始めさせてやろうかと思います(~_~;)。
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岩国の隠れた?忘れられた名将と黒獅子旗(その6)

2018-02-05 08:25:53 | 周防野球列伝
 第26回都市対抗野球大会は昭和30年8月1日に開会式が行われ、開幕直後のオープニングゲームでは前年度優勝チーム・八幡市(八幡製鉄)が門真町(松下電器)を9-0で圧倒。10日間に及ぶ熱戦の幕が切って落とされました。

 この年は、アメリカ・ミルウォーキーで実施される第1回世界野球大会に優勝チームを主体とする全日本チームを派遣することが決まっていました。
 当時はまだまだ海外旅行なんて、庶民には縁遠いものだった時代。「アメリカ遠征」という餌をぶら下げられた各チームはいっそう練習に没頭。そのためか、開幕から強豪・名門が順当に勝ち進む安定した展開となっていました。
 それを確認するため、専売千葉-大昭和製紙戦までに行われた、1回戦各試合の勝敗を見てみましょう。
・八幡市(八幡製鉄・前年度優勝推薦)9-0門真町(松下電器)
・横浜市(日本石油)6-2釜石市(富士鉄釜石)
・大牟田市(東洋高圧大牟田)1-0日立市(日立製作所)
・大阪市(全鐘紡)10-5川崎市(日本コロムビア)
・神戸市(川崎重工)6-5大分市(大分鉄道局)
・高砂市(鐘淵化学)5-1砂川町(東洋高圧砂川)
・岡山市(岡山鉄道局)1-0小樽市(小樽野球協会)
・大津市(東洋レーヨン)3-0大阪市(住友金属)

 やはり、強豪が順当に勝ち残っております。 
 そのような戦況の中、3日目第三試合に組まれた専売千葉―大昭和製紙戦も、大方の予想は「大昭和の圧勝」でした。

 昭和30年8月3日夕刻。後楽園球場には満員の観客が詰めかけました。
 ファンの期待はただひとつ。かつて神宮を沸かせた早大OBで固めた大昭和製紙が、聞いたこともないようなチームからどれだけ打つのか…。

 後楽園球場のスコアボードには、先発メンバーが鮮やかに描きだされていました。
【先攻 吉原市・大昭和製紙】
1番セカンド有馬・2番サード杉村・3番レフト荒川・4番センター石井・5番ライト徳丸・6番ショート北川・7番ファースト朝比奈・8番キャッチャー板倉・9番ピッチャー山本
【後攻 千葉市・専売公社千葉】
1番ライト井上・2番レフト坂本・3番セカンド小沢・4番センター塩瀬・5番ファースト松本・6番サード和久・7番ピッチャー小宮・8番ショート松山・9番キャッチャー岡村

 専売は坂本・松山・岡村さんと3人の補強選手が先発に名を連ねました。先発投手は専売のエース小宮圭三郎。
 とここで、今までこの「黒獅子旗」シリーズと、岡村さんに関する記事を読んできた方は何か違和感を生じるかと思います。
 そう、「青春」ではこの試合には立教OBであり、岡村さんの岩国高校時代からの盟友の「狂介」が先発で登板しており、専売エースの小宮が先発したとはなっていないのです。
「先発投手は狂介に決まった。
 専売のエースもよくまとまった好投手だが、完成された打者をそろえた大昭和には、凄みに欠ける。むしろ狂介の荒れ球が、向こう意気の強い首脳陣に買われた、と私は思った。」(「青春」より)
 しかし、実際の試合のボックススコアを見ますと、専売は小宮→池上→渡辺となっており、「狂介」らしき人物が投げたという痕跡はどこにもありません。

 次回は憶測を踏まえつつ…「狂介」の正体を考察していきたいと思います。

【参考文献】
・「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人のわたし」 大島遼(岡村寿)著 防長新聞社
・「都市対抗野球60年史」 日本野球連盟 毎日新聞社
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