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集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

山口県発・愛?と復讐の高校野球2018(その3)

2018-09-06 19:28:14 | 周防野球列伝
 またまた続きです。
 「その2」で紹介した日刊ゲンダイの記事…実はブンヤの仕事とは「社会の出来事を真実をありのまま伝える」というものではなく、「社会の出来事をネタに、自社の意見を取材対象者の口を通じて喋らせる」ことですが…残念ながらゲンダイの記者は、坂原監督の指導理念の確かさと覚悟に完全に圧倒されて質問が完全に後手後手に回っており、自社の理念(ゲンダイの社風から察すればおそらく、「選手には自由にノビノビと活躍させたいです!」みたいなことを言わせたかったと思料)を、坂原監督の口を通じて喋らせることに完全失敗しています。
 記者が最後のほうで「昭和の野球ですね…」などと、最後っ屁のような負け惜しみを言っているのが、その何よりの証拠。
 つまりゲンダイの記者は、負け惜しみ記事しか書けないかった時点で、既に坂原監督に完敗しているのです。
 しかしそのボロ記事は残念ながら、文章を読む力のないバカどもによる、誹謗中傷の格好のネタとなってしまいました。出来の悪い記事を一知半解の知識で読み解く阿呆が多いことは、極めて残念なことです。

 そこで本稿ではゲンダイの記事と、それに触発されたバカマスコミ、ネット弁慶の言うことが如何に誤っていて、自らの無知無識をさらしているものかということについてお話ししたいと思います。

 まず、テレビでもネットでも最も多数派であった、坂原監督の「文武両道は二流」という片言節句にかみついたバカを斬りましょう。

 日刊ゲンダイやテレ東といったクソマスコミもいるいっぽうで、世の中なかなか捨てたものではなく、坂原監督の言葉を正確にくみ取った優秀なマスコミもいます。
「web Sportiva」というスポーツ記事サイトに、「高校野球で人生に誇りを。下関国際・坂原監督が伝えたいこと」(文・井上幸太)という記事があります。リンクはこちら↓
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2018/03/14/___split_1/index.php

 この記事にはこう書かれてあります。
「坂原のなかに、指導者として揺るがないひとつの信念がある。『ひとつの物事に集中して取り組む』ことができなければ、大きな目標は達成できないということだ。
『何かひとつの分野を極めようと思ったとき、”片手間”でやっても成功することはできないと思っています。脇目を振らずにひとつのことに打ち込むことは、決して否定されるものではないとも思うんです。』
 誤解を招かないように、ひとつ強調しておきたいのが、決して下関国際の選手たちが勉強を放棄しているわけではないということだ。坂原は以下のように続ける。
『僕自身、一教員であり、生徒たちは野球選手である前に一学生です。授業中に居眠りをしたり、課題を提出しないといった姿勢は論外ですし、そういった行動をとった部員は練習に参加させません。でも、学校で授業をきちんと受けるのは学生にとって『当たり前』のことですよね。
『甲子園に行く』と覚悟を決めて、野球を追求する。学校内での授業は他の生徒の模範となるように全力で受ける。ひとつひとつ目の前のやるべきことに取り組むこと。そうやって『ひとつの流れで物事に取り組むことが大切なんだよ』と選手たちによく話しています』」

 下関国際は、「その1」でもお話ししましたとおり、勉強に関しては早い段階で挫折脱落、スポーツでも全くろくな戦績を出していない人間が、それでも何かを求めてやってくるところ。そうした部員の教育に関し、同記事ではこう表現されています。
「野球、勉強両方での成功体験が乏しく、自信を持てないまま、下関国際の門を叩く。目一杯野球に打ち込むことで、そうした選手たちにひとつでも誇れるものを持ってほしいという思いもある。」
 坂原監督の「文武両道は二流」というちょっと偽悪的な言葉に隠された真意とは「部員に、野球で自己のアイデンティティを形成させる」ということ。
 ただしそれを形成するには生半可な趣味的なものでは全くダメ。猛烈な練習と、尋常でない覚悟が必要となる。それを高校野球を通じて教えようというだけのこと。
 日刊ゲンダイでは「文武両道は二流」という言葉だけが独り歩きをするような悪意ある書き方をしていましたが、坂原監督は決して「野球さえやっていれば、勉強なんかしなくてもいいし、授業中に居眠りしても、宿題を忘れてもすべてが許される」と言っていない。
 ひとつのことを究極まで追求することで、他のことにもそのうち気配り、目配りが届くようになる。それが人間としての底辺を拡大してくれることを坂原監督は誰よりも重要視しており、それを高校野球を通じて教えていることがわかると思います。

