集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

かくもふざけた司法の現状

2015-11-29 20:55:13 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 11月27日、東京都庁小包爆弾事件で殺人幇助に問われていたオウム真理教信者・菊池直子(43)が、東京高裁で逆転無罪判決を受け、シャバに戻されました。
 本人は弁護士を通じ、何やらわけのわからんコメントをしていますが・・・こんなふざけた判決、許せるか!!!!

 日本の司法は罪刑法定主義であり、「疑わしきは罰せず」が大原則にある。これは冤罪で泣く人間を根絶するという意味で、大変重要です。
 しかし相手は、日本を国家ごと転覆させようとした極悪人なのです。教祖の愛人でもあったヤツが、爆弾の原料を運ぶことに何らかの「故意」を感じないはずがありませんし、何よりも許せないのは、逮捕状が出ているお尋ね者のくせに、十数年も逃げ回っていたことです。
 申し開きがあるなら逆に、逃げ隠れせず堂々と出頭し、申し開きをするべきなのに、コソコソ逃げ回るということは、犯罪の故意性を自ら認めている(要するに、捕まって捜査されたら、自分が有罪になることが十分認識できている)ことにほかなりません。
 また、東京地裁での裁判員裁判では、懲役5年の実刑判決が出ていますが、裁判員裁判はもともと「市民感覚を取り入れる」とかなんとかいって「司法改革の目玉」などと言って取り入れ、制度化したはずなのに、バカ裁判官の主観だけで一蹴する。こんな横暴が許されていいのでしょうか。バカ民主党や「ペラペラシールズ」とかいうバカ学生運動家は、安保法制のときみたいに「これでは民主主義が死ぬ」とか、言ってくれないのでしょうか。
 一審の裁判員裁判に参加したある裁判員がテレビの取材に答え「私たちがしてきたことは、一体何だったんでしょうね」と言っていましたが、その疑問、ごもっともです。

 今回の愚かな判決は、バカ裁判官のひとりよがりであり、一連のオウム事件で命を落とした被害者はきっと許さない。あの世で呪っていることでしょう。
 
 日本の司法は、学生運動の時代、自分たちの仲間を無罪放免してもらうための必要から生じた、極左暴力集団による「アカい裁判官送り込み政策」「アカい弁護士増加政策」により司法界に入ったやつがウジャウジャおり、今やそれが、多数幹部になっていると聞き及びます。
 そいつらが司法を私物化し、自らの主義主張を押し付ける場になっているとも聞いております。

 著名なところでは、山口県光市で発生した母子殺害事件で、被疑者の弁護をしていた、安田好弘とかいう気の狂った弁護士がいましたね。あの「首を絞めたのではなく、あやしていたら手に首がかかった」「チョウチョ結びしていたら首が絞まった」とか、ナメたことを言っていたあいつです。
 ヤツは総数4000人とも言われるいわゆる「人権派弁護士」の親玉でもあり、弁護した極悪人は「和歌山毒カレー事件」「オウム事件」などの著名事案のほか、「あさま山荘事件」や「ダッカ事件」など、極左暴力集団の事件も弁護したことがあるという、札付きのアカ、札付きのワル弁護士です。
(またコイツの経歴を調べると、ウィキに明記されていますが「大学時代には全学共闘会議運動の活動家として活動し、弱者保護を主張。」とあります)

 コイツはかつて、ゲバ棒を振って、機動隊に殴り回されていた時代の血が騒ぐのか、自分の主観で「悪」と認識した者には徹底して噛み付くので、お勉強はできても物事の善悪がわからない、ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんには不思議と人気があります。
 しかし、法律とは、人間の良心を起点として、万人に平等に運用されるべきものです。決して、アカバカが主観のみで騒ぎたて、我田引水式の悪用をしていいものでないということをわかっていない。
 コイツは弱者救済のフリをして、極悪人の弁護をして、屁理屈を垂れまわることで名前を売るという、一種の「炎上商法」を得意とします。法律は知っていても、法律を運用する人間としての良識や常識がない。こうしたアカバカ裁判官や弁護士の持つ力は、まさに「キチガイに刃物」と呼ぶべきでしょう。

 自分の立身のために屁理屈を垂れまわるアカ弁護士に、前例主義に毒され、有罪判決すらまともに出せない腰の引けた裁判官。私個人の意見として、コイツらは、司法の厳格な運用にもっとも不要な存在だと思っています。

