鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

朴葵姫さん ギターリサイタル

2023年04月25日 | 雑談

朴葵姫(ぱく きゅひ)さんの ギターを聴きに行きました。

韓国の方ですが、3歳から日本でギターを習っていて、日本人かと思うほど日本語も上手でファンもたくさんいます。

この方はウイーンの国立音楽大学を首席で卒業。 入学するだけでもすごいと思うのに首席で卒業とは驚きですが、スペインのギターマスタークラスも首席で卒業。

多くの国際ギターコンクールで優勝とすごい人なのです。

 

場所は京都コンサートホール、北山にありますが私は初めて行きました。

 

中はスロープになっています。 見えますか? この部屋の外側にスロープがあります。

 

スロープの壁には、いろいろな音楽家の写真が貼ってあります。

 

どなたか知りませんが、有名な人たちばかりなのでしょう。

 

さて、朴葵姫さんですが、今回は舞台に出てきて演奏する前に、曲を説明されました。 今までは黙って演奏が始まるのですが、初めて生の声が聞けました。

クラシックギターはバッハやヴァイスなど古典的な音楽もよく弾かれますが、やはりスペインでギターが開花したので、スペインの曲が多いです。 そして、スペインと南米は似た感じなのか、南米の曲もビラロボスという作曲家が何曲も作曲しています。

今回は、初めにシューベルトなどの曲を弾いた後、南米の音楽を選んで演奏されました。

とても綺麗な演奏で、音がひとつづつ綺麗に奏でられている。 へんな雑音やビビリ音など皆無で、その美しい音色の演奏はさすがに国際ギターコンクールで何度も優勝している人だと思わせました。 素人とは桁が違うことを実感したのですが、最後に南米の曲でヒナステラという方のソナタOp.47 がすごかった。

その曲の中で何十年もギターを練習してきた私も驚く様な弾き方があった。 こんな弾き方をしても良いのかと思うような技法で、ギターをコツコツと叩くのはフラメンコではよく見るのだが、この曲もギターのブリッジや指板を叩いたりする。

そして、

ギターの弦を擦るのだ。 キューという様な擦り音がする。 この写真は説明のためでギターを構えたらこんな手の形ではないが、ギターの弦は弾くもので擦るものではないと思っていたら、擦った。 もちろんアドリブではなくて楽譜がそうなっているのだろうけれど、え〜 という感じ。

 

そしてさらに驚かされたのが

ギターのここ、糸巻きのところも使って弾く。ギター構えていてここに右手を持ってくるのはかなり厳しいスタイルになるが、こんな所なんで、子供が遊びで弾くぐらいだと思っていたら、演奏中にここも弾いた。

ヒナステラという方のソナタOp.47はそういう曲なのですね。

そして、弦の上を握り拳で叩く様な弾き方もあり、指の甲側で弦を叩くので、練習中に指の皮が剥けるそうだ。

プロのギタリストは一回は指の皮が剥けなければダメだとか、演奏後に話しておられましたが、こんな曲があったのか、こんな弾き方があったのかと驚くばかりでしたが、もちろん音楽的にも素晴らしい曲で、南米の音楽家はクラシックの固定観念に囚われずに独自の方法で弾く方法も辞さない。

長い曲で、ギターの糸巻きの方まで弾いて腕の動きも大きく、さすがに最後の方は息遣いが荒くなっていた様でしたが、やはりプロはすごい。

華奢な体で、ビビリ音一つ出さないのは左手の抑えの力の強さ、力の持続性など並みではない。

自分もギターをやる身としてはその凄さが、桁違いに桁違いに桁違いに、と何度もつけたいほどわかり、すばらしい演奏を聴かせて貰ったと感激して帰途についたのでした。

 

朴さんの写真は撮れないので、代わりに私の写真など。 

ギターは模型作りよりも難しい。それはね、模型作りは多少失敗しても修正ができるけれど、楽器は音が出た途端に終わりで、間違っても修正はできないからです。 だから、プロの方が間違いも雑音もなく人前で弾けるのは並大抵のことではないのです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行 1996年第4回ヨーロッパ鉄道模型紀行 その3  ノイシュヴァンシュタイン城 2

2023年04月24日 | 海外旅行

ノイシュヴァンシュタインを橋から見て、いよいよお城に向かいます。

 

途中景色が良いところがあったので記念撮影。 後ろに湖と黄色っぽいお城が見えます。

 

さらに山道を下ってお城の裏に出ました。

城は白一色だと思っていたら場所によって大理石の色が違う。

 

