Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

女系から男系へ

2010-05-03 | 日本人の意識と社会
古代エジプトの王は、
そもそもは女系による世襲制だったらしい。
(古代エジプト生活史・上)

それが、息子に王位を継がせたい子供可愛さ余って、
総領娘に息子をめあわせる、みたいな事になり、
あの兄弟婚に行き着いたのだとか。

日本でも奈良時代くらいまでは、
(系図の上では男系だったものの)女系による財産相続が普通だった。

アイヌは両系で、
男子は父の系統に入り、女子は母の系統に入るそうだけど、
財産や地位がどうなるのかは知らない。

ともかく、日本に、先史時代のインダス都市王朝があったとしたら、
それはおそらく、女系による世襲だったろうと思う。

というのは、初代天皇とされる神武は、
記紀で大国主の息子とされている事代主、あるいは三輪の神の娘の
婿にあたるのだ。

***

もしも、本来の日本の王が、娘婿による相続を基本としていたのなら、
大化の改新の意味もスッキリわかるような気がする。

というのは、(系図を信じていいとしたら)
三十代敏達天皇が推古天皇の婿だったものの、以降、三十一代、三十二代は
天皇家の妻をもたず、蘇我の娘婿でしかないのである。

これが“蘇我は天皇家をないがしろにしている”という、
大化の改新の名分を示しているのではないだろうか?

鏡王の娘である額田女王(ぬかたのおおきみ)がおそらくキーであり、
彼女ゆえに、天智が天皇であることに正統性があったとしたら?

天武は天智の娘婿だが、
天智の長子・大友が結ばれた、
額田と天武の娘である十市皇女が、額田の正統な後継者になるだろう。

天武の妻・持統は、天智と蘇我の娘の子供でしかなく、
天皇家の母を持たない。

天武が天智の皇子・大友を殺し、
日本史上はじめて天皇を名乗った壬申の乱が、実は、
十市と持統の総領争いだったとしたら?

***

エジプトや日本の女系は、別に女が強いということではなく、

出来不出来が不安定な息子に無理をさせて継がせるより、
娘に優秀な婿をとってコミュニティを導いてもらおう、
という合理的なものだと思う。

イイトコのボンボンでも、実力がなければ、
婿どのに食わせてもらうだけで有難い、という地位に
甘んじなければならない。

実力と“モテ”を兼ね備えた男性は、
姑に見込まれて地位を得、大いに活躍することができる。

しかし、実力のない男が、地位を望む総領娘を得て、
ガッチリ肝を握られたとしたら?

あるいは、実力もなく総領娘にもモテず、
けどどうしても父の名誉や権力が欲しいボンボンは、
どうしたらいいのか?

***

中国の王朝は、当然男系世襲だった。
強権的な一極支配だった。

女系の意義が腑に落ちていない、見栄や体裁を気にする男性なら、
強く威張っている中国の男性と自分を引き比べて、
恥ずかしく感じるのではないだろうか?

また、緩やかな連合国家である自分の支配体制を、
権限が強く威張っている支配体制に引き比べて、
恥ずかしく感じるのではないだろうか?

記紀が、そうした感情を持った男性と、
女系の正統な後継者に敵愾心を抱いた中国かぶれの女性によって
作られたとしたら?

***

大友についた蘇我石川麻呂以下は、長野に流れてきている。
十市が、三輪王朝・大氏の正統だったとしたら?

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