前回の続きです。
「立ち関節技による相手の制圧」における最大の落とし穴…実はそのアンサーは、その1の冒頭に掲げた「どうあがいても、人間の生理に反することなのでムリ」という話につながってくるわけです(;^ω^)。
人間の関節は原則、蝶番のような動きだけではなく、いくばくかの回転運動もできるようになっています。
立ち関節技を主軸とする格闘技では、当然と言えば当然ですが、技をかける関節は手首・肘の両関節となります。
ここでは肘関節を例に挙げますが、肘は蝶番のような動きを伴う伸展・屈曲以外にも、前腕部が回転することに伴う回内・回外の動作も司っています。
(この回内・回外運動は「肘関節の動きの一部」として取り上げるものと、「橈尺関節の運動」として別途取り上げるものもあります(;^ω^)が、本稿では肘関節運動の一部としてお話を続けます。)
ですから、肘関節を「蝶番を逆さにへし曲げるように」施術したとしても、ちょっと前腕を回内あるいは回外させることで、容易にその応力を分散させ、施術を不可能とすることができますし、また、肘の上方には人体でも数少ないボールジョイント(球状関節)である肩が存在します。いくら肘に圧をかけても、肩がその衝撃を吸収してしまう方向に施術すると、施術の労はすべてムダになる…そういうことが容易に発生するのです。
(肘関節技は原則、施術点が肩関節より頭方であった場合、ほぼ無効となります。)
肘関節のみならず、手首も全く同じ…というか、手首の方が的が小さく、また、可動域もひろいぶん、手首関節を極めようとすれば、肘以上の困難を極めることは間違いありません。
ことほど左様に、3Dの動きをする関節を、3D状態のまま捉え、極めるというのは困難なのです。
プロレスの神の異名を取り、セメントでもメチャクチャ強かったとされるカール・ゴッチの格言にこんなのがありました。「牛も倒さねば料理できぬ」。
これは関節技というものの真理をピタリと言い当てた名言です。
関節技を極めようと思えば、立位で関節が3D状態で可動する状態で極めきられるものではない。正確に極めたければグランドに持ち込み、相手の関節可動域を可能な限り2Dに近づける。これによって関節の可動域が立位より制限され、技が極まり易くなる。そういうことです。
ここまで話せば諸賢にはもうおわかりでしょう。
極めるまでに困難を極め、しかも所要時間が半端ではなくかかる立ち関節技を使用して相手を完全に制することは、「スピード第一」「確率論第一、効率論第二」を旨とする「実戦必勝原則」から、明らかにかけはなれているのです。
例えていえば、立ち関節で実戦を勝ち抜こうというのは、その1の冒頭お話しした「水を飲まない兵隊」「寝ない兵隊」と同レベルの「人体の生理に反する行為」であり、事実上不可能なのです。
だからこそ、「立ち関節技による制圧を目指した格闘技」は、いつも出ては消え、出ては消えするばかりで、ひとつの大きな技術体系として確立しえなかったのです。
先代はそうしたことをいち早く察知し「立ち関節は、掛けるに難しく逃げるに容易。そんなものをわざわざ使用して制圧を試みるのは時間のムダであり、相手の反撃を容易にするだけ!どうしても極めたければ、とりあえず倒してから!」と、熟慮の末、そう結論付けたのではないでしょうか。
(「実戦!芦原カラテ3」の本には護身として関節系の技が掲載されているので、先代が関節を研究していたことは明らかです。しかし、これらはあくまでも「打撃を食らわせる前段階の崩し」としての関節技であり、「極めきって制圧する」性質の技として紹介されているわけではありません。)
…なんだかサバキの話というより、立ち関節技の効果に関する小論文みたいになっちゃって申し訳ないのですが、関節技の何たるかもわからないまま、単なる見た目だけで「芦原のサバキは合気道の影響」だの、「サバキは少林寺の影響」だのおっしゃられる方は是非一度、関節技というものの本質と意義を再点検してから発言して頂きたいものだ、と、本稿を記しながら感じた次第でございます。
