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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宇宙創造:物質は無?病気も無?

2014年02月17日 | 健康のための心の波動

非実在が実在をつくる~”色即是空”再考                2014・2・17

*****************

色[物質)が空(くう)であるということ。

それが 科学的にもこれからいろいろと

明瞭に説明できてくるのではないかと

筆者は感じている。

 

物質が もともと、空(エネルギー状態)の存在で

実存しているのなら、

ヴィールスも肉体も、物質と呼べるものは

その例に漏れないはずだ。

つまり、物質と称するものは、エネルギーの

コントロール如何にかかわってくるとも

いえそうだ。

どうやって?

それが大きな課題であることは間違いない。

 

****************

 ”非実在、何もないところから何かが生まれる。”

先日ある書店でベストセラーコーナーに並べ

られていた 宇宙科学者が書いた本をバラバラ

めくっていたら、それに似たような見出しが

ついていた。


古典的な宇宙論に大きな転機を与えた

ジョン・ベル(Jhon Bell)の定理~1964年発表

を想いだした。

ベルの不等式として知られる理論は三つの常識を

”在り”と肯定して成り立っているという。

それは、

実在概念 と 局所性、そして因果関係だ。

 

実在観念とは、たとえば、野球中継していても

していないくても野球の試合は行われて 

記録として、残されるもの。

当たり前と言えば当たり前すぎることなのだが、

現在の最新の量子学では 当たり前と受け取る

事象も、少々話が違ってくるらしい。

ケプラー博士などが述べているように、

物質とは、観察者によって、”在る”と

認められたものが実在する、 などという、

被対象物は、観察者の影響を多大に受けて

存在しているという 絶対実存に対して疑いを

持つ観方も可能になってきているようなのだ。

 

野球は、中継されていないときにも(観測者がいない場合でも)

プレイされ、スコア―は結果として記録され

事実として残されているわけだから、”有るものは在る”

ということになる。

 

局所性 というのは、何かが起こっても、起きた場所

から遠隔地には、瞬時に影響は届かないということ。

 

因果関係 は、原因が先にあって結果が起こるということ。

 

 

そして、ベルが発表したベルの定理によれば、

‘実在性と局所性を同時に満たすことはできない’

ということになる。

実在性 たとえば、”月という物体は

観測にかかわらず決まったところに存在する”という

観方が、もし、局所性とともには成立しないとしたら?

あるいは、

局所性が 成り立たないということは、

宇宙の遠くで起きた爆発が地球の研究室の研究に

影響を与えるということ~となると、

研究室での科学実験の結果が宇宙のどこかで

起きた爆発によって、変えられるということだから、

研究自体の意義を、揺るがす事態でもある。

物理学者科学者たちが 局所性を維持したいという

願う由縁でもある。 

 

さらに、1981年、Alain Aspect、アスぺの実験によって、

ベルの理論の裏付けがなされ、

非実在が動かす実在”として 世の注目を浴びた。

 

筆者の専門分野ではないこうした領域の事実を

敢えて、ここでご紹介したのは、訳がある。

 

無から宇宙にモノが発生した~という冒頭に述べた

最近のベストセラーになっている宇宙論学の本の主旨

は、こうした一連の歴史的研究の背景があって、その

結びつきがあるのだろうという 直観(だけで申し訳

ないのだが)があったからだ。

さらに、これは 真理をついていると思われる

”智慧の言葉” が 筆者の左脳と右脳を

結びつけたような気がしたからだ。

根拠のない、抽象的な話でご容赦いただきたい。

もう少し、智慧の言葉についてお話しを続け

させていただきたい。

読者の方達は以下の”智慧の言葉”を

上記の科学者たちの定理を念頭において

どう受け止められるだろうか?

