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集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

終戦79年目特集…再び「文系アタマ」のススメ・「自分の中の物差し」を持とう!

2024-08-21 14:15:57 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 大東亜戦争終結から79年が経過しました。弊ブログは今年も、国のために尊い命を捧げた(多くは「捧げざるを得なかった」)御霊に対し、衷心より御礼と哀悼の意を表します。
 また今年も国営放送あたりが、極左バカ教授や極左専門家を引っ張り出してきて「戦争はいけないなあ~」などという、鳥のさえずりより無意味なことをほざかせていますが、戦争はなぜ起きるのか、その陰に何があるのか、始まったら負けないために何をすればいいのかといったことをちゃんと研究しないとダメであり、それが出来ない阿呆が、人前に出てチャラチャラ話をするんじゃない!と毎年思っています。
 はい、オープニングトーク終了です(;^ω^)

 終戦の日前後になると、国営放送あたりが引っ張り出してくるクソ教授たちはだいたい人文系の研究者ですが、とても文系の学問を修めたとは思えないほど国語力がなく、語彙力もなく、従って発言に何の説得力もありません。
 こういった輩は、元官僚の評論家・高橋洋一がバカにする「ド文ちゃん」と呼んで差し支えない阿呆ですが、じゃあ、理系の人間ならもっと論理的に何かを説明できたり、世の中の役に立つかというと、そんなことはありません。
 こじつけっぽくはありますが、ワタクシの研究の結果、世の中を悪くするのは「ド文ちゃん」より、理系脳に生まれた人間がいろいろ「こじらせた」場合であり、大きいところではまさしく大東亜戦争の大敗北を招いたバカ将軍やバカ参謀、小さいところでは各種コミュニティで「クラッシャー」となっている人間がまさに下劣な人品を理系知識で武装することだけで糊塗した「こじらせ理系」です。

 皆様の周りに、こんな人はいないでしょうか。
① 年齢や知識の量、収入の多寡など、どの分野からでもマウントを取りたがる。場を仕切りたがる。
② ①に付随して、上に甘く、下に厳しい。態度が恩着せがましい。
③ 言行不一致が甚だしい。
④ 雑談(あるいは雑文)が死ぬほどつまらない。
⑤ 雑談の内容が「人の悪口・カネ・食い物」程度しかない。
⑥ 自分が経験していないこと、目撃していないこと、出会ったことがない人物が話題になった場合、すぐさま否定から入る。
⑦ 各種の未来予想をしょっちゅう外す。
⑧ 仕事や趣味などで偉そうに知識をひけらかすが、その内容をよく吟味すると汎用性がなく属人的な「自分のやり方」を話しているだけ。かつ、説明が恐ろしくヘタ(あるいはすぐキレる)。
 上記うち5つ以上が当てはまる人間は、本人がどう否定しようが、そいつの頭の基本構造は理系であり、かつ、低劣な人間性に理系の頭がくっついた「こじらせ理系」と踏んで間違いありません。

 「こじらせ理系脳」の行動規範は「目に見える数字が全てであって、そうでないものへの理解や同情は一切しなくていい」というものです。
 従って「こじらせ理系」の人間関係の作り方は
・年齢が上か下か
・学校の卒業期が上か下か
・テストの点数が上か下か
・自分の利益になるかならないか
といった実に単純なものだけです(断言)!
 卑近な例を出しますが、ワタクシの職場は理系知識を要する職場(フナノリですからね(;^ω^))なのですが、これまで約30年勤務してきて、いつでもどこでも人間関係をこじらせるヤツの8割5分は
(1)幹部学校(≒理系の大学)出身者
(2)商船高専・工専を卒業後にいくつかの会社をクビになって、うちの会社に流れ着いた落ちこぼれ
でした。これは弊社において、約30年に亘って500人以上の「クズ」をウォッチングして出した統計結果ですので、異論は認めません。
((2)に関しては商船・工専という教育機関自体を問題視しているのではありません。せっかく格の高い学校で学んだくせに、あちこちの会社をクビになった挙句に社員レベルの低い弊社に入って来て、知識でマウントをかましては数々の問題行動を起こす「同校の落ちこぼれ」を問題視しているだけですので、その点誤解なさらないようお願いいたします。)

