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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

難治喘息:ステロイド一錠に

2013年01月25日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

これから本番です。                 平成25年1月25日

********************************************************

           

 

こうして 退院してきたMさん。

薬に対して、特に、新薬投与に対して、

若干の不安はあったものの、昨年の

夏には、担当医師が驚くほど、回復を見せて、

公の場で、業界の方達や医師たちの前で

体験発表している。 


その内容は、後日掲載するとして、その後の

経過を記す。


2012年4月23日(月曜日)         

S大学病院(新薬投与5回目)

新薬について先生に聞く。


“これは、喘息の治療薬として開発された

抗体製剤(チャイニーズマウスからの)

である。


抗体とは、もともと人間の体内にあるも

ので、ある特定の物質に特異的に結合する

性質を持っている。


その性質を利用して、病気の原因となる

物質にのみ、結合する抗体を人工的に

創りだすことで、その働きを抑えて効果

を発揮する“

というお話し。

 

副作用などは、ステロイドやその他の薬

のように、急激に気管支を広げたりする

薬ではなく、結果的にはアレルギーを

抑えて、ぜんそく症状を無くすことで、

気管支が自然に広がっていくようにする。


だから、薬をやめたからといっても、

ステロイドのように苦しみのある薬

ではないということだった。


ステロイドは特に、そういう意味で急激

に無くすことは不可能とのこと。

 

其の話を聞いても、いつまでも、この

新薬を続けるつもりはない。

少しでも早く回復に向かいたい。


“絶対に完治”を信じて。 その日を迎えたい。

午後、友達と会い、会話した。

朝は病院で、少し疲れたかな・・ 最近、

少し外出が多かったせいかな?

 

数日後からタンが出始める。

やすよ先生に聞いてみたら 波もあるけれ

ど、無理をしていることも関係している

と言われた。

その結果反応が少し早くなってしまったみたい。

気をつけよう。

 

5月8日(金曜日)

S大学病院(新薬投与7回目)

今日はドキドキしながら、通院。


今日の検査結果次第ではステロイドの

量が減らせるからだ。

この数日祈るような気持ち。


2度目の入院から、この3か月間で 

血液検査にIgeの結果が

3500から600まで下がっている。


これは、今までのこの新薬投与の治療者

では特異的なことだという。


先生は

“今までの事例と反対に、貴方の場合、

は徐々にIgeの値が下がってきている。

これは 説明不能なことです。”

という。

 

もしかしたら、本当に効果が出ていて

低くなっているのか、

それともまったく効果がでていないため

に下がっているのか、

先生も首をかしげる。

 

この薬は長く続けていて効果がでるもの

ではなく 効く人はかなり早い段階から

効果が出るという。


早い段階から効果が出ない人は、この

新薬が適当でないということになるらしい。

 

私の場合は~のリング(医学用語)のように、

今回は、何か良い相乗効果でつながって

連鎖反応が起こっているかもしれない

とも先生は言っていた。

 

でも、私はうれしくなって、次のように

話した。


“わたしはこの治療のほかに、東洋医学

の考え方を取り入れた方法、

例えば食事法や気功のセラピーなども

しています。


自分の良いと思えることを精いっぱい

してみて、良いものが良い結果を生み、

つながっていけたらいいと思っています。“と。

 

肺の中の窒素は上がっているらしい。

なぜ窒素が上がるのか聞いてみたら、

“アレルギー反応や何らかの反応の結果、

増えることがある” 

と先生は答えた。


このひと月近く、タンが少し増えて、前回と

今回の2回で数値が50から270に上がっていた。


それは肺の中で何かに反応したということだ。

セラピーでいう所の浄化

タンを出すためにその機能が活性化して、

数値が上がったのだろう。


タンを出し切れば、この数値はきっと

下がると感じた。

その証拠に、タンが多く出ていたことで

肺機能検査の結果は心配だったが、

調べたら、安定していると言われた。

朝頑張ってタンがかなり出し切れて

いたからだろう。

ひと月前の検査と同じだった。

 