立派な城でデザインが凝っている。

この城は戦のための城ではなくて、完全にルードヴィッヒ2世が美しさのために建てた城です。

 

城門です。 ここから入ると

 

城の正面です。 ここでも大理石の色が変えてあるのがわかる。

いよいよ建物の中に入ります。 入ると、大きな木のドアが閉まっていて、昼休みと書いてある。 今はこんな呑気なことをやっていないはずで、大行列になるので入る時間も決められた切符がありますが、当時はこんな感じだった。 

建物の中でしばらく待つことにしたんですが、えーい、めんどくさい。 城の中など豪華な飾りがあるだけだろう、さっさと下に降りてビールを飲みに行こう、と話がまとまり、城を出たのでした。

 

降る途中の馬車乗り場。 これで登ってくる人も多いのですが、もちろん車は入って来られません。

 

馬車道を通って降りますが、案の定雪で滑って転ぶ人もいる。

私は転んでいないけれど、ぎっくり腰でだんだん痛くなってきた。

 

やがて、先ほど見た城の横にやってきた。 この城はルードヴィッヒ2世のお父さんの城で、ルードヴィッヒ2世もここで育ったという。 ここに寄る余裕はなく、さらに麓に降りる。

 

麓のレストラン、土産物屋街から見た城。 良い雰囲気です。

 

でもここのレストランには入りません。 来る時にバスの窓から見かけたレストランに行くことにしたのです。

バスに乗ってフッセン駅まで行きます。

 

このレストランです。 良い雰囲気でしょう? 

ビールと食事に大満足。 城の中に入っていたら、こんな時間の余裕は持てないので、大正解とか言いつつビールを飲んでいます。

でもね、腰が痛いんです。 猫背になっているのがわかりますか?

 

そして、ホテルに帰って、腰が痛い〜 ともがき苦しんでいるのであります。

腰を捻った時から時間が経ってきて段々痛みが増してきた。

さて、ノイシュヴァンシュタイン城

 

私が作ったZゲージのレイアウト、ノイシュヴァン鉄道です。

この時には本物を見ていないので、お城は真っ白に塗りました。 なにせ別名、白鷺城と呼ばれているので。

 

旅行から帰ってきて城の色を塗り直しました。 白も少しくすませて、所々大理石の色も変えて。

 

そして全体も雪景色に変えて、ノイシュヴァン鉄道雪に変身しました。

やはり本物を見ると刺激を受けます。

 

さて、ルードヴィッヒ2世が作った城はここだけではなくて、リンダーホーフやキムゼー城などいくつかあります。 そして、国の金を使いすぎて幽閉されて、ある日湖に浮かんでいたとは有名な話です。

私は模型の城なので、我が家の財政が傾くほどではありません。

 

つづく

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新レイアウトの製作 その11  ポイント

2023年04月23日 | レイアウト

ナローの線路はPECOのナロー用を使いましたがポイントはカトーを使います。

カトーのポイントのプラグが通る穴を開けて下から上にプラグを引っ張り出しました。

この時にグレイのコードをガイドにして、それを先に通してプラグを引っ張り出しました。

 

ポイントにプラグを差し込んで線路を取り付けます。 

 

PECOの線路のフィダーです。 レールにコードをはんだ付けして

 

道床に穴を開けてコードを下に出しますが、下に出たコードを手元に引っ張り出すために?な形の工具を使いました。

手元に引っ張るような工具ってあまり販売されていないです。

 

レールジョイントにフィダーのコードをはんだ付けしたりもしました。

 

ヤードも作って。 このポイントはPECOでマシンは持っていますが、地下に埋めるのは嫌なので、手動にしておきます。

 

線路の施設が終わりです。 

 

線路に錆色を塗って

枕木の隙間が空いたところに

枕木を入れて修正したりなどの細かい作業があります。

 

線路の内側に板を置いて情景を考えています。

この辺りはここで一息で、次はもう一つのエンドレスを作る作業に入ります。

 

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HNモジュールは鉄道模型の王様だ! その13  表紙になったHNモジュール

2023年04月22日 | HNモジュール

HNモジュールです。

鉄道模型趣味誌の表紙に載りました。

2008年5月です。 私の農家のモジュールが表紙に載りました。

鯉のぼりが風を感じさせて、風景が生きているとの評判だったようです。

 

これも、私の入江のモジュール。 残雪の能登の景色を参考に作った情景です。

水が感じ良かった様ですが、レジン硬化までに平面にならない様にいろいろのことをしています。

 

2018年には長駅さくらが表紙を飾りました。 Takさんの作品です。

このモジュールの制作レベルはものすごい。 工作力もさることながら本物の観察力には敬服します。

 

2020年には同じくTakさんの天井川と湿田跡のモジュールが表紙です・

さりげない景色のモジュールですが、これって実物にしか見えないでしょう?

