ばぬあ通信 ―バヌアツ共和国 青年海外協力隊活動記―

青年海外協力隊としてバヌアツ共和国タンナ島で小学校教諭として2007年から2年間活動しました。未知の世界をあなたへ☆

no.91 8.10 仕事への誇り

2009-08-10 18:35:06 | Weblog
みなさんこんにちは!お変わりありませんでしょうか?ロカタイ小学校には学校の畑があり、今はえんどう豆や大根、ラディッシュ(赤カブ)が食べごろです。しかし、どうやら村の人はラディッシュや大根を作ってはみたものの食べたことはないようで、「テツヤ、これってどうやって食べるの?」と大真面目に聞いてくるので、「そのまま食べるよー♪」とラディッシュをその場でかじって見せたらみんなに「えー!!」と驚かれてしまいました(^^ゞ今日もロカタイ村は平和です♪

7月の第3週第4週と日本の友人が来タンナしてくれました。一組は高校時代の陸上部の友人、もう一組は都教員時代の友人です。二組ともタンナに滞在した時間は2・3日と短かったのですが、活発に噴火するヤスール火山を見ることもできたし、夜は我が家に友人プラス全タンナJOCVが集結し、食べて飲んで歌っての楽しい時間を過ごすことができました^^♪友人たちから今の日本の話を聞き、景気が思った以上に思わしくないことやこの2年で自分が「浦島太郎」になりかけていることがわかりました(^^ゞしかし、友人と話していて一番感じたことは日本人の「仕事への誇り」の高さでした。

なぜ日本が経済大国になったのか。なぜ経済大国になることができたのか。「その答えはこれなんだ。」と思いました。みんなが自分の仕事に誇りをもって働く。これこそが今の日本をつくったのだと思います。お金をもらって働くということは、その道のプロであるということ。日本人はきっと個人差こそあれど、この気持ちが強いのではないかと思います。この思いが生む「向上心」や「こだわり」が世界一の「ものづくり大国日本」を作り上げたと思うし、日本の高い教育水準を支えているのだと思います。どんなに楽しくふざけていても仕事の話になったら真剣になる。友人たちのその目にはプロとしての誇りと自信がみなぎっていました。

仕事に誇りをもつということは、自らの生き方に誇りをもつということ。自らに誇りをもって生きるということ、それは幸せに生きることともいえるのではないかと思います。1ヵ月半後には私は帰国し、日本(の予定(^^ゞ)です。帰国が目の前になり「帰国後どうしようかな?」という漠然とした不安を感じることもあります。今、人間として、日本人として、教育者として、青年海外協力隊員としてすべきこととは何か。日本から来てくれた友人たちと一緒に過ごしたことで、私が帰国後何をすればいいのかが少し見えたような気がしています^^

この約2年間、日本人の代表として国際協力のプロになれるようにと日々努力してきたつもりです。最近やっと国際協力とは何かということが見えかけてきたような気がしてきたのになぁ・・・。残り任期は1ヵ月半。まだまだ学ぶべきことがたくさん私を待っています^^!泣いても一日、笑っても一日。一日一日を大切に活動していきたいと思います。みなさんも素敵な一日を!Ale!(^o^)/





写真はタンナで子どもたちと使おうと思って日本から持ってきたとびなわです。左に一本だけあるものは、私が小学校4年生のときから大切に使っているものです。もちろん今も現役です。20年前に100円で購入したこのとびなわは、つくった人のこだわりを歳月を超えて伝えてくれます。さすがJapan made !!自動車をはじめ、外国で活躍している日本製品はいつも私を勇気付けてくれました(^^)

no.90 8.8 うれしい出来事

2009-08-08 18:31:32 | Weblog
みなさんこんにちは!2年間で100号を目標にみなさんにお送りしてきたこの「ばぬあ通信」は何と今回で90号!こうしてタンナで活動できているのはみなさんの理解と応援があってのものです。改めて、どうもありがとうございます(^^)

今日はある日の夕方の「うれしい出来事」についてお伝えします。そう、それはある普通の日の普通の夕方。「そろそろカバでも飲みに行こうかな~」と思っていると、誰かがドアをノックしました。「ん!?誰かな?」と思ってドアを開けるとそこにはロカタイ小の5・6年生の担任の女性の先生が。(ロカタイ小の5・6年生は複式学級なので、2学年で1クラスです)なんだかモジモジしているので「どうしたの?」と聞いてみたら、「テツヤにお礼が言いたくてきたの。」というではありませんか。「んん?なんのお礼?」と思っていると「クラスの子どもたちの学力が最近すごく伸びたのよ。特に文章題に対する理解力が大幅に伸びたの。だからテツヤに一言お礼が言いたくて・・・」と言うではありませんか!