先生は今回の検査が良好だと判断。

“あなたの望み通りに、ステロイドの量

を明日から一錠に減らしましょう

と言われたときほんとうに嬉しかった。


やすよ先生に直ぐに伝えたいと思った。

やすよ先生とのセラピー、この一年の事を

想い浮かべて胸が一杯になった。

 

病院の先生の考えでは、ステロイドを

一錠から0錠にするときは、身体に影響を

与えやすく、これからは、慎重に~

ということだった。

 

この意味ではこれからが、まさに本番と

心に強く刻んだ。

医師は、新薬投与は 長年続けていくもの

だと話していたが・・・。

私は早く取れると心から信じているから。

 

 

付録)一度目の入院時と 2度目の

入院時の体の中の反応の違いだ。

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ステロイド点滴  

②錠剤   

③酸素マスク  

④歩行    

⓹痰の出方

 

一度目入院時   

①10本    

②毎日 6 錠  

③4 日間  

⓹入院 5 日目 

⑥ほとんどなし

 

二度目入院時

①4本     

②毎日 4 錠     

③1.5 日間    

④入院 3 日目 

⓹ティッシュボックス2箱/1晩

 

+++++++++++++++

一度目の入院時は 喘息発作は、

あくまで薬で抑えられていた。


痰もほとんで出ることがなく、常に、

肺に圧迫感があった。


そのために、酸素が思うように肺に

ってこなかったという。


酸素マスクは4日間つけ、ブログの

写真に見られた、酸素チューブと

替えられたのは退院直前の日たった。


2度目の入院時は、かなり、一度目

の時と異なっていた。

まず、痰 が自浄作用でどんどん出た。


酸素が 正常に、肺に入ってくるの

も早かった。

2日目には マスクもチューブも、取り

外せていた。


其の後は自力で 十分呼吸ができる

ようになっていた。

こうした 違いは、1回目の入院時と

比べ 顕著だった。


車いすを使用しない、自力歩行 に関しては

一度目の入院時は 足が重く、退院前日

まで、車いすだった。


二度目の入院時は、3日めから、歩く

ことも、難なく、できたそうだ。 

そのため、退院後も ついつい動き

回ってしまい、体が疲れを感じるほど

だった。


まるで、”駆け出すことができそうな気分”

になるほど、軽やかな足取りに感じた

という。


こうして、2度目の退院後は、肺の

酸素吸入が満たされて、

ステロイドは 術後4錠から、1月に1錠

ずつ減らすことができて、

退院後、4 か月目には、1錠になった。


セラピーに来られた、約半年前(入院前の)

には、

一日8錠とっていたことを考えると、体への

負担はずいぶん減ったと思う。 


自然治癒力は誰にでも備わっている。

でも、自分が物質で固められた、肉体であると

信じている限りは、なかなか、

それを 信じ切れるということは

難しいかもしれない。

 

 こうして Mさんは、例年難儀していた、

花粉症や生理不順などの そのほかの

持病も改善され、何よりも、ご親戚

との調和も実現されて、身心ともに、

次のステージにたたれているようです。


現在では 一年前(去年春)まで 

毎日8錠 服用しなければ 発作が

止められないといわれ

飲み続けていた 副作用の強い、

テロイド錠剤も 一錠に減りました。

 

2度目の退院時、”条件づきで” 

と医師に言われて、新薬をすすめられ、

取り始めました。


今回はじめられた新薬は、ステロイドが

とれれば、打たなくてもよいことに

なっているようです。

あと一歩です。

 

            

                  

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難治喘息:薬の愛念

2013年01月24日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

薬と調和          平成25年1月24日                          

 **********************************

2012年 2月23日

その晩、急に大量のタンが出始めた

それが朝まで続いた。 

出ればでるほど、酸素が肺に入ってくる

のが感じられる。

息が ・・ 呼吸ができている。

もう、何とも言えない気持ちだった。

 

皆様ありがとうございます。

たくさんの人の顔が浮かぶ。

何かどこかで、たくさんの心と愛に

つながったような気がした。

こうして、私は、明け方までに、

みるみる回復した。

 