 「こじらせ理系」は数字以外のことが理解できないアタマを持っていますので、彼らとの間に「人間性を通じた対等な付き合い」とか「目に見えない縁による人間関係」が発生することは一切ありません。
 なので「こじらせ理系」はひとたび「自分より下の立場」と目した人間に対しては「何をやっても、何を言っても許される」と思い込み、②・③に示したような、人間として恥ずべき行為を平気でするようになるわけですね。

 「こじらせ理系脳」の行動規範である「数字で示されることしかしない、知らない、わからない」という脳みそは、その他の場面でも人間関係にも大きな齟齬をもたらします。
 「こじらせ理系」脳を持つと「自分より立場が上か下か」ということだけで物事を見るようになりますので、こうした腐った性根が「自分に都合のいい話しか聞かない」という考え方を呼び、最終的には「異なる分野の異なる見解を持つ人の話の話を聞かない」という自分勝手な人格となって顕出します。
 その結果、④⑤⑥に示したような会話しかできなくなり、周囲の人間を辟易させるようになります。

 ⑦については「ダニング・クールガーの法則」で説明がつきます。
 今まで述べてきたような理由から、「こじらせ理系」ははっきり言って、バカになっています。
(ちなみにここでいうバカとは「専門知識を持たない」ということではなく「人間性が低劣すぎて常識が通用せず、いわゆる『無敵の人』状態になっている」という意味でのバカです。)
 弊ブログで幾度か紹介しましたが、「ダニング・クールガーの法則」とは即ち
・バカ見積もり甘し
・バカ自己評価高し
・バカ自分見えず
ということを科学的に証明した法則ですが、「こじらせ理系」が病膏肓に入ると自分の知識が生かせるもの、自分の理解が及ぶもの、自分が賛同するもの以外に目がいかなくなる≒バカになりますので、未来予想につき、何を予想させても我田引水の結果しか見えなくなります。

 最後⑧ですが、これは「こじらせ理系」が職場で一番よくやることです。
 「こじらせ理系」は文章の構成力がないので、物事を筋道立てて、論理的に話すことが苦手です。また、読書しないためボキャブラリーも貧困ですから、「人にものを教える」という行為そのものができないのです。
 それに加えて、先述の通り「自分より立場の弱い人間」への理解も同情もありませんから、十分な理解のない「自分流」を、ヘタクソすぎる説明(あるいは不足だらけの説明)とともに披露し、相手が理解してくれなければ「お前の頭が悪いからだ」とキレ始める…どこのコミュニティでもまあまあ見かける光景ですね(;^ω^)。

 理系脳は物事の合理化や、道理の説明に役立つ反面、アタマの中が全て、他人の唱える方式や法則「だけ」に支配されていますから、「自分の中の物差し」がなく、従ってすぐに人格や思考を暴走させる傾向にあります。しかも「自分の中の物差し」がない≒「恥を知らない」「他罰的」ということですから、どんなひどいことやマズいことをしてもすべては人のせいであって、自分は悪くないという思考を持つに至ります。

 冒頭の大東亜戦争の話に戻りますが、わが国を世界戦史上まれに見る大敗北に導いた陸海軍のクソバカ参謀たちのなかで、誰か1人でも責任を取って自決したヤツはいますか?将軍クラスは多少自決しましたが、その陰でバカ参謀たち(瀬島龍三とか辻政信とか)はのうのうと生き延び、戦後も人前にチャラチャラ出てきています。
 私は永くコイツらのことを「元々人格に問題があるからこんな恥知らずなことができるんだ」と思っていましたが、ワタクシとは敵対関係にある(;^ω^)「理系脳」の研究を進めれば進めるほど、コイツらが恥知らずな行為をして恬として恥じない態度の原因は「強烈な理系脳を持っていたからこそ」という結論を得るに至っています。
 昨今でも、現兵庫県知事や元広島県安芸高田市長ら、物凄い高学歴&華麗な経歴を持っているにもかかわらず、下品な本性を暴走させている「自称エリート」が目立ちますが、コイツらも大東亜戦争当時の参謀と同じく、「理系脳を暴走させた結果」ということで理解が可能です。

 ちなみに瀬島や辻といったクソ参謀とは対照的な存在としてよくあげられる挙げられる石原莞爾…そう、令和の現代においても「あの名参謀・石原莞爾に戦争指導をさせれば、日本は負けなかった」などとほざく信者をたくさん持つ石原ですが、じつは石原の法華経研究なるものの実体は、戦前に流行っていた「これさえ読めばサルでも法華経がわかる」的な入門本をタネとしていただけの、実にザルザルなものでした。
 石原も所詮は理系脳を暴走させたバカ軍人であることに変わりはなく、瀬島や辻とちょっと違う点は、オウム真理教に身を投じたエリートと同じ「理系を暴走させた人間は、理系の知識で理解できない程度の低い邪宗門に容易にひっかかる」という方向に行っただけのこと。
 結局、当時の参謀は「理系を暴走させたクソ人間」しかおらず、当時の日本軍は日本を敗戦に導くことしかできなかった、ダメ組織だったということだけがはっきりわかります。
 そうなった原因は実に簡単です。「陸軍士官学校や海軍兵学校に、国文や哲学の授業がなかったから」。以上終了。

 文系の知識は「数理や公式で理解できないものを理解する」≒「自分の中に物差しを持つ」という、人間が人間らしく生きていくうえで最も大切なものを教えてくれます。
 その涵養のためには「異なる他人の意見や物語に、虚心坦懐に耳を傾ける」ということしかなく、これは武道・格闘技を始めとしたよろずの習い事の上達にも共通することです。
 他人の意見や物語に接することで自分の中にできる「自分の中の物差し」は、人間としてよりよく生きるための唯一の指針であると思っていますし、それがない人間はどんなに金持ちであろうと学歴があろうと、唾棄すべきクソ人間にしかならないと確信しております。

「踏めよ究極、これしかないぜ!」…究極の下半身トレ「四股」について考える(その3)

2024-08-08 13:36:11 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 前回投稿からメチャクソ時間が経過してしまい、本当に申し訳ございませんでした…などと言いつつ、新規記事不在時の閲覧者数を眺めてみると、なんと驚くことに1日当たり100人程度が来訪されている…旧ブログから「集成」に一本化してはや10年弱、記事の総数も400くらいになったので、もう自動運転しているような状態ですね…昔の自分に助けてもらっているようで、なんだか気色悪い(-_-;)。

 それはさておき、前回に続き、四股のお話です(おそらく四股話の最終回)。
 当初、四股に関する何か一つのテーマについて書こうかなと画策していたのですが、毎日四股を踏む過程で、さまざまなことが自分なりに、どんどん「理解」できたので、今回はその気づきをQ&A方式で短く羅列する形式でお送りし、四股研究論を一旦収めたいと思います。

Q1 腰を割った状態から足を上げる際、まずどこに力を入れるべきか?
A1 広背筋下部。広背筋下部を締めた力が、そのまま中殿筋の起始となる部位(骨盤の横)に入ることが望ましい。
 中殿筋がしっかり作用し、骨盤の外旋がかかれば骨盤前面についている各種小筋群が十分にストレッチされ、いわゆる「つながり」がしっかり生まれる。
 ろくでもない相撲指導者やスポーツ指導者が「太もも(特に大腿四頭筋)に力を入れろ」などと教えていることがあるが、百害あって一利ないのでやめること。

Q2 脚を上げた際、脚は伸ばすべき?曲げるべき?
A2 広背筋を締め、中殿筋をしっかり使い、骨盤の外旋を強くかけたければ「曲げる」一択。というか解剖学上「片足を上げて骨盤の外旋を強くかける」という動作を第一義である場合、膝と足首がだいたい90度くらいに曲がっていなければ、強い外旋はかからない。
 脚を上げ切ったフィニッシュの瞬間に両足を伸ばす四股を否定はしないが、それは「バランス感覚を養う」とか「大腿四頭筋を強く使う」とか、目的をもって行うべきであり、常態的に行う性質のものではない。

Q3 昔から言われる「上体を立てて四股を踏め」は本当か?
A3 本当。というか、上体が立っていない四股(猫背で踏む四股)は、カロリー消費以外の効果がない「やじろべえの四股」にしかならない。
 脚を下ろしてから腰を割った際、上体が立っていれば骨盤前面の小筋群や中殿筋、あるいは中殿筋とつながる腹筋に強いストレッチがかかるが、猫背の場合負荷が全て大腿四頭筋に入る。「身体のブレーキとなる筋肉を鍛えるのが好きでたまらない」のなら止めないが…

Q4 四股はたくさん踏まないとダメなのか?
A4 股の固い現代人が健康維持目的で行うなら合計数十回でじゅうぶん。強くなりたければ50~100回単位でたくさん踏まなければダメ。
 なぜ「強くなりたければたくさん踏め」なのかというと答えは簡単、「四股は純然たる筋トレではなく、身体に対する技術練習だから」。 

 四股は筋トレとしての効果も高いが、それ以上に「体をうまく使うための技術トレ」としての色合いが強い…というより、それが一番目の目的である。
 日常生活で何気なく行っている「歩行」の悪癖(骨性支持や腱弾性を使用した動きなど)を矯正し、「全身の力を協応させる」動きを無意識に発揮するための技術的トレーニング、それこそが四股である。
(そういった意味で四股は「空手の型」と存在意義や目的が非常に似通っている)
 「北斎漫画」に描かれている初期の四股が、現在のように四股立ち→腰を割る→足を上げるではなく、略直立の状態から片足だけをヒョイと上げているものだった(=筋量や筋力を増やすことでなく「バランスの技術練習」に主眼が置かれている)ことも、その証左である。

 また「技術」は、人間の体内から消失してしまうのが物凄く速い。
 よくプロアスリートや一流芸術家が「1日練習をサボったら、取り戻すのに何日かかかる」と口にしているが、「片足で立つ」という非日常的な動きを取り入れている四股にも同じことが言える。
 従って四股は、その目的が「健康維持」ではなく「強くなるため」である場合、
・技術練習の観点からは「技術は継続的な反復練習が要る」という点から
・筋トレ的観点からは「メカニカルストレスがかけられない運動なので、ケミカルストレスで対応する」という点から
たくさん踏むべからざるものである(べからざるもの=「しなければならない」のより強い表現)。

Q5 四股は毎日踏んでいいのか?他の筋トレのように適当に休んで「超回復」を目指すべきでは?
A5 毎日踏んで全く問題ない。疲労が蓄積して実行できない場合は適宜休むべきだが、「毎日やってはいけない理由」は一切存在しない。
 四股はその第一義が技術練習であるため、1回1回の負荷自体がそう強いものではない(運動慣れしていない、あるいは股関節がとてつもなく固い人は別)だからこそ「毎日できる」。
 身体が疲労している際に無理をする必要はないが、「毎日やってはいけない」という論を後押しするものは何一つない。

Q6 四股を踏む際、ダンベルを持つなどして負荷をかけることは有効か?
A6 全然有効ではない。むしろ上達を阻害するので即座にやめること。
 以前弊ブログで「ゴルフ素人オヤジがよくダンベルを振って『スイングを強化する』と息巻いているが、それは間違ったフォームを、重さでさらに間違ったものにするからダメ。技術練習と力をつけるトレーニングはわけるべき」という話をしたが、四股を踏む際にメカニカルな負荷をかけてはいけない理由がまさにこれ。
 四股は「空身で正確に踏む」ことが一番難しい(←これは沖縄拳法空手道首席師範・山城美智先生に教えを受けた際、ワタクシが「型を打つ際に負荷などをかけるべきか?」という愚かすぎる質問をした際、山城先生がおっしゃって下さった回答の丸パクリです)。

Q7 四股によっていわゆる「丹田」が開発されるのか?
A7 全く不明。そういうことは「身体のバランスの中心を、昔の人がそう表現しただけ。五臓六腑の三焦(さんしょ)と同じで、丹田なんかありえない」と主張するワタクシではなく、「月刊秘伝」の愛読者あたりに聞くこと(-_-;)。