 オマケですが、こういったクサレ弁護士が実際に暴力に遭遇したらどうなるか・・・
 以前もご紹介した「チンアナゴ」切断弁護士ですが、その切断状況が先般、公判でなんとなく明らかになりました。
 一部報道によりますと、弁護士は被疑者にパンチ4発で完全にノサれ、気絶(えええ???)。
 気絶中に「チンアナゴ」を切られた弁護士は、意識回復後、完全に錯乱した様子で「ここどこ?何で血が出てる?」と被疑者に尋ねたそうです。
 司法に携わる者が、チンアナゴの1本や2本でオタつくんじゃない!全く。
 それ以前に、無防備で4発もパンチをくらって気絶なんて。司法に携わる者が、そんなに無防備でいいのか!

 司法に携わる者は、人間としての常識・良心を持つべきであり、常に緊張感を持たないといかんでしょう。それをしていないのは、税金をもらっている国民への裏切りだと思います。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

食って、食って、鍛えないけど食って・・・

2015-11-25 21:09:58 | 兵隊の道・仕事の話
 プロレスラー、相撲取り、プロ野球選手、ボディビルダーなど、いわゆる「バルクアップ」が必要な商売では、「胃の許容量を超えて食え!」「吐くまで食え!」という季節をどうしても超えないといけないものと相場が決まってます。この点については、その手の苦労話は世間にゴマンと溢れてますので、具体例の記載は避けます。

 うちの会社ですと、兵隊養成所を卒業した兵隊は、もれなく船で初級修行をするのですが、多くの若者はここで大概、太ります。
 いや、太るというと表現が悪い。筋量も増えますから「バルクアップ」というべきでしょうか。

 船の食事はオカの食事より高カロリーであり、大型の船では、1日4食(朝0700、昼1130、夕1730、夜2000)食事が出ますし、余り物があれば「若い奴食え!」となりますから、まあしょうがないこってす。
 これは、「太ることがカッコ悪い」という現代の風潮からはなかなか理解しがたいことではあると思いますが、フネにあるものを操作したり、修理したり、動かしたりするには基本、とにかく体重も含めたパワーが必要です。フネが海に浮かぶものであり、かつ、鉄で出来ている以上、これは宿命です。
 部品でも油でも、とにかくラクに運べるもの、動かせるものはない。時には人間をかついで運ぶこともあります。そのパワーを筋肉だけで増やすのは、とても大変な労力が要ります。であれば純粋な「筋力」ではなく、日々の食事でバルクアップすることで、「作用、反作用」の力を育成しよう…とこうなるわけです。
 若い人は線も細く、力の出し方もアレですので、とにかく最初の1年くらいは、体重のことを気にせず食って食って体力をつけること!これ、大切なことです。
 私も今も目を閉じれば、いろんな名人が作った「サラメシ」ならぬ「フネメシ」が、様々に思い出されます…。うまかったなあ(しみじみ)。

 しかし、筋肉は「栄養」と「トレーニング」の双方からアプローチをしないと絶対に向上しないそうです。タンパク源を食べるだけで筋力が維持できるのは高齢者だけ。
 なので、そうした若者の中には時々、「食うだけ食って仕事もトレーニングもしない」なんて不心得なヤツもいて、そういうのは単なるブタになります。うちの船にIという若い衆がいるんですが、まさにそれで(^_^;)。
 うちのフネへの在船ちょうど1年。とにかく毎食、食って食って食いまくる。そして運動しない(^_^;)。いちおうスポーツクラブに入っているのですが、ここ2ヶ月ほどは月謝をジムに寄付しており(笑)、ここ最近彼がやっている運動らしい運動といえば、手首の旋回運動(いわゆるパチンコ)くらいかな…。
 彼は、体重が増えたことによる、相対的な「作用・反作用」的なパワー(間違っても、筋量や運動能力の開発によるものではない)は増えましたが、動きがめっちゃ緩慢になりました。私が特に気になるのは、ケツの位置が明らかに下がったこと!
 研修所から出たときと現在では、尻の頂点の位置が明らかに下に下がり、尻の膨らみがなくなりました。要するに大殿筋が落ちたんですね。
 下半身はハラとちがい、出たり引っ込んだりしないぶん、衰えが自覚しにくいので仕方ないといえば仕方ないのですが、なかなかの劣化具合です。
 早くその理由に、身を持って気づいてもらえればいいのですが・・・もうダメかな。

