東京大衆歌謡楽団は、自前のバンド演奏で懐かしい昭和の流行歌を高島孝太郎が歌っています。バンドメンバーは、前々回に紹介しましたので、ここでは省きます。
ところで、最前列に陣取って楽器を奏でるメンバーが4人います(写真)。
最初のスナップは、バンジョー奏者の左後ろ側から撮ったのですが、アコーデオンの横でギターを奏でているギタリストが気にかかります。他の3人にしても、ドラマーになりきっている様子なのですが・・・。
純粋だが呑んだくれの初老の開業医・真田(志村喬)と闇市に君臨するヤクザ・松永(三船敏郎)を対置させて描いた映画、「酔いどれ天使」(黒澤明監督)があります。
昭和23(1948)年度のキネマ旬報ベストテンで第1位をもたらした、黒澤監督が日本を代表する監督に成長させた映画です(都築政昭著:黒澤明『一作一生』全三十作品)。
ドブ沼の端に立っている薄暗い街燈下のベンチに腰掛け、夜になると下手なギターを弾いている若者がいます。それが、ある夜、沼を流れてくる下手くそなギターの調子が変わるのです。
映画では、和服姿の男が、若者からギターを借りて弾き出すと、それまでの迷調子が名調子に変わって、地元を取仕切っていた岡田(山本礼次郎)の出所を暗示します。
松永の兄貴分岡田が刑務所に入所している間、弟分の松永が代役で仕切っていた縄張りの主導権をめぐって、この二人の葛藤が始まる伏線シーンなので、記憶している黒澤フアンは少なくないでしょう。
アコーデオン奏者の横に座りギターを弾いている寡黙なおじさんが写るスナップの構図をファインダー越しに考えていると、岡田を演じた山本礼次郎が思い浮かんだのです。換言すれば、この思い起こしが本文を書く強い動機になっています。
さて、楽団の最前列に陣取ってライブを盛り上げている4人は、
「いつの間にか、集まるようになった」
との説明を小耳に挟んだだけです。
そんな4人組ですから、ライブに参加する動機や名前、自作楽器などに関しては、一切わからずじまいのまま帰宅したのです。後悔、先に何とかですね。
従って、これから書くことは4人の了解を得ておらず、元気印の独断で想像・推察したフイクションになります。ここで、そのことをお断りして本文を書き進めます。
まず、白い発泡スチロールの箱をひっくり返してスネア・ドラムの代用にし、丸棒の先端に切込みを入れてチップ状にしたドラム・スティックを使って箱の底を叩くおばさんは、本物のドラム・ブラシも持っていたのです。発泡スチロール箱の底は、スティックで叩かれるところが凹んでいたから、かなり使い込んでいるのでしょう。
次に、タンバリンを横にして両足に挟んでいる、マスクをしたおじさん。
このタンバリンの中央には、薄青色の帯がみえたのです。普通のタンバリンにはないものですから、早速、情報収集癖がうごめき始めます。
青い帯は、スネア・ドラム独特の響きを得るために、その裏皮にあてるスナッピーを模しているのでは・・・。とすれば、スネア・ドラムの代用がタンバリンになる。これが、元気印の集めた情報からの結論です。そこには、発泡スチロール箱をスネア・ドラム代わりにしているおばさんと共通する思の丈があるのでしょう。
そして、マスクをしたドラマーとバンジョー奏者との間に見えるおじさんも、両手にドラム・スティクを持ち、プラスチック製品を代用した「ドラムもどき」を叩いています。
A4用紙くらいの大きさがある黒色のそれは、お椀状になった部分と、四角にくり抜いた枠が一体になったものでしたが、商品名は解りません。
その商品を裏返しにすると、お椀の底がドラムに早や変わりし、大き目の空缶の底を上にして四角い枠に入れます。お椀と空缶の底が並んだ状態の「ドラムもどき」は、あたかも、オクトパンを連想させます。
先程までこのおじさんは、手作りスティックを片手に持ち、お椀の底と空缶の底を歌のリズムに合わせて叩き分けていたのですが、写真では両手にスティックを持っています。
元気印の勝手な解釈では、筒型の太鼓、オクトパンをイメージして叩いているのはないか・・・。
「ドラム」をキーワードにして3人組の心意気を類推してきました。
東京大衆歌謡楽団の前に陣取っていたのは、スネア・ドラムを叩くおばさんとマスクおじさん、オクトパンを叩くおじさんであり、「ドラム」を合言葉にして集い合った様子が窺えます。そこにギタリストが加わっていた。それが、12月18日のライブであったと。
このように、ライブを観ている人達には得体の知れない4人組が参加しても、一緒になって路上ライブを進めていく東京大衆歌謡楽団には、おばさんとおじさん達が楽団のライブに飛び入り参加したい気持ちを惹起する何かが潜んでいるのでしょう。それを敏感に感じ取ったおばさん、おじさんが、自作楽器を持ち寄って集まったでしょう。
オクトパンおじさんは、ラジカセを持っていましたから、路上ライブがない時は、スネア・ドラム組との合奏を愉しんでいるのかも知れないし、楽団の路上ライブを契機に知り合い仲間になった可能性も否定できないでしょう。
「足袋を履いた足に下駄を引っ掛けて歌う孝太郎、背広にネクタイを締め、長い足には革靴の雄次郎、ハンチングを被った玲、雄次郎と同じ格好の普宣。元気印の感覚では、このようにアンバランスで、芸能人の臭いがしない東京大衆歌謡楽団だから、魅力が湧くのです」
その1には、上記のように書きました。
おそらく、路上ライブに飛び入り参加している4人組は、東京大衆歌謡楽団に元気印と同じような感情を抱いているのではないか、と憶測しています。昨今、歌われなくなった昭和の流行歌には、市井の人々に行動を起こさせるだけのネルギーが秘められているのでしょう。
♪♪
山の寂しい みず湖に
ひとり来たのも 悲しい心
胸の痛みに たえかねて
昨日の夢と 焚きすてる
古い手紙の うすけむり
「この歌を口ずさむ機会が多いですね、元気印さん。今年、あなたと同じ古稀を迎えたからですか」
ボケ封じ観音さまは、痛いところをついてきますよ、何時もながら・・・。
「湖畔の宿」を何時覚えたのか記憶にないのですが、自然に口ずさんでいたのです。
その昔、蓄音機が我が家にあったので、無意識のうちに幼心に染み付いていたのでは?
市井の人々が愛唱する、心を鷲づかみにするだけの力を秘めている流行歌は、時代がどのように変わろうとも、世間の片隅で歌い継がれて蘇える。そんなことを暗示している東京大衆歌謡楽団の路上ライブ、そして4人組の飛び入りでした。
3人のドラマーとギタリストに再会する機会がある筈です。その時は、4人に話を伺って、改めてここで紹介したいと考えています。
ところで、最前列に陣取って楽器を奏でるメンバーが4人います(写真)。
最初のスナップは、バンジョー奏者の左後ろ側から撮ったのですが、アコーデオンの横でギターを奏でているギタリストが気にかかります。他の3人にしても、ドラマーになりきっている様子なのですが・・・。
純粋だが呑んだくれの初老の開業医・真田(志村喬)と闇市に君臨するヤクザ・松永(三船敏郎)を対置させて描いた映画、「酔いどれ天使」(黒澤明監督)があります。
昭和23(1948)年度のキネマ旬報ベストテンで第1位をもたらした、黒澤監督が日本を代表する監督に成長させた映画です(都築政昭著:黒澤明『一作一生』全三十作品)。
ドブ沼の端に立っている薄暗い街燈下のベンチに腰掛け、夜になると下手なギターを弾いている若者がいます。それが、ある夜、沼を流れてくる下手くそなギターの調子が変わるのです。
映画では、和服姿の男が、若者からギターを借りて弾き出すと、それまでの迷調子が名調子に変わって、地元を取仕切っていた岡田(山本礼次郎)の出所を暗示します。
松永の兄貴分岡田が刑務所に入所している間、弟分の松永が代役で仕切っていた縄張りの主導権をめぐって、この二人の葛藤が始まる伏線シーンなので、記憶している黒澤フアンは少なくないでしょう。
アコーデオン奏者の横に座りギターを弾いている寡黙なおじさんが写るスナップの構図をファインダー越しに考えていると、岡田を演じた山本礼次郎が思い浮かんだのです。換言すれば、この思い起こしが本文を書く強い動機になっています。
さて、楽団の最前列に陣取ってライブを盛り上げている4人は、
「いつの間にか、集まるようになった」
との説明を小耳に挟んだだけです。
そんな4人組ですから、ライブに参加する動機や名前、自作楽器などに関しては、一切わからずじまいのまま帰宅したのです。後悔、先に何とかですね。
従って、これから書くことは4人の了解を得ておらず、元気印の独断で想像・推察したフイクションになります。ここで、そのことをお断りして本文を書き進めます。
まず、白い発泡スチロールの箱をひっくり返してスネア・ドラムの代用にし、丸棒の先端に切込みを入れてチップ状にしたドラム・スティックを使って箱の底を叩くおばさんは、本物のドラム・ブラシも持っていたのです。発泡スチロール箱の底は、スティックで叩かれるところが凹んでいたから、かなり使い込んでいるのでしょう。
次に、タンバリンを横にして両足に挟んでいる、マスクをしたおじさん。
このタンバリンの中央には、薄青色の帯がみえたのです。普通のタンバリンにはないものですから、早速、情報収集癖がうごめき始めます。
青い帯は、スネア・ドラム独特の響きを得るために、その裏皮にあてるスナッピーを模しているのでは・・・。とすれば、スネア・ドラムの代用がタンバリンになる。これが、元気印の集めた情報からの結論です。そこには、発泡スチロール箱をスネア・ドラム代わりにしているおばさんと共通する思の丈があるのでしょう。
そして、マスクをしたドラマーとバンジョー奏者との間に見えるおじさんも、両手にドラム・スティクを持ち、プラスチック製品を代用した「ドラムもどき」を叩いています。
A4用紙くらいの大きさがある黒色のそれは、お椀状になった部分と、四角にくり抜いた枠が一体になったものでしたが、商品名は解りません。
その商品を裏返しにすると、お椀の底がドラムに早や変わりし、大き目の空缶の底を上にして四角い枠に入れます。お椀と空缶の底が並んだ状態の「ドラムもどき」は、あたかも、オクトパンを連想させます。
先程までこのおじさんは、手作りスティックを片手に持ち、お椀の底と空缶の底を歌のリズムに合わせて叩き分けていたのですが、写真では両手にスティックを持っています。
元気印の勝手な解釈では、筒型の太鼓、オクトパンをイメージして叩いているのはないか・・・。
「ドラム」をキーワードにして3人組の心意気を類推してきました。
東京大衆歌謡楽団の前に陣取っていたのは、スネア・ドラムを叩くおばさんとマスクおじさん、オクトパンを叩くおじさんであり、「ドラム」を合言葉にして集い合った様子が窺えます。そこにギタリストが加わっていた。それが、12月18日のライブであったと。
このように、ライブを観ている人達には得体の知れない4人組が参加しても、一緒になって路上ライブを進めていく東京大衆歌謡楽団には、おばさんとおじさん達が楽団のライブに飛び入り参加したい気持ちを惹起する何かが潜んでいるのでしょう。それを敏感に感じ取ったおばさん、おじさんが、自作楽器を持ち寄って集まったでしょう。
オクトパンおじさんは、ラジカセを持っていましたから、路上ライブがない時は、スネア・ドラム組との合奏を愉しんでいるのかも知れないし、楽団の路上ライブを契機に知り合い仲間になった可能性も否定できないでしょう。
「足袋を履いた足に下駄を引っ掛けて歌う孝太郎、背広にネクタイを締め、長い足には革靴の雄次郎、ハンチングを被った玲、雄次郎と同じ格好の普宣。元気印の感覚では、このようにアンバランスで、芸能人の臭いがしない東京大衆歌謡楽団だから、魅力が湧くのです」
その1には、上記のように書きました。
おそらく、路上ライブに飛び入り参加している4人組は、東京大衆歌謡楽団に元気印と同じような感情を抱いているのではないか、と憶測しています。昨今、歌われなくなった昭和の流行歌には、市井の人々に行動を起こさせるだけのネルギーが秘められているのでしょう。
♪♪
山の寂しい みず湖に
ひとり来たのも 悲しい心
胸の痛みに たえかねて
昨日の夢と 焚きすてる
古い手紙の うすけむり
「この歌を口ずさむ機会が多いですね、元気印さん。今年、あなたと同じ古稀を迎えたからですか」
ボケ封じ観音さまは、痛いところをついてきますよ、何時もながら・・・。
「湖畔の宿」を何時覚えたのか記憶にないのですが、自然に口ずさんでいたのです。
その昔、蓄音機が我が家にあったので、無意識のうちに幼心に染み付いていたのでは?
市井の人々が愛唱する、心を鷲づかみにするだけの力を秘めている流行歌は、時代がどのように変わろうとも、世間の片隅で歌い継がれて蘇える。そんなことを暗示している東京大衆歌謡楽団の路上ライブ、そして4人組の飛び入りでした。
3人のドラマーとギタリストに再会する機会がある筈です。その時は、4人に話を伺って、改めてここで紹介したいと考えています。