Tiangangの毎日

浦和から国分寺に引っ越したフットボール好き。レッズの試合や食べたもの、旅行、読んだ本などをのんびり書いてます。

「八幡山でフットサル」

2005-09-28 22:36:47 | Weblog
9/25
・10時半に京王線八幡山駅で友人と待ち合わせ、「フットサルクラブ・東京」へ。初めて行ったのだが明治大ラグビー部の八幡山グランドの隣にあった。フットサルコートが3面あってたくさんの人で賑わっていた。今日はFCダイボとその他友人で3チームに分かれて5分のローテーションで廻した。3チームだと各チーム2回連続やることになるので結局10分ゲーム5分休憩で2時間、すっかりバテた。

「浦和、横浜に引き分け」

2005-09-28 22:36:04 | Weblog
9/24
・台風の影響で午前から曇りときどき雨模様。1時半頃に浦和駅より埼スタ行きのバスに乗ろうとすると既に長蛇の列ができていた。結局バスに乗るのに20分程かかり乗ってからも渋滞で小一時間かかり、ゴール裏にたどり着いたのはキックオフ5分前だった。キックオフ時には雨もほとんど止んでいた。埼スタゴール裏は実に02年以来3年振り。選手入場から既にアドレナリン全開だった。しかし試合内容は横浜に押され気味で、達也や永井も頑張っていたが中澤がひっぱる横浜DFラインを崩せず決定的なチャンスをほとんどつくれなかった。相手にはボールをキープされ、浦和のDFでは戦利王の代わりの堀ノ内が頑張っていたが崩されてヒヤッとする場面がいくつかあった。GKの都築が好セーブを連発して踏ん張った。今節の結果は良く負けなくて良かったという感じ。帰りは浦和駅前で友人達と軽く飲んで帰宅。G大阪と鹿島も引き分けで勝ち点差は変わらず。次節は好調5連勝中のC大阪と。

「アンブロのシューズを購入」

2005-09-24 11:06:43 | Weblog
9/24
・フットボール用のシューズやレッグ・ガード、更にはナップザックなど、荷物が多かった関係で瀋陽で全て捨ててきたのだが、日曜に早速草サッカーチームのフットサルに参加することになったので、あわててトレ・シューを求めて浦和駅前をさまよった。ところがサッカー専門のショップが見当たらない。最後には伊勢丹やコルソの中も探してみたがなかった。浦和駅周辺でぱっと見つからないのは正直意外だった。仕方がないので池袋へ。前から知っている池袋西口駅前にあるKAMOスポーツへ。アンブロのトレ・シュー買ってきた。人工皮で7千円程度。ついでにレッグ・ガードとバッグも買ってきた。合計1万3千円なり。ちなみにKAMOスポーツの店員に聞いたら昔は浦和にも支店があったのだがなくなってしまったとのこと。残念

「自宅周辺をジョギング」

2005-09-24 11:06:08 | Weblog
9/24
・今週は仕事には余裕があったので火・水は朝自宅の周辺をジョギングしてみた。浦和駅を往復、また南浦和駅にも近いので足を伸ばしてみた。浦和駅及び南浦和駅周辺は古くから街が発達しているので道を狭い。車に気をつけながら走らなければならない。また産業道路経由で駒場スタジアムにも行ってみた。駒場は実に2002年のシーズン最終節、福田と井原のリーグ戦最後の試合以来だった。たしか名古屋相手?に負けた。平日の駒場は本当に静かなものだ。おばちゃんが犬を連れて散歩している。スタジアム横のグランドは人工芝になっていた。土のグランドだった頃はマッチ・デーに西ゲート側で並んでいるときよく時間つぶしにボール蹴っていたが。今でも許されているのだろうか。

「日本へ帰国」

2005-09-24 11:04:03 | Weblog
9/19
木曜(15日)は瀋陽での怒涛の一週間が過ぎ、ついに帰国。最後に桃仙空港の出発ゲートで同僚、友人達と別れの握手をするときは思わず涙。瀋陽での2年9ヶ月の生活、毎日が刺激的で楽しむことができた。仕事でも短時間集中型で自分で時間をマネージしてやれたのだが、日本へ帰って東京勤務になるとそうはいかなくなり立ち上がりがキツそうだががんばるしかない。機内では和食を食べて白ワイン一杯だけもらってほとんど寝た。夕方に成田に到着、埼玉鶴ヶ島の実家へ。

