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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ドイルの交霊会の真実性への意見

2023年09月13日 | 健全生活のために”死”の常識を反転


著名な科学者を交えた交霊会  2023年9月13日
**********************

ドイルが私たちに残した、スピリチュアル的な
功績は二つあると思う。

一つは、’魂の不滅説’であり、もう一つは、すべて
の宗教の基にある、‘普遍的原理’ への提言だ。
 
*今日は、最初の、魂の不滅説について・・
 

ドイルは、多くの霊媒を通して、亡くなった魂と、
霊媒エクトプラズムを利用して交霊会で会った。

その時、亡くなっている霊たちは、現世で生きて
いた時の肉体をまとっていた。

ドイルは、自らの著書(①)に、その実験時の、
霊体写真を公開している。
 
が、そのようなことを公言するには、はばかれる
風潮があり、科学的ではないと一笑された。

社会的知名度があればあるほど、その風当たりが
強かった。

そうした偏見を少しでもなくすために、ドイルと、
心霊学会メンバー達は、当時の科学界の重鎮
を占める学者達に、ある誘いを もちかけていた。

自分たちの実験会に、彼らが、オブサーバーと
して参加して科学的実験であることを、証明
してもらうためだ。

そして、その霊的実験の結果を共有してもらう
ために。

しかし、なかなか、快く応じてくれる科学者は
いなかった。
 
ドイルは自著に書いている:
“ウィリアム・クルックス博士は、王位協会
(英国学士院)事務局長のジョージ・ストークス
卿に、博士の研究報告書を、協会機関紙に
掲載することを頼んだ。

が、それを拒否されたので、ぜひ、一度自分の
実験室へ来て欲しいと要望した。

しかし、ストークス卿の拒否する態度は
変わらなかった”

 
しかし、なかには、霊的実験会の参加に応じた
著名人たちもいた。

ドイルによれば、
“まじめに心霊現象を検証して、是認した学者
50名を超える。
その中には時代を代表する顔が少なくない。”(*1)
 
こうした実験会で行われる交霊は、’胡散臭い心霊
現象’というイメージは、当時も今も、あまり
変わらないようだ。

これに関して、ドイルは次のように、語っている:

“その真実性の証拠を、どこに求めるのかといえば、
それは、その通信の内容を検証する以外には、
なんの手がかりもない。

端的に言えば、霊媒が知っているはずがない、
プライベートなことを述べていることが、
最も有力な証拠である。

それをテレパシー説=霊媒が出席者の心の中
から読み取って述べた、などという、飛躍した
説で、片づけるべきではない。
 
 さらに続けて・・

“スピリットからのメッセージの中に、自分たち
の世界のことばかりではなく、地上世界に
ついての正確な情報も含まれている。

地上世界の事情に通じているものが、自分
自身のいる【霊の】世界について、間違った
ことを伝えてくるということは考えにくい。” 
 
と述べて、さらに続けている:

“無数の霊能者を通じて、届けられている情報
に驚くほどの共通点があるということである。

‘正真正銘’のレッテルを貼る、審査基準という
ものは、存在していなくても、人間の常識的
判断基準に照らしてみたとき、そのすべてに
かなっている。”

一方、すべての霊的実験会が、完璧ではない
ことも認めている;
 
“すべてが成功だったわけではない。

完全な失敗に終わったケースもある。
が、その失敗の数は、全体の割合からいえば、
英国の公衆電話の故障の回数よりも、少ないと
いっても、過言ではない。” 
 
ドイルは、
“これだけの事実を前にして、なお死後の存続
を否定するには、そうした事実を歪曲するか、
無視するかのどちらかでしかない。” 
とも述べている。




①”The Vital Message by Arthur Conan Doyle ”
(1919) 
Psychic Press Limited 23 Great Queen Street,
 London,WC 2B 5BB, England

