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集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

サバキ、ふしぎ発見!(サバキと立ち関節技の複雑な関係?その2)

2018-04-03 08:55:46 | 芦原会館修行記
 前回の続きです。
 「立ち関節技による相手の制圧」における最大の落とし穴…実はそのアンサーは、その1の冒頭に掲げた「どうあがいても、人間の生理に反することなのでムリ」という話につながってくるわけです(;^ω^)。

 人間の関節は原則、蝶番のような動きだけではなく、いくばくかの回転運動もできるようになっています。
 立ち関節技を主軸とする格闘技では、当然と言えば当然ですが、技をかける関節は手首・肘の両関節となります。

 ここでは肘関節を例に挙げますが、肘は蝶番のような動きを伴う伸展・屈曲以外にも、前腕部が回転することに伴う回内・回外の動作も司っています。
(この回内・回外運動は「肘関節の動きの一部」として取り上げるものと、「橈尺関節の運動」として別途取り上げるものもあります(;^ω^)が、本稿では肘関節運動の一部としてお話を続けます。)
 ですから、肘関節を「蝶番を逆さにへし曲げるように」施術したとしても、ちょっと前腕を回内あるいは回外させることで、容易にその応力を分散させ、施術を不可能とすることができますし、また、肘の上方には人体でも数少ないボールジョイント(球状関節)である肩が存在します。いくら肘に圧をかけても、肩がその衝撃を吸収してしまう方向に施術すると、施術の労はすべてムダになる…そういうことが容易に発生するのです。
(肘関節技は原則、施術点が肩関節より頭方であった場合、ほぼ無効となります。)
 肘関節のみならず、手首も全く同じ…というか、手首の方が的が小さく、また、可動域もひろいぶん、手首関節を極めようとすれば、肘以上の困難を極めることは間違いありません。
 ことほど左様に、3Dの動きをする関節を、3D状態のまま捉え、極めるというのは困難なのです。
 

 プロレスの神の異名を取り、セメントでもメチャクチャ強かったとされるカール・ゴッチの格言にこんなのがありました。「牛も倒さねば料理できぬ」。
 これは関節技というものの真理をピタリと言い当てた名言です。
 関節技を極めようと思えば、立位で関節が3D状態で可動する状態で極めきられるものではない。正確に極めたければグランドに持ち込み、相手の関節可動域を可能な限り2Dに近づける。これによって関節の可動域が立位より制限され、技が極まり易くなる。そういうことです。

 ここまで話せば諸賢にはもうおわかりでしょう。
 極めるまでに困難を極め、しかも所要時間が半端ではなくかかる立ち関節技を使用して相手を完全に制することは、「スピード第一」「確率論第一、効率論第二」を旨とする「実戦必勝原則」から、明らかにかけはなれているのです。
 例えていえば、立ち関節で実戦を勝ち抜こうというのは、その1の冒頭お話しした「水を飲まない兵隊」「寝ない兵隊」と同レベルの「人体の生理に反する行為」であり、事実上不可能なのです。
 だからこそ、「立ち関節技による制圧を目指した格闘技」は、いつも出ては消え、出ては消えするばかりで、ひとつの大きな技術体系として確立しえなかったのです。

 先代はそうしたことをいち早く察知し「立ち関節は、掛けるに難しく逃げるに容易。そんなものをわざわざ使用して制圧を試みるのは時間のムダであり、相手の反撃を容易にするだけ!どうしても極めたければ、とりあえず倒してから!」と、熟慮の末、そう結論付けたのではないでしょうか。
(「実戦!芦原カラテ3」の本には護身として関節系の技が掲載されているので、先代が関節を研究していたことは明らかです。しかし、これらはあくまでも「打撃を食らわせる前段階の崩し」としての関節技であり、「極めきって制圧する」性質の技として紹介されているわけではありません。)

 …なんだかサバキの話というより、立ち関節技の効果に関する小論文みたいになっちゃって申し訳ないのですが、関節技の何たるかもわからないまま、単なる見た目だけで「芦原のサバキは合気道の影響」だの、「サバキは少林寺の影響」だのおっしゃられる方は是非一度、関節技というものの本質と意義を再点検してから発言して頂きたいものだ、と、本稿を記しながら感じた次第でございます。

サバキ、ふしぎ発見!(サバキと立ち関節技の複雑な関係?その1)

