シーナ アイエンガー「選択の科学」について、2011年2月13日の読売新聞書評記事にこんなことが書いてあった。「私たちは、4つから6つの選択肢から選ぶことを好み、選択肢の数があまりにも多くなると、選ぶこと自体をやめてしまう傾向がある。…真に自律的な選択を行うことは、実は難しい。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 11:44
「しかし、こうして指摘した後も、『選択は力なり』という著者の信念は揺るがない…自分の人生を、自分で選んだ人生として自分に語れるものにしよう」とも書評には付け加えられていた。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 11:50
「音楽で人は輝く」の著者樋口裕一氏は「本当は音楽史をやりたかった」らしい。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 12:00
「『白鯨』では宇宙的な規模に拡大した自我もやがて大きくほころび始める。フロイトは意志ではどうにもならない無意識を発見し、世界はますます複雑化していく。…20世紀に入りやがて近代的自我がぼろぼろに崩れ去る様を平石(高貴の『アメリカ文学史』)は丹念に追いかける。」都甲幸治氏の書評
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 12:25
ミサイル防衛= MDについて
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 12:48
「『ピストルの弾同士が当たるのは、なかなか難しい』と09年の官房副長官が国会で述べた」と今日の毎日新聞。2007年の防衛相によれば「敵ミサイルはMDシステムで99%は排除できる」はずだったが…今日、MDの有効性はいかほどなのか、さっぱりわからない。
昨年の文庫本の平均価格は670円(税抜き)と、今日の毎日新聞。文庫本の販売不振は、価格高騰も一因ではとの指摘も。確かに文庫本は昔は安かった。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 13:15
真の科学者は、科学を絶対などとは決して言わない。確かに。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 15:17
正しさはあくまでその時点での正しさだ。しかも範囲が厳密に限定され、幾十にも様々な条件がつけられた上での正しさであることが多い。
科学絶対神話について…
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 15:18
「≪科学の絶対性≫を科学者が信じているという意味なら、それこそありえない神話だ。正しさは確率であり、絶対はないと骨身に染みているのが科学者。だから科学的になるほど絶対という言葉を使いたがらない。」坂村健氏が今日の新聞で述べていた。
真の科学者は、科学が絶対などとは決して言わない。確かに。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 15:21
科学の正しさは多くの場合、厳密に範囲が限定されていたり、幾十にも様々な仮定や条件がつけられた上での正しさにすぎないことも多い。
坂村健氏はこうも言う。「≪この世に絶対は無い≫からといって、すべてを疑っていたら何もできない。だから≪正しさの確率≫をもとに人も社会も行動する。すべては程度の問題なのだ。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 15:32
坂村健氏は、日本学術会議の報告書「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」を新聞で取り上げ、「影響はない、が現時点での(この報告書の)結論だ」と報告書を支持。氏は、マスコミがこの報告書の内容をもっと知らせるべきと今日も訴えている。
— Riki68 (@tikarato) 2017年10月19日 - 15:52