この5・6年生の担任は赤ちゃんがいるので、時々クラスを空けることがあり、そのときに私が変わりに授業をもつことが最近何回かありました。確かに他の学年と比べて授業をした回数は多かったのですが、もともと彼女のクラスは学級経営がしっかりしていたので指導しやすい学年でした。私自身も5・6年生には手ごたえを感じていましたが、それを担任も感じ、わざわざお礼を言いに来てくれるなんて!そのときは「ありがとう!おれもうれしい!二人で協力した成果だね!」と二人で盛り上がりましたが、少し時間が経ち今はしみじみと「あぁ、よかった・・・。」と思います。もう昔のことはあまり覚えていませんが、昨年は悩み、苦しんだ日々だった・・・ような気がします(^^ゞしかし今、活動の終わりを目前にして「私がタンナへ来た意味が少しはあったかな」とやっと思えるようになりました。現地教員対象の出張算数ワークショップもうまくいっているし、やっと、本当に終わりを目前にして、やっとのことで自分の存在意義を見いだせるところまでくることができました。

あぁ、タンナヘ来てよーかったぁー!\(^o^)/

「道は私たちの前にはなく、歩んだ後にできるもの、そして評価はその道が歴史の一コマになったときに下されるもの」これは私の尊敬する大切な人が私にくれた高村光太郎の詩の一節。私が歩んだ道がいつか誰かの人生を助けることになったらJOCVとしてこれ以上の幸せはありません。よーし最後の最後まで歩みきって・・・いや、こうなったら小走りで・・・よっしゃー!思いっきり走りきるぞ~^^♪

みなさんも素敵な週末を♪ではまた!Ale!(^o^)/


写真は5・6年生に手伝ってもらって3年生の図工をしたときのものです。5・6年生はみんな立派に助手を務めてくれました^^

no.89 8.6 割礼のお祭り

2009-08-06 18:21:55 | Weblog
みなさんこんにちは!お変わりありませんか?タンナはまだ朝夕冷えますが、日本は夏真っ盛りなんでしょうね^^うらやましい!

6月から8月にかけてタンナでは割礼の儀式が村々で行われます。タンナでは割礼のお祭りを「ゴウリ」と呼びます。タンナの割礼は5歳から7歳の男子にのみ行われ、割礼を行った子どもはカスタムスタイル(裸にナンバス[ペニスサック])で約1ヶ月村のナカマルで生活します。その間、母親はもちろん女性と会うことはできず、村の長老などと寝食を共にし、村のカスタム(決まりや掟)を学びます。そして、無事にその修行?を終え、初めて女性の前に姿を現すとき盛大なお祝いが行われます。それが「ゴウリ」です^^

今年はすでに三つの集落の割礼のお祭りに参加しました。今日はそのうちの一つ、イパイ村でのお祭りの様子をお伝えします。今年イパイで割礼を行った子どもは2名。イパイは私が巡回指導を行ったラトゥーン小学校の近くでロカタイ村から歩いて40分程度の丘の上にあるのですが、今でも強いカスタムが残っている地域です。そのイパイ出身の友人ヤブットに「7月3日に来てね!」と言われていたので、3日に行ったところ村のナカマルは準備の真っ最中。「あれま。ずいぶんのんびり準備してるなぁ。間に合うのかな?」と思っていたら、ヤブットが一言。「ごめん。日付間違っちゃった♪3日じゃなくて4日だった(^^ゞ」なーるほど!おっけーまた明日ねー♪と言うわけで、4日に出直してみるとヤブットに「こっちこっち!」と誘われブッシュの中へ・・・。そこには儀式へ向けて衣装やメイクをしている男たちが。気がついたら私は割礼をした子どもの親族に仲間入りし、親族としてお祭りに参加することになっていました!9時始まりの予定が実際に儀式が始まったのは4時間遅れの13時(^_^;)村のチーフ、割礼を終えた子どもと父親、村の男たちと一緒に列を作ってナカマルへ入場。そして村の人たちとカスタムダンス。ヤブットのおかげですっかりイパイの一員になることができました^^あとで聞いてみたところ、どうやら私はロカタイ村の代表としてこのお祭りに参加していたようです。観光目的ではない本当の文化に触れることができること自体貴重な経験なのに、親族としてこのお祭りに参加することができるなんて思ってもいなかったのでとてもうれしかったです。