 彼にはなぜ「食」という字を分解すると「人を良くする」となっている理由を考えて欲しいと思っています。
 メシを残さないというその心意気は、大変感心しているのですがね。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

郷土に歴史あり、歴史オタクに(「ヨタ話」あって)歴史なし

2015-11-18 21:00:02 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 今回は、歴史の話がキライな方は無視してください・・・(^_^;)

 わが出身地・山口県の幕末の経済を支えたものに「三白」というのがありました。米、紙、塩の3つ。史書の中には、米の代わりにロウソクの原料である「ロウ」を入れる史書もありますが、山口県以外の人にとってはどうでもいいことなので、まあ、ここは流します。
 今の人は知らないと思いますが(じゃあなんでお前ごときが知ってるんだ、というツッコミはお許し下さい)、この三白のうち、紙は特に貴重品でした。
 今と違い、工場で紙が大量生産できる時代ではございません。当時紙は大変高価なもので、役職によって使う紙質がとっても厳しく詮議された時代。幕府の公職紙は壇紙、官職5位以上の人は奉書紙、侍以下の庶民は杉原紙!と決められており、御家人であっても、親類書(今で言う家系図)の紙をゲットするのに苦労したという時代ですから、仕方ないといえば仕方ありません。
 山口県の紙作りの産地は、現在では岩国市に統合された旧本郷村、錦町、美川町、美和町といった、島根県や広島県に境を接する、山また山の地域。江戸時代ここは、萩の毛利本家のいわゆる支所である「山代宰判(やましろさいばん)」という直轄領であり、代官所が置かれていました。

 全盛時には中国地方120万石超を誇った毛利家は、関が原の戦いに負け、防長2カ国、36万石の貧乏藩に転落しました。
クビを言い渡しても勝手についてきた多数の家臣を養うため、萩城の建築費用や幕府からの労役の費用を賄うため、さらには昔の借金の返済のため、毛利藩は領民にムチャクチャな重税を課しました。特に山代地区はひどく、なんと税率73パーセント!数度の検地にも関わらず、その税率が低減されることは、享保までありませんでした。
 このため山代地区では、村々が結託しての死を覚悟の一揆や、逃散(ちょうさん。田畑を投げ捨てて逃げること)が絶えることがなく、特に江戸時代初期~享保(暴れん坊将軍で有名な吉宗の時代)まで、ひどいありさまであったそうです。現在津和野を観光すると「津和野和紙」なんてのがありますが、実は津和野藩に和紙製法を伝えたのは、この時期、山を乗り越えて逃散してきた山代農民によるもの、と伝えられます。
 享保19(1734)年、苛斂誅求で荒廃しきった山代を立て直すため、坂九郎左衛門時存(ときもり)が山代代官に赴任。検地での石高と実際の取れ高との間に膨大な開きがあると知った坂時存は、原料のコウゾの木の植林、税の減免、お救い米の配布、害獣の駆除など、各種の改革を実施。山代の復興に努めます。また坂時存はその辣腕を買われ、撫育方(ぶいくがた。要するに隠し財産の責任者)になります。
 この山代の紙作りによってできた財産で維新回天が成されました。維新後、数々の借金を精算しても、毛利本家には、現在の貨幣価値で100億円ほどの財産があったと伝えられます。また完全な副作用ですが、害獣駆除のために育成された狙撃用農民は、第二次長州征伐でスナイパーとして大活躍。幕府軍撃退の立役者となっています。まさに隠れた維新の歴史です。
 そういえば幕末の長州では、下士や農民が士分に平然と取り立てられたり、上士でもウカウカしていたらすぐに改易に遭ったりと、緊張感ある藩作りをしていたそうですが、これはこうした農民のひどいありさまの上に政治が成り立つと考えた、特に意識の高い行動であると思います。
 同じ維新を達成したと言われる土佐や薩摩は、最後の最後まで、この階級差別がなくならなかったのですから…特筆すべきことと思います。

