大学生の頃、文系の教授に「需要が無い研究やっててもしょうがないからなあ。例えばさあ、18世紀のドイツの哲学が専門だとか言われると仕事はほとんどない。たとえ、ドイツ語や英語が、他にいくつかヨーロッパの言語が堪能で原著読めてもだめだ。非常勤講師が限界だな。」と言われたことがある。
— pkm (@tkmpkm1) 2017年2月17日
すなわち、基礎訓練の教官としての需要は常にある、ということが分かる。次に、それはまさしく基礎訓練の教官であって、非常勤講師のような、一時間いくら、というトレーニー訓練の現場のトレーナーとしての需要である、ということが分かる。こうした現場には、どうしても相当数の人材を要する。全てを常勤職でカバーできれば結構なことだが、予算の関係等々でままならないこともあろう。
さて、そうしたトレーナーも、そうなるためには一定程度以上の専門的訓練を必要とする。ということで、「センセイのセンセイ」ポストは必ず必要とされる。それは、より高度な価値創造のためのポストということになるのだろう。
この「より高度な価値」というのがなにかは、一元的には決まらない。
微妙なあわいは、以下のような事例で見えてくる:
もう驚かないよ。日本の労働ダンピング関係。
— kurikuri321 (@kurikuri321) 2017年2月16日
国立西洋美術館の研究補佐もたったの一年契約ぽっきりで(ぎりぎり社保完・交通費出る)時給はたったの1240円。
修士持ち、西洋美術史に関して知識があり・美術館における勤務経験があり・
英、仏、独、伊のうち2か国語以上できるのが条件。 pic.twitter.com/WXPliyNLCv
―私としては、研究者(に準ずる資格保有者)を、なんと安く使い倒そうとするのか、学者を軽んじるにもほどがある―という思いを、まず共有することになる。これに対して:
見えていない。基本的に資本主義のなかに突っ込まないとお金は稼げない。専門知識や語学力がそのままお金を生むわけではない。欲しいのは利益を叩き出す人材。
— ann (@a_n_tokyo) 2017年2月16日
金融や不動産で、複数言語できて、お金に対する感度が高く、数字を叩き出すことができるなら稼げます。語学も専門知識も道具にすぎない。 https://t.co/VhGt58FiYB
という見解もある。
仮にも”研究補助”なんだから研究者として―! という思いはあるが、しかし、旧帝大などを代表とする研究大学のポストならともかく、ことは美術館である。個々の利用者から直接お金を貰う場面が、一応あるにはあるわけで、商業的な観点は多少色を濃くするだろう。それゆえ、「語学も専門知識も道具」にして、稼ぐ必要も出てくるものだろう。
…現場が違うのだ。少なくとも、多少は。だいたい、うちみたいなところで研究に邁進しようとしても(ry
システム自体を変えてやる、と革命に邁進する向きもあろうが、個々の労働者として生き残りを策する場合、また別の現状認識や作戦がありえるかと思われる。まあ要は、こんなんでもいいからさしあたり目の前の糊口をしのぐ口を確保し、そのポジションを十全に生かして次につながるような作戦を考えよう、そのためのカロリーをまず確保しようや、ということになるかなあ。
なお、某研究者は、大学の住み込み寮監勤務からはじめて、その大学の教員になった模様である。研究活動はその間もその後も順調。こういう人生は、他の励みになると思う。
我々が見ている研究者とは、すでにほぼ生き残った研究者なのだ。
— 吉田光男, Ph.D.; bot (@ceekz) 2017年2月15日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます