空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

(ものがなんでも)「学校の授業を充実させればよいのでは?」という人は

2019-06-10 15:02:16 | Weblog


 ということは、『子育てや介護でちょっとでも余計に金があれば何かと助かる』人たちが『ンな手当てでやってられるか!』と思う程度のカネしか出ず、独身や若手に『若いんだから経験しときなさい』と親切めかして押し付けるという構造なんだということですね。

 それは労働のお約束として間違っているものと思われ、だから先生のなり手も少ないわけである。
 ひいては教育自体が安手の、低質のものになっていくことになろう。



 とまあ、所詮安手ではあろうとも、せめて多少は文化資産に触れさせてさあ、という教育効果を放棄していくことに。



 ということである。



 強制的に全員、運動部にさせられて―ってな恨み言はありえるが、それは別として(それは強制が悪なのであって、運動部が本質的に悪なわけじゃない)、冷静な思考を積み上げたいものである。



 これは口にして3秒くらいは「おお、卓見であるなあ」と思えるかもしれないが、5秒くらいで「あれ?」と思えるものではないか。もう20秒くらい考えれば、体育や芸術の授業をどう充実するか、そこで破綻が見える。

・芸術・美術・体育に何時間わりふるか(少なくとも主要教科程度にはあるべきだ、ということにならんか)。

・芸術・美術・体育の先生は主要教科の2倍程度は当然あるべきだろうが、こうした予算はあるか(絵画・彫刻・書道・声楽一般に和楽器はひとり、洋楽器はギターとピアノを基礎にそのほかオーケストラ関係をまあ2名程度にケチろう)。

・体育は、あのな、武道の必修化だけでも体育関係が悲鳴をあげたんだけど、「充実」にどれだけの資源が必要か、私は考えたくない。特に体育は安全関係がキッツく、事故事例を見ると「おまえそれ、なんでそうなるんだ」みたいなアレな例があるわけで、漫画のネタでありがちな「体育教師は馬鹿だ!」ではすまないんだ…。複数競技の充実した指導のために、そうねえ、(必修になっちゃった武道から)剣道・柔道、メジャー極まりない陸上・野球・サッカー、日本的に必須の水泳、あとバスケ・バレーはあるべきで、さしあたり8人ほど指導者が要りますが、人件費の覚悟は宜しいか。

・削ってもいいが、その場合、「選択肢が減る」という反自由要素と戦うことになる。

 いいのか? 国の規格で国の命令で、何種類かの芸術領域・スポーツ領域だけが「すべての生徒に体験させ」られ「」ような、そんなファシスト風国家。

 僕は反対だ。

 なので、「(一応建前としては)先生に心得があったり、趣味だったりするので、同好の生徒学生と放課後に自発的に集まって交流をふかめ、かつ技量の向上に努めるという部活」という制度を、そこそこ支持する。いやこれで「制度」と言うあたりで既に矛盾だが。
 なので、そういうファンタジーの存在を相互に認めつつ、紳士協定的に運用していければいいね、といっておきたい。

 まあその、うちのばあいPTAから、「少ないながらも」ということで休日の指導・出張に対して薄謝といったかんじくらいの手当てはある。まあ、交通費・食費をじゅうぶん間に合わすかなと言った程度。
 先日までの私は、親御さんの会の負担を減らすため、この休日の指導届けを出していなかった。
 今年は出してる。というのは、今年はウチの部の部費がなく、試合参加費がちとキツイ。最終的には親がだしてくれるだろうが、子供たちが小遣いから一時的に出すのも子供たちの不自由になる。といって私が出すのも変な話だ(※そうすると、他の先生たちにも申し訳が立たなくなる)。なので、私の名前で貰った親御さんの会からのカネ=指導謝金を試合参加費等として供出しよう、ということにしたのだ。「イヤ、すまんが、駐車場代だけは取らせてくれ」とは言ったが。

 ということで、私の土日部活指導はあいからわず、無料奉仕状態であるが、私はいまはまだ、「これでよし」と思える状態である。上述のファンタジーを尊重すべきだと思うし。
 まあ今後はしらん。

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