またまた続きです。
「その2」で紹介した日刊ゲンダイの記事…実はブンヤの仕事とは「社会の出来事を真実をありのまま伝える」というものではなく、「社会の出来事をネタに、自社の意見を取材対象者の口を通じて喋らせる」ことですが…残念ながらゲンダイの記者は、坂原監督の指導理念の確かさと覚悟に完全に圧倒されて質問が完全に後手後手に回っており、自社の理念(ゲンダイの社風から察すればおそらく、「選手には自由にノビノビと活躍させたいです!」みたいなことを言わせたかったと思料)を、坂原監督の口を通じて喋らせることに完全失敗しています。
記者が最後のほうで「昭和の野球ですね…」などと、最後っ屁のような負け惜しみを言っているのが、その何よりの証拠。
つまりゲンダイの記者は、負け惜しみ記事しか書けないかった時点で、既に坂原監督に完敗しているのです。
しかしそのボロ記事は残念ながら、文章を読む力のないバカどもによる、誹謗中傷の格好のネタとなってしまいました。出来の悪い記事を一知半解の知識で読み解く阿呆が多いことは、極めて残念なことです。
そこで本稿ではゲンダイの記事と、それに触発されたバカマスコミ、ネット弁慶の言うことが如何に誤っていて、自らの無知無識をさらしているものかということについてお話ししたいと思います。
まず、テレビでもネットでも最も多数派であった、坂原監督の「文武両道は二流」という片言節句にかみついたバカを斬りましょう。
日刊ゲンダイやテレ東といったクソマスコミもいるいっぽうで、世の中なかなか捨てたものではなく、坂原監督の言葉を正確にくみ取った優秀なマスコミもいます。
「web Sportiva」というスポーツ記事サイトに、「高校野球で人生に誇りを。下関国際・坂原監督が伝えたいこと」(文・井上幸太)という記事があります。リンクはこちら↓
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2018/03/14/___split_1/index.php
この記事にはこう書かれてあります。
「坂原のなかに、指導者として揺るがないひとつの信念がある。『ひとつの物事に集中して取り組む』ことができなければ、大きな目標は達成できないということだ。
『何かひとつの分野を極めようと思ったとき、”片手間”でやっても成功することはできないと思っています。脇目を振らずにひとつのことに打ち込むことは、決して否定されるものではないとも思うんです。』
誤解を招かないように、ひとつ強調しておきたいのが、決して下関国際の選手たちが勉強を放棄しているわけではないということだ。坂原は以下のように続ける。
『僕自身、一教員であり、生徒たちは野球選手である前に一学生です。授業中に居眠りをしたり、課題を提出しないといった姿勢は論外ですし、そういった行動をとった部員は練習に参加させません。でも、学校で授業をきちんと受けるのは学生にとって『当たり前』のことですよね。
『甲子園に行く』と覚悟を決めて、野球を追求する。学校内での授業は他の生徒の模範となるように全力で受ける。ひとつひとつ目の前のやるべきことに取り組むこと。そうやって『ひとつの流れで物事に取り組むことが大切なんだよ』と選手たちによく話しています』」
下関国際は、「その1」でもお話ししましたとおり、勉強に関しては早い段階で挫折脱落、スポーツでも全くろくな戦績を出していない人間が、それでも何かを求めてやってくるところ。そうした部員の教育に関し、同記事ではこう表現されています。
「野球、勉強両方での成功体験が乏しく、自信を持てないまま、下関国際の門を叩く。目一杯野球に打ち込むことで、そうした選手たちにひとつでも誇れるものを持ってほしいという思いもある。」
坂原監督の「文武両道は二流」というちょっと偽悪的な言葉に隠された真意とは「部員に、野球で自己のアイデンティティを形成させる」ということ。
ただしそれを形成するには生半可な趣味的なものでは全くダメ。猛烈な練習と、尋常でない覚悟が必要となる。それを高校野球を通じて教えようというだけのこと。
日刊ゲンダイでは「文武両道は二流」という言葉だけが独り歩きをするような悪意ある書き方をしていましたが、坂原監督は決して「野球さえやっていれば、勉強なんかしなくてもいいし、授業中に居眠りしても、宿題を忘れてもすべてが許される」と言っていない。
ひとつのことを究極まで追求することで、他のことにもそのうち気配り、目配りが届くようになる。それが人間としての底辺を拡大してくれることを坂原監督は誰よりも重要視しており、それを高校野球を通じて教えていることがわかると思います。
ですから「文武両道は二流」という片言節句だけに脊髄反射を起こし、坂原監督に罵詈雑言を投げつけたハンチク漫画家、ドクサレオカマ、そしてネットで悪口を書き込んでいたクソ野郎の批判は、全く的外れであり、坂原監督の言葉の真意のカケラもくみ取っていない愚かな発言であると断じていいと思います。
次回は坂原監督の「練習は半強制。自主的にやるのを待っていたら3年間終わっちゃう」という言葉を悪意に捉え、「自主性を大切にしないのか!」「選手は監督の操り人形じゃない!選手が主役だ!」と言っていたバカどもへの反論を試みたいと思います。
(すみません。本当は前後2回くらいで終わる予定だったのですが、語りたいことが多すぎてどんどん長くなっています。呆れてものが言えなくなった方はお読みにならなくて結構ですので…とりあえずその4に続きますですm(__)m)