その朝、皆が驚いた。 

私の顔を見て驚いた。

私はその顔を見てちょっと、うれしかった。

皆がとても喜んでくれた。

病院の医師たちも驚いていた。

肺の中は嵐の中の静けさのように

落ち着いていた。

 

“あれだけの発作で、こんなに早く回復

するのはあり得ない。 

もっともっと時間がかかると思って

いたのに。


今回長くかかると覚悟してくださいと

昨日お話ししたばかりだったのに・・”

と医師が言った。

 

2月24日

その夜、タンはだいぶ少なくなり、夜

も何日ぶりかに睡眠がとれた。

途中途中で目は覚めたけれど、久しぶりに

座ったままでも寄りかかって寝られた。

嬉しかった。 


朝になり、また、少し良い気分になった。 

看護師さんも、私の様子や朝のデータを

見比べてうなっている。 

不思議なようだ。

 

昼間 担当医師が来られて、

昨日より、さらに良くなっているね” 

と言われた。


“酸素をはずして、自分の呼吸で息して

みよう”と酸素マスクは取られた。


始めは少しだけ、違和感があったが、すぐ

回復して、首の左側からから涼しい風が・・

気持ち良い滝の風が通った。 


今回の風は今まで以上に格別に、とても気持ち

よく感じられた。

 

始めは酸素の量(体内)が少し安定しなかった。 

次第に安定してきた。

その後はすぐにフロアーナイの歩行を許され

車いすから解放された。


自分の足で数日ぶりに歩く。

始めは身体が空中に浮かんでいるよう

だったが、うれしい。

医師が夕方来て、私の早期退院の希望を

聞き入れてくれた。

火曜日に何もなければ退院できるということ。

 

条件は“其の前に新薬投与を始めることです。”

ということで、頭の中でいろいろなこと

を考える。


そして、感じた。

“この点滴も、薬も、ただの物質ではなくて

その中にこもっている皆様の気持ちや愛情

があるのだ。

その愛と自分の心がつながることができ

ますように・・”

と想い、祈る。 


皆の笑顔が目に浮かぶ。

 

2月25日(土曜日)

昼ごろ、初めて新薬を注射した。

特に変化はない。

 

2月28日(火曜日)

 無事退院。

体力はかなり落ちたが あれから、身体が

何か違う。

入院タンが出尽くしたあの日から


なんだかスッキリしている。

退院して、日々体力を回復。少しずつ。

母や姉、主人が野菜中心の食事を毎日

作ってくれた。

有り難い。 


自分の肉体だけでなく、まわりの状況、

いろいろな事がとても良いように

好転してきている。

毎日ぐっすり、本当にぐっすり休み、

体調はかなり安定。

 

3月中旬は やすよ先生インドに行かれた

ため お母さん(須田注:須田麻沙子のこと)

にお世話になる。


その間風邪をひく。 

点滴2日間してもらう。 

その後すぐ回復。

いくら病院へ通っても今までは長引いて

いたが、今回は早く回復。

良かった。

    

退院した年に見た、桜の花、

その美しさも生命力もこれまで以上に実感!

 

3月28日(水曜日) 

久々にやすよ先生に会えた。 

心の底から癒された。

 

4月4日(水曜日) 

やすよ先生のセラピー。

三輪山のご神水をいただく。うれしい。

その晩からタンのつまりが少し気になる。


軽い波かな?

でも、前までの波と明らかに違う感じ。

 

4月5日(木曜日) 

朝、肺上部のタンの詰まりが少しひどく、

上の子に手をあてて、

“あかはなま”(天地のうた)*を

唱えてもらう。 


そして、タンを出すことに集中したが、

まだ、残りが少し気になる。

夜、やすよ先生とTELで話をした。

その後、力が湧いて 頑張ってタン

を出した。

血痰が続いた。 

だんだん取れてきた。

 

4月6日(金曜日) 

S大学病院(新薬投与4回目)