Q8 四股が優れたトレーニングなのはわかったが、ではなぜこれまで「相撲関係者が行うだけ」のものだったのか?
A8 平成初年ころまでのいわゆる「スポーツ指導者」の多くが、モノを知らないバカだったから。
 語弊を恐れずはっきり申し上げれば、わが国のスポーツ指導者は永く「根性論を振りかざすバカ」と「毛唐の受け売りだけを話すバカ」しかいなかったため、「ほんとうに役立つこと」の追求が永くなされていなかった。
 平成初年ころまでのスポーツ指導者なるものは、毛唐の国で確立されたトレーニング理論をありがたがっていたが、そのバカたちは、毛唐の国で作られた理論の「被験者」の質を全く斟酌していなかった(毛唐の国で実験をしたのであれば、被験者は当然毛唐。股関節が異様に固く、腱弾性が異様に強く、生活様式も全く異なるあの人種)。
 また、毛唐のトレーニング理論を受け売りすることによって、四股や空手などに存在した、ひとつの運動で「身体も作れる、動きも開発できる」というものを否定し、「筋肉をつけるか、アジリティを作るか」という二者択一を当たり前にしてしまった。
 こいつらの罪は決して軽いものではない。地獄に行って閻魔に舌を抜かれるくらいで丁度いいと思う。

Q9 同じ日本伝武道の柔道は、トレーニング方法として四股を採用していない。これはなぜか。
A9 柔道は純然たる日本伝武道ではなく、日本伝武道の皮をかぶったスポーツだから。
 Q8でも述べたが、質のいい日本伝武道には「身体も作れる、動きも開発できる」という、一見異なる目的を矛盾なく成立させるトレーニング方法が存在する。その代表的なものがいわゆる「型」で、相撲の稽古体系のなかで四股も「型のひとつ」と位置付けられている。その型を練る過程で、螺旋階段上に上達していくのが本物の日本伝武道である。
 しかし柔道には「こういう技をこうかける」という技の体系はあっても「こういう機序を踏めば、螺旋階段上に強くなっていく」という上達の体系が創設時から現在に至るまで、一切存在しない。
 嘉納治五郎は本邦にウェイトトレを初めて紹介した人物としても知られているが、これは「柔道には強くなるための体系がない」というこを自ら認めていたからこそであると、個人的には思っている。

 余談ではあるが、弊ブログで何度も述べている通り、柔道は嘉納先生が日本で初めて作り上げた「競技スポーツ」であり(断言)、今や「JUDO」は、「柔道着を着た、世界最大のジャケットレスリング大会」となっている。
 時おりしもパリ五輪の真っ最中であるが、今般五輪の柔道競技でも多数の誤審が勃発したり、勝利を文字通り「手放し」で、ド派手に喜ぶ外国勢がやり玉に挙がっている。
 そうした一連の行動に対し、日ごろロクに柔道の試合も見ないような輩が「武道精神がない!ウンタラカンタラ」とほざくが、嘉納先生生前の論説を原文で読み倒してきたワタクシは「このディストピアっぽい柔道こそ、嘉納先生が生涯をかけて希求した真の柔道の姿だ!」と断言する。
 死後90年近く経っての「柔道の完成」。嘉納先生も、さぞかし本望であろう(これまた断言)。

Q10 先述した「A or B」ではなく「A and B」を具現化するトレーニングで、他に有名なものはないか。
A10 ケトルベル(ギラ)。昔々、総合格闘技華やかなりしころエメリヤーエンコ・ヒョードルという絶対王者がいたが、その戦法・トレーニング方法ともに「サンボの基本に忠実すぎるほど忠実」であった。むろん、盛んにギラのトレーニングも行っていたと仄聞する。

 以上で四股に関するQ&Aを終了します。ご意見ございましたらいつものように、コメント欄にお願いいたします。



意外?当然?究極の下半身トレ「四股」について考える(その1)

2024-06-11 19:04:28 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 プロアマ問わず、およそ相撲を志す方のなかで「四股を一度も踏んでない」という人は皆無と断じてよいでしょう。
 四股はずっと昔からあらゆる機会をとらえ、数々の有識者が「相撲において四股は、基本であり究極でもあるトレーニング」みたいなことを説いています。
 ワタクシもレスリング修行を開始したとき、師匠に勧められて始めた「トレーニングとしての四股」でしたが、若い頃には様々なトレーニングに目移りしてしまい、本気で四股を踏み始めるようになったのは3年くらい前からとなります。
 これまで、さまざまに「脚のトレーニング」なるものを実施し、スクワットでもそれなりの重量(200キロ×5×●セットとか)を扱えてはいましたが、「下半身が安定した感覚」を得ることは全くと言っていいほど、できていませんでした。
 ところが「きちんとしたやり方」に気を付け、1回1回を丁寧に心掛け、本気で四股を踏み始めたところ、踏み始めてから1か月少々で腰回りの肉付きが明確に変化し、高重量スクワットではほぼ得られなかったいわゆる「腰が据わった状態」になったことに非常に驚くと同時に、これまでワタクシが踏んでいた四股は、「やじろべえの四股」(後述)であり、何の意味もない足の上下運動だったのだ_| ̄|○と、深く反省したのでした。

