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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

非エリート学者の糊口のおはなし

2017-02-19 16:23:08 | Weblog


 すなわち、基礎訓練の教官としての需要は常にある、ということが分かる。次に、それはまさしく基礎訓練の教官であって、非常勤講師のような、一時間いくら、というトレーニー訓練の現場のトレーナーとしての需要である、ということが分かる。こうした現場には、どうしても相当数の人材を要する。全てを常勤職でカバーできれば結構なことだが、予算の関係等々でままならないこともあろう。

 さて、そうしたトレーナーも、そうなるためには一定程度以上の専門的訓練を必要とする。ということで、「センセイのセンセイ」ポストは必ず必要とされる。それは、より高度な価値創造のためのポストということになるのだろう。
 この「より高度な価値」というのがなにかは、一元的には決まらない。

 微妙なあわいは、以下のような事例で見えてくる:



 ―私としては、研究者(に準ずる資格保有者)を、なんと安く使い倒そうとするのか、学者を軽んじるにもほどがある―という思いを、まず共有することになる。これに対して:



 という見解もある。
 仮にも”研究補助”なんだから研究者として―! という思いはあるが、しかし、旧帝大などを代表とする研究大学のポストならともかく、ことは美術館である。個々の利用者から直接お金を貰う場面が、一応あるにはあるわけで、商業的な観点は多少色を濃くするだろう。それゆえ、「語学も専門知識も道具」にして、稼ぐ必要も出てくるものだろう。

 …現場が違うのだ。少なくとも、多少は。だいたい、うちみたいなところで研究に邁進しようとしても(ry

 システム自体を変えてやる、と革命に邁進する向きもあろうが、個々の労働者として生き残りを策する場合、また別の現状認識や作戦がありえるかと思われる。まあ要は、こんなんでもいいからさしあたり目の前の糊口をしのぐ口を確保し、そのポジションを十全に生かして次につながるような作戦を考えよう、そのためのカロリーをまず確保しようや、ということになるかなあ。

 なお、某研究者は、大学の住み込み寮監勤務からはじめて、その大学の教員になった模様である。研究活動はその間もその後も順調。こういう人生は、他の励みになると思う。



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