さて、ちょっとした疑問。なぜタンナでは割礼をするのか??どんな意味があるのか??子どもは割礼をすることによって親の一部ではなく一人の人間としての権利を得ることができるのだそうです。また一定期間親元を離れて男だけの世界で生活し、村のカスタムを学ぶことによって男の子は「村の男」になっていくのだと思いました。まさに「かわいい子には旅させよ」ですね!古くからのカスタムを今も守り続けている。これがマンタンナの強さの秘訣かもしれません。ちなみに女の子のお祝いは初潮を迎えたときに海で行うそうです。

私は学校での授業があるのでそのすべてには参加しませんでしたが、このお祭りはこのあと3日間続き、毎夜朝までカスタムダンスを踊り続けます。先週末には我がロカタイ村でも「ゴウリ」が行われ、こちらでも一緒に入場しカスタムダンスをしてきました。カスタムダンスは力を入れて足踏みをくり返すので、2時間以上踊るとさすがに足の裏が痛くなります。村の行事に参加し、村の人と一つになれる瞬間は何よりも楽しい時間です。いやー楽しかった\(^o^)/

8月になり、タンナはそろそろ寒さとはお別れかな?私の出タンナは8月23日の予定です。ということはあと3週間弱!最後まで頑張るぞ~^^/どうぞみなさまも健康第一で。Ale!



写真はイパイ村での儀式の様子とフェイスペイントの様子です。主役はさすがに疲れちゃってます(^^ゞ鮮やかなオレンジの顔料は昔は木の実からとっていたそうですが、今では市販されているものを使っているそうです。

no.89 8.6 画像

2009-08-06 18:00:27 | Weblog
小さな子どもは最後にペイントします。理由?最初にやってあげても遊んでいるうちに取れてしまうから。その辺は日本と同じですね^^

no.88 8.3 タフェア・カナキー アートフェスティバル

2009-08-03 18:17:57 | Weblog
みなさんこんにちは!ここ数日のタンナはすっきりしない天気が続いています。タンナでは風邪が流行っていて風邪気味の人がたくさんいます。今のところ私は元気です。健康あっての活動。残り任期1ヵ月半、元気に乗り切ります^^

今日は7月20日から25日までタンナで行われた空前絶後のお祭り「タフェア・カナキー アートフェスティバル」についてお伝えします。タフェアとはタンナ島がある州の名前で、カナキーとはニューカレドニアの先住民の俗称です。このお祭りはタンナのホワイトグラス空港とニューカレドニアのヌメア空港をつなぐ国際線の開通をお祝いして行われ、費用はすべてニューカレドニア政府が負担。このお祭り期間中は学校は休みになり、島をあげてのお祭りモード。会場はタンナの商業の中心のレナケルで行われ、首相や各大臣などもタンナ入りして大々的に行われました。その内容はヤムいも収穫祭にカスタムダンス、マンタンナVSカナキーのサッカーエキシビジョンマッチ、バレーボール大会、ボクシングマッチなどなど。そして夜のスタジアムは野外ダンスホールと化し、夜通しダンス!(゜゜)!

お祭りの期間はどこへ行っても人・ひと・ヒト!新しいお店ができていたり、急に道が整備されていたりしてまるで知らない土地へ来たようでした。とはいえ、やっぱりここはタンナ。お祭りが始まっても会場は出来上がっていなかったし、初日の開会式の始まりは朝9時予定だったのに、実際始まったのはなんと夕方4時!^^;また7月30日はバヌアツのインデペンデントデイ(独立記念日)なので、25日にアートフェスティバルが終わっても引き続きお祭りムード・・・のはずなのに、あらら?どうやらみんな疲れてしまったようで、アートフェスティバルが終わった後のインデペンデントのお祭りはこじんまりしていました(^^ゞ