 そんな四股というすばらしい(と個人的に思う)トレーニングですが、相撲、あるいは「ジャケットを着ない」組技系格闘技では重要視されているものの、それ以外ではかなり軽視、あるいは見向きもされていません。
 その理由はおおむね、下のようなものでしょう。
「1回ごとの負荷が軽すぎて、トレーニング効果がない。脚を鍛えるならバーベルスクワットでもやったほうがいい。」

 これは一見正論のようですが、「四股というトレーニングに込められた真意」に気づけば「かなり粗雑な意見」としか言えません。
 なぜ「スクワットでもした方がマシ」をあえて「粗雑」と表現したかということも踏まえ、今回はそんな「単純だけど難しい」「効果がないようで、実はスゴい」トレーニング・四股の効能について考えることと致しましょう。
(以下、四股の効能などにつき「調査研究したことを箇条書きで並べていく」方式でお話ししていきます。)

【四股で鍛えられるもの① 全身の「つながり」の強化】
 現在はレジスタンストレーニング(巷間「ウェイトトレ」と呼ばれるもの)に親しむ人が増えたため、「フォーカスすべき筋肉を決め、その筋肉だけに可能な限り負荷を与えることができるトレーニング」≒「良いトレーニング」という考え方が人口に膾炙しています。
 そうした「レジスタンストレ」のメガネをかけて四股を眺めますと、全てが「レジスタンストレ」の理屈の真逆を行っています。

 どこの筋肉にフォーカスしようとしているのかわからない、負荷は全然ない(ように見える)、たくさん踏むから時間ばっかりかかって非効率的…

 「四股なんて前近代的な因習だ」と切り捨てる人が、「四股不要」と主張する原因がこれなんですが、よくよく考えますと、一見正論に見えるこの意見は「『レジスタンストレ』というメガネをかけているだけの意見」ということがわかります。
 四股は「レジスタンストレ」というメガネを外した時、初めて見えてくるものがたくさんありますし、なんと驚くことに「レジスタンストレ」の大原則を抑えまくっている点もあります。
 そのうち最大のものは何かといえば…「全身のつながりを強化すること」です。

 骨盤周辺は、二足歩行という、他の生物には見られない歩行形態を司るための様々な筋肉・腱・神経が集中しています。
 「世界一わかりやすい 筋肉のつながり図鑑」(きまたりょう・KADOKAWA)によりますと、骨盤付近は
①内転筋~鼠径部~腸腰筋を「大動脈」とする人体の「前のつながり」
②ハムストリングス~骨盤の中~背骨前面を「大動脈」とする「後ろのつながり」
③頭蓋骨の下~心肺の筋群~いわゆる腸腰筋~内転筋のつながりによって立位を維持する「深層のつながり」
の一大大動脈となっています(ほかにもいろいろありますが、長くなるので省略)。
 
 これら①~③の「つながり」を強化するには、理屈からいえば「上記①~③に関連する筋群を強化すればいい」なのですが、こうした「つながり」を維持するための筋肉、とくに骨盤周りにくっついている筋肉はは体の奥深くにあるうえ、小さく細かいものばかりで、冒頭に掲げたような「フォーカスして、意識して…」という鍛え方が略不可能。