本文(ドイル言葉)引用部分: 
”コナン・ドイルの心霊学” 新潮選書、
コナン・ドイル著、
近藤千雄翻訳 1992


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スピリチュアルの二つの意味(一昨日の補足記事)

2023年09月09日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

内面(心)的 外面(物理現象)的側面  
2023年9月9日(土曜日)
***************************
昨日の9月8日にあげた、原稿の補足です。

スピリチュアル性について・・という時、その言葉の
受け取り方が人によって、違うと思いましたので、
補足させていただきます。

昨日の記事で、エジソン発明王が、死者と交信する
機械の発明に挺身したお話。
死者と話したり、霊界通信をすることが、”スピリチュアル”
だいう解釈があります。

一方では、そうした心霊主義的・現象面的なものでは
なく、真理的側面を心の内へ内へと、向かって、探求
するスピリチュアリズムもあります。

同じスピリチュアリズムでも、人によって、捕らえ方は
こうして大きく違ってます。

私は、これまで、後者をさして、この言葉を使ってきました。

エジソンも、単なる、前者の、オカルト的な、現象的
興味ではなかったようです。

というのは、彼は、”宇宙の波動”を自覚していました。
自分の発明は、この宇宙の波動を受けて、自分が受信
したものを現実化しただけだ・・と自ら語っています
から。

彼の試みていた、’死者との通信装置’開発の目的は、
いいかえれば、彼自身の最大の発明品の完成として、
異次元(霊界)の波動(音)を捕らえる・ということ
にあったのです。

エジソンや、シャーロックホームズ探偵の作者、
コナンドイルの生きていた時代に、オカルト的な
スピリチュアリズムが 社会的現象として流行しました。

つまり、交霊会や、霊媒師による、いわゆる幽霊と
いわれる、霊体を呼び出す・・目的の、集会が知的階級
広まっていました。

この頃の、スピリチュアル的と呼ばれるものは、心霊
主義志向の強いオカルト的な探求で、現在も、その筋
から、’スピリチュアル’という言葉が定着しています。

コナンドイルも、このような交霊会に参加していて、
知的文化人へ、その会への参加を呼び掛けています。

が、後に、彼は変わります。
それは、普遍的な、狭いキリスト教的教義への批判に
通じる独自の意見を、社会に発表していくからです。

その時点で、ドイルの、スピリチュアリティの解釈は、
むしろ、後者の、真理(魂の不変的法則)探究に
つながっていました。

これは、自然治癒力協会の”癒し”の本質が、”心の力”と
”人の持つ、神聖な普遍性の自覚”という点で ドイルの
スピリチュアルの考え方と共鳴するものです。

ということで、次回から、”コナンドイルのスピリチュア
-リティ”について・・・をご紹介させていただきます。


(エジソン)(ドイル)


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最終的に発明王エジソンがハマった異次元(波動)世界

2023年09月08日 | 健康のための心の波動

それまでの名声を捨てても・・・・2023年9月8日
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世界的に有名な科学者、たとえば、発明王として
誰もが知るエジソンが、実は、神秘主義にはまって
いたことを知っている人はあまり、いないだろう。

それは、究極の科学が行きつくところ、と、私は、
考えているが、エジソン(1847~1931)は、人には魂が
存在し、それは、波動、すなわちエネルギーとして、
死後も、肉体が朽ちた後も、実態として残ると、知って
いた。

科学的に波動を利用した機器を発明しながら得た、科学者
としての結論だったような気がする。

たとえば、彼の発明した電球も、電磁波という波動が主体
となっているし、蓄音機は、音という波動の本質に至る。

死後、人が、エネルギー体として、存続するという強い
信念は、それまでの発明によって、得た”光や電気、熱や
力に、エネルギーは表現を変えても実態は、変わらない”

