アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

育成年代そしてfootballの本質

2023年12月30日 21時42分29秒 | NOTE
まず最初に、久し振りの投稿になることをお詫びします。
前回の記事を作成したのが3年近く前になることに自分自身でも驚いているが、それにもかかわらずいまだに一定数の方々によるページの閲覧があることにもまた有難い驚きがある。ときどきでも自分のような末端で日陰の育成年代の指導者だった人間の拙い文章を読んでいただいていること、本当に感謝しかない。

最後の投稿だった頃も認知症の両親の介護を長男として逃げずにやりきろうとしていた時期だったが、その後、まず父が他界し、母も先日他界した。その間にも、相続のことや事後処理などで忙殺されていた。指導現場を卒業した後、ほとんど間を置かずに介護が始まったがようやく一区切りがついたこともあって、久しぶりに投稿したいという気持ちになれた。

Twitter(現X)やInstagram等の短い投稿はわりと頻繁につづけているが、facebookやこのブログに関しては、育成年代の指導に対する想いが書いているうちにどんどん強くなっていくこともあって、どうしても更新の頻度が遅くなってしまう。特にこのブログは現場でもがき続けた頃から書き続けていたので、どうしても思い入れが強くなるというか「下手なことは書けない」という想いが強くなり過ぎてしまうこともあり、余計に投稿に時間がかかってしまう。繰り返しになるが観ていただいている方々には本当に感謝しかない。

余談ついでにもう少し書くと、2年前に父が旅立ち、少し落ち着いた頃から「死ぬまでにJリーグのスタジアムを全てまわる」という目標を立てて、今少しずついろんなスタジアムに行き始めている。その中で、清水エスパルスのIAIスタジアムやサガン鳥栖の駅前不動産スタジアムの雰囲気の温かさに心が奪われて、今は清水エスパルスをメインに、サガン鳥栖の動向も追いかけ続けている。

自分がいた日陰の育成年代の現場とは真逆の華やかな舞台ではあるが、特定のチームを追いかけ続けることで、またJリーグの魅力も再発見できたように感じている。そのあたりのことについても、また別の機会に文章にしてみたい。

長い「枕」になってしまったが、本題に入りたい。

先日、たまたま小学4年生のトレセンを見に行く機会があった。女子も混ざった総勢100人近い選手達が10以上のチームに分かれてミニゲームを2時間以上6個のコートで同時進行で続けていた。各コート2人の指導者というかセレクターが配置され、選手たちの動きを細かにチェックしていた。なかにはまだ経験の浅い選手もすくなからずいたような印象もあったが、観に来た保護者の応援もあって毎回熱い試合が最後まで続けられていた。

もちろん、今回のセレクションで選ばれるのは多くても5人程度だろうけど、コートの外から観ていて、彼らの頑張りがうれしくもあったし、なんか本質的なこともいろいろと考えさせられた。

今回呼ばれた選手たちのほとんどは次に呼ばれることはない。試合に勝ち続けるチームや選手がほとんどいないのと同じようにそれが現実。でも「どんなに頑張っても報われない」というのはフットボールの残酷な一面ではあるけれど本質ではない、すくなくとも自分はそう思っている。

自分が考えるfootballや育成年代の本質とは「その経験が自分自身を支えていくもの」であり「うまくいかない現実の中で、逃げずに、もがき続け、自らの手でつかんだ、そう思えるものこそが、彼ら彼女らひとりひとりの未来を支えていくもの」。

footballも現実の世界も簡単には行きはしない。むしろ、頑張れば頑張るほどに挫折も大きくなり、心に傷を作り、そのうちに「頑張ることなんか意味がない」と醒めた眼で現実を見るようになってしまうことも少なくない。

でも、勝敗とは関係なく練習や試合を通じて頑張り続けていれば「これだ!」「これでいいんだ!」「自分にはこれが合っているんだ!」という感覚を持てる瞬間が必ずある。そしてその感覚こそがその後のその選手の人生を支えていく小さなきっかけになっていく。大人でもこどもでも、生きる力になっていくのはやっぱり自力で掴んだものしかない。苦しいとき、つらいとき、かなしいとき、もう一度顔を上げて立ち上がり、前を向き、歩き続けようとするのを助けてくれるのは自分自身で掴み取った、そう思えるものであり、心からそう感じることのできた瞬間しかない。

それは誰かに与えられたものでも、誰かの言う通りにやったものでもない。自ら決めて、自ら実践しつづけた先にしかその感覚はない。でも「自ら掴んだんだ」そう思える瞬間がある限り、仮に失敗しても、また頑張れる。うまくいかない日々の中で、もがき続けることができる。もう一度自らの考えや判断で修正し直したり、また別の枠組みを考えることにだってきっと繋がっていくはず。

これこそがfootballの本質であり、育成年代において、目指すべきものだと思う。もちろん、上手くいかない日々や負け続けることが続けば、何度も心が折れそうになっていくし、それはfootballにありがちなことではあるけれど、むしろfootballのそういった現実が「自分たちを試している」そう考えたっていい。footballが「その苦しみの中でお前は何を見つけられるのか」そして「それはお前自身をこれからも支え続けていけるものなのか」そう問い続けている、そう思ったっていい。

なんとなく始めたfootballで、そのうちだんだんと好きになり始めたfootballで、自分自身を支え続けられるようなものを結果として身に着けられる。これこそが育成年代で目指すべき部分だし、指導者が絶対に忘れてはいけない部分。選手は指導者の絵を描くための道具ではない。彼ら彼女らが生きる力に繋がっているのか、ということを指導者は常に自らに問い掛け続けるべき。

それは指導者自身が自問自答することを求めていくけど、その「禅問答」こそが指導者自身も「これでいいんだ」「これでよかったんだ」という「答え」を掴む瞬間につながっていくはず。

ここまで現場を卒業した人間が偉そうに書いてきたが、東京だけでなく日本全国で各チームの指導者が同じような気持ちで選手1人ひとりと向き合っているはず。少しずつJリーグのスタジアムをまわって、試合を生で観戦させていただくたびに目の前で躍動する選手たちが、いろんな指導者の想いや願いを通じて成長しつづけてきたことを確かに感じることができている。世界的にみればサムライブルーの実力はまだまだ改善すべき部分も少なくないけど、日本はきっと大丈夫、スタジアムの帰りにはいつもそう感じることができている。

人生の残り時間はどんどん少なくなっていくけど、同時に日本のfootballがその本質を忘れない限り、きっと未来は明るいはず、少なくとも今はそう信じられている。

これからも日々頑張り続けている選手1人ひとりに、そして現場で選手1人ひとりと向き合い続けている指導者の方々に対するリスペクトを忘れずにfootballの本質を確認する「旅」を続けたい。

最後になりましたが、今回もお読み頂き本当にありがとうございました。
footballにかかわるすべての方々にとって来年もいい一年になりますように。

新出康一

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。