 この「不可能」を可能にするための模範解答が「脚を大きく上げる」という動作です。
 足に強い外旋をかけた状態(いわゆる「腰が割れている」状態、空手でいう四股立ち、レジスタンストレなら「ワイドスクワット」の形)から、更に外旋をかけつつ、ゆっくり足を上げる動作は「つながり」を発動させるために必要な、骨盤付近の細かい筋肉をフル稼働させますので、それら細かい筋肉が強化されることはもちろん、そこに繋がる①~③の筋肉も鍛えることができる…つまり「全身のつながり」自体を強化することができるというわけです。 
 また、この「足を上げる動作」には筋トレの7原則でいう「意識性の原則」…これは「筋トレは鍛えたい部位に意識を集中させないと、効果が得られない」というものですが、まさにその「意識」を股関節に持っていく大変大きな効果があります。
 四股初心者は、(かつてのワタクシの四股のように(;^ω^))全身の重心バランスを取るだけの「やじろべえの四股」しか踏めませんが、熟練者は片足を上げた状態であっても、ビクともしない安定感があります。
 これこそが「股関節に意識性が向いている」何よりの証左であり、四股の効果が具現化したものといえます。
 このように、四股は「全身のつながりを、ごく単純な動作で鍛える」ことができるという点に関して言えば、各種スクワットより何百倍も優れた運動であり、四股のいちばんの凄みは而して、この点にあります。

(「その2」に続きます。)

ひさびさの雑文…若い社会人の皆様へ「この言葉と、それを口走るヤツを信じてはいけません!」というお話

2024-06-05 20:58:25 | 集成・兵隊芸白兵雑記
久々登場です。2月中旬以降、お金にならないお絵かき(でも強制力はアリ(;^_^A.でも別に、ブラックなものではありませんよ!)をず~っとしていたので、雑文すら書く暇がなかったのですが、ようやくスキマ時間が出来たことから、ひさびさの雑文…「何かを調べ尽くした研究発表」じゃないものを記載したいと思います。

 今年四月に新社会人生活を始められた方は、遠く過ぎ去ったGWを思い出し、はたまたまだまだ遠い先にある夏休みのことを考えつつ、憂鬱な気持ちで「祝日のない月・6月」を迎えたのではないでしょうか。
 ワタクシが現在乗っているフネには4月から、驚くほど鈍感力が高く、毎食山盛のメシさえ食べていれば幸せだという、(横に)巨体の新人Tくんが入ってきましたが、このT君のようなキャラクターはイマドキ珍しく、多くの新社会人は慣れない仕事やバカな上司に疲れてヘロヘロになってるんじゃないかと思います。かくいうワタクシも29年前の今頃は、そんな感じでした。
 
 まだまだ若い皆様は、誰のどんな言葉を信じていいのかよく判別がつかず、バカな上司や先輩などの間で苦しんでいることが多いと思います。
 かくいう社会人29年生のワタクシもこれまで、枡で掬って車に積んで売れるくらいのクズ上司・クズ先輩に遭遇してきました。
 そこで今回はワタクシの長い長い社会人経験から帰納された
「この言葉を絶対、額面通りに受け取ってはいけない」
「この言葉を吐く人間を信じてはいけない」
と自信を持ってお教えできる言葉を、若い社会人の皆様にお披露目させていただきたく存じます。

 上記の「信じてはいけない」「額面通りに受け取ってはいけない」言葉は3つあります。

①「●●を見れば、お前の人間性や仕事の仕方が全てわかる」
②「ここで頑張れなければ、お前はどこに行っても通用しない」
③「俺がいろいろ教えてやる」

 まず①について解説します。

 バカは軽々しく「日ごろの生活態度を見れば、お前の仕事の仕方がわかる」とか「日ごろの整頓状況を見れば、お前の人間性が分かる」などと軽々に言います。
 しかしワタクシはこれまで、部屋がとてつもなく汚くても物凄く仕事が出来た人も、整理整頓術はスゴかったのに、仕事は何一つできなかった人もたくさん知っています。
 またワタクシの得意分野である武道・格闘技においては「スパーや試合では鬼のように強いけど、完全な人格破綻者」や「スパーは強くないけど物凄く練習熱心な人格者」といった事例を、それこそ掃いて捨てることができるくらい見てきました。

 それらの事例から帰納しますと、①を吐いていいのは「プロスポーツなど、特定の『狭くて深い』技術だけで成り立つ分野や職業における、そかなりの目利き・腕利きだけ」であり、①の正しい用法としてはその道の目利きだけが「●●を見れば、お前の特定技術の浅深や、特定技術にかかる知識の浅深がわかる」が発するものだけが正解となります。
 
