2017年7月25日に予定していた火ゼミ
古俣めぐみ「ヘルムホルツの生理学における数量化」
が中止となりました.この日の火ゼミは休みとなります.
私たちの講座が編集・発行する『技術文化論叢』の最新号ができました.2017年6月3-4日に香川大学大学で開催される日本科学史学会年会の会場で無料頒布します.最新号の目次は下記のとおりです.
『技術文化論叢』第20号(2017年)
<論文>
益田すみ子「木村駿吉による教科書『新編物理学』」
<研究ノート>
恒川清爾「明治初期における近代科学技術の一般理解――福沢諭吉の科学技術観を手掛かりに――」
<資料紹介>
八巻俊憲「武谷技術論に関連する内山弘正の手稿」
<修士論文 梗概>
郭涵宇「1990年代以降の日本のSTSの展開――学会創設を中心に――」
<特集>
「梶雅範先生の思い出」
7月18日(火)に火ゼミが行われることになりました。
開始時間はいつもと異なり15時30分です。
発表者: 戸田有信
表題: 「福島大学の科学者への継続取材:5本目のビデオ "Borders in Fukushima - July 2016" の上映とディスカッション」
どうぞ奮ってご参加下さい。
(広報担当)
2017年4月~7月の火ゼミスケジュール
時間:13:30から
場所:東京工業大学 大岡山西9号館4階407号室
4/11 水沢光「日本軍の航空戦略と技術開発」
4/18 中尾暁「早田文藏の生物学思想――因子分配説から動的分類系、永遠の生命まで」
4/25 休み
5/ 2 休み
5/ 9 平井正人「『実証哲学講義』における数学の哲学」
5/16 和田正法「科学史の授業における成績評価方法としてのレポート」
5/23 休み
5/30 休み 東工大テスト期間のため
6/ 6 休み 東工大テスト期間のため
6/13 有賀暢迪「科学技術史展示の理想と現実(仮)」
6/20 目黒新悟「現代日本の建築作品の設計論にみる〈地場の伝統〉の参照と反映による建築表現」
6/27 休み
7/ 4 Choi Hyungsub (崔 亨變) タイトル未定
7/11 伊勢田哲治「社会派科学哲学の復権」
7/18 休み
7/25 古俣めぐみ「ヘルムホルツの生理学における数量化」
<火ゼミとは>
東工大の一室を借りて行われている科学史・技術史の研究会で、原則として毎週火曜日の午後に行われているので「火ゼミ」と呼んでいます。参加は自由で、事前の連絡は不要です。東工大とは独立の「火ゼミ運営委員会」が運営しています。
火ゼミホームページ
http://www.histec.me.titech.ac.jp/course/kazemi.htm
2017年3月15日(水)13時半から、ヘルシンキ大学のTimo Airaksinen先生とHeta Gylling先生による講演が行われます。
奮ってご参加ください。
Spring-Break Special Talks at Tokyo Institute of Technology (Liberal Arts):
"Happiness and desire"
Timo Airaksinen, Professor of Moral Philosophy, Helsinki University
"Is individual identity compatible with group identity?"
Heta Gylling, Professor of Moral Philosophy, Helsinki University
Date and time: March 15th 2017, Wednesday, from 1:30pm
Venue: Room W9-407 (May change to a bigger a room if needed)
(広報担当)
『火ゼミ通信』第95号に掲載した記事を採録します。
コナントと「軍学共同」
防衛省が大学に研究資金を提供する「軍学共同」について、最近、何かと問題になっています。この問題を考えるうえで、ハーバード大学総長で化学者のコナント(James B. Conant, 1893-1978)の言葉に耳を傾ける必要があるのではないかと思います※。
コナントは、レーダーや原子爆弾などを生み出した第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の科学動員政策で、科学行政官として指導的な役割を果たし、大学と軍が協力して研究開発を行う体制をつくった一人として知られています。いわば、「軍学共同」の元祖ともいえる人物です。
そのようなコナントですが、軍が大学に研究資金を提供し続けることに全面的に賛成していたわけではありません。
戦争が終結しても、軍は大学への多額の資金援助をつづけており、1947年の米国の研究開発費の総額11億6000万ドルのうち、約半分の5億ドルを軍が占めていました。そのうち基礎研究については、総額1億1000万ドルのうち、軍は約3割の3500万ドルを占めており、この額は、大学全体の基礎研究費と同額でした。なお、当時の軍は、軍事機密に関わらない基礎研究も支援していました。
戦争が終わった後にも軍が大学へ多額の研究資金を提供し続けていることについて、コナントは、大学に対する「中央集権的な支配(centralized control)」が大きくなり、そのことは「不適当(unfortunate)」だと述べています。コナントは、戦時中には大学は機密にかかわる研究を行ったけれども、戦争が終結した後には、大学は自由な研究を行うべきで、軍事に関わる機密の研究は、政府の研究所や、政府の兵器工場や試験場で行われるべきだと述べています。
コナントは、基礎研究を軍事研究に結びつけることに反対していたのではなく、むしろその逆で、「基礎科学の研究は国防計画にとって不可欠な部分である」と、物理学、化学、生物学などの基礎研究は国防のために必要だと考えていました。しかしコナントは、全米科学財団(National Science Foundation, NSF)を設立して、軍に代わってNSFが大学に研究資金を出すことを期待していました。つまり、基礎研究を軍事研究に利用することは必要だけれども、大学に対して資金を出すのは軍であってはならないと考えていたのです。コナントは、「科学研究という国際的公共事業の推進を、国防充実と密接な関係に置くことには根本的な矛盾がある」とも別の箇所で論じています※※。
コナントは、軍と大学を結びつける体制をつくった人物だからこそ、そのことが大学にもたらす影響の大きさを、誰よりもよく理解していたのでしょう。だからこそ、平時に大学と軍が結びつくことを懸念していたのでしょう。昨今の「軍学共同」を推進する人々は、コナントの懸念に無頓着すぎるように思えてなりません。
※ "President Conant Supports Nat'l. Science Foundation," Bulletin of the Atomic Scientists 3:1(Jan. 1947): 2.
