無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

別冊宝島「原発の深い闇2」を読む。

2011-10-30 | 蟷螂斧:私的時事論談
別冊宝島「原発の深い闇2」を読む。
一見際物的な表現に違和感を持ちそうだが、内容的には原子力利権に群がる政治、経済界、学者、メディアなどの実態をデータで裏付けつつ、原子力村、否「原子力帝国」支配構造の根深さによく迫っている。
3・11以前にはこのような報道が日の目をみることはなかっただろうが、福島原発事故によって「帝国」の支配構造に裂け目が生じ、そこから、ようやく原子力を巡る闇が垣間見えてきた、あるいは「王様は裸だ!」と言う声が広がり始めたというところか。
それにしても、原子力を巡る利権・支配構造の底知れぬ深さは、長年「原子力村」と対峙してきた人たちですら改めて驚かずにはいられないだろう。

曲がりなりにも「脱原発」に舵を切ろうとした菅政権が、おそらくは帝国が背後でしくんだメデイアを挙げての大バッシングで引き摺り下ろされ、後に座った野田政権は、ぬらりくらりのドジョウでございと自称しつつ、加速度的に既存体制温存、擁護に舵を切りつつある。
電力会社は、表向き伏し目がちに、しかし、実態はかさにかかって反撃に転じている。
こうした状況を見ると、東電を破綻させないことを前提とした原子力損害賠償支援法を許してしまったことが、原子力帝国との戦いの最初の天王山であったのではないか。

これほどの破局的事故を引き起こしてすら、少々厳しい状態には置かれるが国家をあげた救済策で守られて生き延びられる、それどころか高々10年かそこらで黒字に戻すことすら夢ではない、そうわかった電力資本は難攻不落の拠点を得た思いで胸をなでおろし、世の有象無象の「脱原発」の雄たけびを遠くに聞きながら、じっと嵐の過ぎるのを待ちつつ、チェルノブイリ後の嵐の教訓を再度かみ締めて、より深く、より強力な支配構造の練り直しを画策しているに違いない。

チェルノブイリ事故の後、日本全国でまさに燎原の火のごとく脱原発の声があがった。それまで地元の反対派住民以外は労働組合や「左翼系」活動家中心だった反原発運動が、一気に普通の主婦層や消費者運動グループやオルタナティブな暮らしを求める人々へと広がった。四国電力本社を1週間近くにわたって24時間包囲した「原発さらば記念日」に駆けつけたのは、今まで「運動」の場でみたこともない多様な人々であり、その運動スタイルも既存の指令動員型の運動とは全く違い、多様な人々が好き勝手なやり方で思いを表現し、真剣さと陽気さが同居するといったものだった。

この突然の反乱に危機感を抱いた電力資本・原子力村の面々は、その状況を「『安全』と『安心』は違う。いままで『安全』PRばかりで『安心』をさせることが足りなかった。PA(パブリックアクセプタンス)活動の失敗だ」と傲慢な総括をし、以後、猛烈な公然・非公然の世論工作、ありとあらゆる人脈への陰陽両面の工作を徹底的に行った。
この世論工作の実態が垣間見えるのが別冊宝島「原発の深い闇2」でも取り上げられている「原子力PA方策の考え方」なる文書である。
あきれ果てたことに、科学技術庁が原子力文化振興財団に委託してまとめさせたこのレポートには、ヒトラー政権の宣伝相ゲッペルスも真っ青になるようなあからさまな「手口」が堂々と書き連ねられている。
「停電は困るが、原子力はいやだと虫のいいことを言っているのが大衆である」
「マスコミ関係者は原子力に疎い。テレビディレクターに少し知恵を注入する」
「人気キャスターをターゲットに」
「文科系の人は数字を見るとむやみにありがたがる」
「ニュースはできるだけ“作る”」
「事故時を広報の好機ととらえ、利用するべき」
「繰り返し繰り返し広報が必要。新聞記事も読者は3日すれば忘れる。繰り返し書くことで刷り込む」
「誰が考えても原子力は危険なもの」
「不美人でも長所を褒め続ければ美人になる」
「原子力に好意的なコメンテーターを確保しておく」
「サラリーマンには“1/3が原子力”を訴えるのが一番、電力会社や関連機関の広告には必ず“1/3は原子力”を入れる。小さくともどこかに必ず入れる。嫌でも頭に残っていく。もう仕方がないと大方は思うだろう」

ちなみにこのレポートをまとめた委員会の委員長は当時の読売新聞論説委員だという。

この洗脳工作がそのとおり実行されてきたことは、テレビ、新聞、雑誌にあふれたCMを思い起こすまでもないだろう。
3・11事故後の政財界、御用学者、マスコミ上げての「安全デマ」、情報隠蔽は、この20数年間たゆむことなく続けられた彼らの国民洗脳、メディア、政治家、著名人総買収・囲い込みの努力の賜物だったのである。(その莫大な資金が「総括原価方式」によって支えられたことは言うまでもない。)

さすがに福島事故で多くの国民がこうしたからくりに気づきはじめ、メディアもあからさまな提灯記事ばかりは書けなくなった気配はあるが、
原子力帝国の根はこれほどまでに深く浸透しているのであり、これしきの事で崩れると期待するのは甘すぎる。
全国で今立ち上がっている多くの人々へ、チェルノブイリ後の高揚とその後の敗北の経験を繰り返してはならない!
そのためには何が不足していて、何が必要か・・真剣に考えなければならない。

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