 ここまで書いてふと思い出しましたが、そういえば現在、毎日変態新聞系の版元が、原田伊織なる自称歴史家の書いた「明治維新という過ち」という本を出しているそうです。歴史に無知な人を中心に、けっこう売れているようですが、「薩長はテロリスト!」という主観が徹底された、幕末に関するこのテの本が市場に出回るのは、珍しいことではありません。
 昭和の末期には「八切止夫」という、「江戸幕府がなんでも正しく、薩長は単なるテロリストで強姦魔」みたいな、なんかの宗教に毒されたかのような狂った自称史家が、そういう史観のみで書かれたトンデモ本をいっぱい出していました。今も歴史オタクを中心に、そういうトンデモ本の需要は絶えないようです。
 同著については、本を買うカネがもったいないので買ってませんが、同人のブログと、アマゾンのレビューを読む限り、この人は多分、幕府や会津藩がどれだけ「時代の付託に耐えない」ダメ組織だったかを見る目がなく、また、当時の日本の外を囲む情勢を何も分かっていない、単なる歴史オタクということがはっきりと分かります。幕府はともかく、当時の会津藩については、大東亜戦争時の日本政府と同じ病巣を抱える「巨大組織」で、自分の抱える兵隊や領民を、無為に殺す組織でしかありえませんでした。有名な白虎隊などは、まさにその犠牲者といえましょう。残念ながら原田伊織はそういう都合の悪い点は、何も見ていません。これぞ司馬遼太郎戦法。
 また同著には、幕末モノおきまりの「長州は会津で強姦ばっかりしていた!」という記述がしつこく出てくるみたいですが、これは前出の「八切止夫」の本でもさんざん出てくる話で、しかもその出典が「聞いた話のまた聞き」ですから、話になりません。
 ちなみに原田伊織なるバカの年齢は来年70歳(昭和21年生まれ)だそうで、どうも私の1.5倍くらい生きているみたいですが、自称でも歴史家を肩書きにするくらいなら今一度、「歴史を考える」とはどういうことかを考え直して欲しいものです。
もうすぐ死にそうな年齢なのに、その畢生の著書が、陰謀史観丸出しの本とかって…いい年して恥ずかしいですね。私だったら生きていけないな。
人間とは生きている年数ではないのだなと、コイツを見ていると本当に考えさせられます。話が逸れちゃいました。すみません。

 私の実家は、維新回天の隠れた立役者であった山代も近く、わが郷土付近から維新に参加し、明治を見ることなく死んだ、あるいは維新後に失望し、下野してまた地元に戻った人も多数いるのですが、そういった話を見聞きし、調べるにつけ、大事業のウラには様々な人間模様があったんだな、と強く感じますし、そういう歴史を感じることができる地域に生まれたことを、私はとても嬉しく思っています。
 テロリストだの強姦魔だのと、腐った自称史家ごときに言われる筋合いは全然ない。腐った自称史家は、恥じるべきです。

 私は山口県、特に柳井市出身であることを、常に自慢しています。
 自分のことで自慢できることが本当に何もないので、なおさら自慢しています。
 そして腐った自称史家にもすぐに対応できるよう、常に郷土史を学ぶようにしています。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

過負荷という概念が存在しなかった残念なジム(仮)

2015-11-07 19:59:51 | 兵隊の道・仕事の話
 今年10月まで放送された深夜アニメ「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」のパクリタイトル第2回目です。そういえば当該作品でアンナ・錦ノ宮の声を当てていた声優の松来未祐さんが先日、お亡くなりになりました。享年38歳。なんと、同じ学年じゃないか…謹んでご冥福をお祈りします。
 「這いよれ!ニャル子さん」のクー子とか、好きだったのになあ。それはともかく。

 私は掛け値なし毎日、体力錬成をしています。起床直後約1時間、夕方約1時間ほどの合計2時間前後。尺として長いか短いかは、読んだ人の判断に任せます。
 メニューはテクニカル・フィジカル・パワーの3種目を「これが足りんな」と思うものをやる。何をするかは無計画。あまり参考になりませんね。
 とはいえ、トレーニング7原則に「個別性の原則」がある以上、同じトレーニングをいつまでもを延々と続けるということは効果が薄い、ということを念頭においてのことですので、ご理解お願いします。
 ひとつ気をつけていることは「かなりの負荷のものを、インターバル短く詰める」こと。ものの本によると、トレーニングとは①負荷②回数③収縮速度④セット数⑤インターバルの時間…で決まるそうで、軽い負荷でも②~⑤にこだわればいいトレーニング、ムチャクチャ重たいものを上げていても⑤ばっかり長ければダメなトレーニングということになります。最近は①にはあまりこだわってないのですが、②~⑤には厳しい目を注ぐようにしており、運動間のインターバルは10~20秒回し。最近そのせいで、マジで奥歯が欠けました。マウスピース、買おうかな…。