島に溢れていた人も今はみな帰り、「フェスティバル つわものどもが 夢の跡」。このお祭りを機にタンナは一気に近代化するのかな?と心配していたのですがどうやら取り越し苦労だったようです(^^;おとといの夕方、ひろさんと二人閑散としたレナケルを歩きながら「いつものタンナに戻ったね~やっぱりこの感じがいいよね~♪」と話しました^^古きよき暮らしを続け、自然と共に生きる。やっぱりタンナはこうでなくっちゃ!ところで、あのお祭りのとき以来ヌメアからの飛行機は来ていないのですが・・・?どういうことだ?う~ん、やっぱりタンナってミステリアス☆^^

次回は割礼のお祭りについてお伝えします!お!雨が降ってきました!この雨でレインタンクの水が溜まるかな~♪明日洗濯しよーっと!ではまた!Ale!(^o^)/




写真はヌメアからの飛行機が到着したときの空港の様子です。

no.87 7.28 タンナワークショップ

2009-07-28 18:12:58 | Weblog
みなさんこんにちは!タンナはここ数週間びっくりするくらい朝夕冷え込んでいます。先週タンナではタンナーヌメア(ニューカレドニア)便開通のお祭り「アートフェスティバル」が行われました。そのお祭りの模様は改めてばぬあ通信でお伝えしますのでお楽しみに!

7月15・16・17日に私の任地タンナ島でJOCVによる現地教員対象のワークショップを行いました。JOCVによる算数、音楽、体育の公開授業2日間と講義1日の合計3日間行ったのですが、アートフェスティバルの直前だったにも関わらず、40名近い現地教員が参加してくれました。私は15日に配属先のロカタイ小で4年生と5・6年生の算数の公開授業、16日にはたくちゃんの配属先のレナケル小学校で1年生の算数の公開授業を行いました。音楽の公開授業は首都で活動しているJOCVが、体育はよりくんと首都の教員養成校で活動しているJOCVが授業をしてくれました。どの授業も好評でしたが、特に音楽の授業はタンナではほとんど行われていないため参加者にとって特に興味深かったようです。私は普段通りの算数の授業をたくさんの現地教員に見てもらうことができたし、「子どもに考えさせる授業を」「生活に生かせるような算数科指導」「授業は一斉でも確認は一人ずつ」など現地の先生に伝えたいと思っていることを実際の授業を通して見せることができたのでよかったです。

最終日にはJOCVで協力して音楽・体育指導について、公衆衛生の知識、算数の講義を行いました。私は「面積とは」というトピックで、バヌアツで多く見られる間違った認識(面積と周囲の長さを混同してしまう)の訂正、各図形の面積の求め方(公式となぜそのような公式になるのかという説明)について講義をしました。説明に使った教材はどこの学校にもあるA4の紙でつくり、工夫すれば誰でも有効な教材を作ることができるということも合わせて伝えることができました。

実際講義をしてみると、ほとんどの参加者が全く面積を求めることができませんでしたがそんなことは想定内で問題なし(^^)v「人は忘れ行く生き物だから時々脳みそをアップデートしないとね!」「ただ公式を覚えても今日みたいに忘れてしまうけど、理由を合わせて覚えれば忘れることはない。理由が大切!なぜそのような公式になるのかを教えれば子どもたちは忘れないよ!」と話しました。「算数は難しくない。簡単♪」というのが私がいつもワークショップの最後に言うキメ台詞☆こうして教師が算数を好きになり、自信をもって指導できるようになれば子どもたちも算数を好きになる。反省点はありますが、総合的に考えるとこのワークショップは成功だったと思います(^^)v

残り任期2ヶ月、タンナを去る日まで残り1ヶ月。タンナでやりたいことがまだまだたくさんあります。私はロカタイ小学校3代目の最後のJOCV。そしてロカタイ村最後の国際ボランティアです。先輩隊員の思い、村の人の思い、そして私のこの思いを胸に最後までやるぞー\(^o^)/ではまた!みなさんも健康第一で。Ale!