2018-04-02 12:20:34 | 芦原会館修行記
 人間は、100年くらい前までは不可能と言われたことを次々に克服し、驚くべき進化を遂げてきました。本当にすごいものです。
 しかしその反面、もともとが人間の生理に反することであるため、いくら研究しても希求しても、ダメ・ムリ・不可能ということも厳然として存在します。極端な例を挙げれば、アメリカやナチスが進めた「水を飲まない兵隊の研究」や「眠らない兵隊の研究」なんかがそうですね。

 話は少し飛んで、サバキの話に移ります。
 ちょい前の「サバキ、ふしぎ発見!」でもお話ししましたが、「芦原会館は投げを多用するから、合気道の影響を受けている」とか、「関節技のような技を利用するから、少林寺拳法から影響を受けている」などと訳知り顔に話している人が、いまだにかなりの数存在します。
 確かに、サバキに「投げ技」は多数存在します。これは実に多彩かつ実戦的であり、真に一驚に値します。
 ただ、「芦原は合気道や少林寺から技術的影響を受けた」というのであれば、立位の状態で関節の曲がる方向の逆側に応力を加え、痛みを与えて相手を制するいわゆる「立ち関節技」も、投げ同様に存在しなければならないはずです。
 また、立ち関節技が真に実戦に有効なものであれば、当然サバキに立ち関節技、あるいはそのエッセンスが含まれていてしかるべきなのですが、しかし、少なくとも私の知る範囲で、「立ち関節技を使用したサバキ」は見たことがありません。 
 なぜ先代は、一般的には「制圧には非常に有効」と称される立ち関節技をサバキに採用したなかったのか?今回の「ふしぎ発見!」はそこにスポットを当てて行きたく存じます。

 立ち関節の最大にして最高の利点は「うまく技が極まれば、小さな人間、非力な人間であっても、大きな相手や武器を持つ相手を制することができる」ということ。
 確かに、立ち関節技の模範演武では、わずかな動きで大きな人間があっという間に投げ飛ばされ、あるいは関節を極められた痛みに悶絶し…といった絵面が展開され、「おお!」と感嘆する方も多いと思います。
 実はこれまで日本のみならず、先ほど掲げた「立ち関節最大最高の利点」を体得すべく、様々な人が世界中で様々な流派を起こし、研究してきました。
 海外での「究極の立ち関節を目指した動き」で、いちばん有名なものとといえば、スモール・タニこと谷幸雄(1880-1950)がロンドンで着火し、20世紀ごく初頭のヨーロッパで一大ムーブメントを巻き起こした柔術ブーム。名探偵シャーロック・ホームズが「バリツ」という東洋の柔術使いだった、という設定は、このムーブメントに乗っかったものだった、というのは有名な話ですね。
 コナン・ドイルのみならず、東洋の小男が極める関節技で大の男がひっくり返る!倒れる!というのは、西洋人にも一種の驚きをもって受け止められ、大きなブームを呼んでおります。
 また、ロシアの国技・サンボの創始者はワシリー・オシェプコフですが、もうひとり、サンボの創始に尽力があったとされるビクトル・スピリドノフなる人物は、このヨーロッパ柔術ブームに乗っかって世の中に登場しております(労作「ロシアとサンボ」(和良コウイチ著・晋遊舎)では、ビクトル・スピリドノフのサンボ創始への関与は否定され…って、すみません、話が脱線しました(;^ω^))。

 このように立ち関節技は、上記例示の「ヨーロッパ立ち関節ブーム」のみならず、一定の周期で「万能説」が唱えられ、それに踊る人を生んでおります…が、なぜか「立ち関節万能説」に立拠したムーブメントはいずれも、ほんとうに一過性のムーブメントで終息してしまっています。
 約束事に終わらず、皆が納得する「立ち関節技による制圧技術」というものが確立されたという話を、私は寡聞にして知りません。
 
 …このまま「立ち関節最大の欠点・落とし穴」についてお話ししたいところではあるのですが…一気に話すとメッチャクチャ長くなりますので、今回はいちどここでお話を切り、次回「立関節最大の落とし穴と、サバキに立ち関節がない理由」をお話ししたいと思いますm(__)m


今年初のサバキ、ふしぎ発見!(先代の格言の意図を探る!)

2018-02-17 07:16:52 | 芦原会館修行記
今も版を重ね続けるカラテ界不朽の名技術書・「実戦!芦原カラテ3 誰にでもできる空手」(講談社刊。芦原会館のネット販売ページで購入できます(;^ω^))は、左側ページ(同著は横書き・右開き構成)の下部に「ひとことアドバイス」が10~184ページに亘って書き連ねてあります。
 芦原会館の門人でなくなった現在でも、たまに稽古の内容や技術進歩に行き詰った際にパラパラ、とめくると「ハッ!」とする新たな発見があるのですが…今回の「サバキ、ふしぎ発見!」で特に取り上げたい名言はこちらです。
「すれ違ったら倒す」
 同著160ページ、「投げの3」の解説として記載された言葉ですが、これはサバキの、そして「実戦」の本質を見事に表現した、まさに至言ともいえるひとことです。

 サバキをものすごく簡単に、しかも周防平民珍山といういち個人の解釈により表現すると…「エネルギー確率論を軸に、効率論をギリギリいっぱいまで集成させた体系」です。
 それがどのように「実戦」の役に立つのか。今回のサバキふしぎ発見!は、そのへんをお話しいたします。 

 日本で唯一、学術的なケンカ術を研究している林悦道・士心館館長は、ケンカに勝つために必要なファクターを次の2点に絞っています。
(以下、林先生のお言葉として抜粋した箇所の出典はすべて「ケンカ術の科学 データと数式が示す不敗の構造」〔東方出版〕 )
 ① 的確な状況判断ができる頭脳
 ② 的確に人を倒せる技術と肉体
 林先生によりますと、必要なファクター①②の比率変換は7:3、名人クラスになると8:2、甚だしい場合は9:1になるとのこと。
 それじゃあ、②なんていらないんじゃないの?ということを考える人もいるでしょうが、そういうことではありません。逆に言えば、①のレベルがいくら高くても、②のレベルが低ければ完全に画竜点睛を欠きますし、だいいち、②なくして①のレベルが上がるはずがないので、①しか必要ない、という議論は成り立ちません。それはさておき。
 林先生はケンカ術を「頭脳を主としたエネルギー確率論(いかに自分が相手の攻撃を食わず、自分の攻撃を相手に命中させるか)」としています。
 ケンカ術ではとにかく、相手の攻撃行為を如何に適切に外していくか、ということがまず主眼となります。
 そのために必要なことはまず…適切な間合いを取ること、確率論を発揮しやすい有利な位置に占位すること、場所を味方につけ、接近戦に変化した場合は効率論(自分のエネルギーをいかにロスなく、相手に投射するか)にすぐ変化できるようにする…
 ここまで読んで「!!!!」と気が付いたあなたは、相当な芦原カラテ研究家とお見受けします。
 そう、林先生の言うケンカ術の基本理念、そこから必要となる各種ファクターを、サバキはすべて含んでいるのです。

 まず第一に、芦原カラテ、そしてサバキは打撃系格闘技たる「空手」を母体とします。
 サバキを見て「投げを使っている。これは合気道と同じだ」などと、「主張している人の頭は大丈夫か?お薬差し上げましょうか?」的な批評をする人が今も昔も後を絶ちませんが、これは後述する「効率論に変化する」箇所だけを切り取り、その部分しか見ていない粗末な意見です。
 相手の攻撃を食らわない、逆にこちらの攻撃を当てるためには打撃系格闘技の基礎知識は必須であり、逆にその知識と技術なくして「確率論」を体現することは不可能です。だからサバキの根本は空手であり、その技術なくしてサバキも成り立たない。当然の話です。

 ワタクシ、職場でタイーフォ術や格闘技を教えたりする係をしておるのですが、何がむつかしいと言って、格闘技経験のない人間に「打撃を避ける方法」を教えることほど難しいことはない!これは今までの経験上、自信をもって言えます!
 組みつく、取っ組み合うという「原始的効率論」は人間の本能に根差すものであり、誰に教えられなくてもある程度はできます。っていうか、素人同士の喧嘩はいつもそうなりますよね(;^ω^)。
 ところが打撃系格闘技の技術は「効率論」と違って完全に後天的なものであり、習得には練習が必須です。ところがうちの職場のアホはその「確率論は専門練習必須」の理屈がわからない。何度説明してもダメ。困ったものです。それはさておき。