 金曜(16日)は、午前中職場へ、挨拶のみ簡単にして午後は新しい賃貸の部屋の下見や契約などのため浦和へ。新しい部屋は浦和駅の東口から歩いて10分程度、静かな住宅街にある。近くにコンビニがないのが残念だが、自転車を使って駅前まで行けば大体なんでも調達できる。午後は3年前まで住んでいた東武東上線志木駅へ行き新座市役所で転出証明の手続きへ、結局海外勤務者が帰国した際に新住所へ転入するためには、前の日本の住所の転出証明は必要ではなくパスポートでの外国滞在記録の提示で代替できることが判明。手続き不要だった。ついでに志木駅前のサトームセンで携帯電話に加入、ボーダフォンを選んだ。更に冷蔵庫、洗濯機、ガスレンジ、照明等を買い揃えた。

 土曜(17日)は、部屋の立ち上げの準備をした。サトームセンから配送があり、またガスの使用開始のため東京ガス社員の立会い等をした。午後から新宿へ。映画「亡国のイージス」を観てきた。戦闘風景などは迫力があったが、自分としては事前に小説を読んでいただけに映画で見せて欲しいと思っていた多くの場面が省略されていて少し物足りなかった。

日曜、月曜(18日、19日)も部屋の立ち上げ、瀋陽から送った荷物などを実家の車に乗せて浦和の部屋へ運び、また駅前のイトーヨーカドーや100円ショップの「ダイソー」で生活用品を揃えた。特にダイソーでは本当にありとあらゆるものが揃っている。中国セッコウ省の義烏市場で大量に仕入れて来ているのだろうか。その他さいたま市役所近くのリサイクルショップにも行ってみた。かなり良い家具や家電が半額くらいで売っていた。結局買わなかったがまた他の店も探してみようと思う。日曜午後はレッド・ボルテージに行ってアウェー広島戦をテレビ観戦。先制して追いつかれ、2点目を入れまた追いつかれるなど心配させられたが最後は4-3のスコアで逃げ切ってくれた。これで来週のホーム横浜戦に望みをつなげた。

火曜日(20日)は連休明けの出勤、朝は家の周りをジョギング、南浦和駅方面にも走ってみた。南浦和駅方面にもアパートから歩いて15分位で行ける。

「インターコンチのイタ飯、そして最後はファミリーへ」

2005-09-15 07:16:38 | Weblog
9/14
・瀋陽最後の夜は職場同僚とインターコンチのイタ飯に行った。ワイン、イタ飯好きの日本人の友人達と週末に何度となく通ったものだった。ここの前菜の盛り合わせ、ペペロンチーノは忘れ難い。そして最後はファミリーへ。仕事でも大変お世話になった中国人の好朋友、同僚達8人と楽しく飲んだ。店の人達にも寄せ書きの皿をもらった。激しく感動。ママ、チーママ、媛媛そしてファミリーの全ての従業員の皆様、大変お世話になりました!瀋陽の「憩いのオアシス、ファミリー」永遠に。深夜1時過ぎ帰宅。瀋陽の最後の朝、これから急いでフライトで持って帰る荷物をパッキングする予定。

「瀋陽生活、大詰め」

2005-09-14 07:16:56 | Weblog
9/14
ここ数日、連続の飲みが続き、多少マラソンで鍛えた?体力をもってしてもほぼ限界。

日曜は、2年半にわたってアパートの部屋に毎週2回来て掃除・洗濯をしてくれた家政婦の張おばさんとその家族と新洪記餃子で一緒に食事をした。真面目にきっちり仕事をしてくれて、衣服もきっちり畳んでくれていたし、中国の旧正月など餃子を食べきれないほどつくっておすそ分けしてくれた。ここの息子さんは三好街の北大方正というIT企業でソフトの販売をしているのだが、大のフットボール好き。話が弾んで盛り上がった。若いし英語もしっかりしていて将来日本に来るチャンスもあるかも知れない。是非遊びに来て欲しい。夜は、親友Dannyとテレビ塔近くの「夜情人」というバーでコロナを飲んで話し込んで来た。シンガポール駐在経験があり、自信家で外国人相手に堂々とそして延々と英語でトークする面白いヤツ。74年生まれの同い年、フットボール好き、カラオケ好き、女好き!?という点で気が合った。その後ヤツの兄貴分、弟分がやってきて合流して中国式カラオケに移った。ひまわりの種をかじりながら中国語の歌を絶叫してきた。深夜2時半帰宅。

