2016年の刑事訴訟法改正では、検察が全証拠のリストを弁護側に開示することになったが、それまで、開示されなくてもよかったというのは、どんな理屈があったのだろう。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 15:42
弁護側に全証拠を開示しなくてよいなら、自分に都合のいい証拠だけ集めて好き勝手な論理を組み立て、裁判官を検察側に誘導できるだろうと思ってしまうのだが。 twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 15:53
素人考えなのかもしれないが、裁判というのは、勝ち負けでなく、あくまで真実追求の場であってほしい。特に公務員たる検察官と裁判官は、勝ち負けにこだわる人でなく、科学者のようにあくまでも真実を追求する人であってほしい。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 16:01
矛盾する証拠や、説明できない証拠を知りながら、それには触れないで、裁判に勝って快感を感じる人が検察官では困るのだ。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 16:23
真実など誰もわからない。勝ち負けにこだわって、裁判官の前で、二手に分かれて争うことによってのみ真実に近づけるということか。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 16:50
検察官と弁護人の能力の差が同等なら、それもあろうが、現実は違う。
現実は、検察官と弁護人の能力の差により、また、それを見極める裁判官の能力により、罪なき人が有罪となり、罪ある人が無罪となることもある。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 17:04
やはり裁判においては、勝ち負けでなく、真実の追求の義務こそが、これら3者に課されるべきだ。 twitter.com/tikarato/statu…
検察官、弁護人、裁判官に真実追求の義務は当然課されているのだろう。だが、単に理念としてではなく、より厳しく、具体的に、その良心に課されるべきということだ。全証拠品の開示は、こうした意味において極めて重要だ。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 17:27
レオナルドに関するBS TVを見た。途中から「三王礼拝図」に関する何か面白いことを言うように引っ張りながら、何も言わないで終わってしまった感じはあった。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 21:18
レオナルドの生い立ちが興味深く感じられる番組。
因みにフロイトの説は出てきません。別にそれでよいと思いますが。 twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 21:23
本音
— みちる (@michirunaomi) 2019年3月30日 - 07:43
私がシングルになることで子供が金銭的に困るなんて百も承知だよ
それでもシングルになるのはそれほどの理由があるんだよ
全員に理解されないことだって折り込み済みだ
戻ろうと思った事だってたくさんある
腐るほど考えた
でも戻ると私が死ぬんだよ
死んだら一番困るのは誰?
大正天皇の大礼紀念は、大正4年だった。 twitter.com/mfaboston/stat…
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 22:01
@Lumiere1874 気持ち、わかります。
— rk70 (@tikarato) 2019年3月30日 - 22:17