 ですから「文武両道は二流」という片言節句だけに脊髄反射を起こし、坂原監督に罵詈雑言を投げつけたハンチク漫画家、ドクサレオカマ、そしてネットで悪口を書き込んでいたクソ野郎の批判は、全く的外れであり、坂原監督の言葉の真意のカケラもくみ取っていない愚かな発言であると断じていいと思います。

 次回は坂原監督の「練習は半強制。自主的にやるのを待っていたら3年間終わっちゃう」という言葉を悪意に捉え、「自主性を大切にしないのか!」「選手は監督の操り人形じゃない!選手が主役だ!」と言っていたバカどもへの反論を試みたいと思います。

(すみません。本当は前後2回くらいで終わる予定だったのですが、語りたいことが多すぎてどんどん長くなっています。呆れてものが言えなくなった方はお読みにならなくて結構ですので…とりあえずその4に続きますですm(__)m)


山口県発・愛?と復讐の高校野球2018(その2)

2018-09-05 12:48:26 | 周防野球列伝
 日刊ゲンダイが掲載した坂原監督のインタビュー記事のタイトルは「『文武両道あり得ない』下関国際・坂原監督が野球論語る」。
 この中で坂原監督は、このようなことを語っておられました。少々長くなりますが、引用します。

          ・・・・・・・(以下、平成29年8月12日付日刊ゲンダイ記事引用)・・・・・・・・

【記者】朝5時から練習するそうですが、選手が自主的に?
【監督】「半強制です。自主的にやるまで待っていたら3年間終わっちゃう。練習が終わって学校を出るのは21時くらい。本当に遅いときは23時くらいまでやることもあります。毎日ではないけど、長期休みの時期とか。遠征に行っても、大広間で生徒はみんな同じ空間にいるけど、やっていることはバラバラ。練習でもそうです。今の子は連帯感が希薄なんですよね。少しでもそういうのを大事にしていかないと、うちのような弱いチームは他に勝てない。進学校さんはそういうやり方が嫌いだと思いますけど」
【記者】確かに、自主性をうたう進学校は増えています。
【監督】「そういう学校には、絶対負けたくない。実は東筑(福岡の進学校で今大会に出場)さんとは(現監督の)青野さんの前任者のときに1回、合同練習をしたことがあるんですけど、うちの練習を見た(東筑の)選手から『やってて意味がない』と(下関国際の選手が)言われたんです。(下関国際のように)きついことはしていない。賢い子も『意味がない』と、すぐに言うでしょ? 今回の県大会で宇部(初戦)と下関西(2回戦)と、進学校に当たったので、普段練習してないだろうと思って、思いっきり長い野球をやっちゃろうと。ボールも長い時間こねて、牽制もバンバン投げて。七回になったら向こうもヘトヘトでした。僕ね、『文武両道』って言葉が大嫌いなんですよね。あり得ない」
【記者】野球と勉学の両立は無理と?
【監督】「無理です。『一流』というのは『一つの流れ』。例えば野球ひとつに集中してやるということ。文武両道って響きはいいですけど、絶対逃げてますからね。東大を目指す子が2時間の勉強で受かるのか。10時間勉強しても足りないのに」
【記者】文武両道は二流だと?
【監督】「そういうことです。勉強しているときは『いや、僕野球やってますから』となるし、野球やっていたら『勉強が……』となる。“練習2時間で甲子園”って。2時間って試合時間より短い。長くやればいいってことではないけど、うちは1日1000本バットを振っている。1001本目で何か掴むかもしれない。なのに、時間で区切ってしまったら……。野球って自力のスポーツで、サッカーやバスケみたいな時間のスポーツじゃない。100点取ろうが、3アウト取らないと終わらない。2時間練習して終わりじゃあ、掴めるわけがないんです。スポーツ庁が(部活動の休養日や時間の制度化を検討し)練習を何時間以内にしようと言っているでしょ? あんなんやられたらうちみたいな学校は、もう甲子園に出られない」
【記者】選手に任せることはしない?
【監督】「自主性というのは指導者の逃げ。『やらされている選手がかわいそう』とか言われますけど、意味が分からない。」
【記者】昭和の野球ですね。
【監督】「他校の監督さんは『楽しい野球』と言うけど、嘘ばっかり。楽しいわけがない。僕は現役のとき、日々の練習で野球が楽しいと思ったことはなかった。『楽しく』という餌をまかないと(選手が)来ないような学校はちょっと違う」
                    ・・・・・・・(引用終わり)・・・・・

