美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

エロシェンコの故郷

2023-06-04 21:50:54 | 中村彝

エロシェンコの生まれ故郷は、ロシアのオブホフカという村である。ウクライナの村ではない。(名前や民族的血筋はウクライナ系のようだが。)

この村は現在は、ロシアのベルゴロド州に帰属するらしい。
ところで、平凡社の世界大百科辞典(初版1964)でエロシェンコの項目を書いたのは秋田雨雀だが、雨雀によると、エロシェンコは「小ロシアのクールスク市に生まれた」となっている。だがその第2版ではクルスク県(ベルゴロド州)のオブホフカ村となっているらしい。
エロシェンコが生まれたのは、様々な文献からオブホフカには違いなかろうが、先の百科辞典第2版の解説だと、それが現在のクルスク州に帰属するのか、ベルゴロド州に帰属するのか、どうもはっきりしない。
クルスク州はベルゴロド州の北隣りにある州だ。
クルスク州もベルゴロド州もその西部はウクライナのはずだが、そこは昨年からのロシア侵攻の地であり、日々のニュースが伝えるところである。
だが、最近はロシアのベルゴロド州やクルスク州も爆撃されているとの報道があった。
エロシェンコという名前は、ウクライナ系の名前だが、彼の故郷オブホフカは、クルスク州にせよベルゴロド州にせよ、明らかにロシアにある州である。
よって彼をウクライナの生まれとする解説があるが、それは、訂正したほうがいいかもしれない。だが、そこはエロシェンコの故郷であることが示しているようにウクライナ人も少なからず住んでいる地である。
ロシアは、ロシア人も住んでいるウクライナ東部を爆撃し、今、ウクライナ人も住んでいるロシア西部がウクライナ側から攻撃されているとしたなら、大きな被害と大いなる悲しみがもたらされるのは、いうまでもなく殺し合いなど誰もしたくない一般民衆である。
さて、本題のエロシェンコの故郷に戻るが、私が見たウィキペディでは生誕の地が、「ロシア、クルスク州、スタールイ・オスコル、オブホーフカ」となっていた。
だが、スタールイ・オスコル市は明らかにベルゴルド州の都市である。
地図で見るとオブホフカは、スタールイ・オスコルから南に数十キロメールほど行ったところのようであり、エロシェンコの博物館があるようだ。
よってエロシェンコの故郷は、現在のロシア、ベルゴロド州にある都市スタールイ・オスコル近くの村のオブホフカであると言ってよいと思う。
なお、秋田雨雀が述べたクルスク市は、スタールイ・オスコル市よりもやや北方にある。

※以上のとおりであるが、私自身、これまで、エロシェンコを単にロシア人と表記したり、曖昧にウクライナが故郷と示したことがあったかもしれない。また、中原悌二郎のモデルとなったニンツァをその故郷と思われるアルメニアを示さず、やはり単にロシア人と表記したことがあるかもしれないので、ここでそのことをお断りしておきたいと思う。

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