写真はロカタイ小学校での公開授業の様子です。たくさんの参加者が来てくれました^^

no.86 7.7 本質を理解する難しさ

2009-07-07 13:58:31 | Weblog
みなさんこんにちは!先日ロカタイ小学校でワールドヴィジョンという慈善団体による公衆衛生のワークショップが行われました。そのワークショップでは、清潔な生活を送る必要性や不衛生な生活が引き起こす弊害についてや、体を清潔に保つ方法、ゴミの捨て方などを実践を交えて紹介するとても素晴らしいワークショップでした。

タンナでは今でも公用語とされているビスラマ語を話せない人がたくさんいるので、村へ入り込んでの活動では地域のローカルラングレッジが話せるスタッフが必要不可欠。ワールドヴィジョンのメンバーの中にはロカタイ村に住む女性がいました。彼女に「いいワークショップだったよ。JICAでも公衆衛生のワークショップをやる予定なんだ。だから言い回しやビスラマ語の単語を学ばせてもらったよ。」と言ってメモを取った私のノートを見せたら、「私たちのワークショップを盗むのね。」と嫌な顔をされてしまいました。彼女には今までも理不尽にまくし立てられたことがあったので思わず構えてしまいました。今回は笑ってごまかし事なきを得ましたが・・・あれ?ちょっと待てよ?このワークショップは公衆衛生の啓蒙活動です。その知識を広めるのが目的です。それなのに「その知識や手法を盗むな」いうのはおかしい話です。

このワークショップ自体はバヌアツ人のみで行われましたが、彼らへの指導等はニュージーランドのワールドヴィジョンが行ったようです。彼らは言われたことをやることはできる、今回のケースでいうとワークショップをして啓蒙活動をすることはできる。しかし、「公衆衛生について考えさせ、その知識・技術を広める。」というところに本質があることは理解できていなかった。まさに国際協力・国際援助の現状が見えたような気がしました。私たちが援助をしても、やはり途上国の人々が自分たちの力だけで物事を進めていくことは難しいのが現状です。ただバヌアツの中にも物事の本質に目を向けられる人はいます。そういう人たちが増えていき、行く行くは国が変わるのだと思うのですが、一朝一夕で増えることはないので、長い時間をかけての援助が必要なのです。援助側はそれが難しいとわかっていても、いつかその日が来ることを信じてアプローチし続ける。

最近読んだ本にこんな言葉がありました。「夢は夢でしかないかもしれないが、夢見る権利、夢見る可能性は残しておきたい。」理想はあくまで理想であって、現実になることはないかもしれないけれど、私は理想を追い続けること自体が一つの理想的な姿であると考えています。いつかバヌアツが本質を見極め、自分の目で、自分の手で、自分の足で、自分の頭で生きる国になって欲しい。その過程の一部になれるように最後まで頑張ろう!(今の日本がそうなのか、と聞かれたら100%Yesとは言えないかもしれませんが・・・)

ワークショップの後は参加者みんなで一緒に昼食をとりました。例の彼女と一緒に食べたのですが、そのときはなんだかんだと私の世話をしてくれました。正直、私はその間ずっとハラハラしていましたが、終始やさしくしてくれました(^^ゞただ言葉がきつくて気性が激しいだけなのかなぁ、うーん(・・?どうやら私は彼女の「本質」を見極められていようです。トホホ・・・(^_^;)ではまた!素敵な七夕を☆Ale!(^o^)/



写真はそのときの昼食の様子です。お皿は葉っぱ、スプーンの代わりは手です。ワークショップをした直後でしたが、手を洗っていた子は何人いたのかなぁ(^^ゞ子どもの頭が白いのはシラミ駆除のためのココナッツオイルをかけたためです。

no.85 7.5 「便利」な生活

2009-07-05 13:54:43 | Weblog
みなさんこんにちは!また以前のばぬあ通信に戻りました。改めましてどうぞ最後までお付き合いよろしくお願いします(^^)/ついこの前まで雨季で毎日のように大雨が降っていたのに、気がついてみたら最近タンナにはまとまった雨は降っていません。少し前までは雨水で生活用水をまかなっていましたが、今では少しあるいた丘にあるハンドポンプから汲んでいます。さてここで問題です。私が1日につかう水はどのくらいでしょう?






正解は、バケツ1杯半(約15L)です。これで朝の歯磨き・洗顔・コーヒーはもちろん、三食の料理の準備・片付け、スイム(シャワー)、トイレなどぜーんぶ済ませられます。(トイレは穴なので、もともと水は使いません(^^)v)日によってはバケツ1杯くらいで済んでしまう日もあります。週に2・3回洗濯をしますが、洗濯1回でバケツ2杯の水を使うので、そのときはプラス約20Lです。たぶん日本ならトイレを2回流したら15Lは終了!ですよね(*o*)

