スシ・サンバ・レストランで、ジャズ・ギタリスト、井上智のサンデー・ジャズ・ブランチ。今日はドラムス高橋信之助、ベース植田典子のトリオ。
かぶりつきに座ったが、早い時間で客足も遅いらしく、一人で目の前に座っているのも贅沢だけどなんだか居所がなく勝手にもじもじする。
“アラバマに星は降りて”を演ってくれて、うれしかった。
キャノンボール・アダレーのアルバム、“イン・シカゴ”に入っているこの曲が昔から大好きだ。もちろん井上トリオの演奏もサンバらしい。
「平和映画祭」の最終日が二時から始まるので惜しいかなジャズは早退。
映画祭の会場に駆けつけた。
上映された映画はすばらしい。歴史を伝えようとする人達の無償の努力と誠意には頭が下がる。僕は平和のためのどんな活動にも感謝と尊敬こそすれども異を唱える者ではないと断っておきたい。
しかしそこからどこへ行くのか?
ここに集まってくれた人々は、同じ志を持つ、いわば既に分かっている人達であって、我々が切にメッセージを伝えたい相手ではない。
その相手はここへは来ないのだ。
どうしたらこのメッセージを外に向かって発信できるのか。
僕たちは戦後六十年間千羽鶴を折り続け、お経を唱え、そのかたわらイラク侵略の後押しをしている。
映画の中で原爆のドキュメンタリーを見た中国の学生が言う。
「無差別に市民を殺す原爆は残虐だ。ではその手で無差別に市民を殺した日本兵はどうか。爆撃機のスイッチを押すのではなく、その手で犯し、女、子供を銃剣で突き殺した日本人は?」
アメリカは罪の無い人々を殺したと言う。たしかに子供達に罪は無いだろう。しかし大人は違う。あの罪の無い子供達を殺したのはアメリカだけではない。
日本の大人もが子供達をあのようなむごい死に追いやったのだ。
そちらだけが悪いと言っているうちはその先へは進めない。
広島・長崎の主張をかたくなに拒み続ける世界が投げかける疑問をかわすのをやめて、正面から受け止める答えを用意しない限り、誰も話を聞いてはくれないだろう。日本は悪い事をした。そして原爆が落とされた。しかし原爆はいけない。何故なら・・・、何故なら・・・、何故ですか?
無差別だから?後遺症があるから?じゃあバンカーバスターならいいんですか?クラスター爆弾ならいいんですか?
答えを用意しましょうよ。 解るように説明しましょう。黙って鶴を折っていないで。
さもないと、ありもしない人々の恐怖を煽って金儲けをねらう、戦争財閥達に勝てる日は何時になっても来ないでしょう。
中国の学生さんもそう。
彼らに「チベット・少数民族問題は?」と聞いてみても帰ってくる答えはもう分かりきっています。
歴史問題を直視できない日本。
被害者意識をふりかざす人々。
そのはざまで得をする政治家。
最後の所、「自分はかわいい」というエゴが問題なんだと思うこの頃です。
人の手は汚れている・汚れる可能性のある手を持っている。
この意識をしっかり持った上で希望に向けて歩みたいものです。