 そんなトレーニングを続けるモチベーションのひとつ、あくまでも複数ある要素のうち、比率の低~い理由の一つとしまして、「私はタイーホ術の指導員だから」というのがあります…比率としては、5パーセント弱くらいでしょうかね(^_^;)。
 このブログにはよく登場しますが、我が社には「タイーホ術」という、とても完成度の低いダンスのようなもの(笑)がありまして、私はその指導員(兼・資格の発行委員)の資格を持っています。
 ただ、忘れた頃にその技術を見せつけないといけない場面が出てきますので、資格は保有していても気は抜けません。私が考えていることはただ一つ、「指導員の資格を持つ者は、誰よりも努力して、誰よりも強くないといけない」。なんとも重い十字架を背負ったものですが、まあ、気をつけて(わたし的には)きつい運動を継続していたせいか、指導員の貫目を落とすような不埒なマネはしていないつもりではおります。つい先日も、受検者の前で動きを見せる機会がありましたが、受検者も皆、ナットクしてくれるような動きはできたので、よかったです。
 しかし私の職場には、それとは全く逆に、指導員ではありますが、指導員という職責の貫目を落とすためにしか存在していないバカタレもいます。

 愛媛県松山市の海っぺたに、「ヅーイサ」(仮)という、我が社の運営する、極め付きに出来の悪いジム(笑)があります。
 比較的ちゃんとした建物の中に、高価な機材を揃えているのですが、代々ろくでもないシロウトばかりが指導員をしているため、若い奴がない知恵を適当に出して高価なオモチャで適当に遊ぶばっかりで、まったく「強化」というものがなされない珍しいジム(笑)。トレーニングへの取り組み度合いは、バカ大学のザコ運動サークル以下です。
 ただ、それがなぜか我が社の本社の肝いりでできたジムであるため、そのジムに存在すれば、どんなザコでもタイーホ術の指導員の資格を取れるというお笑い沙汰なシステムがあるんです。そのため、「ヅーイサ」出身のタイーホ術指導員が、我が社の瀬戸内海に面する支社内にゴロゴロいます。
 で、ごく最近、不肖ワタクシ(39歳)よりも8~10歳は若い、「ヅーイサ」出身指導員たちと一緒に仕事をしたのですが、こいつらが本当に役に立たない。ヅーイサから移動して数年を経過した彼らのある者は醜く肥え太り、またある者は筋肉がなくなってやせ細ってヘルニアを発症。またある者は膝が痛いなどとほざくありさま。情けない…_ノ乙(、ン、)_

 私はヅーイサでの勤務経験が全くなく、逆に、我が社では認知度が「永遠のゼロ」の格闘技のほうから、余計な手間ヒマをかけて指導員になりました。「一つ目小僧の国に行くと、目が2つある人間の方が異様に見られる」という寓話同様、タイーホ術界隈では私のほうが「奇人変人」として、相当ウロンな目で見られました。
 しかし今では、デブになりすぎて動けなかったり、ヘルニアをこじらせてひっくり帰っている情けない「指導員」の後輩以上に動き、模範を見せないといけないなんて…何かがおかしいな。まあいいか(^_^;)。

 格闘技方面から出てきた私と、日本一出来の悪いジム(笑)出身の彼らとの大きな違いは数々ありますが、今回のタイトルに倣って言えばまさに「過負荷」を経験しているか否かという点に尽きると思います。
 人と比べることはできませんが、不肖ワタクシ、精神的なものはともかくとして、肉体的に「死ぬ!」「壊れる!」というレベルの訓練や研修、格闘技やそれに付随するトレーニングを、一定以上やってきたという自負があります。
 しかしその効果は、テクニカルな部分はともかくとして、フィジカルは1週間も何もしなければ簡単に消失します。これは、永年そういうことをし続けた経験からはっきりわかります。
 私は臆病者なので、弱くなることが怖い。「あいつは弱くなった」と言われるのが怖い。怖くて仕方ない。なので、給料が上がるわけでも、誰かに褒められるわけでもないのに、練習やトレーニングを続けています。またそうすることが、指導員という重い十字架を支えるという力になると確信しています。
 しかしヅーイサ(仮)出身者は、その「乗り越える」という、ある意味「成功体験」と言えるものを経験してません。奴らが「ヅーイサ」在籍時にやったことといえば、単なるエクササイズだけ。それも、気の合うバカ仲間と汗をかいて「ああ、気持ちいい」という程度。エクササイズでもらった指導員の資格ですから、当然そこには技量・体力維持の義務も感じなければ、責務も感じない。だから豚のように肥え太ったり(あ、本物のブタさんに失礼でした)、反対に筋肉が全然なくなってやせ細り、30そこそこの若さでヘルニアになったりするのです。