「その2」で紹介した日刊ゲンダイの記事…実はブンヤの仕事とは「社会の出来事を真実をありのまま伝える」というものではなく、「社会の出来事をネタに、自社の意見を取材対象者の口を通じて喋らせる」ことですが…残念ながらゲンダイの記者は、坂原監督の指導理念の確かさと覚悟に完全に圧倒されて質問が完全に後手後手に回っており、自社の理念(ゲンダイの社風から察すればおそらく、「選手には自由にノビノビと活躍させたいです!」みたいなことを言わせたかったと思料)を、坂原監督の口を通じて喋らせることに完全失敗しています。
記者が最後のほうで「昭和の野球ですね…」などと、最後っ屁のような負け惜しみを言っているのが、その何よりの証拠。
つまりゲンダイの記者は、負け惜しみ記事しか書けないかった時点で、既に坂原監督に完敗しているのです。
しかしそのボロ記事は残念ながら、文章を読む力のないバカどもによる、誹謗中傷の格好のネタとなってしまいました。出来の悪い記事を一知半解の知識で読み解く阿呆が多いことは、極めて残念なことです。
そこで本稿ではゲンダイの記事と、それに触発されたバカマスコミ、ネット弁慶の言うことが如何に誤っていて、自らの無知無識をさらしているものかということについてお話ししたいと思います。
まず、テレビでもネットでも最も多数派であった、坂原監督の「文武両道は二流」という片言節句にかみついたバカを斬りましょう。
日刊ゲンダイやテレ東といったクソマスコミもいるいっぽうで、世の中なかなか捨てたものではなく、坂原監督の言葉を正確にくみ取った優秀なマスコミもいます。
「web Sportiva」というスポーツ記事サイトに、「高校野球で人生に誇りを。下関国際・坂原監督が伝えたいこと」(文・井上幸太)という記事があります。リンクはこちら↓
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2018/03/14/___split_1/index.php
この記事にはこう書かれてあります。
「坂原のなかに、指導者として揺るがないひとつの信念がある。『ひとつの物事に集中して取り組む』ことができなければ、大きな目標は達成できないということだ。
『何かひとつの分野を極めようと思ったとき、”片手間”でやっても成功することはできないと思っています。脇目を振らずにひとつのことに打ち込むことは、決して否定されるものではないとも思うんです。』
誤解を招かないように、ひとつ強調しておきたいのが、決して下関国際の選手たちが勉強を放棄しているわけではないということだ。坂原は以下のように続ける。
『僕自身、一教員であり、生徒たちは野球選手である前に一学生です。授業中に居眠りをしたり、課題を提出しないといった姿勢は論外ですし、そういった行動をとった部員は練習に参加させません。でも、学校で授業をきちんと受けるのは学生にとって『当たり前』のことですよね。
『甲子園に行く』と覚悟を決めて、野球を追求する。学校内での授業は他の生徒の模範となるように全力で受ける。ひとつひとつ目の前のやるべきことに取り組むこと。そうやって『ひとつの流れで物事に取り組むことが大切なんだよ』と選手たちによく話しています』」
下関国際は、「その1」でもお話ししましたとおり、勉強に関しては早い段階で挫折脱落、スポーツでも全くろくな戦績を出していない人間が、それでも何かを求めてやってくるところ。そうした部員の教育に関し、同記事ではこう表現されています。
「野球、勉強両方での成功体験が乏しく、自信を持てないまま、下関国際の門を叩く。目一杯野球に打ち込むことで、そうした選手たちにひとつでも誇れるものを持ってほしいという思いもある。」
坂原監督の「文武両道は二流」というちょっと偽悪的な言葉に隠された真意とは「部員に、野球で自己のアイデンティティを形成させる」ということ。
ただしそれを形成するには生半可な趣味的なものでは全くダメ。猛烈な練習と、尋常でない覚悟が必要となる。それを高校野球を通じて教えようというだけのこと。
日刊ゲンダイでは「文武両道は二流」という言葉だけが独り歩きをするような悪意ある書き方をしていましたが、坂原監督は決して「野球さえやっていれば、勉強なんかしなくてもいいし、授業中に居眠りしても、宿題を忘れてもすべてが許される」と言っていない。
ひとつのことを究極まで追求することで、他のことにもそのうち気配り、目配りが届くようになる。それが人間としての底辺を拡大してくれることを坂原監督は誰よりも重要視しており、それを高校野球を通じて教えていることがわかると思います。
ですから「文武両道は二流」という片言節句だけに脊髄反射を起こし、坂原監督に罵詈雑言を投げつけたハンチク漫画家、ドクサレオカマ、そしてネットで悪口を書き込んでいたクソ野郎の批判は、全く的外れであり、坂原監督の言葉の真意のカケラもくみ取っていない愚かな発言であると断じていいと思います。
次回は坂原監督の「練習は半強制。自主的にやるのを待っていたら3年間終わっちゃう」という言葉を悪意に捉え、「自主性を大切にしないのか!」「選手は監督の操り人形じゃない!選手が主役だ!」と言っていたバカどもへの反論を試みたいと思います。
(すみません。本当は前後2回くらいで終わる予定だったのですが、語りたいことが多すぎてどんどん長くなっています。呆れてものが言えなくなった方はお読みにならなくて結構ですので…とりあえずその4に続きますですm(__)m)