  

“物質の生成原理・・・

科学は 

物質の根源となる最小の物質があるものと考え探究してきた。

最初から存在する微粒物質が集まって物質を形作ると・・・

しかし、見えない科学の世界、つまり、大師などが語る

叡智の言葉に裏付けされたもう一つの科学ではこういう。

 

”物質は、最小の物質から成り立っているのではない~

空間スピンが物質の生成原理である。”

 

最小の物質と物質との間にある、空間が、実は、

生成の原理をになっているという。

言い換えれば、感覚的には”Mu””無” の中から

モノが生まれるという。

空間のエネルギーが回転して(らせん状に)、ちょうど

竜巻が空気を巻き上げてまるで一体の生きている物質

に見えるようなものかもしれない。

物質の本質はそうした微粒子などではなく、意外にもそれは

空間それ自体であることになる。“

という。

 

以前 関西の 二宮美幸さんが主宰する、”癒しの森”で 

これに関しての講義を持たせていただいたことがある。

般若心経の空観についてお話ししたときだったかもしれない。

その時にまとめた要点の中で、”シュメール人の知恵”と

呼ばれた仮説(*1)をまとめたものがここにある。

 

現代の科学との矛盾性と認識の大逆転に関して)

①   科学は物質の根源となる最小の物質があるもの

と考え、探究してきた。

   

宇宙の創造時から存在する微粒物質が集まって物質を

形造るとどうなるか? 

   

無数の哲学者たちの宇宙観もしかり、

現在の科学の世界の素粒子に関する様々な新理論も、

基本的にはおの考えを一歩も抜け出していない。

 

②   しかし、もし、空間スピンが物質の生成原理

であるとしたら、物質の本質はそうした微粒子ではなく、

意外にもそれは、空間それ自体であることになる。

 

③   これが真実であれば、波動であり、粒子でもある

といわれる素粒子の性質も 複雑な理論に理論を

重ねた構造を捻出しなくても、空間スピンという

たった一つの原理で説明できるのではないだろうか。 

   

中国の老子は タオ(宇宙の本質)は無の領域の

実体であり、それが二元(相対性)の世界(物質世界)

を創造したと言っている。

 

④   空気のスピン運動が竜巻に喩えると、

スピンする空間と外側の空間とに分かれる境界線で

仕切られた領域空間(世界)は自律の運動を成立

させる。

 

ということで、色即是空の空の意味を

宇宙の物質生成の仕組みの一つの仮定原理の中で、

非実在の実在という

言葉で言い表すことが可能かもしれないと

感じたものだ。

 

宇宙は何もないところから 始まった~という言い方も

こういう意味からも、可能かもしれない。

さらに、それを突き詰めれば、冒頭に書いた

物質(空間のエネルギーで生まれた)

のコントロールが 何らかのエネルギーで

可能になるということかもしれない。

そのエネルギーは?

それがこの拙ブログの大きなメッセージの一つであり、

少しずついろいろな断面から掘り下げていければと

願う。

 

 

 

 

 (*1)ガイアの法則  千賀一生 徳間書店 2010

 

 

 

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風邪とアトピー、凝りと症状

2014年02月15日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 風邪をひくは風邪になる~と言わない理由  2014・2・15

**********************************************

 

インフルエンザの季節になってきた。

”風邪をひかないよう、ご自愛ください”とは

この時期の手紙の季語のようになって

しまったが、どうして ”ひく” という言葉を

使うのだろう。

 

風邪にかかるとか、風邪を受けるとかいわず

‘引く’というのは それなりに何か意味が

あるのかもしれない。

 

以前、拙ブログで 風邪の効用やら、風邪をひく際の

心理的背景など書かせていただいた。

風邪を上手に経過することで、以前よりも健康

になれるし、血圧も下がって、

滞った気の流れも風邪の症状によって

改善されるのは良く知られていることだ。

 

風邪をひく の主語は 体 であり、

”風邪になった”といわず、

”風邪をひく”という言い回しは

もしかしたら、こじつけのような解釈で恐縮だが、

体が”意図的”に風邪の要因を引き込むとも

考えられないだろうか?