 そんなこともわからないバカがよく、「●●を見れば、お前の人間性や仕事の仕方のすべてがわかる」などと言いますが、これは
「この辺の砂粒を見れば、オレには地球の環境の全てがわかる」
「テレビのニュースを1分見れば、オレには世界情勢の全てがわかる」
と言っているのと同義であり、まともな神経の持ち主であれば、恥ずかしくて口にすることすらできない言葉です。
 ですから①は軽々に人前で吐くべき言葉ではありません。
 ①を軽々に吐く人間は「私はバカです」と公言しているのと同義であり、その良識や洞察力、人間性の全てを疑っていいと断言します。
 ちなみにワタクシの経験上、①を吐く人間のなかで、ほんとうに鋭い洞察力を発揮した人間は皆無で、全員が全員「おまいう」なヤツばかりであったことを附記します。

 続いて②について解説します。

 ワタクシが働く職場はけっこう変わっていまして、一つの会社なのに、本人の希望や適性によって様々な「仕事」ができます。
 ですから、メシ炊きが嫌でたまらなかったという若い衆が、希望して帳簿付け方面や取り締まり方面の達人になったり、船に乗るのが嫌でたまらなかったので飛行機の整備士になって大活躍したり…などという事例をこれまで沢山見てきました。
 逆に、青雲の志を立てて「オレはこの職種に生きるしかないんだ!」と鼻息荒く突っ込んだ職種で「不適」の烙印を押されてスゴスゴ帰ってきた人間も、これまた沢山知っています。

 これは何も弊社の中のみならず、誰もが知るような偉人にも「何もやらせてもダメだったけど、ひとつの『アタリ』で大成した」という方はたくさんいます。
 あの発明王エジソンは小学校を3ケ月で中退し、以後、いわゆる「学校教育」なるものを受けていない(単発・短期のものはあった)のは有名な話ですし、根性と忍耐の冒険家として名高い植村直己氏(1941~1984)は、バイト先では「最高に根性がなく、何もできない人」だったと、当時のバイトの同僚が証言しています。
 要するに人間、何が適合して何が不適合なのかは、なってみなけりゃわからないのです。

 それらを踏まえて「ここで頑張れなければ、お前はどこに行っても通用しない」という発言を振り返ってみますと、もしそれが真理であるなら、エジソンも植村直己氏も「この世に存在してはいけない」はずですが、現実にはそんなことはなく、片方は発明王、片方は世界屈指の冒険家として死後なお勇名をはせています。
 そんな簡単なこともわからないで、軽々しく「ここで頑張れなければ、お前はどこに行っても通用しない」などというのはまさしく、世の中のことを分かっていないバカ以外に吐き得ない発言であり、発言者の人間性を大いに疑っていいものだと断言致します。
 
 ③は個人的な経験則でお話ししますが、③を軽々しく言ってくる人間は
・原則、恩着せがましい。
・「そいつの手垢がついたもの」しか教えてくれない。
・「教える」ことに付随し、もれなく悪口や人格否定がくっついてくる
ということがセットになっていることが、ワタクシ調べで84%ほど確認できています。
 以上を踏まえ、こちらからお願いしたわけでもないのに相手から③を言ってくる場合、大いに警戒した方がいいでしょう。
 ちなみにワタクシの経験上、ほんとうに役立つことを教えてくれる人は、「必要な時に、必要なだけの情報を、さりげなく」教えてくれます。

 以上簡単ではございますが、何らかの人間関係に悩む若い方の救いになれば、大変幸甚に存じます。

新規投稿遅延のお詫びについて

2024-03-24 19:53:35 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 ブログをご覧の皆様、「講道館の黒歴史」完結以後、永く新規投稿を遅延させており、ご迷惑をおかけしておりますm(__)m。

 遅延の大きな要因は、ワタクシのもうひとつの「特技?」である、お絵かきの方で小規模な声掛かりがあり、かれこれ1か月ほど、ずっとお絵かきの方にかかりっきりだったということでございます。
(もったいないので、pixivに全くの別名義で少しだけアップしていますが…たぶんわからないでしょう(;^ω^))

 むろん、ブログ掲載分の方も書き進めておりますが、上記事情により、皆様の目に触れさせることができる原稿に仕上がるまで、少し時間がかかるようになっております。
 
 新規投稿を楽しみにしている方には大変申し訳ございませんが、新規投稿まで今しばらく時間を頂けますよう、ご寛恕をお願い申し上げます。