私は退職後、古巣の茨城県近代美術館に戻り、4年間、一学芸員として働いた。
どういう人事の方針なのかは知らないが、そのころ日本画専門の学芸員(これは大学で主に東洋・日本美術史を学んできたというほどの意味だが)が水戸の美術館には少なかった。
私も、美学・西洋美術史と日本の洋画を専門としていたので、日本画は得意ではなかったのだが、その私でも、日本画の主題が解けたという具体例。
美術館ではよくあることだが、ある日、一本の電話がかかってきて、担当の課長が電話に出た。
美術館さえお望みなら、作品を寄贈したいのだという。課長によれば、所有者は、作者名は分かるが、あとは作品名も何もわからない。
しかし、茨城県の中では名の知れた作家だし、寄贈の申し出人についても問題がなさそうだったが、一応この作品を調べてみてからということになった。
何にもわからないといっても、貰うためにはせめて作品名はつける必要があるだろう。そのためには、描かれている主題内容が分からなければならない。単なる花鳥画や山水画なら、そのような仮題を付けてごまかすこともできようが、この絵の場合はそうはいかなかった。
明確な主題がありそうな絵であることは、その絵の写真を見せられてはっきりとわかったからだ。
縦長の掛け軸の作品。登場人物は5人。
床の間の前に坐っている侍が4人。ガラッと障子をあけて入って来たちょっと偉そうな侍が一人。
座っている4人の侍のうち、一番手前の人物は、お茶を点てている様子。
残り3人は、床の間の前に座っており、そのうち床の間に近い人物が掛け軸の方を指さして隣りの人物に何か語りかけているか、訊いているらしい。
もう一人は、ひげ面の侍で、右手に扇を持っており、やはり床の間の掛け軸の方を見ている。
さあ、このような内容の絵にどんな作品名を与えたらいいか、それを考えてほしいという課題である。
これは、西洋美術史をやってきた人間には、無理だ。
ギリシャ神話や旧約、新約など聖書の主題など、西洋的な主題や図像には精通していても、日本史上の逸話に関しては、とんと無知だからちょっと見ただけでは想像がつかない。
しかし、美術主題解明のための方法論は、同じようなものであるから、分かりそうなものから解いていく。
この作品では、登場人物3人が注目していると思われる床の間にかかっている掛け軸の文字だ。
だからこれを読んでみる。読もうと思えば読めるように絵の中に書いてある。
比較的わかりやすい文字である。
文字数を数えてみると、14文字ある。だから7言詩の一部かも知れない。そう思いながら読む。
雲横秦嶺家安在 (雲は秦嶺に横たわり、家 安くにか在る)
雪擁藍関馬不進(雪は藍関を擁して、馬 進まず
誰の詩だろう?
高校時代に読んだことがありそうな気がするが、しかとは分からない。
ヒントをつかむため、たまたま手元にあった新明解漢和辞典を引いてみた。このなかで私が聞いたことのありそうな文字は<秦嶺>だったので、秦という字で引いてみる。
すると<秦嶺>の説明が出ていた。これは、有名な山脈の名だった。そういえば聞いたことがあるな。
しかも、この<秦嶺>が、韓愈の詩の一節に出てくることを、この辞書は、その詩の題名とともに例示していた。
まさしく、この絵の掛け軸に書いてある一節だ。小さな辞書に出て来るほどの詩の一節であるから、この部分は相当に有名なのであろう。
そうすると、次に探究すべきは、韓愈のこの詩「左遷至藍関示姪孫湘」と日本の武将たちとの関係がありそうな日本史上の逸話のようなものを探すことだろう。
詩の題名からすると、何か、左遷の主題と関係があるのだろうか?
これはなかなか分かりそうにもなかったが、韓愈のこの詩は、いろいろ調べていくと、信長と稲葉一鉄の故事に関連しているということがだんだん分かってきた。
私は、信長と一鉄に関する故事を知らなかったが、それを調べてみれば、この絵の場面は、まさしくその故事によって説明できることが明らになった。
信長と一鉄の故事とは、こういうものである。
家臣の讒言を信じた信長が、一鉄を殺そうと茶会に招いた。
一鉄は、かつて斎藤道三に仕えていたが、それを裏切り、信長に仕えた。
そんな男だから、信長は心底からは彼を信頼ができなかったようで、とうとう、この絵の場面の日を迎えることになった。
しかし、彼は武勇に優れているのみならず、教養も知性もある人間であることを、韓愈の詩を読んだこの時に、隣室にいた信長に示したのである。
それを聞いた信長が、その男、殺さなくてよいと、障子を開けて入ってきた場面、そう考えられる。
信長は、これによって、彼が武勇のみならず、教養も知性もある人間であることを知り、以後、彼への信頼を本当に寄せるようになったというのである。
この絵のなかで、ひげ面で扇を持っている男が、私は彼だと見たが、既に主題が明らかになった後、そうではなく、床の間の掛け軸を指さしているひげのない侍が彼だと見ている人もいることを知った。指差して彼が詩の内容を説明していると見たわけである。
私は、庭に近いところに座っている二人でなく、手前の茶を煎れている男と、この二人に挟まれて、逃げられないようになっているひげ面の扇を持った男が一鉄の外見にふさわしいと見たのだが。
作者、二世五姓田芳柳(1864‐1943)は、下総国猿島郡沓掛村(現・茨城県坂東市)に生まれ、草創期の洋画を学んだが、1931年には芳柳の号を返上しており、日本画も多く描いた。
この作品では、天井や床の間の描写に西洋画的な線遠近法が見られるが、この場合、1点透視図法ではない。
武将たちが着ている衣装など、信長の時代のものなのかどうか、今後の考証が必要だろう。
さて、これまで、作品の写真だけで主題を探ってきたのであるが、後に、この絵が寄贈されることになった段階で、軸箱に入ってこの作品が運ばれてきた。
所蔵者は作者名以外何もわからないと、課長は言ったが、軸箱を見ると、なんと、そこにはちゃんと稲葉一鉄と書いてあるではないか。何だよ、これ、というお粗末の一席。
どういう人事の方針なのかは知らないが、そのころ日本画専門の学芸員(これは大学で主に東洋・日本美術史を学んできたというほどの意味だが)が水戸の美術館には少なかった。
私も、美学・西洋美術史と日本の洋画を専門としていたので、日本画は得意ではなかったのだが、その私でも、日本画の主題が解けたという具体例。
美術館ではよくあることだが、ある日、一本の電話がかかってきて、担当の課長が電話に出た。
美術館さえお望みなら、作品を寄贈したいのだという。課長によれば、所有者は、作者名は分かるが、あとは作品名も何もわからない。
しかし、茨城県の中では名の知れた作家だし、寄贈の申し出人についても問題がなさそうだったが、一応この作品を調べてみてからということになった。
何にもわからないといっても、貰うためにはせめて作品名はつける必要があるだろう。そのためには、描かれている主題内容が分からなければならない。単なる花鳥画や山水画なら、そのような仮題を付けてごまかすこともできようが、この絵の場合はそうはいかなかった。
明確な主題がありそうな絵であることは、その絵の写真を見せられてはっきりとわかったからだ。
縦長の掛け軸の作品。登場人物は5人。
床の間の前に坐っている侍が4人。ガラッと障子をあけて入って来たちょっと偉そうな侍が一人。
座っている4人の侍のうち、一番手前の人物は、お茶を点てている様子。
残り3人は、床の間の前に座っており、そのうち床の間に近い人物が掛け軸の方を指さして隣りの人物に何か語りかけているか、訊いているらしい。
もう一人は、ひげ面の侍で、右手に扇を持っており、やはり床の間の掛け軸の方を見ている。
さあ、このような内容の絵にどんな作品名を与えたらいいか、それを考えてほしいという課題である。
これは、西洋美術史をやってきた人間には、無理だ。
ギリシャ神話や旧約、新約など聖書の主題など、西洋的な主題や図像には精通していても、日本史上の逸話に関しては、とんと無知だからちょっと見ただけでは想像がつかない。
しかし、美術主題解明のための方法論は、同じようなものであるから、分かりそうなものから解いていく。
この作品では、登場人物3人が注目していると思われる床の間にかかっている掛け軸の文字だ。
だからこれを読んでみる。読もうと思えば読めるように絵の中に書いてある。
比較的わかりやすい文字である。
文字数を数えてみると、14文字ある。だから7言詩の一部かも知れない。そう思いながら読む。
雲横秦嶺家安在 (雲は秦嶺に横たわり、家 安くにか在る)
雪擁藍関馬不進(雪は藍関を擁して、馬 進まず
誰の詩だろう?
高校時代に読んだことがありそうな気がするが、しかとは分からない。
ヒントをつかむため、たまたま手元にあった新明解漢和辞典を引いてみた。このなかで私が聞いたことのありそうな文字は<秦嶺>だったので、秦という字で引いてみる。
すると<秦嶺>の説明が出ていた。これは、有名な山脈の名だった。そういえば聞いたことがあるな。
しかも、この<秦嶺>が、韓愈の詩の一節に出てくることを、この辞書は、その詩の題名とともに例示していた。
まさしく、この絵の掛け軸に書いてある一節だ。小さな辞書に出て来るほどの詩の一節であるから、この部分は相当に有名なのであろう。
そうすると、次に探究すべきは、韓愈のこの詩「左遷至藍関示姪孫湘」と日本の武将たちとの関係がありそうな日本史上の逸話のようなものを探すことだろう。
詩の題名からすると、何か、左遷の主題と関係があるのだろうか?
これはなかなか分かりそうにもなかったが、韓愈のこの詩は、いろいろ調べていくと、信長と稲葉一鉄の故事に関連しているということがだんだん分かってきた。
私は、信長と一鉄に関する故事を知らなかったが、それを調べてみれば、この絵の場面は、まさしくその故事によって説明できることが明らになった。
信長と一鉄の故事とは、こういうものである。
家臣の讒言を信じた信長が、一鉄を殺そうと茶会に招いた。
一鉄は、かつて斎藤道三に仕えていたが、それを裏切り、信長に仕えた。
そんな男だから、信長は心底からは彼を信頼ができなかったようで、とうとう、この絵の場面の日を迎えることになった。
しかし、彼は武勇に優れているのみならず、教養も知性もある人間であることを、韓愈の詩を読んだこの時に、隣室にいた信長に示したのである。
それを聞いた信長が、その男、殺さなくてよいと、障子を開けて入ってきた場面、そう考えられる。
信長は、これによって、彼が武勇のみならず、教養も知性もある人間であることを知り、以後、彼への信頼を本当に寄せるようになったというのである。
この絵のなかで、ひげ面で扇を持っている男が、私は彼だと見たが、既に主題が明らかになった後、そうではなく、床の間の掛け軸を指さしているひげのない侍が彼だと見ている人もいることを知った。指差して彼が詩の内容を説明していると見たわけである。
私は、庭に近いところに座っている二人でなく、手前の茶を煎れている男と、この二人に挟まれて、逃げられないようになっているひげ面の扇を持った男が一鉄の外見にふさわしいと見たのだが。
作者、二世五姓田芳柳(1864‐1943)は、下総国猿島郡沓掛村(現・茨城県坂東市)に生まれ、草創期の洋画を学んだが、1931年には芳柳の号を返上しており、日本画も多く描いた。
この作品では、天井や床の間の描写に西洋画的な線遠近法が見られるが、この場合、1点透視図法ではない。
武将たちが着ている衣装など、信長の時代のものなのかどうか、今後の考証が必要だろう。
さて、これまで、作品の写真だけで主題を探ってきたのであるが、後に、この絵が寄贈されることになった段階で、軸箱に入ってこの作品が運ばれてきた。
所蔵者は作者名以外何もわからないと、課長は言ったが、軸箱を見ると、なんと、そこにはちゃんと稲葉一鉄と書いてあるではないか。何だよ、これ、というお粗末の一席。
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