Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

何が絵を描いているか

2009-11-16 | 芸術・美術
日本人は、卓越した技術を敬う。
努力を積み、創意工夫を凝らし、技術を極めていくことを。

芸術に対しても、同じ傾向があると思う。

見事に訓練された筆さばき、画材の使い方。
リアルに緻密に、あるいは臨場感あふれる、
表現を極めていくこと。

いわゆる“上手い”絵であることを。

だけど、それとは全く別の伝統もまた、
日本にはあるのだ。

***

「仏道をならうというは、自己をならうなり」
と、道元禅師は言ったそうだ。

禅によって、鍛えられ、削ぎ落とされ、
あるいは見い出される自己。

それは最終的には、仏と一如とされた。

禅画、という世界がある。
上手下手ではなく、
自己自身の発露として描かれる絵である。

今ここにある自己を、この一枚の絵に出し切る
というのも、
また技術ではないだろうか?

ただし、上手く描く技術ではない。
こころの技術である。

その為、禅画には、
その人の境地がそのまま現れるのである。

筆で、ただ丸を描く。
その中に、その僧の仏道の
すべてが現れるという。

***

今ここに、自己のすべてを出しきること。
それは、今ここ、それ自体であり切ることでもある。

それがわかれば、全ての道に通ずる。

上手い下手の技術はなくとも。

***

上手い下手で鑑賞するにも、
専門的な鑑賞眼は必要だろう。

けれど、禅画的なものを鑑賞するにも、また、
技術がいる。

それは、今ここで見ている絵、そのものになって、
ただ感じる技術である。

無為に見る、という技術である。

***

現代抽象画を見るにも、同じ技術がいると思う。

そうした目で見たとき、確かに、
いくら上手くても不快な抽象画もあると思う。

けれど、確かに感動するものも多くあるし、
ウングワレーなどはやはり素晴らしいように、
わたしには思える。

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