「神」が人間を造った?人間が「神」を造った?
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禅には関心があり、禅書の類も幾つか読んできた(と言っても入門程度のものが中心だが)。
道元については「普観座禅儀」はまだしも「正法眼蔵」にいたっては、現代語訳と首っ引きでも、全く歯がたたない。
また、道元流の「24時間365日全て修行」はともかく、文字通り箸の上げ下ろしから洗面の際の手ぬぐいの扱い方まで、作法、作法でがんじがらめというのは、首を傾げてしまう。そう思うのは凡俗の愚かさゆえであろうけれ . . . 本文を読む
一昨日の昼前、職場で机に向かっているときに突然、すっかり忘れていた「例の痛み」がやってきた。間違いなく狭心症の「放散痛」だ。
10数年も前、明け方に寝床の中で、みぞおちの辺りが掴まれるような痛みで目覚めた。胃痛かと思っていると次第に肩懲りのようなツッパリ感、やがて首筋から頬にかけても強張ったような違和感。
いったいどこが痛いのか分からないような感じがしばらく続いておさまった。
さほど気にもかけず . . . 本文を読む
小田実が去った。
「鳥瞰図」ではなく「虫瞰図」の視点、大所高所の論理によってねじ伏せられる生身の一人一人に寄り添って考える姿勢。
どこかの「党」や「組織」や「派」に帰属し、その集団の意思や指令によって動くのではなく、一人の自立、自律した「個」として判断し行動する市民の連帯を求め続けた彼の姿勢に共感を持ってきた。
夜、目覚めて彼の死に思いをはせていて、ふと気づく。
自分の生き方もあるいは彼の影響 . . . 本文を読む
梅原猛「仏になろう」を読む。
梅原がここでいう「仏」とは「菩薩」のこと
日本人よ、仏教的な道徳にもとづく生き方に立ち戻れ、という呼びかけである。
日本人は聖徳太子の時代以来、長く仏教道徳で生き方を律してきた。
徳川幕府は、支配層には儒教、庶民には仏教と使い分けてきたが、庶民の生き方を律してきたのは仏教、古代からの自然な宗教意識としての「神道」と習合,あるいは融合した日本仏教である。
ところが、 . . . 本文を読む
「ブータン仏教から見た日本仏教」(今枝由郎)を読む。
日本の仏教が「葬式仏教」といわれて久しいし、残念ながらそのとおりといわざるを得ないとは思っていたが、本書を読んで、これほど明解かつあからさまに日本仏教の非仏教性を指摘されると、改めて「目からうろこ」の思いがする。
とりわけ、日本には本当の意味の「僧」がいないとの指摘は正鵠を射ている。
「仏・法・僧」の三宝に帰依することが仏教徒であることの出 . . . 本文を読む
友人からメールが入り、昨日パレスティナのラファ難民キャンプで起こった悲劇を知る。
イスラエル国境の至近距離に暮らすマーゼン君(15)が殺されたこと、彼と彼の家族の置かれていた状況を知る、
*** 引用 ***** パレスティナ・ナビ
マーゼンの家自体が国境線から50メートルくらいしか離れていない。私が知っている限り、まだ破壊されずに残っている家の中では、彼の家が鉄の壁に一番近い。そして、イ . . . 本文を読む
あるところでたまたま目にとまった本(「核戦争の心理学」ジェイムス・トンプソン編著 黒澤満訳 西村書店)の中に印象的なエピソードが綴られていた。
それは1978年9月にアメリカのカーター大統領が仲介役となってキャンプデービットで開かれたイスラエルのベギン首相とPLOアラファト議長の和平会談の話である。
会談は、非公式で格式ばらない雰囲気の中で繰り返され、率直な議論が続いたが、会談を重ねるほど感情を剥 . . . 本文を読む
梅原猛 「誤解された歎異抄」(光文社文庫)を再読。
歎異抄といえば、ただちに「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」の一節が思い出される。
梅原によれば、それが「誤解」だという。
歎異抄は、もともと絶対他力を説いた親鸞の死後、弟子たちの間に見られた「自力」的な要素をまじえる傾向に対して、絶対他力を改めて強調するという意図で唯円によって書かれた。
そのため、必ずしも親鸞の教えの真髄とはい . . . 本文を読む