 はっきり言いましてこのインタビュー記事はかなりの悪意を持って書かれているのですが…記事の発表直後、ネットを中心に坂原監督の指導方法に関し、轟々たる議論が巻き起こります。
 ネット界隈での賛否はほぼ半々で、高校野球や山口県の内情に詳しい人ほど親坂原派が多く、逆に「ヤフー知恵袋」などのように、ドシロウトが集まりやすいメジャーどころに行くに従って反坂原派が多くなっていく傾向がありました。まあ、この辺はほぼ予想通りです。

 ただ、ひどかったのはバカマスコミやエセ有識者ども。
 テレビでは記事発表直後の8月14日、テレビ東京が放映した「バラいろダンディ」という番組が、上記記事の発言を都合のいいように切り取り、地上波で堂々と放送しやがったのです。
 ユーチューブにその番組が現存しているので、ぜひ見て下さい。
(リンク先 https://www.youtube.com/watch?v=tjS1IKEl3GU&t=118s)
 この番組内ではまず、倉田真由美というババアのハンチク漫画家が、こんなことを言っています。
「もし自分の息子の部活の先生がこういうことを言ったら、ちょっと待ってくださいよって言いたくなりますね」
「将来があるから。子供達には。」
そして、ド腐れオカマ・カルーセル真紀がこんなことまで言っています。
「(「文武両道は二流」という言葉だけを見て)言い過ぎですよね。二流だとかさ。学校の先生でしょ?先生がこんなこと言って。馬鹿野郎ですよ。(中略)だってさ、運動選手はみんな馬鹿かってことになるじゃない。」
 しかもこの腐れ番組では、「下関国際は、三本松に負けました。ザマアww」みたいな終わり方をし、坂原監督の人格を公共の電波を使って散々貶めた挙句、下関国際の敗戦をみんなで祝うといった、とんでもない終わり方をしていました。もはやこれは、相手が反撃できないことを見越して行った、公共の電波を利用したリンチと言っても過言ではなく、絶対に許されない行為です。
 
 ネットでも、日刊ゲンダイの記事に脊髄反射を起こしたバカが、こんな罵詈雑言を監督に投げつけています。
 「ヤフー知恵袋」をはじめ、各種の掲示板等における雑言をいくつか取り上げてみましょう。
・時代に遅れた化石脳筋の戯言です
・大体、監督の現役時代なんて何の科学的根拠もなく根性論ゴリ押しでやってたような時代でしょう?
「俺たちの頃はこうだった。」では一生変わることはできないのでは?
あと、その監督の言った「文武両道ありえない」はできない人の言い訳。
・賛否あるけど俺は嫌いだなぁ、部員はあんたのコマか!って言いたくなる。主役はあんたじゃないだろ
・下関国際って高校にはまともな生徒がいなかったんだろうなとは思う。だから監督も程度が低い発言しかしない
・下関国際の野球部監督キチガイだろww携帯解約だの、部費徴収だの、文武両道は無理だの、猿かww誰かここぶちのめしたれ

 次回からは、テレビ番組のハンチク漫画家とクサレオカマ、そしてネットで坂原監督を叩いていたバカどもの批判の言葉が、どれだけ現実離れしたおとぎ話であり、自分たちの無知無識をさらした発言であるかということを見てみたいと思います。
(…余談ですがこの議論が巻き起こったころ、坂原監督を批判した皆さんは生きてますか???息をしてますか????( ´艸`))

山口県発!愛?と復讐の高校野球2018(その1)

2018-09-03 21:54:56 | 周防野球列伝
 8月21日、第100回記念全国高等学校野球選手権大会は決勝戦が行われ、北大阪代表・大阪桐蔭が下馬評通りの強さを発揮して史上初となる2回目の春夏連覇を達成。新調された3代目の優勝旗を手にした、初めてのチームとなりました。
 このほか、金足農業の準優勝とエース吉田君の縦横無尽の活躍や、済美の逆転満塁サヨナラホームランなど、100回大会にふさわしい、話題と実りの多い大会となりました。いち高校野球ファンとしては、大変うれしく思っております。