水が限られている生活は大変ですが、特に不便を感じず気持ちよく生活できるのは人の暮らしというのは本来こういうものだからなのかな、と思っています。日本の暮らしと比べたら丘の上のハンドポンプまで水を汲みに行き、約20kgのバケツを持って、歩いて家へ帰るというのは言うまでもなく「不便」です。しかし今では丘の上のハンドポンプまで行けば水が手に入るのだから「便利だなぁ」と感じています。学校のウォータータンクが壊れてからというもの、丘の上へ水を汲みに行くのが日常になり、最初は不便と感じたこの作業も今では全く苦にならなくなりました。このばぬあ通信を送るために公衆電話まで片道約40分歩くことも今では全く苦ではないし、むしろ「40分歩くだけでメールが送れる♪」と心から思います^^いやー人間ってすごいなぁ^^こうして人は順応していくんですね!

「幸せはいつも自分が決める」これは浦さんがバヌアツに残した言葉の一つです。すべては自分次第。便利だなと感じて得した気持ちになるのも、不便だなと思って損した気持ちになるのも自分次第。そう、幸せはいつも自分が決めるのだ!!イエーイ\(^o^)/私は8月末から9月頭に首都で大規模算数ワークショップを行う関係で、8月末にはタンナを離れなくてはなりません。残り2ヶ月、「人が暮らす本来の姿」の「幸せ」な暮らしを思う存分楽しんで帰国したいと思います(^^)v

では、みなさんも「幸せ」な今日を。Ale!(^o^)/



最近は寒すぎて水浴びするのがきついので、写真のようにおなべでお湯を沸かしてからスイム(水浴び)しています。あー温かいスイムは気持ちいいなぁ^^♪ちなみに一回のスイムで使う水の量はバケツ1杯(約10L)です。

no.84 7.1 タンナの愉快な仲間たち その8

2009-07-01 13:48:07 | Weblog
みなさんこんにちは!好評連載「タンナの愉快な仲間たち」は今回で末広がりの八回目。そしてついにシリーズ最終回!最終回の今日の主役はなんとあの超男前の二人(゜゜)!

一人目はもうすでにばぬあ通信ではおなじみの「浦さん」です。浦さんは今年1月に2年の任期を全うし帰国された元タンナJOCV。タンナの愉快な仲間たち第1回で紹介したよりくんの前任者にあたり、バイクに乗ってタンナ中の小学校を可能な限り回り、体育指導の普及に尽力されました。彼は僻地中の僻地にあるようなアクセスのきわめて悪い学校へも巡回していたので、「Mr.Uraは初めて村に来てくれた外国人なんだ!」という子どもがタンナにはたくさんいます^^もしタンナが10年後に独立したとして、もし浦さんが大統領選に立候補したら当選間違いなし!と断言できるくらい浦さんは島中の人気者!まさにタンナのヒーロー☆私はそんな浦さんと約1年3ヶ月間一緒に活動することができました。一緒に悩み、一緒にうかれ、一緒に頭痛になり、一緒に海にもぐり、一緒に踊り、一緒に焚き火をし、一緒に満腹になり、一緒に飲みすぎ、一緒にたくさんの話をしました。私が浦さんから受けた影響の大きさは自分でもわからないくらい大きなものです。そんな浦さんはタンナを去った今でも私たちタンナJOCVにとって尊敬する兄貴。浦さんはマンタンナにとってまさに「記憶に残る隊員」でした。そして浦さんの残した浦イズムは今もタンナJOCVに脈々と受け継がれています(^o^)/

そして二人目の主役もばぬあ通信でおなじみの「ブレット」です。彼はピースコー(アメリカ平和部隊)のメンバーで、私の住むロカタイ村にあるコーヒー工場とタンナの全コーヒー農家の管理をしていました。いつも夕方になると「Taem blong yumi!(おれたちの時間だよ!)」とうちへ来てくれて、一緒にカバを飲みに行き、経済、文化、思想、恋愛、生活などなどたくさんのことを焚き火を囲んで語り合いました。バヌアツへ来て、まさかアメリカ人の親友ができるとは夢にも思っていませんでした。ブレットと過ごした8ヶ月はとても貴重で素晴らしい経験でした。今思うと彼はタンナでの私の水先案内人だったと思います。彼からたくさんのことを学んだし、同じ時間を過ごす中で、「人種、国籍、言語、文化背景が違っても人は分かり合えるんだ!」と身をもって知ることができました。