※※ J. B. Conant, Science and Common Sense (Yale Univ. Press, 1951) 邦訳版: J. B. コナント『常識から科学へ』白揚社, 1952年
『火ゼミ通信』第92号(2016年)に掲載した私の記事を転載します.
第二次世界大戦期のアメリカの原爆開発計画「マンハッタン計画」は、まだまだ重要な歴史研究の課題です。最近、文書のいくつかがオンライン上で読めるようになっているので紹介します(2016年1月12日にアクセス確認)。 まずは、Center for Research Libraries (http://www.crl.edu)という団体が公開しているものです。
・「ブッシュ-コナント・ファイル(Bush-Conant file relating to the development of the atomic bomb, 1940-1945)」https://dds.crl.edu/crldelivery/4786
・「ハリソン-バンディ・ファイル (Harrison-Bundy Files Relating to the Development of the Atomic Bomb, 1942-1946)」 https://dds.crl.edu/crldelivery/4787
・「マンハッタン工兵管区(最高機密)書簡集 (Correspondence (Top Secret) of the Manhattan Engineer District 1942-1946)」 https://dds.crl.edu/crldelivery/4788
・「マンハッタン計画: 正史と資料(Manhattan Project: Official History and Documents)」(これはアクセス制限があり現時点では非公開) https://dds.crl.edu/crldelivery/5032
この他にも、米エネルギー省(DOE)のオープンネット(https://www.osti.gov/opennet)では、「マンハッタン管区史」を閲覧できます。
・「マンハッタン管区史(Manhattan District History)」 https://www.osti.gov/opennet/manhattan_district.jsp
DOEのオープンネットには、マンハッタン計画だけでなく、戦後の核開発に関する様々な文書が公開されています。たとえば,1954年に開催された「オッペンハイマー聴聞会」の記録もあります。
・J. Robert Oppenheimer Personnel Hearings Transcripts https://www.osti.gov/opennet/hearing.jsp
私たちの講座が編集・発行する紀要の『技術文化論叢』の最新号ができました.今日,大学にとどきました.2015年5月30-31日に大阪市立大学で開催される日本科学史学会年会の会場で無料頒布します.目次は下記のとおりです.
『技術文化論叢』第18号(2015年)
論文
工藤璃輝「活力説に関するマクローリンの二つの態度の分析」
恒川清爾「カリキュラムから見る明治大正期の高等技術者教育――大学・高等工業学校機械工学科カリキュラムの定量的分析と米国との比較・再評価」
研究ノート
Eliana Del Carmen VICENCIO NAVARRETE, "An Overview of the History of Chilean Universities"
勝屋信昭「ウィリアム・ヒューエルの最近の研究動向について」
益田すみ子「『科學の原理』:第一高等中学校における木村駿吉の講義録」
杉本剛「エドモンド・ハレーによるセント・ヘレナ島での天体観測」
修士論文梗概
勝屋信昭「ウィリアム・ヒューエルの科学観」
劉翹楚, "The Construction Process of Japan's Center of Excellence (COE) Programs"
講座の活動
梶雅範「日本初の国際化学史ワークショップIWHC2015 in Tokyo開催について」
学生論文:Noha MOSTAFA, "The Modernization of Egypt in the Nineteenth Century"
研究紀行
文恒「戦時中におけるジョゼフ・ニーダムの中国活動(1943-1946)に関する資料」
Yakup BEKTAS「宮沢賢治の羅須地人協会」
※『技術文化論叢』は希望者に無料で差し上げていますが,バックナンバーについてはPDF版もあります.下記のURLをご参照ください.
http://www.histec.me.titech.ac.jp/course/act.htm#kiyou
日中戦争期の中英科学合作について調べるために、昨年の11月中旬から12月上旬までの三週間にわたってイギリスに行ってきました。
主にニーダム研究所に滞在しましたが、国家公文書館にも数回訪ねました。
文
ニーダム研。滞在の最終日の夜に撮った「お別れ」写真です。
キュー・ガーデンにある国家公文書館。(アクセス以外)かなり使いやすいです。
そして「観光」の写真を大量にアップします。
今のキャヴェンディッシュ研究所。ニーダム研から徒歩15分の郊外にあります(ニーダム研はすでに郊外ですが…)。
St. Johns Collegeにあるケム川を渡る橋・廊下。
ケンブリッジ街中のストリート・ミュージシャン。
大英博物館。
大英博物館のグレート・コート。
ウェストミンスター寺院。
最後に飛行機から撮った二枚。
イギリスの「首都圏」の夜景です。
若干近く見えたチベット高原です。
On 5 and 6 of March, I participated in a study tour to Fukushima, organized by the Japan Student Services Organization (JASSO) for students who live in Tokyo International Exchange Centre (TIEC). The purpose of this trip was to visit Fukushima Prefecture, having contact with various local people to learn the efforts to the earthquake disaster reconstruction.
This study tour received media coverage, and the Fukushima Minpo Newspaper gave some information about it, having a short reference to an interview they made me:
https://www.minpo.jp/news/detail/2015030621372
Eliana (D1)