 打撃系格闘技の技術を持つことは、「確率論」を高いレベルで体現する大きなアドバンテージとなります。ただ、ケンカの状況は時々刻々と変わります。例えば相手の人数が多い、武器を持っている、突き蹴りを振るえるほどの隙間がない、などなど…なので、「確率論」をただただ原則通り振りかざすだけでは、いつかジリ貧になる瞬間が訪れます。
 相手を「完全に叩きのめす」ためには、突き蹴りをただ振り回すだけでは完全に役不足。立って動いている人間を殴ってKOするのは、プロでも難しい。そこで必要となるのが自分のパワーをロスなく相手に伝える「効率論」です。
 そうです。実戦なるものを勝利に導くためには、「確率論」に準拠した「相手の攻撃を食わない」ことを主軸としつつ、相手を完全制圧しないといけない場合、どこかのタイミングで「効率論」にスイッチしなければならないわけです。

 「効率論」を最大に発揮する方法は、相手を壁や地面など、硬いものに叩きつけること。それも、相手に接触する面積を最小限にとどめつつ、こちらのパワーを投射する方法で…
 その答えこそが、芦原会館の「投げ」であり、「確率論」を「効率論」にシフトチェンジする瞬間こそ、冒頭に掲げた「すれ違ったら」なのです。
 相手とすれ違う瞬間までに受ける攻撃は「確率論」でかわす。しかし、それよりも詰まった間合の場合、あるいは相手を完全制圧する必要がある場合には積極的にインファイトし、「すれ違ったら」その瞬間に「倒す」。
 芦原会館の「投げ」は本当によく考えられており、少ない接触で最大限に「効率論」を発揮できるようにできている。これは芦原会館ののち、組技系格闘技に没入したワタクシも自信をもって「よくできてる!」と感心するほどです(;'∀')。

 以上グダグダと「すれ違ったら倒す」に関するお話を記載しましたが…門人じゃなくなった今頃気が付いても遅いのですが、本当にサバキというのは奥深いものだと思います。

ひさびさのサバキ・ふしぎ発見!

2017-11-07 20:29:18 | 芦原会館修行記
 かつて芦原会館の門人であったワタクシ。今でも折に触れ、当時購入した技術書を読んだり、型のビデオ(実は平成10年代の初めころ、会員限定で型のビデオというものが頒布されました。それをカメラ屋でDVDに焼いてもらったもの)を見たりする過程でやはりしみじみと思うのですが…「先代はよく、空手とケンカテクニックとを見事に融合したもんだ…」という思いを常に新たにしております。
 本日は「『空手の極意なるもの』を具体化した功績」についてお話ししたいと思います。

 空手の極意には「相手を据え物にして打つ」というのがあります。
 この「据え物にする」という表現は様々な意味を包含しており、たとえば気や格の違いで圧倒する、たとえば解剖学的見地に立脚した「動けない」ところを打つ(これを詳しく知りたい方は沖縄拳法空手道に入門してください)、もっと極端な事例になれば足を踏んづける(;´Д`)とか、まあ、具体な方法は実に様々存在するわけですね。
 ただ、足を踏んづける(;´Д`)以外の方法については、万人に理解できるものではなく、また、会得できる人間が限られるわけですので、秘伝はずっと、秘伝のままであり続けられたのです。

 そこに大ナタをぶちこんだのが、先代であったと、私はあえて断言したい。

 先代のサバキはフルコンの稽古形態をとりつつ、あくまでもその技術はエネルギー効率論に基づいたもの(確率論のあたりは、試合のテクニックとして別に確立されており、これまた大きな成果を上げていますが)。
 「ポジショニング」「受けと手による崩しやロックの融合」「掴んでの打突」「打突を利かせたのちの投げ」。いずれもいずれも、「相手を据え物」にすることで自分の攻撃エネルギーをロスなく相手に伝え、最大の効果を得ることができるテクニックばかり。しかも、万人にわかりやすくソフト化されている…
 詳しくは古本屋で「実戦!芦原カラテ」1~3巻(3巻のみ復刻印刷されており、その他はアマゾンでも古書店でも、物凄い高値がついています(;´Д`))を買って読めばわかりますが、「よく『据え物打ち』という禅問答のアンサーを、こういうテクニックで具現化したもんだ…」と、本当に感心します。

