32人の犠牲者を出した乱射事件がヴァージニア工科大学で起きてからもうすぐ一年、事件で友達を亡くした学生の一人が、学校での銃の所持を合法化しようと活動しているということで、話を聴きにヴァージニアに飛んだ。
「あの時銃を持っていたら、あんなに多くの犠牲者を出さずにすんだだろう。」「銃が悪いんじゃない、それを使う人間が悪いんだ。車で死ぬ人が居るからって車を禁止するかい?包丁を禁止するかい?」
車は乗る物で包丁は切る物だけど、銃はただ殺すための物だ。一緒にするのもどんなものか・・。
他の学生に訊いてみる。「そうは思わない。銃を持てば事件が増えるだろう。」と言う声も多く、ホッとするものの、巷には射撃訓練をしている大学もあるそうで、女学生も並んでピストルをバンバン撃っているらしい。
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であり、国民が武器を所有し携帯する権利は、損なうことができない」と言う憲法修正第2条が銃規制反対の大看板だそうだが、現代では意味が分からない。
ウェブでどういう意見があるのか調べてみると、「アメリカの歴史を考えると仕方がない。」「銃社会はアメリカ文化である。」云々、その根拠を西部劇に引く人も多い。西部劇って白人が都合良く作ったウソの世界じゃ・・ま、それは現代でも通用するか。
何にしても、規制すれば死人が減るんだからそうすれば良いと思うのだけど、一体何が人の命より重いんだろう。
最近じゃあ銃乱射も日常茶飯事だ。