 またこの大会、わが郷土山口県からは下関国際高校が2年連続2回目(春センバツも合わせると3期連続)の出場、山口県勢13年ぶりとなるベスト8進出を果たしました。

 坂原秀尚監督は「弱者が強者に勝つ」をモットーに、花巻東(岩手)、創志学園(岡山)、木更津総合(東千葉)といった全国区の強豪を、全盛時の広島商業もかくやというスモールベースボールを駆使して次々に撃破。準々決勝で惜しくも日大三(西東京)に敗れたものの、鶴田投手の好投により7回まで相手をノーヒットに抑え込みつつ、2-0とリードして一時は「ベスト4もあるのか???」と期待させるなど、予想以上の大健闘を見せてくれました。
 ワタクシは、現代高校野球で流行っている「身体能力に優れたガキを全国津々浦々からスカウトし、ウェイトと大食で体を馬鹿デカくし、金属バットを思い切り振り回させ(俗に言う「マン振り」というやつ)、長打を打つことで点を取る」という風潮を、常々苦々しく思っていました。
 そうした大味な野球を看過した結果、現在は甲子園レベルの学校の中ですら、バントはヘタクソ、投内連携はできない、後ろに逸らしたときのカバーリングができないなどというところが増えており、ワタクシは常々心を痛めていました。
 しかしわが山口県代表、しかも大した注目選手もいない地味な学校が、そうした「マン振り学校」を、現代版のスモールベースボールを駆使して勝った!そして何といっても、昨年下関国際が甲子園に初出場した際、坂原監督の指導方針や野球哲学に対し、マスコミが悪意を持って巻き起こした誹謗中傷を、見事に実力で跳ね返した!…もう本当に掛け値なし、我がことのようにうれしかったですね。

 さて、そんな快挙を成し遂げた下関国際高校ですが…山口県にお住まいの方、あるいは山口県に御縁のある方はご存じと思いますが、同校は10年くらい前まで「下関地区一のバカ学校」として大変著名でした。いや、山口県全体を通じても1、2を争うバカ学校であったかもしれません。
 生徒のレベルはと言いますと、「九九が3の段以降言えない」「犬って英語で『グッド』だったっけ?と聞いたヤツがいる」「国際では、授業に出ているだけで充分優等生」「なぜか生徒の3割が自動車通学している」というもの。
 こんなうわさ話が、下関から100キロ以上離れている柳井市に住んでいても伝わって来て、ワタクシが知っていたくらいですから、その程度がご理解いただけると思います。
 野球部も当然、校風を正確に反映?したゴミのような野球部。暴力沙汰に集団万引きなどで幾度も出場停止を食らっているという、リアル「スクール☆ウォーズ」の世界(-_-;)(-_-;)。
 部長教諭や監督は早々に逃亡、爺さん校長がたまにノックをしてやる程度という、部活の体すらなしていない、そんな野球部でした。
 本稿をお読みになる皆様におかれましては、まずもって、坂原監督が就任する以前の上記状況を念頭に置いて頂きたいと思います。
 そうしないと坂原監督が通った道のりが如何に苦難のものであったか、そして、爾後に申し上げるバカ芸能人、バカマスコミ、ネットにいるバカの監督批判が如何に的外れなものであるかが、わからなくなります。

 平成17年、そんな下関国際のごく直近にある東亜大学という私学に、教職免許を取るため編入してきた28歳の青年こそ、こののち下関国際の救世主になる坂原秀尚氏その人でありました。
 地元・下関出身、広島国際学院大学を経て広島の社会人チーム・ワイテック(現在は廃部)でプレーしていたバリバリの野球人であった坂原氏は下関国際校長に「自分に手伝えることがあれば」と手紙で直訴。その熱意が買われ、下関国際高校野球部監督になったのは平成17年のこと。
 そこから爾後12年をかけ、ゴミクズのような野球部を甲子園で勝てるチームにまで成長させたのですが、その軌跡は恐ろしいほどの苦難に満ち満ちていました。本来はここでその苦難を具体的に取り上げたいところではありますが、これに関してはネットや新聞記事の方が詳しいので、ここでは省略します。

