Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

人生とは

2010-07-15 | こころ
古代エジプトでは、
人は神の意識化の過程を担う神の一部と考えられていました。

大本では、
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり
いいます

人はもともと、神(仏)の一部として出来ていて、
神の一部として神の働きの一部を担うことが、本来備わった性質であり、

故に人間は、神の分身として相応しい存在へと自らを高め、
神の一部として世界を変えていく可能性を持つ、というのが、

語句は違えど、スピリチュアリズムや神道に共通する
基本的な人間観、世界観だと思います。

仏教では、このような肯定的な人間観よりはむしろ、
人間の現実態の醜さと、そこから来る世の中の苦しみを強調します。

それ故に、そこから逃れて平穏な状態に入ることを目的とするのですが、
“苦”である“無明”から逃れて目指すのは
“心の本性”である光明の状態であり、

実質的には、世界が始まる前から流れている無為なる原初の意識
(つまり根源神の一部としての本来性)
に立ち返ることと同じだと言えるでしょう。

大乗においては、大本と同じように、
人間だけでなく、世界もまた、本来は仏(神)の顕現であると考えますし、

密教においては、加えて、
空なる光明と一体化した意識が、聖なる身体として衆生の為に働く、
という側面を持ちますから、

スピリチュアリズムや神道と殆んど同じ場所を目指している、
と言ってもいいのではないでしょうか。

ただ、仏教においては、“仏(神)”の一部である本性に立ち返ることを、
人間性としての悪を克服する視点から、極めてリアリスティックに追求し、

その結果、そうした手法において特に発達を遂げた、
ということができるでしょう。

***

このような観点から人生を見た場合、
人生とはもちろん、
神(仏)の一部としての本分をまっとうするのが目的であって、

神の一部であることを放棄し、
肉体や煩悩を楽しませることが目的でないことは明らかです。

仏教ではむしろ、
肉体や煩悩を楽しませようとすることはあらゆる苦しみの原因であり、
結局、苦しみしかもたらさないと考えます。

肉体の欲望を含む煩悩は、
“自分”というものが確固として実在している、という
勘違いから生ずるといいます。

実際には、髪型や服装を変えたり、転職したり進学したり、
あるいはペットが亡くなったり友人が変わったりしただけで、
自分というものは簡単に“違う自分”になってしまいます。

仏教では、他に、肉体そのものや、視覚や聴覚、認知力、想像力など、
“自分”を作り上げている様々な部分が
移り変わったり、失われた場合を瞑想したりして、

自分というものが、決して
確固たる存在でないことを実感していきます。

自分を確固たる存在だと思っていたら、
その自分を維持するためには、自分を取り巻くすべてのものも
固定しておかなければなりません。

それは不可能なことですから、それが可能だと考えることは、
思うようにならない苦しみの原因です。
無理に固定しておこうと他人を苦しめたり傷つければ、
それもまた苦の原因となるのです。

仏教では、苦しまないために、
確固たるものでないことをイメージトレーニングする、
と言ってもいいかも知れません。

人間とは、こうした“確固たる自分”という誤解を抱えた、
苦しみに満ちた存在です。
ですから世の中も、そうした意味では苦しみに満ちています。

そうした苦しみを忘れるための快楽を探しながら、
“いいことないかな”と言って生きているのが人間というものなのです。

***

仏教では、こうした苦しみをすべて逃れて、
普通なら苦と感じるものを苦としなくなり、
光明である存在と一体である境地に至ろうとしますが、

例え自分がその境地に至ったとしても、
世界はまだ、苦に満ちているのです。

菩薩とは、こうした苦しみに満ちた世界を少しでも良くするために、
自分も苦を乗り越え、
人々も真実に導こうと働く人々を言います。

それが、仏教において、
神(仏)の一部として神の働きの一部を担う、ということなのです。

***

神の一部として神の働きの一部を担うのは、
実は簡単なことではありません。

そのためには、まず、自分自身が、
ある程度、苦を乗り越えなくてはならないでしょう。

前世にある程度訓練を積んでいれば、
普通よりずっと簡単に、苦を乗り越えてしまう人もいますが、

自分が苦を乗り越えなければ、
他人を助けるどころの話ではありません。

苦をある程度乗り越えた時、それまで楽しみだと思っていたこととは、
まったく違う楽しみがあることに気付くかもしれませんが、

人生とは、普通の人が考える意味において、楽しむことでは、
決してないのです。

そう考えている限り、楽しもうとすればするほど、
実は、苦しみが増すばかりなのです。

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