 以前私はこのブログで「過負荷という概念が存在しない退屈な世界」と題し、若い時には高負荷・高回数・長時間にこだわったトレーニングをしよう!という話をしましたが、今回紹介したジム「ヅーイサ」(仮)は、その真逆に、ダメなほうでその証明をしてくれました。
 つまり、若い時に高負荷・高回数・長時間にこだわったトレーニングをせず、横着ばっかりしていると、こういうダメ人間になるといういい証明です。

 誰にも褒められず、誰にも怒られない自分のためのトレーニングだからこそ、より厳しく行っていきたいものです。
 

 
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

潜水夫研修よもやま物語(最終7話)

2015-11-02 20:13:51 | 兵隊の道・仕事の話
 ええと、もう面倒くさくなったので、今回でまとめて最終回にします。

 潜水夫研修の後半1ヶ月は、海洋実習といいまして、船で江田島南側の沖に行きます。
 そこでまずは船体をドルフィンで2周してアップ。その後MAX20mまでの垂直素潜り。私は根性がないので、MAX15mまでしか行けませんでした。
 その後は浮上時間を計算した真深度潜水、緊急浮上などを行うのですが…このへん、あまりたいした肉体的負荷がなかったせいか、何をしていたか記憶がカッポリ抜け落ちてます。
 よく覚えているのは最終日前日、35mの緊急浮上をしたあと気分が悪くなり、国立呉病院に運び込まれ、人生初の再圧治療を受けたことです。

 「再圧治療」とは何か。
 私が気持ち悪くなった水深35mの世界では、4.5気圧がかかっています。
 ボンベには空気が入っていますが、これを水深35mの世界で吸うことにより、地上の4.5倍のスピードで、体内に窒素が溶け込んできます。
 この状態で一気に1気圧の世界に浮上すると、ちょうど勢いよく振ったサイダー瓶の栓を抜くように、体内に溶け込んだ窒素が一気に気泡となり、体内でいろんな悪さをします。最悪の場合、血管内で気泡が血を止めてしまい、死んでしまうこともあります。これが俗に言う「潜水病」というやつで、それを治すためには事故時と同じ気圧を再度かけ、少しずつ時間をかけて圧を抜くことで、窒素を少しずつ解消する…という治療です。

 幸い私の場合、あの世で「こいつはいらない」と拒否されたようで、病院につくころには、ケロっとしていました。
 しかし一応治療は受けねばならず、2.5時間もの時間をかけた再圧治療が行われました。 
 なぜか、「この患者さんは週に2回再圧治療を受けないと、脳が壊死しちゃうの」とかいう触れ込みの、今にも死にそうな咳をしていた見ず知らずの患者さんと一緒に閉じ込められ、何をしていいのかわからず、自分のことは全くさておき、往生したことをよく覚えています。

 研修最終日は、映画「サルウミ」でチビノリダーが死んだ真深度潜水だの、長距離ドルフィンだのと様々なイベントがあったそうですが、私は当然潜水止め、また呉病院で診察を受けてました。夕方に同期らの道具を取りに、リヤカーをふたつ曳いて岸壁に行きましたが、悔しいとも、羨ましいとも思わず、「ああ、やっと終わったな」としか思いませんでした。

 最終日。研修の修了証書をもらい、当時の勤務地・大阪に戻りました。
 「おお、帰ってきたか。そういえばお前、前期の体力検定とレンジャー検定、まだしてなかったよな…」
 当時の職場は年に2回、体力検定と、綱上り・綱渡りをする「レンジャー検定」なるものが義務付けられていました。
 ええ~、潜水研修に言ってたんだからカンベンしろよ…と思ったのですが、当時の偉い人は、許してはくれませんでした_ノ乙(、ン、)_
 レンジャー検定当日は土砂降りの雨。ロープはたっぷりと雨を吸い、雨が流れ、登ることなど及びもつきませんが、やらされました。
 体力・レンジャーとも、人生ワーストの記録であったと書いておきます。

 潜水夫研修。私の人生にとってはとてもどうでもよく、でも、いろいろと面白い(最後はちょっと辛い)研修でした。
 

 
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加