 苦労のかいあって昨年(平成29年)夏、下関国際は県内の私学ライバル・宇部鴻城を破り、ついに悲願の甲子園初出場を果たしました…が、初戦の三本松(香川)戦を翌日に控えた8月12日、日刊ゲンダイが発表した坂原監督のインタビュー記事が、轟々たる議論を巻き起こします。
 ↓リンクを貼っておきますので、興味ある方は、第2回を読む前にご覧になって頂ければ幸甚に存じます。

 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/211366

(第1回おわり)


岩国の隠れた?忘れられた名将と黒獅子旗(その9)

2018-07-13 21:06:42 | 周防野球列伝
 0-0のまま試合は後半戦、6回表の大昭和の攻撃から始まります。

 6回表の大昭和製紙は5番徳丸幸助のタイムリーでまず1点を先制、均衡を破ると、続く6番北川桂太郎が三塁打をかっとばして2点目を奪取。さらに8番の板倉正男が続いて3点を奪取して一気に流れを呼びこみますが…なぜか「青春」では6回表の大昭和の攻撃のことについて、何も触れられていません。「青春」において、大昭和に反撃された話はいきなり、7回表から始まっています。
 6回表にこれだけパカスカ打たれて点を取られたのに、その回の描写が全くない…おそらくその理由は、試合の最終的な帰趨を決することになってしまった7回表の自らのミスが、あまりにも克明に記憶されてしまったいたからではないか、と、筆者は愚考しています。

 7回表の大昭和製紙の攻撃は打順良く、3番荒川宗一から。早大のスター選手であり、2大会前の優勝に貢献した強力打者です。
 死力を振り絞って投げる狂介の5球目のボール球を、荒川は打ち損じ、高いフライを打ちあげました。これでワンアウト…と思ったその刹那、落下して来たタマはショート松山とセンター清水の真ん中にポトっと落ちる、大昭和にとってはラッキーな、専売にとってはアンラッキーなテキサスヒットとなり、ノーアウトのランナーが出ます。
 「明らかに落胆した表情の狂介を見ながら、まずいな、と私はおもった。慣れぬナイターだから、高いフライが照明の上に抜けたとき、見失うこともある。しかし、なにも助っ人ふたりの間に落ちなくてもいい。」(「青春」より)
 次打者は、恐怖の四番・石井藤吉郎。ここで岡村さんは、石井の強打を警戒しすぎるあまり、初球、荒川の二盗を許してしまいます。
「一球はずして、冷静に、相手の様子を見るべきだったのだ。仲間のチョンボを消してやる絶好の機会を逃したうえに、私はチョンボを上乗せしてしまったのである。」(「青春」より)
 専売投手・狂介は、仲間のエラーなどが重なり、その疲労が極限に達しつつありました。
 コントロールを完全に乱した狂介は石井に四球を与え、ノーアウト1、2塁となったところで、タイムがかかり、宮武監督がゆっくり、ベンチを出ます。
 …そして、後楽園球場はこの日一番、そしてこの26回大会の中でも、屈指の大歓声が沸き上がるのです。

 「ざわめいていた球場に静寂がひろがった。その巨体が明るいフィールドに現れたとき、観客はおもわず身をのりだしたにちがいない。唾をのみこんだにちがいない…そうさせる圧倒的な威圧感が、あるいはたぐい稀な華が、宮武監督のユニフォーム姿にはあった。」(「青春」より)
 観客の誰かが「宮武三郎だ!」と口走ったのをきっかけに、どよめきが津波のように球場全体を覆い、「ミヤタケー!!!!」という大声があちこちからかかり、それはひとつの大きな歓声の津波となって、狭い後楽園球場を覆いつくしました。
 かつて慶大、社会人の東京倶楽部、職業野球の阪急軍と、常にスタープレーヤーだった宮武監督のユニホーム姿は、現役時代と違って太ってしまった(←失礼!)状態でしたが、そのオーラは間違いなく四周を圧する、光り輝くものがありました。
 岡村さんが「青春」を書いたのは、実にこの宮武三郎登場のシーンを描きたかったからであり、このシーンは間違いなく、本作のエポックとなりますので、ちょっと長くなりますが、同著からそのシーンを引き続き引用します。
 「大歓声の中で宮武監督は小走りになった。突き出した腹の下にベルトを締め、ユッサユッサと巨体を揺るがして、凄まじい拍手のうねりの中、ちょっと帽子のひさしに手をやって声援にこたえ、しろい歯を見せ、はにかんだ笑顔を見せた。それを私はじっと見ていた。おそらく過去の名声と伝説の中からの、戦後初の大観衆の前での登場だったのだろう。」(「青春」より)