「立ち関節技による相手の制圧」における最大の落とし穴…実はそのアンサーは、その1の冒頭に掲げた「どうあがいても、人間の生理に反することなのでムリ」という話につながってくるわけです(;^ω^)。
人間の関節は原則、蝶番のような動きだけではなく、いくばくかの回転運動もできるようになっています。
立ち関節技を主軸とする格闘技では、当然と言えば当然ですが、技をかける関節は手首・肘の両関節となります。
ここでは肘関節を例に挙げますが、肘は蝶番のような動きを伴う伸展・屈曲以外にも、前腕部が回転することに伴う回内・回外の動作も司っています。
(この回内・回外運動は「肘関節の動きの一部」として取り上げるものと、「橈尺関節の運動」として別途取り上げるものもあります(;^ω^)が、本稿では肘関節運動の一部としてお話を続けます。)
ですから、肘関節を「蝶番を逆さにへし曲げるように」施術したとしても、ちょっと前腕を回内あるいは回外させることで、容易にその応力を分散させ、施術を不可能とすることができますし、また、肘の上方には人体でも数少ないボールジョイント(球状関節)である肩が存在します。いくら肘に圧をかけても、肩がその衝撃を吸収してしまう方向に施術すると、施術の労はすべてムダになる…そういうことが容易に発生するのです。
(肘関節技は原則、施術点が肩関節より頭方であった場合、ほぼ無効となります。)
肘関節のみならず、手首も全く同じ…というか、手首の方が的が小さく、また、可動域もひろいぶん、手首関節を極めようとすれば、肘以上の困難を極めることは間違いありません。
ことほど左様に、3Dの動きをする関節を、3D状態のまま捉え、極めるというのは困難なのです。
プロレスの神の異名を取り、セメントでもメチャクチャ強かったとされるカール・ゴッチの格言にこんなのがありました。「牛も倒さねば料理できぬ」。
これは関節技というものの真理をピタリと言い当てた名言です。
関節技を極めようと思えば、立位で関節が3D状態で可動する状態で極めきられるものではない。正確に極めたければグランドに持ち込み、相手の関節可動域を可能な限り2Dに近づける。これによって関節の可動域が立位より制限され、技が極まり易くなる。そういうことです。
ここまで話せば諸賢にはもうおわかりでしょう。
極めるまでに困難を極め、しかも所要時間が半端ではなくかかる立ち関節技を使用して相手を完全に制することは、「スピード第一」「確率論第一、効率論第二」を旨とする「実戦必勝原則」から、明らかにかけはなれているのです。
例えていえば、立ち関節で実戦を勝ち抜こうというのは、その1の冒頭お話しした「水を飲まない兵隊」「寝ない兵隊」と同レベルの「人体の生理に反する行為」であり、事実上不可能なのです。
だからこそ、「立ち関節技による制圧を目指した格闘技」は、いつも出ては消え、出ては消えするばかりで、ひとつの大きな技術体系として確立しえなかったのです。
先代はそうしたことをいち早く察知し「立ち関節は、掛けるに難しく逃げるに容易。そんなものをわざわざ使用して制圧を試みるのは時間のムダであり、相手の反撃を容易にするだけ!どうしても極めたければ、とりあえず倒してから!」と、熟慮の末、そう結論付けたのではないでしょうか。
(「実戦!芦原カラテ3」の本には護身として関節系の技が掲載されているので、先代が関節を研究していたことは明らかです。しかし、これらはあくまでも「打撃を食らわせる前段階の崩し」としての関節技であり、「極めきって制圧する」性質の技として紹介されているわけではありません。)
…なんだかサバキの話というより、立ち関節技の効果に関する小論文みたいになっちゃって申し訳ないのですが、関節技の何たるかもわからないまま、単なる見た目だけで「芦原のサバキは合気道の影響」だの、「サバキは少林寺の影響」だのおっしゃられる方は是非一度、関節技というものの本質と意義を再点検してから発言して頂きたいものだ、と、本稿を記しながら感じた次第でございます。