この二人がいなかったら私の活動も、タンナの印象も今とは全く違うものになっていたかもしれません。もし「人生を変える出会い」というものがあるならば、この二つの出会いは間違いなく私の人生を変える出会いでした。まだ二人がタンナにいるとき、「10年後、一緒にタンナへ戻ってこよう!」と三人で話しました。10年後のタンナがどうなっているのかわかりませんが、タンナでともに生きた男たちのUnity(結束・団結)は永遠に変わることはないでしょう!そして、私の任地がタンナという過酷な場所だったからこそ、一人の人間として人種も国籍も言語も関係なくみんなと向かい合い、通じ合うことができたのではないかと思います。

TANNA Nambawan !! (タンナ最高!!)(^o^)/

「タンナの愉快な仲間たち」シリーズはこれで終わりですが、ばぬあ通信は100号を目指しまだまだ続きます!もし質問やご意見、ご要望等がありましたら遠慮なくメールくださいね!ではまた!Imamo!(^o^)/


写真は首都で撮った三人の写真です。ちなみに、タンナ島に派遣されるピースコー及びJOCVには「男前でなければならない」という条件がついています。・・・と、それは冗談ですが、現在ピースコー及びJICAともタンナ島には男性しか派遣していません。(以前に派遣されて今も活動している女性のピースコーはいますが、今後女性は派遣しないそうです。)

no.83 6.29 タンナの愉快な仲間たち その7

2009-06-29 18:24:24 | Weblog
みなさんこんにちは!なんと7月にタンナのホワイトグラス空港とニューカレドニアのトントゥータ空港がつながり、ホワイトグラス空港は国際空港になります。それに伴って7月19日から25日まで、タンナでは空前絶後のスケールでのお祭りが計画されていて、現在全マンタンナがその準備に追われています。そのお祭りの準備・運営の資金として数千万vtがニューカレドニアからタンナヘ贈られたそうです。さーどうなるのかな??そのときに居合わせられる私はラッキーですが、ちょっと困るのはその期間、学校が休みになってしまうということ(>_<)私が教えられる時間はわずか!時間を大切に指導に当たりたいと思います。

さぁタンナの愉快な仲間たち第7回の主役は「ディクソン」です。彼はタンナでの私の父であり、一番の理解者。昨年のお正月には「Kouha」という彼の家に伝わるカスタムネームを私につけてくれて、私を本当の息子のようにかわいがってくれています。実は今、ディクソン一家はタンナにはいません。というのは、パパ(ディクソン)はバヌアツの与党であるバヌアク党という政党に所属していて、タンナでの活躍を買われ、今はユースアンドスポーツ大臣の第2政策秘書として首都で働いています。独立前は首都で働いていたそうなのですが、独立を機に故郷のタンナへ戻り、それから29年間村で生活していました。タンナでは畑仕事をしながら、村のビックマンとして他の地域との交渉をしたり、トラブルを解決したり、村のみんなを統率したりと活躍していました。そして、今首都で国政に関わっています。

パパは西洋文化に理解があり、そしてタンナのカスタム(古くからの風習)も大切にしています。そんなパパが国政に関わっていると言うのは、私にとっても誇りであるし、バヌアツにとってよいことだと思います。「今はホワイトマンの援助が必要だが、それに頼ってはいけない。それではバヌアツはだめになってしまう。」それがパパの考えです。

パパと出会えたことで、私はより深く彼らの生活に入ることができました。以前は毎晩のようにパパやママ、兄弟たちと一緒に食事をして話をしていましたが、今は離れているのでそうすることはできません。でも首都へ行ったときには必ずママのおいしいご飯を食べに行くし、パパや兄弟と一緒にカバを飲みます。そして時々電話で話をしています。やっぱり家族と話すと安心します^^8月になったら、私の出タンナに合わせてディクソン一家はタンナヘ戻ってきてくれるそうです♪タンナでの最後も家族と一緒に過ごせるし、そのあとみんなはまた首都へ戻るので、私がバヌアツを去るときも家族と一緒にいられそうです。パパはいつか日本へ行きたいと言ってくれているので、近い将来それが実現したらいいなぁと思っています^^

次回のばぬあ通信は「タンナの愉快な仲間たち」の最終回!さー最後を飾るのは誰だ!?ばぬあ通のあなたならもうお分かりですね^^では、また!Ale!(^o^)/



写真はパパとママです。この笑顔に何度救われたことか・・・。二人と出会えたことでタンナでの時間がより濃密で温かいものになりました(^^)v