甘楽町の(5月7日のつづきです)歴史民族資料館から少し先を右に折れると古い時代の面影を残す広い通りがあります、このつきあたりを曲がった角が武家屋敷、当時の勘定奉行だった高橋家です。

立派な門があり案内看板が立っています。

パンフレットには大名が通った道幅14m中小路とあります、広い道の両側に古い石垣と塀が続きます。


甘楽町の中学校前の手前にある「喰い違い廓(くるわ)」防衛上の工夫とか、下級武士が上級武士に会うのを避けるため隠れたと言われているそうです。

マップはこちら甘楽町観光マップこのあと名勝楽山園へ行きました(つづく)

立派な門があり案内看板が立っています。

パンフレットには大名が通った道幅14m中小路とあります、広い道の両側に古い石垣と塀が続きます。


甘楽町の中学校前の手前にある「喰い違い廓(くるわ)」防衛上の工夫とか、下級武士が上級武士に会うのを避けるため隠れたと言われているそうです。

マップはこちら甘楽町観光マップこのあと名勝楽山園へ行きました(つづく)