 

セラピー現場でいろいろな方たちと接して

風邪をひきやすい方に共通な要素があるようだ。

一様に体の消化器官や 呼吸器官の順気が滞っていたり

懲りがあったりする場合が多い。

ちょっと、胃の調子が悪いと思っていると途端に

下痢を伴う風邪にかかったりする。

喘息の後遺症を気にしていると、空っ咳が出て 

タンがたくさん出て 気管支をやられたかな

と思ったりする。

そんなとき、風邪の上手な経過方法などを説明させて

いただき、無理をせず、十分体を療養しながら、

水分とビタミンCなどを補って

その症状をだしきるようアドバイスさせていただくと、

殆どの方たちは 風邪をひき終わって以前の体より

スッキリ軽くなったと喜ばれる。

 

体が、疲れている場合も風邪の症状がでやすい。

疲れをため込んで、様々な部位の凝りがマックスに

なると、体は 最終手段で、風邪のヴィールスを引き込み、

症状を体外に出すために、自浄調整をはかるのでは

ないだろうか。

こうして、それらの体の部位の歪みを自然治癒療法で

整えるようにしているとも思える。

 

風邪に限らず、熱や痛みなどの、症状が出ると、

多くの人はその症状を抑えようとする。

筆者が 20代のころ、生まれつきのアトピー性皮膚炎

が最も悪化した時期があった。

当時、背中や頭・顔面[目の周り]などの痒みで苛立ちながら

かきむしることが常だった。

特に夜間はそれが激しかった。

引っ掻くので皮膚がめくれて、ジュクジュクと

体液が出てそれが固まり、また更なる痒み。

数年続いた。

こんなときに、誰かが、‘生命力を信じなさいね’

”症状をだせば浄化になるから”と忠告してくれても

”他人事だから、そんなこと言えるのだ”とかえって反発した

と思う。

 

しかし、筆者の心に、”人間神の子・完全円満”という

谷口雅春師の言葉の種が蒔かれ、発芽しようとして

いるような気がして唯一拠り所として

その言葉を反芻した。

どんな見苦し自分でも、自分の中のアートマ[神性]

だけは信じようという気持ちだけは、どうにかこうにか、

持ち続けていた。

毎日毎日、表にも出られない素顔を鏡にうつし、

化粧など乗るはずのない 皮膚を恥ずかしみながら、

ストレスで、イライラしながら

”何で自分だけ!”とののしってみても、

その神の子~意識だけは、

自分を温かく、見ている遠くに

いる親友の目のように

不満と不安だらけの心の片隅で

わずかな希望の拠り所として勇気づけてくれていた。

 

そして、ついに、”出すものは出す” という時期が

2年後に到来した。

40度近い高熱が一月、続いた。

実家で療養した。

体の部位のあちこちに噴火山の火口のような

吹き出物が出てきて、見る見るうちに大きくなって

膿みをもった。

赤くはれて黄色く膿んだ先端から マグマのような

血膿が少しずつ出て、数週間はその腫物の痛さと

膿みの処置で ガーゼを変え続けた。

顔面から脇の下、胸や背中からと、生まれて初めての

大掃除が始まった。

幸い家族も ”病院に行きなさい”と 強要することもなく

その症状を出し切ることに専念できる、安心して

休める場所を提供してくれていた。

膿みが出きった、熱も下がったと思いきや、最後は、

血尿を出して、症状は治まった。

 

それ以来、アトピー体質は 完全に抜け切ったようだ。

死ぬかもしれない~という不安もなかったわけではないが、

生命力を信じきる一つの関門であったことは間違いないと思う。

 

風邪をひきこむだけの体の力[生命力]があるから、

風邪をひくのだという観方は その時の体験が

自分にそう教える。

生命力や自然治癒力をどこまで信じられるか

~その信頼度が、風邪(あるいや他の症状)にかかれば

体の自然治癒力が、”身体を、メンテナンス中”という

自覚の多少に出てくる。

風邪だって、万病のもと、

肺炎になったり、死にいたることもあるかもしれない~

と人はいう。

それは、言葉足らずの表現で誤解を招きやすい

のを承知で言えば、”それを徹底的に受容しきれなかった”

結果のような気がする。

 

しかし、無理して、受容することもない。

受容できそうにないと、初めからわかっている方には

病院へ行くことを お勧めする。

症状に対して、”自発的(生命力的)”に

出すだけ出すという意識で行動されない限り、

自然治癒的能力に頼り切る用意が整っていない

ということでもあるのだから 逆に 症状の放置は

危険度を増すだけだろう。

 

それでもきっと、私たちは 本当の生命体

である、自分自身を知る時が、必ず、来るのだと思う。

自分の完全性、愛、生命力、そうした善き力が有り余るほど

潜在的に秘められている存在であるということ。

 

身体は 機能的に、生命力で繋がっているから 

”局所性の病気はない”~というのが東洋的治癒の見解だ。

 

 筆者の知人は 子ども時代 ヘルニアの手術をした。

その影響は、直接、股関節に来る。

股関節は泌尿器とつながっているから夜尿症になり、

耳にもつながっているから

中耳炎にかかったという。

股関節のつまりを放置しておいたため、胸部に

影響を与えて喘息の症状も出た。

 

友人の親は 友人を病院へ連れて行き

それぞれの専門分野の医師に、別々の治療を

うけさせたというが、効果はあまりなかった。

のちに 成人して、友人は、自分の体の気の流れと

相関性を知って股関節をよく解くことに専心して、

体質を改善させた。

 

体のパーツを機械の部品のようにしか見ない

今の常識では、生命力という、全身の関連性を保っている

力を重視しない。

股関節をほどくことによって、知人はその後さまざまな後遺症

を克服した。

生命力を信じるというのは こうした、体同志のつながりと

それぞれが良くなろうよくなろうとして症状が出ているという

ことを理解することだと思う。

 

風邪をひく。

そのとき、生命力の発露である意義を

もう一度見直していただければと願う。

風邪をひく能力があるから風邪を”ひいた”のだから・・・

風邪をひく能力とは、風邪のヴィールスを利用して

”気の流れの道をふさいでいるつまりや凝り”を

ほどいて(取り除いて)、体質を向上させるだけの

処理能力が 身体にはプログラミングされている

ということ・・・

もちろん薬なしに・・・であります。

 

 

 

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思考が癌に侵され体に癌が巣づくという意見

2014年02月07日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

ヒューレン博士の浄化理念の裏付け    2014・2・7

****************************************

 

私たちはすべてヒーラーであるという

観点から先回のお話しはさせていただいた。

少なくても自分自身が心身不調和になったとき

病院に行く前、自分自身で治せるかどうか

判断しなければならない。

このぐらいなら、寝ていれば治るとか 

~の栄養が足らないから補給しようとか

ストレスのせいだとか、

運動不足が原因だからと

原因と思われることを是正したり、調整して

体を無意識に整えている。

自分の体を整える際の意思決定は

結局自分自身以外にほかならない。

その意味で 自分自身のヒーラー(治癒施術者)

と呼べるだろう。

 

先回に引き続き、ヒューレン博士の癒しの方法

を取り上げるが、すでにお話ししたように、博士は 

すべての問題は、心の内の記憶に起因している

という、形而上的(けいじじょうてき)

な観方をしている。

 

心療内科ではその病と精神状態にスポットを当てて

改善を試みているが、癌 に関してはその範疇に

ないと聞く。

癌患者は、こういう心持から起因する~と心身一如の

立場で診療する医師も、なかなか精神的要因まで

切り込むことは、ほとんどないだろう。

 

同様に、他者をヒーリングするとき、その問題は

ヒーラー自身の心の内面に起因していると

責任を100%かぶる、ヒーラーもまず、

存在しないだろう。

 

ところが、ヒューレン博士は

以下のような方針を貫いている。

つまり、どんな問題も、

博士自身の心の浄化のために

目の前に現れているとするのだ。

たとえ、それが、他者の問題であっても、

依頼者として博士の前に座れば 

博士はそれを自分自身の心

の問題として取り上げるのだ。

 

博士のその信念の裏付けにある 理念は

以下である。

引用する。

 

1・物理的な宇宙は私の思考が現実化したものである。

2.もしも、私の思考がガンに侵されていれば、物理的現実もガンとなる。

3.私の思考が完全無欠なら、物理的現象は LOVE あふれんばかりになる。

4.私は、私の物理的宇宙を在るがままに創造するにあたって100責任を負う。

5・私は病んだ現実を創りだすガンに侵された思考を是正することに、100%の責任を負う

6.目に見えるものは無である。すべては私の心の中の思考として存在する。“

 