いうエジソンの確信からだった。

宇宙エネルギーへの認識も深く、人は、宇宙の一部である
以上、宇宙エネルギーと通じ得るとも考えた。

エジソンは、実務的社会的貢献となった、多くの発明品
以外に、死者と交信できる機械を長年、研究していた。

知る人ぞ知る、その機械の名前は、霊界通信機、という。

ただし当時の社会からは、こうした考え方は、それまでの
彼の名声を一気に失うだけに足る、リスクの大きいもの
だった。

実際、同じ世代の、医師でミステリー作家、コナンドイル
1859~1930)はシャーロックホームズの生みの親として
世界的著名で、英国王室から、"Sir”の名誉な称号を与え
られたにもかかわらず、晩年は、社会から疎んじられた。

その理由は、心霊主義にはまって、死後の世界と魂の存続性
を認め、キリスト教教会からの、反発をくらったからだった。

コナンドイルは、その結果、人生の終焉には、小さな墓の一画
人知れず、葬られた。

こうした背景(発明王といわれる科学者や、論理的推理
のシャーロックホームズの産みの親が、心霊や魂、という
異次元の世界に、没頭した)にある、その心髄に、興味を
そそられた。

次回から、19世紀から20世紀初頭にかけて、広まった、
こうした心霊科学的な”イズム”を、みながら、コナンドイルの
著書から紐解き、当時、斬新的に広まった、スピリチュアル
リズム”について、触れさせていただきたい。





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古墳と三次元世界の五元素・・

2023年09月05日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)


古代日本人の、宇宙観の象徴として・・・ 2023年8月24日

。。。。。。。。。。。。。。。

前回からの続きです・・・

****

”秀真伝”14綾(あや)には、人間が、五元素でつくられ
その背景が次のように、書かれている;

天地や人が分かれていないとき、
天御神(あめのみおやかみ)の一息によって、
すべてが動き始めた。

すなわち、その息は、東に昇り、西では
下るように、ぐるぐる回り、空点に深く巡り、
さらに、アワ(陽)とウビ(陰)が、一緒ごたに
かき回されるがごとく、動転した。

ついに、そのエネルギーは万物を産みだす、
御柱(みはしら)のごとく、一つにまとまり、
そこから、陰陽が分かれて生まれた。

は、清らかな軽やかな要素で、天に上り、
は、重く、中に、凝り固まる質をもつゆえ、
に降りた。

そして、陰は、’土泥’と、’水’のふたつに、形状を分けた。

一方、天に上った陽の気は、空(うつほ)を産み、
それがとなり、を産み、三種類の形状が
生まれた。

は三種の形状、は、二種の形状に、この世を
構成する要素として、ここに生まれた。

陽の源は、太陽、陰の源は、月となった。

空、風、火、地(埴)水の5つの要素がこうして
生まれ、誕生する基盤がつくられた。”