朝タンを出す。

昨日よりも出しやすく、血痰はほとんど

なくなってきた。

心配だった検査結果は良好だった。


病院検査の今日までに ほとんど出し

切れたらしい。

おかげで、ステロイドが2錠に減らされた

驚いた。 


先日のやすよ先生のセラピー、

ご神水 (*2) のおかげで、また、さらに浄化

できた感がある。

 

その後しばらく、体調安定。   

 

続く~


* 天地のうた~1月22日ブログ注参照 

*2 ご神水 ~ 

Mさんは大山神社や京都・奈良の神社を ドライヴされ

回るたびに、ご神水 といわれる神社の湧水を 

汲んでこられて常用されている。 

これらの純粋な 湧水は、確かに、気・エネルギー 

などが 滝の水と同様、含まれていると考えられる。

         

 

 Mさん 自ら シャッターを押した 塩川の滝~ 

神奈川県、大山のそばの滝です。 

パワースポットです。

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難治喘息・息が通った!

2013年01月23日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

心の底からの祈り                     平成25年1月23日

*****************

                                                                                

 

(一度目の退院から ステロイドを飲まないでいた

1週間以上たったところで)

ほとんど動けなくなってきた。


食事もあまり、食べられない。 

ずっと横になってもいられない。

ただ、ただ、ひたすら、苦しいのを、我慢する

日々。

その後、朝、昼、夜、夜中、ずーっと、座った

まま、寄りかかることもできずに、4日間

過ごした。 

 

いつまで、ほんとうに、いつまで、かかる

のだろう。

いつまで、我慢すれば、心が体が、

心(自分のほんとうの)に ついてきてくれる

のだろうか?

 

何をどうすれば・・日々葛藤が続き、時々

不安に駆られる。


毎日毎日、そのようなことが、頭の中で

ぐるぐる回った。 

“あかはなま”(あわの歌)を唱えて、神様

に祈る日々。

 

2012年2月22日(二度目の入院の日)

朝8時、

皆が家を出て、その後、一人でトイレすら

行くことができない。

飲み物すら喉を通らない。

息ができない。 


もうダメだ・・と何度も思う。

息ができない苦しさは今までに何度も

味わったが、

この時の苦しさは、完全に死と向き合って

いるかのようであった。 


逃げたいけれど逃げられない。 

自分のことなのだから。

 

たとえ、この時点で多量のステロド剤を

飲んでも、効くような状態ではない。

自分がこれまでの道を選んできた。 


今のこの状態も自分の責任。

何度も限界と思える瞬間がきた。 


今は息すら入らない・

最後に心でつぶやいた。 

“神様、私に力を与えてください”心で祈った。

“心の底”から祈った

と、その瞬間・・・

 

肺の中で様子が変わった。

今までタンが詰まってごろごろしていた

箇所も、肺の中も、これまでの動きがとまり、

何かが溶けていくような感じがしてきた。


それから、左の喉と真ん中の2か所に風が通った。

冷たい風。 

セラピー中にも感じた冷たい風、まるで滝壺

にいる時のような冷たい気持ちの良い風。


これで、皆の顔が見られる。

帰りを待つことができる”

そう思った。

祈りが神様に届いた・・

 

午後3時:

長男が (学校から)帰ってきて私のところ

に慌てて走ってくる。

“ママ、大丈夫?!! 生きている??”

何日、こんな状態が続いているのだろう。

 

午後7時:

主人が帰宅し、子供たちの風呂、食事、洗濯、

片づけ、そして、子供たちを寝かせてくれた。


“今日は(自分が)寝なくても、一日中

(あわのうたを)*唱えてあげるからね・・”

と言ってくれた。


涙が出てきた。 

 

午後9時:

もう限界が来ているような気がしてきた。

意識が朦朧としてきた。 

涙ながらに“負けたくない”と主人に

訴えた。

主人は “もう十分に耐えたんだ。

これは負けじゃない!!” と答えた。

限界がついに来た。 

 

午後10時過ぎ:

主人は救急車を呼んだ。

救急隊員が 酸素をどんなに強く入れても

何も入らない。


朦朧としながら、今までとは違うことは 

自分も意識できた。

病院までもつだろうか? 

・・・・・・・・・

隊員の人の声“頑張ってください!”

と何度も励ましてくれる。


“もうすぐ、もうすぐだから!!”と。

 

病院に着いた。

すぐ、投薬対処してくれたがほとんど

状況は変わらない。

“苦しい…苦しい…”

私はもがく。 

ひたすらもがいていた。

 

“これは大発作ですよ!

今はここまで、ひどくなる人は、だいぶ

少なくなっているんだけど、

何かありましたか? 

変わったことは?” と聞かれた。

言えないけれど 思い当たることはたくさん

あった。

 

明け方まで、救急外来で先生方が見守り、

救急病棟へ移った。

その日の夜まで、ただ座ったまま耐える

時間が続く。


座ったままでも、脈拍数も160以上。

その間何度もトイレに行きたくなるが、 

いくら車椅子でトイレに運んでくれても

苦しくて、手を少し動かす事だけでも

呼吸困難。


立ち上がろうとするだけで、脈拍数が200を

超え酸素量が更に下がり、身体に取り付けている

機械の危険性を表すブザーが鳴りっぱなし。


うまく用を足す事も出来ない。

でも尿管はさけたい。

 

病院二日目の夜、

やすよ先生とメールのやり取りをした。

やすよ先生が 祈ってくださるとメールがきた。

心強かった。


本当にありがたかった。

その晩、急に大量のタンが出始めた

それが朝まで続いた。 


出ればでるほど、酸素が肺に入ってくるのが

感じられる。

息が ・・ 呼吸ができている。

もう、何とも言えない気持ちだった。

 

皆様ありがとうございます。

たくさんの人の顔が浮かぶ。

何かどこかで、たくさんの心と愛に

つながったような気がした。

続く~

 

 

* 注 あわのうた~昨日の注参照

                                 

 滝壺に立ったときの 冷たい空気、と

 顔に感じる風、 

これは、セラピー中に、多くの方が体験

されている、アートマセラピー特有の

現象です。


人によっては、施術中、”寒いのでクーラー

消してください” という人もいれば (入れていないのに)、

”どこか、窓があいていますか?” と 

周囲を見回す人もいます。

 

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難治喘息:もう駄目だ

2013年01月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

一度目の入院     平成25年1月22日

 *********************************************************************************************

無謀な試みに出たMさん。(昨日までのお話し)

それは、ある意味、Mさんの 精神性と真理への気づきが深まったことにも起因していた。

自己の本質を知るということはどういうことだろうか?

それは、自分の中にある空、 肉体に影響受けない、肉体を支配できる、大きな自我への

気づきと喜びにほかならない。

Mさんは 2011年6月から2012年6月の一年間 アートマセラピー理論を真摯に

学ばれて、と肉体の関係を理解された。

まるで乾いた砂に、水をかけるがごとく、ヴェーダの真髄・般若の智慧などの、

不二一元論を学び、吸収した。 

入院される前後、ご自身、不二一元論と同説を含んだ本を見つけられてきては、愛読書にしていた。

その心情に駆られて ステロイド漬けになっていた体に対して、バランスを失わせる行動をとってしまった。

誰にも内緒で・・・・

 

”喘息に関与しない、身体の真の在り様” も、 実は、思いがけないところで体験されていた。

それは、毎回、2時間にわたる、セラピー中の出来事だった。

当時のMさんは、長年にわたり、毎夜、発作のため、体を伸ばすことができず、

座りながら仮眠をとっていた。

ところが セラピー中は 咳一つせずに、2時間以上 布団の上で 

正常に横たわり、静かにあおむけに寝ていることができた。

それは、アートマに焦点を当てられたときの 本来の体に他ならなかった。

本人は毎回、こうして、寝ていられるのが、不思議だと言っていた。

 

ある意味では、これは、当たり前な事だった。

セラピー中は、相手のアートマを的(まと)として、そこにめがけて、ぶれずに、

施術側から、自らのアートマからの アートマの波動の矢 を当てる。

その時、被施術者のアートマの波動が共振共鳴して、本人の持つ、自然治癒力が 

必然的に引き出されていく。 

本人の中から引き出されていく。 

外からの力ではない、自己に内在している、自然生命力にほかならない。 

 

(Mさんは、2012 年の一月と二月の二回、救急車で運ばれる事態に関して、

以下のように、したためています。

あえて、原文そのままを掲載しております。)

 

平成24年(2012年)

1月17日(火曜日) 

アレルギークリニック終わる。 

タンの量が多いが何とか外出可能。

A先生に久々会った。 

気功師 B先生の治療を薦められ、翌日行くことにした。

 

1月18日(水曜日) 

B先生の治療[2か月振り]受けた 

しかし、翌日からは外にも出かけられなくなった。

タンが増えてかなり息苦しい。 

このとき、やすよ先生とB先生の違いを 体で、

本当に理解できた感じがした。 

この苦しさは何日も続く。

 

1月23日(月曜日) 

もう全く動けない。 

息も細いストローを加えているようで、トイレも行かれない。

深夜、救急車酸素マスク当てられ少し楽になった。 

病院で点滴、注射、酸素などの処置。 

薬の入った吸入で、吐き気。 

寒気。

動けなくなる。 

点滴終了後、無理して帰宅。

 

1月24日(火曜日)

子供たちを何とか見送り・・もう限界か・・

主人が2時間ほど、天地のうた*1を唱えてくれた。

主人がやすよ先生にTel を入れてくれた。

お留守だった。

昼前に2度目の救急車。

昨夜のM病院へ運ばれるが症状が重く、

また、救急車でD病院へ行く。 

そちらでの診察後やはり、無理ということで、

救命のある、喉を切開できる大学病院へ・・・

 

S大学病院へ運ばれて診察を受ける。 

今までの先生とは何か違う。

様々な検査の結果、のどの切開は免れほっとする。

  (当時の腕の様子)    

左手、なぜだか、針が通らない。

刺すほどに、左の腕の色が内出血?のように・・

説明できない色に染まっていく。

 

検査の結果 インフルエンザと 喉の気管部分に穴が開いてしまったらしい

 

入院した晩に やすよ先生からTEL。

心が落ち着いた。有り難かった。

入院して2~3日で落ち着いてきた。

病院の方々や周りの人たち、家族、みなさんにほんとうに良くしてもらっている。

私は幸せ者だ・・とつくづく感じた。 

本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。

入院中も毎日をそんな気持ちで過ごせた。

何もかもが有り難かった。

 

1月28日(土曜日)

早く退院したい・・

そう願っていた時に 子供と、子供の面倒を見ていてくれた姉が

インフルエンザにかかり、それを口実に退院させてもらった

ただ新薬の話があり、少し、気がかり・・・

でも、今回の先生は何か心を感じる。

話もしやすい、温かい先生だった。

 

退院後、セラピーを受ける。

しばらくは落ち着き 夜も数年ぶりにぐっすりと寝られた。 

ただ、左腕、ひじから、手首にかけ、全体に内出血のひどいような色に覆われていて、

なんだか不思議な感じがする。

 

 

あまりのひどさに子供たちが怖がる。

消えるまで3週間ほどかかった。

2週間ほどたち、その間 薬(ステロイド)をほとんど飲まなくなった。 

どうしても(薬を)やめたい。

薬をやめてすぐに症状が出てきた。

息が苦しい。 

 

ティッシュ(ペーパー)を一日2箱使う。(タンを取るため) 

始めはのどの苦しさから今度は肺に広がって・・・

 

続く~

 

 注) *1~伊弉諾・イザナミの尊が御つくりになった 順気を整えるとされている古代歌で、秀真伝えに継承され述記されている。

 

               

 滝のマイナスイオンを生み出す、効果、これが、セラピーの効果と同質であるということ、それをMさんが、体験していきます。

 

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難治喘息:呼吸ができない

2013年01月21日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

[2回の入院]         平成25年1月21日

*******************************************************************************************************

(昨日までの概要)