下部線を引いた箇所に注目していただきたい。

1番の “物理的宇宙” というと大げさに聞こえるが、

これは 今現実に 身の周りに顕れている

物理的現象の世界ということだろう。

 

物理的 つまり、物質的に把握できる自分の世界 

と置き換えられると思う。

 

広義に言えば、実際、文字通り、大気圏を超えた宇宙

ともとれる。

 

そして、最新の科学では

宇宙自体が観察者の想念によって存在する”

というユニークな仮説を立てている有名な物理学者もいる。

 

だから、博士のいう、“物理的宇宙”とは、

文字通りの意味に受け取っても

この文章の意味合いが矛盾するわけではないのかもしれない。

 

2番めの “わたしの思考”という フレーズ。

思考とは、この場合、思って考えるときに発生する

念の波動、エネルギーを指していると思う。

私たちの想念がエネルギーであることは拙ブログで

いろいろな方面からお話しさせていただいているが

エネルギーは何かを創造する力を持っている。

 

例えば、2)の、ガンに侵されたエネルギーが ガンをつくる”

という博士の言葉。

唯心所現、心(エネルギー)のままに、現象が現れる

という仏教的真理を想いださせる。

心配するから 余計その心配事を引き寄せる~という法則。

心で発したエネルギーによって、事象が出現するという

法則に従って、”癌の意識”が 現実に、癌を顕わす。

 

ということは、観方によっては、

ガンは存在しないがガンを創るエネルギーが

存在しているということかもしれない。

癌を造る想念エネルギーを放下すれば

癌も消えるということでもある。

 

3番目の “LOVE” は、 すでに何度も博士の

言葉で引用されている。

アートマ、命の根源、源泉、大生命、神などの言葉に

置き換えられる。

私たちの思考や想念のマイナス面が取り除かれると、

その分、本来の大愛(LOVE)が顕れる。

本源の愛の光で 心は、あふれんばかりになる。

 

4番目の ”100%責任を負う” というのは 博士の

とても力強い宣言だと思う。

ここにヒューレン博士の提唱する ホ・オポノホノの

特徴がみられるだろう。

どんな事象、自分の目の真に顕れた現実、

たとえ、それが問題を抱えた他者であろうと

病んだ地球でだろうと、異常な自然気象であろうと、すべて、

それは自分の責任である~と博士は断言するのだ。

 

その理由は、1番に述べられているように、

”物理的現象(宇宙)は自分の心が創造した” と信じるがゆえに

 

人には、とかく、自分のとるべき責任ですら、拒否したがる

弱い心が潜む。

言い訳したり、言い逃れしたりして、責任を軽くしたり、

回避しようとする弱い自分が 心のどこかに、いるものだ。

にもかかわらず、自分の知覚できる範囲で現れた現象すべて、

自己の心の何か(潜在意識の中)がそれを引き寄せている~と

認めることは、信念に裏付けされた並々ならない確信と

勇気がいることだろう。

 

この博士の投稿文のタイトルは

“自己のアイデンティティー”とあり、

ここで、改めて そのタイトルについての解釈が述べられる:

 

“ホ・オポノホノを通した セルフアイデンティティー は

一つ一つの問題を試練とはみなさず、機会ととらえる。“

と博士は言う。

何の機会としてとらえるのだろう?

博士は答える。

問題とはすなわち、過去の記憶の再生に過ぎず、

それらをLOVEの視点にたって見直し、

霊感によって行動する新たな機会を与えて

くれるために姿を現したに過ぎない“と。

 

つまり、いかなる“物理的宇宙” に顕れた“問題”、

解決すべく 目の前に現象に浮き上がってきた件は、

一般的にとらえるよな 試練ではなく、むしろ、

自分自身の潜在意識の奥に凍結しているマイナス想念を

溶かし、水に流してゼロにする材料だというのだ

 

そうすれば、厄介な問題が起きても ありがたいと

受け止められる。

感謝をもって、今を受容できる。

どんな状況でも、良くても悪くても

自分がさらに、自分らしく自由で愛に満ちた存在、

至福を感じる存在に変わるための機会と捉えることができる。 

 

 

 

 参考) ハワイの秘宝 ジョー・ヴィターリ/イハㇾアカラ・ヒューレン 共著  PHP研究所発行 2011

 

 

 

 

 

 

 

 

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誰でも自分自身のヒーラー

2014年02月05日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 ハワイの空(くう)の考え方      2014・2・5

***************************************

“ホ・オポノポノに基づくセルフアイデンティティー”

というタイトルで イハレアカラ・ヒューレン博士の

投稿記事を載せている本がある。*1

 

私たちは ある意味 誰でも、ヒーラーだ。

自分自身を癒すのは、癒す手段を選ぶのは

自分自身に他ならないからだ。

病院に行くのも 

どんな薬を摂取するかを決めるのも

専門家や医師の決断に従ったとしても

最終的には、自分自身のヒーラーとしての

意思が働いているといえるだろう。

 

読者の中には 実際ヒーラーとして働いている方たちも

おられるので、今日のブログは、そうした観点から

心身不調の問題に関しての心構えを見てみたい。

 

今回ご紹介する投稿記事の中で、

博士自身、ヒーラーの立場として、書き綴っている。

 

話は飛んで恐縮だが、今年の目標として

筆者が掲げた 受容と感謝。(1月1日のブログ)

これも、去年の12月に ヒューレン博士について書かれた

ある小誌(パンフレット)に、印象を深くしたことが

発端かもしれない。

博士のメソッドと体験に、興味を引き起こされて、

その後、改めて博士についての本を数冊取り寄せて

読んでみた。

  

一般的に、ヒーラーは 起きた問題の原因は、

患者の中に存在していると思っている。

一方、自分自身の体の不調に関しては、

食べ物の食べ合わせや、ストレスなどが原因とするか

ウィルスなどの物理的な原因を考える。

”果たして、そうだろうか?”

という疑問を、博士は発する。

一般論と異なる、博士独自の理論が展開される。

引用すると:

“(患者の)問題の源は

依頼人の内なる誤った思考ではなく、

セラピスト自身のそれとして

受け止めなければならない。“

というのがそれだ。

 

一般的に、

“あなたは~(原因)があるから、

現在の、xx という病や心身不調和が

起きています”

とカウンセリングで ヒーラーは相手の問題を

相手の立場にたって、分析するだろう。

 

しかし、博士の理論だと、

目の前の患者の抱える問題は、それがいかなる程度

でも どんな種類でも、100% ヒーラー自身の

内なる何かに直結している~ということになる

 

“そんな馬鹿な!”と誰もが思う。

たとえば、朝、慌てて転んだのは自分が不注意だったせい。

だけど、目の前で 知人が転んで痛みを訴えたが、

それが私のせいだなんて ばかばかしい・・・

 

ところが、この考え方は 博士には、徹底している。

 

この場合、目の前で人が転んだことも、ヒューレン博士

なら、自分の責任として受け入れるだろう。

 

今言えることは、博士のこの方法によって、

実際、大いなる成果が生まれ。救われた人達は多い

ということだろう。

 

こうして、ヒューレン博士の試みが口から口へと伝わり、

せの成果が実証されてくると、博士の提唱する

”ホ・オポノポノ”は、ハワイの伝統的セラピー方法を

現代風にアレンジしたものとして、世界中にその名を

知らしめることになる。

 

 

 

さて、不可解なこの博士の理論を理解するために

もう少し博士の言葉を引用したい。

 

最新(*2)のホオポノホノプロセスは、

セラピストが直接、誤った思考をLOVEに変えることが

できる Original Source(命の源泉~須田訳)

とともに働きかけることを可能とする。“

 

ここでいう オリジナル・ソースとは、

自然治癒セラピー協会的にいえば

アートマの本源、博士的に言えば、

“LOVE” とか “神” と呼ばれる大いなる生命の

源泉を指しているようだ。

 

1)~セラピストトとしての心構えの第一歩はまず、

自分自身がこのオリジナルソースとつながること

2)~そして、第二歩として、この源泉に自分自身の過ち

(気づいていないものも含めて)が許されるよう、

正されるように、自分の内なる源泉祈り、患者と

セラピスト自身が共通に関与している過ちが

是正されるよう乞う。

 

博士は さらに、次のように述べている:

“セラピストは最初に自分自身の、続いて患者の

問題として現実化する自分達の内なる誤った思考を

是正するよう、LOVE(自己の神格)にアピールする。

このアピールはセラピストの悔悛と癒しの

プロセスである。”

そのアピールとは、

私と私個人の問題を生じさせた

私の内なる誤った思考を後悔しています。

どうかお許しください。‘

というものだ。

 

博士はさらに続けて:

セラピストの悔悛と赦しのアピールに対して、

セラピストに内在する、LOVEは動き出す。

動き出すと次の結果を生む。

それは、問題を生じさせた誤った感情、

即ち、怨嗟(えんさ)、恐怖、怒り、

非難、混乱などのマイナス記憶を

中和させていく。

次なるステップで、

LOVEは中和されたエネルギーを

何もない、空の状態 真の自由な状態に放置する。“

 

ここで 初めて、空(くう)という概念が

出てくる。

色即是空の ‘空’ と その概念は共通している

と博士も語っている。

(後日のブログ参照)

 

その共通性は次回のテーマに譲るとして、こうして、

過去のマイナスエネルギー想念記録が除去された

新たな、魂は いかなる執着や思い込みにも束縛

されない、”自由な状態’、”大我の我に戻る。

博士の言葉でいえばマイナスの感情がすべて

中和されてしまった状態ということだろう。

 

そこから、初めて 本来の”癒し”がはじまる。

セラピストが自分自身を清めて、

アートマ(空)と一致した心境になり、マイナス想念

記憶を取捨したところに到達したとき、

自分(セラピスト)が関与していた

問題が排除さる。

ここが博士の提唱する癒しのポイントだろう。

あくまで、セラピストは自分を浄化するというところだ。

 

博士はこのあたりを次のように述べている:

思考が空っぽで自由になると、

LOVEは自らをそれに 充填(じゅうてん)する。 

その結果 セラピストはLOVEの中で

更生され、修復される。

セラピストが修復されると、依頼人の問題に絡む

総てが修復される。

依頼人のそれまであった、絶望に、

LOVEが取って変わる。

患者の魂の闇がLOVEの癒しの光と同化する。“

 

筆者もアートマセラピーの現場を通して、

博士の理論は理解できる。

一つ、新たなことを教えられたとするのなら、

目の前の 依頼人の問題が依頼人の’もの’ 

ではなく、関与しているセラピストの責任である

と断言できる強さ。

つまり、

’自分の心にあるものが 周囲に現れる’とする

’唯心所現’の徹底した受け入れと

責任をすべて負うという博士の勇気に深く

感銘を受ける。 

 

続く~

 

 

 

*1)ハワイの秘宝 

ジョー・ヴィターリ/イハㇾアカラ・ヒューレン 共著  

PHP研究所発行 2011

*2)ホ・オポノポノ の現代版は 伝統的なこの手法を、

人を介するのではなく、誰でもどこでも、一人で問題を解決できるように 

進化させた ”SITH・オポノポノ”を考案した 

Morrnah Nalamaku Simeona 女史に 始まる。 

ヒューレン博士は女史からこのメソッドを学び、世界に広め、

国際連合やユネスコ世界平和議会など世界各地で 

これに関する講演活動を行っている。

 

 

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偽の薬も信じれば特効薬に

2014年02月03日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 ブラシーボ効果で効用薬に化す        2014・2・3

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念は”今の心”と漢字で書き記す。

心といっても、受想識 という日常生活で

自然と五感の感覚によって得られる刺激

から生まれる心の泡のような想いをさしている。

そうした感情に近い 今の心が念となり、それがもう少し体系的にまとまると想念になる。

想念がエネルギーであるということはこのブログでもたびたび 何かの折に

触れてきているような気がするが、今日はそのことを、今読んでいる、長堀医師

の著書を基にして考えてみたい。

 

クリスチャンサイエンスのエディ夫人は

患者に、本来の自己は完全であるから

病などあるはずはないという信条を伝え

それでも薬を欲する人には

小麦粉を丸めたものを与えていた。

それによって、患者はひとまず、安心する

ことで、自然治癒力を促進させるという

役目を果たした。

小麦粉の薬でも 患者と医者との間に

強い信頼関係があれば、病に効く という

ことは、ずいぶん昔から引き合いに出される

話しであった。

このような、薬そのものには何の医学的

成分を含まないにもかかわらず、

一種の心理的作用で病が改善される

その効果を、ブラシーボ効果 という。

医学が発達してきてからは、

この研究自体、’科学的研究の邪魔者”