 月曜夜は、職場の同じ部門で働いている日本人・中国人スタッフと皇城老maで四川火鍋。辛いスープが染みた羊肉を食べながらビールの乾杯を重ねた。特に後半はメチャメチャ盛り上がった。同じ仕事で一緒に苦楽を共にした仲間であり、さすがに最後感動して涙出てきた。瀋陽ってウェットでいいなあとしみじみ。瀋陽と東京は近いのでこれからも交流を続けていけると思う。我々の友情は天長地久。毛沢東の「大海航行kao舵手」シャツをプレゼントしてもらった。その後中山広場のドラゴンホテルの1階にある日式カラオケ(名前は忘れたが東京レストランの老板が開いているところ)へ。

火曜夜は、マリオットで職場の日本人スタッフ全員で新しく赴任してきた同僚も含めた歓送迎会。暖かい励ましの「寄せ書き」を頂いた。非常感謝。9時過ぎ宴会が終わってついに「太陽電池切れ」、二次会へ行く体力がなくなったのでアパートに戻り、ベッドに倒れた。

「五里河公園で練習、国府肥牛で飲み」

2005-09-11 08:01:34 | Weblog
9/10
・午後3時から五里河公園でマラソン練習会、これで五里河公園も走り納めだ。五里河公園は渾河沿いにつくった公園で緑が多く景色が素晴らしい。瀋陽市も本当に生活環境改善の努力をしている。瀋陽はこれから、もっと清潔でゆたかな街に変貌していくだろう。3年後、5年後、10年度の姿をみてみたい。楽しみだ。

・夜は国府肥牛で飲み。マラソンチームやその他の瀋陽の友人たちが送別会を開いてくれた。感謝、感謝。夜はファミリーで11時半までゆっくりして帰宅。

・浦和の試合の結果を確認するとホームで大分に1-2で負け・・・。大分から勝ち点を取りこぼした。田中達也が怪我で退場する等のアクシデントがあったようだが、優勝争いをしているチームとしては痛恨の負け。終わったことは仕方がない、前を向いて次の試合に全力で立ち向かって欲しい。

「飲み会が続く」

2005-09-10 08:20:38 | Weblog
9/9
・帰国前で飲み会が続く。昨夜は瀋陽人のサッカー仲間の親友一人と東京レストランで食事をした。彼はIT企業の社長で日本語対応のソフトウェア開発の仕事をしていて頻繁に日本に来るので、東京でも会うことができる。餞別になんとマンUとレアル・マドリーのシャツをプレゼントしてもらった。非常感謝、非常感動了。その後は職場内のボーリング大会が金都ホテルであったので宴会のみに途中合流。日本人スタッフ、中国人スタッフ一緒になって盛り上がった。けしかけられて自分も「東北人都是活雷鋒」や「老鼠愛大米」を歌った。その後まったりとしたかったのでファミリーへ。帰宅は深夜1時過ぎ。

「名詞の整理」

2005-09-08 08:34:06 | Weblog
9/7
・帰国する前に瀋陽で大量にもらった名刺を整理することを試みている。OCRの「やさしく名詞ファイリング」というソフトを利用して専用のスキャナーでどんどん読み込んでデータベースにするもの。日本人の名詞はほとんど間違いなく名前、会社名、電話番号、FAX番号等がデータとして取り込まれるが、中国語対応していないため簡体字で書かれた中国人の名詞については、画像取り込みは良いが名前等の諸データとしては正確に取り込まれないので、名前などピンインで入力して補う作業が必要でかなり手間暇がかかる。日ごろからコツコツやっておけば良かった。帰国までにはとても全てを取り込めそうもない。

「瀋陽の毛沢東像」

2005-09-08 08:33:13 | Weblog
9/7
・中山広場の遼寧賓館で会議があったため、日中行って来たときに毛沢東像を撮影。7月頃まで化粧直しをして茶色でしっかり塗りなおされている。出張で来たお客さんが言っていたが中国国内でも今や毛沢東像は少なく、おそらく全国に3,4しかない、との話。瀋陽しか知らない自分は毛沢東像に違和感を持っていなかったが、今や非常に珍しいらしい。

「テニスのメンバーで飲み」

2005-09-07 06:16:04 | Weblog
9/6
・夜日本料理屋「栄」でテニスのメンバーで飲んだ。私が間もなく帰国するのに加えて9月9日と27日に帰国するメンバーもいるということもありテニスクラブのメンバーの入れ替わりも大きくなる。テニスは瀋陽に来て毎週やるようになって下手ながらも上達した。経験の長いメンバーを見てるととても勉強になるし、「なるほど」というワンポイント・アドバイスをたまにもらえるので非常に助かった。冬は日中でもマイナス15度前後が長期間続く瀋陽では外に出られないので室内テニスは運動不足解消にもぴったりだった。日本に帰ってからはおそらく毎週はしないだろうが、続けていきたいと思う。