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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「見えている世界が違う」

2017-10-23 12:52:12 | Weblog
朝日新聞 自民幹部「首相が一番嫌われていたが…小池さんに感謝」 2017年10月23日07時07分

首相自身も公示前、抗議活動やヤジを警戒して演説日程を非公表に。第一声もヤジを避けるように、福島市の田園地帯を選んだ

 福島を選ぶのは、「ヤジを避ける」ためだろうか。「ヤジを避けるように」そうしたのだろうか。

 積極的な意味を見出すなら、「復興」イメージを強調するため―福島の復興と、己のイメージの復興とを重ねあわせる―という可能性があろうし、消極的に、また朝日新聞の言い分を受け入れれば、福島の田んぼまで出向けば、反アベをさけぶ人たちはやってこない・そこにはいないと見込んだから、ということか。

 後者の可能性に、さらに一歩推測を進めれば、そこまで強固な反アベ勢力の存在比率はさほどでない、と考えてよい―ということになる。
 そうであるなら、この時点で反アベ勢力の選挙での敗北は決まりきった既定路線だったわけである。

 つうか、総選挙というのはうちらみたいなど田舎でもやるもんであり、東京だけでやるものではないのだが、中央政界の動向を延々追っていたらしい中央マスコミはいますこしなんとか視野を。だが取材費用もあんまりないらしいしなあ。

 …まあ、安倍首相が相当アンチ・ヘイトポイントを溜め込んでいたというのは同意する。緑の小池が超スピードでヘイトポイントをためて瞬間風速で安倍首相に勝利したらしいことも。



 そう。見ている世界が違う。

 安倍政権成立の頃、すわこれで憲法改定か、それは目前に迫っている!と大騒ぎし、「えー、ンなことで遊んでるヒマ、あるかなー? 政権とる前なら、人気取りでアレなことをいえるけど、実際仕事しはじめたら、そんなヒマないと思うよー」と言った私を世間知らずでモノが見えぬ阿呆扱いしたらしい向きがあったが、目前にせまった改憲の危機というのは何年間続いたのだろうか(軍靴の音や右傾化の危機というのは、戦後70数年というもの、常に近づきつつあったわけであるし)。

 そして今回についても、ろくろく用意もないままいざ改憲などといい始めたら、世間の総スカンを食らうことは必定である。
 目前にさしせまった、「それはいいから、もっと経済をまわしてモノ食えるようにしろ」という人民の声に答えなければならない。これをどうにかしなければならない:



 こういう、勤労大衆の声を聞くべきだろう。
 …いやまあ、『巨大な敵の遠大な陰謀にいちはやく気付いて戦いを続ける私って超賢く、かつ超英雄的☆』ってかんじの人たち(一定数いる)の票を確保するには、デカイことを言っておくほうがいいんだろうけど。

 また、「改憲を目指す、戦後日本の秩序の破壊者」たる安倍首相をどうにか引き摺りおとそうと行動を強化する向きもあろう。そうした動きに配慮・対応するだけでも、相当のエネルギーを使う。

 こうしたアレコレを吹き飛ばすようなイベントでもあれば別だが、それは北朝鮮の反平和活動とソレへの対処という辺りになるか。そうした危機がおこり、自衛隊が適切に対応しきることができれば―ということで、「安倍は北朝鮮への挑発を繰り返している! 北朝鮮との戦争を求めている!」という非難がなされてきたものだろう。

 が、北朝鮮の主敵は米国であって、日本は眼中にないですからねー。

 それに、肝心の安倍首相からして、改憲については常識的な見解を口にしており―

時事 余裕の表情「謙虚に」=安倍首相、改憲に意欲-公明代表は慎重姿勢【17衆院選】 2017/10/23-01:15

首相は「憲法学者に自衛隊違憲論がある」として憲法9条改正への意欲をにじませる一方、「時期ありきではない」「多くの方の賛成を得る努力をしていきたい」と慎重な言い回しに終始した

山口氏は、憲法改正について「国会を通じて議論を深めることが大事。国民の理解が伴うことが重要だ」と指摘。一気に改憲ムードが強まることに警戒感を示した

 従って―

日経 首相「改憲発議、与党だけで考えぬ」  衆院選ライブ 2017/10/22 22:21

憲法改正のスケジュールは「時期ありきでない」と指摘。「与党だけで発議しようとは考えていない。できるだけ多くの賛成を得るべく努力する」と希望の党や日本維新の会など改憲に積極的な勢力との連携に意欲を示した

 ―勿論、「いざとなれば単独突破という可能性があるだろう」、という異論があろうが、こうまで言っている以上、単独突破などしようとしたら、自民党内からの反乱分子も出てこよう。「アベは独裁だから」という異論を言い立てる向きもあろうが、なら石破とか小泉息子とかちまちま異論を言ったりするらしい人たちの存在をどう説明するのだろう。

 ―見ている世界が違う、とはなかなか適切な表現ではないか。
 例えば



 これなど、面白い。改憲阻止のために立憲民主に結集する高年齢層(しかしLGBTのような個々人の自由には否定的)に対して、若年層は「それはさておき、もっと自由を」と思いつつ、自民党を支持する。たしかに、これは、見えている世界が違うのだろう。

 …あと、年寄りたちは、自分たちが何を若いひとたちに教えてきたのか、その効果はどうなのか、考えてみるといいと思う。

教師「規制のない、自由な世界を!」
若者「じゃあ、岩盤規制を打破する特区っていいものなんだね!」

教師「核兵器反対!」
若者「じゃあ、わざわざそれを作ろうとする北朝鮮は悪なんだ!」

 ―我々(の上の)世代の教育の宜しきを得て、若者たちはかなーりリベラルになったんだ。その成果が反核・反戦争・LGBTとかへの寛容…なのである。若い世代からすれば、「先生! 教わったとおり、自由を実践しています!」というものだろうに、「なんで若造どもはオレの思い通りに動かないんだ!」って切れられたら、我々若者の自由を理不尽に抑圧する抵抗勢力そのものに見えるだろうに。

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