 宮武監督はマウンドに赴くと破顔一笑、狂介を「よく投げた!」とねぎらいます。投手交代です。
「人は器量に応じた笑顔しかできないというが、ほんとうに素晴らしい笑顔だった。まさに破顔一笑である。」(「青春」より)
 狂介のあとを受けたのはサウスポーの池上善郎。池上がマウンドに到着するまで、宮武監督は無言のまま、その場の空気を、大観衆の息吹を楽しんでいるように見えたそうです。
 宮武監督の戦前の野球人生は常に大観衆と共にあったのですが…先述の通り、戦後ではここが初めて…そのとき宮武監督がどんな感慨を持っていたのか、それは本当に、うかがい知れません。

 投手交代は間もなく完了し、マウンドには池上が仁王立ちします。

 サウスポー池上は長い休養の成果もあって球威抜群。5番徳丸をあっという間に打ち取ります。岡村さんは「ツーアウトにこぎつけた」(「青春」より)と書いていますが、この回は3番荒川から始まっていますので、この記載は誤っています。徳丸を打ち取った時点で、大昭和は1死1、2塁。未だ追加点のチャンス。
 ここで打席に立ったのは、6番ショート北川桂太郎。
 北川は試合によって打てる、打てないのムラがあるものの、調子付けば恐ろしい打力を発揮する強打者で、2大会前、大昭和が黒獅子旗を獲得した際には、決勝戦で優勝を決定づける三塁打を放っています。
「(北川は)要注意のマークつきだった。『大昭和』でひとり異色の存在、と『専売』のコーチ兼マネージャーはいった。
『大学卒のスター集団の中で、ひとりプロ野球からの転身組だ。ヤツがどんな気持ちでいるかわかるだろう。気をつけろ。遠慮会釈なく打ってくる』」(「青春」より)

 北川は大正14年生まれでこのとき30歳。旧制島田商業を卒業後、終戦とともにプロ野球に身を投じ、セネタース・西鉄・毎日を投手として渡り歩くも芽が出ず、昭和27年度いっぱいをもって大昭和に転身していました。
(その後昭和31年に高橋ユニオンズで打者としてプロに復帰しますが、貧打にあえぎ、同年限りで引退しています。没年不詳。)
 
 ストレートで押したい池上に対し、岡村さんはインドロ(今でいうタテのカーブ)を主張します。何度か池上に首を振られましたが結局押しきり、インドロで勝負に出たところ…!
 「私の背筋に戦慄がはしった。なんと待ち構える北川の間合いがドンピシャリだったのである。私は大声をだした。」(「青春」より)
 快音を残してボールは高く飛び、左中間深くに飛び込む大会第8号のスリーランホームラン。
 なんとこの日、北川は一人で5打点、本塁打と三塁打をそれぞれ1本ずつ叩き出しており…専売マネージャーの「要注意のマーク」は不吉にも大当たりだったわけです。

 7回裏、専売は3番小沢のヒットでなんとか1点を返しますが、大昭和は9回表にもダメ押しの1点を入れ、結局7-1で大昭和が下馬評通り、圧勝といっていいスコアで勝利を収めました。
 大昭和は10安打で7打点、失策なし、三振はわずかに3つ。対する専売千葉は6安打1打点、失策1、奪われた三振実に12…完敗、です。

 こうして岡村さんの、「狂介」の、池上の、専売みんなの、そして宮武監督の思いを乗せた2時間21分の激闘は、幕を下ろしたのでした。


【参考文献】
「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人のわたし」大島遼(岡村寿) 防長新聞社
「都市対抗野球六十年史」日本野球連盟 毎日新聞
「消えた球団 高橋ユニオンズ1954~1956」野球雲編集部 ビジネス社
HP「都市と企業とベースボール~ノンプロジェクトX社」


岩国の隠れた?忘れられた名将と黒獅子旗(その8)

2018-07-12 16:19:31 | 周防野球列伝
 ものすご~く久々の、「黒獅子旗」シリーズです!
 3月から中断していたこのシリーズを再開した理由は…13日から、第89回都市対抗野球が始まることを思い出したからです(;^ω^)。
 「黒獅子旗シリーズ?何それ?よくわからん!でも読んでみたい」というご奇特な方は、ブログ左方のカテゴリーのうち「周防野球列伝」をクリックしてみて下さい。
 岩国の生んだ名将・岡村寿さんと、その畢生の名著「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人の私」へのゆがんだ愛溢れる?文章が羅列されておりますので…(;^ω^)。では、ひさびさの本編スタートです!

 昭和30年8月3日の後楽園球場。
「夜の後楽園球場のフィールドは明るかった。
 夜空をななめに断ちきるように幾条もの照明がのびてきて、マウンド周辺はまるで総天然色映画のように色あざやかだった。観客を呑みこんだ巨大なスタンドは不気味にふくれて、こちらは白黒映画のようにぼんやりと見えた。」(「青春」より)
 そのマウンドに立っていたのは、「都市対抗野球60年史」では、専売千葉のエース小宮圭三郎となっており、当然こちらが事実なのですが…本稿では、ネタ元の「青春・神宮崩れ異聞」にリスペクトを捧げる観点及び、あとは単純に面白さを優先する観点から(-_-;)、「専売の先発は『狂介』」のままで、試合の経過をお話ししたいと思います。

 「狂介」がアンダースローから繰り出す剛速球は、試合開始と同時に、全開のパワーで大昭和製紙打線に襲い掛かります。
 「プレイボールの宣告と同時に、狂介は第一球を投げ込んできた。ドマンナカへ、うなりをあげて、凄い球がきた。サインも見ずに狂介は二球目のモーションを起こし、試合開始のサイレンが鳴り終わらないうちに、二球目が吹きあがってきた。」(「青春」より)
 まだまだ国民的人気行事だったころの東京六大学野球・早稲田のスター選手をそろえた大昭和製紙打線も、雄叫びを挙げて噛みついてくる昇龍の如き剛速球に手を焼き、なかなか得点をたたき出すことができません。
 ただ、大昭和のエース山本投手も好投。この大会、大昭和製紙は3位(当時の都市対抗には、3位決定戦があった)を勝ち取っていますが、3位決定戦までの5試合のうち、4試合で先発を務めた百戦錬磨の好投手は、ポっと出の専売打線に、そう簡単に付け入るスキを与えてくれません。

 スコアボードには両軍、ゼロがズラズラと並び続けます。

 一塁側に陣取った大昭和の応援団は、そして、「大昭和の圧勝ショー」を楽しみに見に来た観客は、信じられないといった面持ちでした。
「『大昭和製紙』の応援団の前を通るのは気分がよかった。かれらは信じられない思いで、ゼロがきれいにならぶスコアボードを眺めているはずだった。」(「青春」より)
 …あの徳丸幸助が、荒川宗一が、石井藤吉郎が、北川桂太郎がいる強力打線が…2年前、全鐘紡を打ち砕いたあの打線が点を取れない…なぜ…
 その一方で、岡村さんは「ナニか」に一矢報いたという気持ちでいっぱいでした。早大野球部を辞めてからなめて来た苦渋の報復?を、狂介とともに、この一戦に思いっきりぶつけていました。
「いったいこのピッチャーは誰だ。かれらはメンバー表を見て、狂介の出身校が、名前を見たこともない野球の無名校であることを知るだろう。もっと注意深く見る人は、キャッチャーも同じ高校卒なのに気づくだろう。いったいこの周防岩国とはどこに在るんだ?」(「青春」より)
 岡村さんは5回表、大昭和の二盗を矢のような送球で刺し、狂介を掩護します。

 戦況は完全に膠着し、両軍の応援団、特に、専売千葉応援団のボルテージは最高潮に達していました。
 野球はイマイチでも、会社は国営企業。大勢の社員を動員し、声を限りに、善戦を続ける野球部を応援します。
 宮武監督はベンチの中央に陣取り、片足をグラウンドに上げ、実にキマった姿で戦況を見守り続けます。
「私は祈る神がいれば、祈りたかった。なんでもさしあげます、と私はいった。もしジプシー・ローズが私のカノジョなら、さしあげます。『ミス専売』でもいいです、さしあげます。『ミスピース』でもいいです。裸にむくなりなんなりと好きなようにしてください。」(「青春」より)
 岡村さんの祈りは果たして通じるのか。回は中盤5回を終了し、0-0、両軍無得点のまま、折り返し地点を迎えます。



【第8回参考文献】
「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人の私」(大島遼(岡村寿)・防長新聞社)
「都市対抗野球六十年史」毎日新聞社