というレッテルが張られてきたと

長堀医師は自著に書いている。

ところが最近、このブラシーボ効果が

改めて関心を持たれているというのだ。

著書から引用すると:

”様々な研究を通して、患者さんへの

治癒への信念が強いほど、また、患者さん

と医療者との信頼関係が厚いほど、ブラシーボ

効果が高まることが判明してきており、

決して無視できるものではないことが

わかってきました

そのうえ、当然のことながら、ブラシーボ効果

には副作用がありません。

アリゾナ大学教授で自然療法医の

アンドルー・ワイル博士は、自身の幅広い

研究と診療体験から、’最高の治療法とは

最小の侵襲(しんしゅう)で最大のブラシーボを

得る事’と明解に断じています。”

 

さらに、

米国保険社会福祉省レポート

(U.S.Department of Health &

Human Services 1999)には、

重度のうつ病患者を対象として

抗鬱剤を与えられたグループと 小麦粉の

塊のような偽薬を与えられたグループの

追跡調査を行った結果、

前者では半数が回復したのに対し

後者では三分の二という多数の患者が

回復効果を得たことがわかったという。

 

また、オーストラリアの整形外科医

モズレー博士の研究班は疼痛(とうつう)

などの痛みを伴う円形性膝関節症の患者を

対象に、手術のどの部分が苦痛を

和らげたか調査した。

そのために、次のグループに分けて

結果を見た。

1)傷んだ膝の軟骨の除去を行う

2)洗浄 と、炎症物質の除去を行う

3)皮膚切開 と 洗浄のみを行う

 

その結果、皮膚を切開して 洗浄だけした

(3)のグループが、(1)や(2)のような

本格的治療に至る前の段階ですでに

痛みが治まったと答えている割合が

高かった。

 

ブラシーボ効果は 薬に似せた疑似薬

を投与して病が癒えるのだが、

手術でさえ、皮膚を切開しただけで

癒された’と患者が感じ、痛みすら

治まったとするのなら、これは

何を意味するのだろう?

Sea Sunset

 

モズレー博士の研究は論文として

発表され、’The New England Journal

of Medicine' 誌の2002年に掲載され

アメリカの主要メディアもこれを取り上げて

話題にしたというほど、世界的反響を

得た。

ブラシーボ効果をはじめ、手術時の

人の想念感情の及ぼす病や痛みへお

影響の大きさを世に知らしめた論文と

なったようだ。

以前ブログでもとりあげたように

エディ夫人が、コレラ患者の寝た

ベッドに寝かされた患者が、コレラが

感染するのではないかと恐れた余り

死亡したり、麻酔薬に極度の恐怖を持つ

患者が、納得のいかないまま麻酔を注射

されてショック死を起こした実例を紹介

させていただいた。

長堀医師はこうした例に関して

ノーシーボ効果 という言い方をしている。

 

著書から抜粋すると、

”レベッカ・フェルラーらは、自分が心臓病

にかかりやすいと信じている女性は、

同様のリスク因子を持ち、否定的想念の

ない女性と比較して、死亡率が4倍に

高まると報告しています(Jounal of the

American Medical Association 1996 )

これも明らかな ノーシーボ効果といえます”

 

環境は自分の心の影 ととらえるならば

身体や健康 も 自分の心の影 である部分が

大きいということが

ブラシーボ効果の研究によって、近年ますます明らかに

なってきていると言えるだろう。

 

 

 

 

      

 

長堀 優(ゆたか)氏について)

 日本外科学指導医、日本消化器外科科学指導医、日本がん治療認定医

 機構癌治療認定、財団法人船員保険会横浜船員保険病院 副院長・外科部長

 

 参考図書)”見えない世界の科学が医療を変える” 長堀 優著 でくのぼう出版 2013年

          タオ自然学 フリチョフ・カプラ 工作舎 1979

 

 

 

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