さて、前回からのお話、前方後円墳の形をもう一度、

見てみたい。

丸と四角の形が目をひく。


の形、これは 秀真文字でいえば、空(うつぼ)を、

は、地を意味している。 


どういうことかといえば、秀真文字は、など

の象形に、天地からのエネルギーを表す線をいれて、

表す。


四角の象形を意味するものは、’’囲まれている’つまり、

限界の存在する、土地に関連する言葉に使われ、丸は、

天に関連する言葉に使われる。


例えば、〇に中心点を入れると、”あ” のオンになり、

天地(あわ)の、天 を意味する。

私は、この秀真文字の象形は、漢字にも、生かされて
いるように思える。


たとえば、国という漢字をみると、外枠が四角に

取り囲まれ、その中に 王 が取り仕切っている。

つまり国とは、王が取り仕切る境界線のある土地を

意味する。


他にも、固定の  も四角に覆われている。

宇宙の元素が集まると、塊となり、固くなるという

意味だろう。 


さて、話を元に戻して、古墳に、それ以外の、五元素は

どこに表現されているのか


水・・・その周りに堀がほられ、”水”の存在がある。

火・・・”火”は、その古墳のもともとの色、”赤土” に


象徴され、一緒に埋められた”埴輪”にも、焼き物として、

火の要素みることができる。


こうしてみると、古墳は、空(丸)と地(四角の形)、

土(赤土)や、水(堀)などで、宇宙構成の五元素

象徴であることがわかる。


そこに、故人が葬られたということは、古代日本人

宇宙観を表している古墳で、故人の肉体と魂は、

五つの大きな宇宙構成する元素に戻るということを

示唆しているのでは? と私は考えた。


6~7世紀、蘇我入鹿が力を持つようになり、朝鮮から

仏教文化を導入してから、この本来の日本人の墓観念は 

変化して、7世紀以降は古墳が造られることはなかった。 


それはちょうど、日本古来の超古代史 ホツマツタエが

世の中から、隠蔽され、古事記が編纂されていった時代

に即応する。

前方後円墳 に対する画像結果




 

後記)

現在でも、5千基ほどの、3世紀から6世紀にかけて造られた

とされる古墳が日本全国 北は青森、岩手、南は鹿児島

まで残っている。

 

高崎市にある、保渡田(ほどた)八幡塚古墳は 5世紀に

造られ、火山噴火で埋まっていたおかげで、ほとんど当時

のままで残されている。 

埴輪などの付属品も当時の色合いや原型をとどめ、多く

出土された。

琴を弾く王や、力士なども認識できて面白い。 

 

福岡県の王塚古墳は 6世紀のもので、レプリカが用意され

古墳内部も見ることができる。

赤黒緑の三角形の模様が多く壁に描かれ、遺体が横たわった

であろう石段の上には一杯の星が描かれている。 

 

興味深いのは、奈良県の巣山古墳では2006年に古墳の脇土下

から 長さ8mの木造の船が出土されたことだ。 

以前、エジプトピラミッドで見た、パピルスに絵に描かれて

いた、船とよく似た船であった。

エジプト古代王と船、日本の古代史の君と船、これも、古代人

の死に対する発想に共通点があったのだろうか。 

 


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不老長寿の草を求めて・・ユートピアとは、古代日本だった  

2023年09月01日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

         2023年9月01日

***********************************

前方後円墳 に対する画像結果

 いつかだいぶ前になるがNHKのヒストリア~という

番組で、何故、古墳の形が前方後円墳、手前が四角で

後方がマルの形をしているかという解明をしていた。


同志社大学の元教授が 語っていた:

“古墳はツボの形をしていて、中国では不老長寿の

ユートピアの国をツボの上にたどり、埋葬品と

一緒に埋めたことから、それに由来するのではないか”


日本超古代史、秀真伝(ほつまつたえ) は 古事記や、

日本書紀より古く編纂された~と認める人たちが増え

てきている。


6世紀以後、仏教文化の促進のため、聖徳太子以後、

”秀真伝”は、世から消え、密閉された。


心ある人達によって、それを、後世に伝えるために、

しかるべき処々に、保管されながら、最近、ようやく、

陽の眼をみて、今、多くの研究者たちに、解読読解と

普及が試みられるようになった

 

神道関係者には、宗務庁が、”古事記”を正式な古文書

と認めいる以上、秀真伝え(ほつまつたえ)の内容は、

公にはされていないのが現状である。


”古事記”と比較すると、”秀真伝”は、単なる神話以上

の、現実的かつ、科学的、史実的表現が見られる。


’現実的’というのは、何に関してかといえば、

日本人の現代にも続いている、独自の日本文化的遺産

のルーツが、精神的にも、歳時記的にも、明確に

記されているところだ。


’科学的’というのは、胎児の成長のディテールや、
うるう年を決めたその天文学的背景など、紀元前の、
縄文文化よりさらに古い、天照大神の神代時代に、
すでに、そうしたことが、存在し、秀真文字で、伝承
されていたことを指す。

’史的表現’というのは、天照大神が男神であったことで、
現代の天皇家につながる、その家系が、神代から、
瓊瓊杵尊(ににぎねのみこと)まで、明白化されて
いることである。