モジュールだけではなくて車両も実感的にディテールを上げてウエザリングも素晴らしいのです。

 

鉄道模型趣味誌には素晴らしいモジュールの作品がよく載りますが、そのほとんどはモジュールの中でだけ行ったり来たり程度の走らせ方しかしていないのですが、上に載せたモジュールはHNモジュールなので運転会では他のモジュールと連結して、一日中列車が走り回っています。 生きたモジュールなのです。

はーい、あなたも思入れの景色をHNモジュールで作って、TMSや他の雑誌の表紙を飾ってください。

 

ちなみに、HNモジュール以外、私のレイアウトの写真やディアゴスティーニのD51の製作も表紙に載っていますし、東京のKYさんは

この精密な作りのDD15も表紙を飾っています。

HNモジュールは情景ですが、車両作りにも長けた人がたくさんいます。

 

つづく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中世史 院政

2023年04月21日 | 雑談

中世史を習い始めました。

院政の始まりは1072年の後三条上皇からですが、期間が短いので本格的な院政は次の白河上皇からというのが一般的だそうです。

院政は天皇を退位した上皇が天皇家の家長として天皇を後見とありますが、なんで退位してから政治に口を突っ込むんだろうと思っていたら、摂関家、藤原氏などが姻戚関係にあるので政治に口を突っ込むどころか、自分の意のままに政治を行うことを防ぐためだったそうです。 皇位継承権の確保も院の子孫に皇位を継承させるために大事なことでした。

白河上皇は堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇の時に院政を行い実に43年も政治の実権を握っていたとか。 でも、御所には天皇がいるので、上皇の館で重要なことを上級貴族に伝えて、見かけ上は天皇の御所で物事を決定したとか。

鳥羽天皇の二人の后、得子、璋子と系図には書かれていて、先生は美福門院とか待賢門院という名前で話しておられたが、美福門院得子、待賢門院璋子とかろうじて覚えていたので、誰の話かはわかりました。

この待賢門院と白河上皇の間で関係があって、その子の崇徳天皇は鳥羽天皇の子ではなく白河上皇の子だとかややこしいことが言われていますが、真相はわかりません。 でも、このことが紛争の元になったのですが、当時の書物も後の時代に書かれていたり、誰かに忖度したりしているので事実は闇の中と言うことが多い様です。 今でも政敵に対して、デマを流すなど色々あるので昔も同じだそうです。

鳥羽院は崇徳に対してきつい態度をとったそうですが、この辺りのことは皆さんご存知だと思います。 鳥羽院亡き後、後白河上皇が院政を行いますが、保元の乱、平治の乱へと繋がってゆき源氏と平家が台頭してきて、後白河院と平清盛が初めは組んでいたのが後には源氏を焚き付けて平氏滅亡となった。

ということですが、院政はなんと江戸時代の終わりまで続いたそうです。

さて、この人たちと私の関係は

待賢門院璋子さんは晩年京都の法金剛院(京都市右京区花園)で暮らしました。

小さなお寺ですが、花の寺で季節ごとにいろいろな花が咲いています。

 

そしてその裏に

待賢門院璋子さんの御陵があります。

 

鳥羽天皇の御陵は昔の鳥羽離宮の一角にあって(京都市伏見区)

鳥羽天皇の御陵です

 

こちらは、美福門院得子の子供の若くして亡くなった近衛天皇の御陵です。 父親の鳥羽天皇の御陵の近くにあります。

この塔は近鉄電車の京都線から見ることができます。 昔からなんだろうと思って行ってみたら近衛天皇陵でした。竹田駅の近くです。

一方、待賢門院の子供の後白河天皇の御陵も近くにあります。 この方も鳥羽上皇の子供です。

後白河天皇陵 大きな道路の横で何十年もこの横を通っていたのに知らなかった。

後白河天皇の兄の崇徳天皇は保元の乱で敗れて讃岐に流されたのでこの辺りに御陵はありません。

 

ということで、一昨年、昨年とこの辺りの御陵を参拝したので、この方達を身近に感じました。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする