無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

世界は悲惨に満ちている

2012-03-26 | 蟷螂斧:私的時事論談
英会話教室に通う時間も金もない者にとって、podcastの普及はありがたい。
若いころに逃した学習機会の埋め合わせに数年前からABC、BBCなど英語ニュースを聞き始めた。
「音」にしか聞こえなかったのが、少しづつ「言葉」に聞こえるようになり、断片的に内容がわかるようになってきた。そうしてつくづく知らされたのは、世界はなんと悲惨と愚行に満ちているかということ。

ABC、BBC、CNN等を毎日聞いていると、国内とアメリカだけにアンテナを向けているかのような日本のメディアからはほとんど伝わらないニュース。毎日、どこそこの街で自爆テロ、今日は何人が死亡、何人が負傷・・。テロ、内線、飢餓・・。
中には自然災害もあるが、悲惨の多くは人間自ら生み出し繰り返す愚行の結果に他ならない。
しかも、この愚行と、結果としての悲惨は、残念ながら人類が誕生して以来途絶えたことはない。
有史以来、いや先史時代からずっと、部族だ国家だと群れを作り、最先端の知識と技術とを、みんなが貧しさから救われ平和に暮らすためよりも、まず武力に、軍事に費やしてきた。いつも「みんな」ではなく「自分たち」の平和とくらしを守るためと称して。

米軍が、イラクで、アフガンで費やした武器弾薬、そして人命を、食料、生活基盤整備、干ばつ対策等々に注いでいたなら、愚かな殺戮合戦など起こらなかっただろう。
「もしも過去の25年間、権力が人びとの上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう」(イラクの映画監督モフセフ・マフマルバフ)
世界が軍事に費やす莫大な富の何分の一かで、世界中の飢餓と貧困をなくすことができるだろう。
論理的には、富を奪い合うために軍事に費やすよりもその富を分配して軍事力を不要にするほうが「全体としては」ずっと賢明であるのは明らかだ。

しかし、残念ながらそれは空理空論で「非現実的」だ。
なぜか?
人間は決してそうはしない、できない生き物だからだ。
認めたくないけれど、この愚かさは、人類のDNAに、大脳旧皮質に、あるいは脳髄に、刻みこまれた「属性」だと言わざるを得ない。そして、その「属性」は、かく言う己の中にもまぎれもなく刻み込まれている。
「原罪」といい、「煩悩」といい、気づいても逃れられない本性として。

そう考えてくると、かっこ付きとはいえ平和と豊かさに恵まれた日本の戦後70余年、とりわけ「戦後は終わった」と言われた1955年以降のこの国は、人類史の中でも奇跡的と言っていい稀有な時間・空間だったのではないかと思えてくる。
この「奇跡」もたらしたのは15年戦争による無数の悲惨、全土焼野原、原爆という経験への深い悔恨だったのだが、今やその効能も切れかかっているかに見える。

ひとの心の闇が消えることはない。
同時に、闇ばかりの心もないというのがささやかな希望。
世界にも日本にも、身の回りにも、たくさんの人びと、よき知人たちが、その小さな希望を支えている。
凡夫のまま、そのままで「地涌の菩薩」として生きている。

合掌


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