ぜうピ!!original

34年間阪神タイガース一筋。家族に嫌がられても大騒ぎです。

名将逝く

2005-12-16 23:36:07 | 今日の独り言
うちは夜テレビを全然見ない時があって、その日のニュースは翌日の朝刊で知る事があります。

今日もいつものようにアンちゃんの散歩を終え、ポストから朝刊を取り......

『仰木彬さん死去』

の見出しが目に飛び込んできました。
思わず、玄関前で『えっ!?』、そして絶句、しばらく立ち尽くしてしまいました。

阪神タイガースファンですが、プロ野球なくしてはありえない話。
その中で仰木さんがプロ野球界に残した足跡、特に監督になられてからのものには目を見張るものがあります。

以前は関西にはパ・リーグに3球団、南海ホークス、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスがありました。
阪神ファンではありましたが子供の頃から、やはり気になる3球団でありました。

中でも近鉄は何か『ワイルドさ』を感じる球団であり、もっとも気になる球団でした。

もちろん『江夏の21球』も有名ですが、やはり感動、そして残念だったのは88年の『10・19』です。
そういえばあの時の相手もロッテだったんですね。

翌年その雪辱を果たし仰木近鉄はリーグ優勝。
優勝決定の瞬間は、当時バイトしていたパン屋さんで仕事中でした。
通常は有線で洋楽を店内に流していたのですが、店長に頼み込んで近鉄の試合のラジオ中継を流し、阿波野投手の三振奪取、優勝決定の瞬間をお客さんと一緒に喜んだ事を思い出します。

95年には私たちも神戸で震災の被害を受けました。
その年、オリックスは『がんばろうKOBE』の合い言葉のもと優勝。
震災で甚大な被害を受けた神戸市民に夢と希望を与えてくれたのも、仰木さんでした。

私の日本のプロ野球の思い出の中には、そこここに仰木さんがいます。

今年は合併したオリックス・バファローズで指揮を執られ、体調は以前のように万全ではないと耳にはしていましたが、幾度となくその元気なお姿をテレビで拝見していただけに、あまりに突然の訃報、いまだに信じられません。

......結ぶ言葉も見つからないまま、今日は終わります。