さて、今日のテーマである、”古墳”と、”秀真伝”の

関係に戻ると、秀真伝には、古墳を通して、日本人

特有の宇宙観が 垣間見られる箇所をみつけた。


古墳の形を見ると、”秀真伝”に書かれている 宇宙構成の
五元素を象徴しているように感じる。

そこに葬られることは、高貴人の御霊を慰霊すると
ともに、亡くなった御霊が、宇宙に基原し、還るという
意味を表しているような気がするのだ。
(次回に、詳細に触れたいと思う)

14綾に以下の記述がみられる:

 此処に於いて子守神は、御(み)種(たね)紀(ふみ)に

ついての教えを講ずるなり。


「古、天地の未だ分離せざる時、初に一元の気ありて其の

貌(かたち)は円(まどか)にて鶏卵の如きなり。


この気、動きて陰陽に分かれ水に膏(あぶら)の浮く如く、

陽(お)先づ昇りて天となり、陰は後に降りて地(くに)埿(どろ)

を成す。


更に土(はに)・水を分け土(はに)は山(やま)と成り、水は海

と成る。


天の気を空(うつお)と云い、空の動きて風を化(な)し、

風の動きて火(ほ)と化(ば)けるなり。“

・・・・・空・風・火・土・水の五気が交(まじ)わりて

人と成り“

 

ここでは、私たちの世界を形造る、5元素が明らかにされる。 

空、地、水、風、火 である。 


それぞれがどのように誕生したか、上記の記述には書かれて

いる。 

そして、その五元素、五気が合わさって、人間ができた。


”四柱推命”などの占いとともに、こうした考え方は、
中国から伝わってきたとされるが、秀真伝を読むと、
むしろ、日本にすでに、五元素、天地開闢(かいびゃく)
にかかわる、陰陽の定義、などが、秀真時代に、存在
していたことがうかがえる。

”干支”(えと)の解釈も、中国からと言われているが、
実はホツマツタヱには、“干支”という言葉は存在して
いた。

ただし、動物になぞらえての、話とは、やや、異なっては
いたが・・

稲作も大陸文化とされているようだが、イザナギ尊が、
現在の滋賀県で、国改革と、稲作の生産性を高め、
国造りをされた話では、古代日本では、稲の歴史は、
中国から伝わる以前に存在していた。

前方後円墳 に対する画像結果

それでは、先の同志社大学の先生が述べていた、東の国に

ある’不老長寿の国’ は、どこだろうか?


そう、”日本”である。

秀真伝えでは、そのことが明記されている。

それは、不老長寿の国と呼ばれていた理由は、富士山に

生えていた、“千代見草”と呼ばれる不老長寿の草が存在

していたからだと記述がある。


天照大神は、この千代見草を常食とされていて、まさに、
不老不死の薬の名前に、ふさわしい、何十万年の天命を
全うされている。 

さらに、15綾には “支那王~しなきみ~出でて、

千代見草 尋ぬと嘆く”とある。 


どういうことかというと、ここでは、蓁の始皇帝が、

不老長寿の仙薬(千代見草)を 東方海上にあると

聞き、探しにきたが、見つけられず落胆したと

いうのだ。 

 

秀真伝研究家である、姑(はは)須田痲紗子に

よると、

“ 和歌山県新宮市と 熊野市に、それにちなむ

(草を探しに来た)徐福の墓があり、現代の中国

の学者たちの間では、蓬莱島は日本だったという

説を裏付ける。” としている。 

 

さらに、蓁時代をさかのぼる、中国の春秋時代にも、

東方海上にあるといわれる、’神仙’に仙薬を求めに

出向いたということが記されている。


つまり、中国の墓からの出土品の、ツボの形の上に、

仙薬を求めにいくモチーフの彫刻から、このツボを、

無くなった魂が永久にきるための、死者とともに

葬った、不老不死の仙薬を入れるツボであったので

はないかという仮説がある。 

前方後円墳 に対する画像結果


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