 ちなみに空手の名言として「空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを基とするなり」(宮城長順先生遺訓)というのもありますが、サバキには投げ、崩しもたくさん存在し、ポジショニングと投げ・崩しを併用することができれば「人に打たれず 人打たず」制圧することが可能…しかも相手を殴るわけではないですので、和解もしやすく、「事のなき」を補填するという意味…なのかな…(;´Д`)。

 今やもう門人ではなく、単なるいち芦原カラテファンとして暖かく「サバキ」を見守り、あるいは研究していますが、様々な武道・格闘技を習得する過程において先代のテクニックのすごさ、面白さに気づ、ますますサバキの奥深さに魅了される昨今でございます。

人ごみに流されて変わっていく私…とビックなカメラ?

2016-09-14 20:22:59 | 芦原会館修行記
 平成28年9月14日。
 広島駅南口B地区に、ビックカメラ広島店がオープンしました。
 広島県外、あるいは山口県の東部以外にお住まいの方は「広島駅南口B地区ってなんじゃい?」といぶかしがると思いますが、B地区とは、広島駅南口と、猿猴橋・駅前大橋に囲まれた界隈。バスや市電の停留所が集中する、広島の交通の最大の要衝です。
 広島市は無慮数十年(計画は昭和の末期に発起したそうです)をかけ、この地区にあった雑種雑多な住処やビルを整理解体、ビックカメラや高級住宅地が入る巨大なビルを建造することとし、ついにこの度、それが開業したわけです。

 ビックカメラソフトボールチームの女子選手が、にぎにぎしく団扇やパンフレットを配り、ラッピング電車が街を走る中、私は懐かしの思い出にひたることしか、できませんでした。

 今はビックカメラ広島店の立体駐車場となった一角に、私の通っていた芦原会館中国本部の入っていた「佐伯ビル」というビルがありました。
 ビルとはいっても、地上4階建て、エレベーターこそついていたものの、窓の手すりから階段の手すりまで、全てが「ボロボロ」という感じの雑居ビルでした。
 1階には串焼きの店が入っており、金曜や土曜の夜ともなれば、串焼きの香ばしい匂いがガンガン立ち上ってきて・・・夏場は窓を開けっぱなしにしていますので、鼻の毒以外の何物でもありませんでした(-_-;)
 二階と三階には何が入っていたか…ちょっとアブナイ団体が入っていたようですが、あまり思い出したくありません。
 四階にはわが芦原会館中国本部。その隣には、入門当時は某美顔会社が入っていましたが、稽古の声がうるさかったのか?私が入門してすぐに撤退。空き家になったため、本部長のお取り計らいで、そこが専用のウェイト室になりました(このウェイト機材は、場所を変わった現在も現存)。

 道場の北側(広島駅方向)の窓を開ければ、隣に建っているボロ家の屋根が見え、南側(駅前大橋方向)の窓を開ければ、夏はムワ~ンとした瀬戸内海独特の粘っこい風が吹き込んできた、そんな道場。
 審査などでたま~にダイキンエアコン(昔のものなので、タンスくらいデカいものだったと記憶)をつけると、「ガタガタボロボロ!」と音がしていたそんな道場。
 それでも私はそんな道場が大好きでしたし、そうでなければ、4年間、月の出席日数が8~10日という出席率を保っていません(キッパリ)!

 私が芦原の門人でなくなってから数年後、広島駅前B地区開発の工事が、本格的に開始されました。
 鉄の壁に囲まれた向こう側で、私が修行していた場所は、あっけなく地上から消滅しました。
 
 現在附近に残る遺構といえば・・・佐伯ビル南側、現在ではビックカメラ立体駐車場の南側にポツンとある、カバさんの形をしたコンクリ製のベンチ。
 忘れもしない、初めて中国本部に出たあの日。なかなか道場のある4階に上がる踏ん切りがつかず、カバさんのベンチを立ったり座ったり、歩き回ったりしていましたっけか。
 つい先日、そのカバさんに、18年ぶりに腰かけてみました。

 ウロウロ、オドオドしていたあのころの私が、その辺から出てきそうな錯覚に捉われました。
 18年前の私の目の前には、たった4階建ての佐伯ビルが建っていましたが、今は地上52階建ての巨大なビルが建っていました。