朝日 〈新・学歴社会〉就職漂流 博士の末は 19 Jan 2009 以下青字は引用。
新田伸也氏(46)は96年に東北大で博士取得,就職は08年春,筑波技術大学(茨城県つくば市)の准教授。それまでは「10年余り、年収100万~150万円で暮らした。大学の教員には、100回以上応募」。それでも就職できただけ,「「自分は幸運だった」と実感している」。
ともかくアカデミックポストは狭き門。博士の数は大変に増えたにも関わらず,勿論大学・研究職のポストが激増するわけでもないから,そうなるわな。寧ろ「博士に人気が高い大学の教員や公的研究機関の研究職の数は、減少傾向だ」そうだ。企業への就職もふるわない。
にも関わらず,恐らく,高等教育にリソースを割くのは正しいのだ,おそらく。「文科省の今泉柔剛・大学改革推進室長は「博士の増加は間違いではなかった。責任は彼ら自身や大学院教育、産業界・社会などすべてにある」。ただ「文科省も関係者への働きかけが不十分だったかもしれない」と認めた」―は,文科省の罪を過小に見積もりすぎているかもしれないが―それなりに,責任転嫁にも,それなりに理屈は必要なもので,それは場合によっては尤もではあるはずだ。
高学歴ワーキングプアになってしまった『我々』(敢えて一人称複数でいう)の責任,罪は,『博士の後はアカポスだ』と決めて掛かって他の道への考慮をあまりしてこなかったことだろう―と言える。「親には「研究者の道を断念したら」とも言われるが、「年齢的に企業への就職は難しいし、大学教員に採用される可能性も少ない。今となっては退くことも進むこともできない」」。
ただ,考慮したところで進む先がなければ同じことで,産業界なり社会なりは,人的資源の活用を考えるべきではあったろう。ISBN(と価格)でしか本を認識できない本屋さん従業員とゆーのも謎である。洋書売るなら外国語読んでくれとか(いやでも別にこれ博士でなくてもいいからなあ)。
産業界的に有用な博士を生み出そうとする動きもあるようだ。それはそれで,一つの解決だろう―人間と学問とがあまりに道具化されないかと疑問を発し制度を考えるのは,まあ哲学に任せるとして。
ということは,遅ればせながら大学側も産業側も,高度な訓練を受けた人材の活用について考え出しているというわけだ。そーいうことは大学院重点化を始めた時点で各界と相談しておかなきゃいけなかったんじゃないか文科省とまあ,そういうわけになるが。
当たり前だがどこか一箇所,ないし自分以外のどこか(複数)に責任転嫁して,それで済む世界の方が珍しかろうね。文科省も,そのお役人が挙げた各界も,それぞれ悪かったのだよね。
博士が過剰だから入り口を(選択的に)絞る,というのはありえる選択肢だけど…そんな国の将来のデザイン,ほんとにできるんだったら既にやってたよなという気はする。どこをどう絞れば国益を損なわないかとか,付け焼刃,その場しのぎの手で糊塗できる問題じゃないし,なかなか難しいものだ。
…それに『どんな国を作りたいか』ってデザイン決めて学校つくったり人材育成したりなんて,言うは易しで…。
…「野依良治・理化学研究所理事長は「グローバルな知識基盤社会に日本が生き残るためには、十分な質を持つ博士が今以上に必要だ」と」語るそうで,うん,すいません…。…でもねでもね,年収100万さえ遠い夢な生活で,良質な生産をっていわれても辛いのよー…。シャーペンの芯を買うのもタイミングを計ってだとか…M1の子に言ったら,目ぇ開いてびっくりされたー…。あうあうあう。
新田伸也氏(46)は96年に東北大で博士取得,就職は08年春,筑波技術大学(茨城県つくば市)の准教授。それまでは「10年余り、年収100万~150万円で暮らした。大学の教員には、100回以上応募」。それでも就職できただけ,「「自分は幸運だった」と実感している」。
ともかくアカデミックポストは狭き門。博士の数は大変に増えたにも関わらず,勿論大学・研究職のポストが激増するわけでもないから,そうなるわな。寧ろ「博士に人気が高い大学の教員や公的研究機関の研究職の数は、減少傾向だ」そうだ。企業への就職もふるわない。
にも関わらず,恐らく,高等教育にリソースを割くのは正しいのだ,おそらく。「文科省の今泉柔剛・大学改革推進室長は「博士の増加は間違いではなかった。責任は彼ら自身や大学院教育、産業界・社会などすべてにある」。ただ「文科省も関係者への働きかけが不十分だったかもしれない」と認めた」―は,文科省の罪を過小に見積もりすぎているかもしれないが―それなりに,責任転嫁にも,それなりに理屈は必要なもので,それは場合によっては尤もではあるはずだ。
高学歴ワーキングプアになってしまった『我々』(敢えて一人称複数でいう)の責任,罪は,『博士の後はアカポスだ』と決めて掛かって他の道への考慮をあまりしてこなかったことだろう―と言える。「親には「研究者の道を断念したら」とも言われるが、「年齢的に企業への就職は難しいし、大学教員に採用される可能性も少ない。今となっては退くことも進むこともできない」」。
ただ,考慮したところで進む先がなければ同じことで,産業界なり社会なりは,人的資源の活用を考えるべきではあったろう。ISBN(と価格)でしか本を認識できない本屋さん従業員とゆーのも謎である。洋書売るなら外国語読んでくれとか(いやでも別にこれ博士でなくてもいいからなあ)。
産業界的に有用な博士を生み出そうとする動きもあるようだ。それはそれで,一つの解決だろう―人間と学問とがあまりに道具化されないかと疑問を発し制度を考えるのは,まあ哲学に任せるとして。
ということは,遅ればせながら大学側も産業側も,高度な訓練を受けた人材の活用について考え出しているというわけだ。そーいうことは大学院重点化を始めた時点で各界と相談しておかなきゃいけなかったんじゃないか文科省とまあ,そういうわけになるが。
当たり前だがどこか一箇所,ないし自分以外のどこか(複数)に責任転嫁して,それで済む世界の方が珍しかろうね。文科省も,そのお役人が挙げた各界も,それぞれ悪かったのだよね。
博士が過剰だから入り口を(選択的に)絞る,というのはありえる選択肢だけど…そんな国の将来のデザイン,ほんとにできるんだったら既にやってたよなという気はする。どこをどう絞れば国益を損なわないかとか,付け焼刃,その場しのぎの手で糊塗できる問題じゃないし,なかなか難しいものだ。
…それに『どんな国を作りたいか』ってデザイン決めて学校つくったり人材育成したりなんて,言うは易しで…。
…「野依良治・理化学研究所理事長は「グローバルな知識基盤社会に日本が生き残るためには、十分な質を持つ博士が今以上に必要だ」と」語るそうで,うん,すいません…。…でもねでもね,年収100万さえ遠い夢な生活で,良質な生産をっていわれても辛いのよー…。シャーペンの芯を買うのもタイミングを計ってだとか…M1の子に言ったら,目ぇ開いてびっくりされたー…。あうあうあう。
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