人間である以上、上手くいく時もあれば、失敗する時もあります。
どうも、旦那です。
聖書に、「わたしが完全であるように、あなたがたも完全でありなさい」
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」とあります。
また、失敗してしまいました。
そんな時「神様、失敗した自分を悔い改めます」と祈って、自分を責めます。
ふと、失敗したときの記憶がよみがえることがあります。その時も同じように自分を責めてしまいます。
こんなことを繰り返すうちに、どんどん自分が嫌になって生きていくことさえ苦しくて、
早く死んで天の御国に行きたくなりました。
その苦しみのなかで思いました。「これは幸せとは程遠い。まるで不幸だ」と。
「じゃあ、幸せってなに?」
少なくとも、自分が嫌だということではないはずです。
自分を大事に思う。たとえ清く、聖くなくても、失敗しても、落ち込んでも。
最初は、そう考えるのにすごく抵抗がありました。聖書的じゃないから。
でも、思い切って、慈しむというか、そんな自分が愛おしいと思うことにしました。
自分で自分をぎゅーっと抱きしめてあげる。気の利いた言葉なんていらない。
失敗した自分も同じように、ぎゅーっと抱きしめて。
そしたら、胸のなかが暖かくなって、なんだか幸せな気持ちになってきました。
いいよ。それでも。どんなときも。
ぎゅーっと。