薬漬けになっていた、Mさん。

2011年6月3日に、初めてアートマ

セラピーを受けられた。

次第に、好転反応も乗り越えて、

元気になっていき、    

2か月後には、泊りがけの家族旅行

楽しめるようになった。

 

2年間 毎日8錠と、変わらなかった

ステロイドの量も 医師から半分に

減らされるほどの回復をみせていた。 

 

ところがMさんは、2011年 秋を過ぎる

ころには、気がせくあまり、

独断で、ステロイドを減らしていった。


定期的に セラピー理論の勉強をつづけ、

ートマへの理解が深まるにつれて、

自分は ”喘息を治すことができる” 

という自信が 深まっていった。 

それは喜ばしいことだった。


しかし、Mさんの長年とっていた、

ステロイドを 急激に減らすことは、

体への負担とともに、ある意味で

とても危険なことだった。 


Mさんの、本来の自分の姿である、完全性 

を自覚するにつれて、精神的にも

肉体的にも 一刻も早く それを、

実現させたいという 強い望みの為す

無謀さだった。

 

 

そして、翌年2012年に入ると、

ステロイドを一切 取らなくなっていた。


そして、その約ひと月後、救急車に

運ばれるはめになる。

さらに それから ひと月後、 二度目

の入院となる。


どちらも数日間の短い入院ではあった。

そして、2度目の退院後は、心身再生

したかのように、変わっていたことは、

昨日お話しした。

 

”絶対に死にません。

死なないとわかっています” 


2度目の入院の時、お見舞いに行った私に

Mさんは微笑まれた。

空(から)元気ではないことが察せられた。

顔色もよいし、気丈夫な様子に安堵した。

 

医師も、この時ばかりは、搬送中の救急車

の中でMさんがいつでも、呼吸停止になること

は、不思議でない状況だったのに、

こんなに元気になるとは~ と 入院後 

朝の回診の折、驚いていた。   


とにかく、たくさん痰を出した。 

元気になったのは良いが、医師は、条件

付きの退院を薦めた。                   


”新薬の投与を条件”として退院を認める

ということになった。

 

Mさんの真情は、私には伝わった。

”薬を 断ち切りたい”、その無謀な

試みは 二度の入院を招いた。


しかし、その分、ある意味で、体の激しい

反応とともに 自然治癒力が発露し始め

ていた。


それ故に、入院2日目には、これまで例を

みないほどの、回復力を見せつけて

医師達を驚かせた。


2回の入院をきっかけにして、Mさんは 

愛 の認識を深めた。

 

愛、言い換えれば、Mさんは、

病院関係者の暖かい心を身に染みて

感じるとともに、 

自分の中にあった、さまざまな、

抗う(あらが)心、も はっきり見えた

という。


それは、薬や自分の病気に対しても、

当てはまることだった。


病 と闘うのでなくて、薬を排斥するので

はなく、それぞれの奥にある愛の

姿を観ようとした。


その奥に流れる ”自分を生かそう” と

してくれている周囲の愛の心を感じる

ことができた。


ご家族に対しても、周りの事象に対しても、 

抵抗する気持ちが、感謝する気持ちに次第に

変化していったという。


こうして 心身ともに 再生するかのように、

数日後 退院の運びとなった。

 

想いだしてみると、私は、このころ

(2011年秋)から、Mさんの心の奥底に

芽生えた、大きな変化を感じ取っていた。


体質も変わっていくのが、好転反応など

の大きさからわかっていた。


Mさんの、無謀にも見える行為ではあった

が、心情的に理解はできた。


さらに2012年、1月と2月 に、2度の

入退院を繰り返したMさんだが、実際

入院してみると、痰を多量に排出して 

そのたびに、自浄作用が起きている

ことを誰よりも本人が自覚した。


痰を多量に排出することで、肺の中が

清浄されているのが 体感できた。

こうして、Mさん自身で、体質が変化

しているのを実感していた。

 

特に2度目の入院時。

医師達もMさんを取り囲んで驚くほど 

わずか数日間での劇的変化。

そこに流れていた、Mさんの回復力は、

自らの信念の顕れだったと思う。

 

続く 

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