意外と「いいんじゃない?」派が多くて「家庭が旅行に出かける習慣や家計がない」子に体験与える発想が無くて分断を感じた / “修学旅行”がなくなる?その理由『子育てや介護をしている教員が泊まりで行けず、6年の担任を独身や若手で構成せざるを得ず負担が集中するから』 https://t.co/GwhtsEX16z
— ぼうくん (@VoQn) 2019年6月3日
ということは、『子育てや介護でちょっとでも余計に金があれば何かと助かる』人たちが『ンな手当てでやってられるか!』と思う程度のカネしか出ず、独身や若手に『若いんだから経験しときなさい』と親切めかして押し付けるという構造なんだということですね。
それは労働のお約束として間違っているものと思われ、だから先生のなり手も少ないわけである。
ひいては教育自体が安手の、低質のものになっていくことになろう。
「修学旅行で生まれて初めて新幹線乗って遠出旅行した」っていう子いたし、大人が大人の事情で子どもの人生体験のシュリンクを容認する流れだって退廃的パターナリズムっぽくて過剰すぎるのも良くないと思う(部活とか体育祭文化祭なくそうっていう過激な主張も見えてきててそれは違わないかと)
— ぼうくん (@VoQn) 2019年6月3日
とまあ、所詮安手ではあろうとも、せめて多少は文化資産に触れさせてさあ、という教育効果を放棄していくことに。
運動部を学校から消失させると、「親が認めて親が金出してスポーツ趣味をさせてもらえる裕福な家庭」以外はスポーツ文化に触れられずに育つってぇことになる。文化部にしろ(特に音楽系)無くなれば家庭の貧富の格差がそのまま文化体験の格差になる…っていう側面あるのを忘れちゃいないか。
— ぼうくん (@VoQn) 2019年6月3日
ということである。
もちろん、部活なり行事なりの学校のアレコレがそうした意義も価値もあると思えなくなるような現状の不合理や不条理だってあるのはわかっているけれど。全員強制感だったり、理不尽な事を生徒にも教員にもふっかかってる事だったりも。ただ、それですらごっちゃにしたら直せるのも直せなくなる
— ぼうくん (@VoQn) 2019年6月5日
強制的に全員、運動部にさせられて―ってな恨み言はありえるが、それは別として(それは強制が悪なのであって、運動部が本質的に悪なわけじゃない)、冷静な思考を積み上げたいものである。
すべての生徒に体験させるのが目的なら体育や芸術の授業を充実させるのが正しいと思うが。 https://t.co/r6l3ZYcUmo
— 戯画蛙 (@giga_frog) 2019年6月5日
これは口にして3秒くらいは「おお、卓見であるなあ」と思えるかもしれないが、5秒くらいで「あれ?」と思えるものではないか。もう20秒くらい考えれば、体育や芸術の授業をどう充実するか、そこで破綻が見える。
・芸術・美術・体育に何時間わりふるか(少なくとも主要教科程度にはあるべきだ、ということにならんか)。
・芸術・美術・体育の先生は主要教科の2倍程度は当然あるべきだろうが、こうした予算はあるか(絵画・彫刻・書道・声楽一般に和楽器はひとり、洋楽器はギターとピアノを基礎にそのほかオーケストラ関係をまあ2名程度にケチろう)。
・体育は、あのな、武道の必修化だけでも体育関係が悲鳴をあげたんだけど、「充実」にどれだけの資源が必要か、私は考えたくない。特に体育は安全関係がキッツく、事故事例を見ると「おまえそれ、なんでそうなるんだ」みたいなアレな例があるわけで、漫画のネタでありがちな「体育教師は馬鹿だ!」ではすまないんだ…。複数競技の充実した指導のために、そうねえ、(必修になっちゃった武道から)剣道・柔道、メジャー極まりない陸上・野球・サッカー、日本的に必須の水泳、あとバスケ・バレーはあるべきで、さしあたり8人ほど指導者が要りますが、人件費の覚悟は宜しいか。
・削ってもいいが、その場合、「選択肢が減る」という反自由要素と戦うことになる。
いいのか? 国の規格で国の命令で、何種類かの芸術領域・スポーツ領域だけが「すべての生徒に体験させ」られ「る」ような、そんなファシスト風国家。
僕は反対だ。
なので、「(一応建前としては)先生に心得があったり、趣味だったりするので、同好の生徒学生と放課後に自発的に集まって交流をふかめ、かつ技量の向上に努めるという部活」という制度を、そこそこ支持する。いやこれで「制度」と言うあたりで既に矛盾だが。
なので、そういうファンタジーの存在を相互に認めつつ、紳士協定的に運用していければいいね、といっておきたい。
まあその、うちのばあいPTAから、「少ないながらも」ということで休日の指導・出張に対して薄謝といったかんじくらいの手当てはある。まあ、交通費・食費をじゅうぶん間に合わすかなと言った程度。
先日までの私は、親御さんの会の負担を減らすため、この休日の指導届けを出していなかった。
今年は出してる。というのは、今年はウチの部の部費がなく、試合参加費がちとキツイ。最終的には親がだしてくれるだろうが、子供たちが小遣いから一時的に出すのも子供たちの不自由になる。といって私が出すのも変な話だ(※そうすると、他の先生たちにも申し訳が立たなくなる)。なので、私の名前で貰った親御さんの会からのカネ=指導謝金を試合参加費等として供出しよう、ということにしたのだ。「イヤ、すまんが、駐車場代だけは取らせてくれ」とは言ったが。
ということで、私の土日部活指導はあいからわず、無料奉仕状態であるが、私はいまはまだ、「これでよし」と思える状態である。上述のファンタジーを尊重すべきだと思うし。
まあ今後はしらん。
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