上図の写真は、茨城県近代美術館が無料で配布している、裏にこの作品の解説が付いたカードである。
この作品の画面右下に署名のように見えるのは、実は肉筆の署名ではなく、シニャックのアトリエ印だ。
もっともこれ自体にも気づく人は少ないが。
(このカードの写真では、おそらくそれが視認できないだろうから、所蔵館の作品検索システムから、ぜひ、拡大して この作品の良い画像をご覧ください。)
さて、この作品のタイトルは「パリのシテ島」である。
しかし、この作品ではパリの特徴的な建物が見当たらず、画面右手がシテ島なのか、左手がそうなのか、一見したところでは判断が難しい。
いったい、どちらだ?
分からない。
だが、繰り返すが、この作品のタイトルは、「パリのシテ島」である。
そうであるからには、石壁と木が2本だけ描かれているように見える画面前景部、すなわち画面の右側の方がシテ島なのか、それとも、セーヌ川と建物群が描いてある画面左側、つまり対岸の方がシテ島なのか、何とかはっきりさせなければならないだろう。
来館者からも、「で、どちら側がシテ島なんですか」というシンプルだけれど、まっとうな質問が飛んでくるのが予想される。
前にも書いたが、絵や写真だけ見て、川がどちらの方向に流れているかを判断するのは、至難の業である。
実際に肉眼で見てもわからない場合だってあるのだから。
だから、この作品でも、セーヌ川は画面前景に向かって流れているのか、後景に向かって流れているのか、これも分からない。
このセーヌ川は、グラン・ブラ(シテ島の北側の支流)なのか、プティ・ブラ(シテ島の南側の支流)なのかも、これだけでは分からない。分かるとすれば、天才的なパリ通(こういう人もいるらしい?)ではなかろうか。
このように、この作品は、これを見ているだけでは、その描かれている対象に関しては、何も分からない尽くしなのだ。
そこで、シニャックのカタログ・レゾネであるカシャンの本を参照する。
カシャン本を参照すると、茨城のこの作品を「関連作品」とはしていないが、ほとんど同じ構図の油彩作品が2点あることに気づく。
「ル・ポン・ヌフ(プティ・ブラ)」(1913年作、下図の上)と「ル・ポン・ヌフ、プティ・ブラ」(1932‐34年作、下図の下)である。
これらの作品の画題が傍証するように、実は茨城の作品も、プティ・ブラ側を描いていることが分かる。
ここまで分かれば、あとは、この川の流れが、画面の奥行に向かって流れているのか、それとも、画面の前景部に向かって流れているのかによって、この作品の左右どちら側が、シテ島なのかを決定できるだろう。
すなわち、このプティ・ブラが奥行に向かって流れているなら、画面右側がシテ島であり、左側がセーヌ左岸ということになる。手前にそれが流れているなら、画面右側がセーヌ左岸で、左側がシテ島ということになる。
そこで、地図を広げて、どのような視点が可能かを考えてみる。
プティ・ブラ側のシテ島にかかる橋には、ポン・ヌフの他、サン・ミシェル橋、プティ・ポン(小橋)、ポン・オ・ドゥブル、アルシュヴェーシェ橋があるけれど、画面中央部の橋は、ポン・ヌフであることが先のカシャン本に掲げられた2点の作品名から知られる。
そこで、再び先の同じ構図の作品2点と、茨城の作品とを比較しながらよく見てみると、ポン・ヌフのさらに向こう側に小さくもう一つの橋が描かれていることが分かる。
そして、この橋が何であるかが分かることによって、このプティ・ブラがどちらに向かって流れているのかがわかるであろう。
調べてみた結果、これはポン・デザールである。
サン・ミシェル橋ではない。
すなわち、画面の奥行に向かって、この支流は流れているのである。
だから画面右手が、シテ島なのだ。
どうして、ポン・ヌフの下に見える橋がポン・デザールであることが分かったか。それは次の理由による。
すなわち、コンティ河岸付近のどこからポン・ヌフを眺めても、その向こうにサン・ミシェル橋はあのように見えない。
これに反して、シテ島のオルフェーヴル河岸通りから降りてポン・ヌフを眺めたなら、その向こうにポン・デザールがあのように見えてくるからである。
これを疑問に思うなら、今日ネットにあふれているパリの画像でそれを確認してみるといい。
さて、それが、ポン・デザールと分かれば、ポン・ヌフの上方にルーヴルの屋根が見え隠れするはずである。
事実、カシャン本に載っている2点の作品の遠景には、そう言われればわかるようなルーヴルらしき建物の影がかすんで見えている。
だから、これを根拠に、逆にポン・ヌフの下に見えている橋は、ポン・デザールであると言ってもよい。
ところで、茨城の水彩画では、このルーヴルの影がはっきりとは現れてはいないように見える。
それから、水彩画の画面右側に描かれている木も本当は2本でなく、前後にそれぞれ重なっており、4本以上であることが、2点の油彩画との比較から想定しなければならないだろう。
もともと、茨城の水彩画と2点の油彩作品とは、若干、異なる視点が採られている。
そのため若干の視点の違いによる構図の違いも生じているのだ。
茨城の水彩作品、画面中央最遠景には、2本の塔のように見える部分が描かれているが、実は、これこそがルーヴルの一部だったのである。
画面のちょうど中心部の最遠景部に2本の塔のように描かれているのは、調べてやっと分かったことだが、これはカルーゼル橋に面したルーヴル美術館の「レ・グラン・ギシェ・デュ・カルーゼル」の最上高部分なのである。
最初に触れたカードの図柄には、その位置を2本の矢印で示しておいた。
※この作品のアトリエ印、iphoneなどから、検索システムを通して見ても、よく見えませんでした。私の場合、PCから所蔵館の検索システムを利用し、そこから拡大すると見えました。