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映画「海難1890」@109シネマズ木場

2016-01-05 23:20:06 | 映画感想
2016/1/1、109シネマズ木場。
1番スクリーン。会員価格(一般価格と同額)でエグゼクティブシートを指定。
まずまずの入りだった。

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内野聖陽、忽那汐里、笹野高史、竹中直人、夏川結衣、永島敏行、金子昇、ケナン・エジェ。

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19世紀も末に近いころ。和歌山県串本町紀伊大島にいた医師、田村元貞(内野聖陽)は
島に惚れ、貧しいものからは治療費を取らないで診療していた。

田村を手伝うハル(忽那汐里)は、恋人が溺死したショックから言葉を失っていた。

一方、1889年、オスマントルコ帝国は皇族のイスタンブール歴訪の返礼として、
日本に親善使節団を派遣することになった。

老朽化していた木造フリゲート艦、エルトゥールル号が派遣されることになった。
1889年出帆したエルトゥールル号は1890年6月に無事に横浜に入港し、
明治天皇に謁見を果たした。

すぐ帰路に着く予定だったが、船内でコレラが発生したこともあって足止めを食い、
出発が延び延びになった。

エルトゥールル号には出来るだけ早く帰国することが求められていたため、
台風が接近していたにもかかわらず、9月15日に横浜を出発することとなった。

翌16日、案の定台風の真っただ中で翻弄されるエルトゥールル号は、
マストが倒れ、燃料庫に浸水し石炭が使えなくなってしまう。
土産を含む可燃物を燃やし、必死でボイラーを炊き続けたが、
ついに串本町沖に座礁してしまう。

ボイラーにも浸水、ムスタファが退艦を告げて回るが、ボイラーが爆発、
乗組員は荒れ狂う海に投げ出される。

その時、漁を止めて飲み食いに興じていた漁師たちに爆発音が聞こえた。
果たして彼らの取った行動は。

そしてそれが95年後に立場を逆にして日本人に訪れた危機につながっていく。

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大げさな感じも、わざとらしさもなく、淡々と進行する割には切迫感もあった。

生存(救出)者69名、死亡/行方不明者587名。生存率10.5%。
電子機器も水中探査技術も重機もない当時としてはこれでもすごかったのかもしれない。

艦船が地中海のイスタンブールからどうやってインド洋に進んだのかは気になっていたが、
1869年にはスエズ運河が完成しており通行は可能だったようだ。



エルトゥールル号は木造のフリゲート艦。
3本マストの全てに横帆を備える帆装形式としては「シップ」となる。
英語の授業では「シップ=船」と習うが、帆船では帆装の形式を示す。

エルトゥールル号は当初は帆船として建造されたが、
後に改装されて蒸気機関を備え機帆船となっている。
ただし、燃料の問題もあり、全行程を機関航行するのではなく、港内や沿岸では機関、
遠洋/外洋では帆走が主流だったようだ。

ちなみに、ペリー艦隊の黒船艦隊は一般には蒸気船として知られるが、
外輪機帆船と帆船の組み合わせ。

一方のエルトゥールル号はスクリュー船と思われる。



テヘランからの脱出で「日本の国は我々を見捨てた」的な発言があるが、
自衛隊機を派遣できないのは国会承認云々関係なく法の制限のはず。

1985年のテヘランでのトルコ機(民間機)だけでなく、
1997年にはカンボジアでタイ軍用機、
1998年にはエリトリアで米軍機に邦人が救出されている。

他にも政府チャーター機(民間機)で法人を救出搬送した実績はあるが、
良し悪しはともかく海外の邦人は助けたくても自衛隊にはできなかった。

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