いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

トルコ10日間のたび その7-1:生活の匂いが充満しているエフェソスの遺構

2011-06-24 23:20:48 | 散策
それは、アヤソルク村にありました。
トルコ共和国の県番号37、国内では3番目に多い人口377万人弱のイズミル県にある小さな村には、世界最大級と称される大規模な古代都市遺構・エフェソスの他に、今は湿地に円柱を1本のみ残している、古代世界の七不思議に数えられたアルテミス神殿遺跡、「聖母マリアの家」と尊称されている礼拝堂(イエスの母・マリアが晩年を過ごした地に建てられている)、聖ヨハネ教会、エフェソス考古学博物館などがあって、この国の重要な観光地になっているようです。

それらの中でも、「聖母マリアの家」には毎年、バチカンから代表者が参拝に訪れる伝統が踏襲されており、パウロ6世、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世も参拝された、とのことです。

自国を守るために大東亜戦争を戦い、戦場の露と消えた兵士の霊を祀る神社へ、他国からの内政干渉を撥ね退けることも出来ず、参拝しない国の政治家や、それを良し、とする世相の強いどこかの国の人達には考えも及ばない伝統の継承です。
こんな愚痴を言うのが趣旨ではありませんが、筆が勝手に走った次第。お気に障ったなら、ご容赦願います。

ところで、トルコ共和国に9ヵ所の世界遺産があることは、ご存知の方も多いでしょう。
「トルコ10日間のたび」で訪れたのは、イスタンブール歴史地域、トロイの古代遺跡、ヒエラポリス・パムッカレ、そして、ギヨレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群の4ヵ所です。

トロイの古代遺跡は「その6」に書きましたが、今回のバスツアーは、その遺構を見学してから、ヒエラポリス・パムッカレを巡るコースとなっていたので、その途中にあるエフェソスへ立ち寄ります。

10日間、バスツアー・ガイドを務めたMr.ADNAN TOPAL(以下アドナン氏)は流暢な日本語で、エフェソスへ着く前に、ツアー参加者へ問いかけます。

 「トルコは世界遺産に登録しました。エフェソスは、世界遺産に登録していない。その理由は?」

観光客が増えるからなど、など、参加者は夫々の思惑で返答します。そして、その正解は・・・。

 「トロイは、弱(とろ)いから、世界遺産なんかに登録した」

Japanese Speaking Guideの資格を持っている、当意即妙に答えた彼の頓才に、前夜泊まったアイワルクのホテルから200km近く走ってきたバス車内は、爆笑の渦に包まれたのでした。敬虔なイスラム教徒であるアドンナ氏については、コンヤで訪れたメヴラーナ博物舘のところで触れたいと考えています。

さて、確かにトロイ城市遺構には、アテナ神殿や獣などを捧げた台座遺跡がⅦ市b~Ⅸ市の層にあり、Ⅵ市の層には同市東側の塔跡とその向い側にある城門、Ⅱ市層には同市の正面に通じる傾斜路(ランプ)等がありましたが、元気印を魅了したのは、5000年という気の遠くなる年代でした。その反面、南入口から見学を始めたエフェソス遺構には、トロイ城市遺構とは、同床異夢の魅力がありました。

そこには、市役所に並んで屋根付の小劇場・オデイオンがあり、その正面は町の中枢であったアゴラ(繁華街といった方がピンときます)が配置されており、ヴァリウスの浴場やドミテイアヌス神殿の基部遺跡などが周辺にあります。

オデイオンなどの遺跡を右側に観ながら直進して、左側の病院跡を右に曲がると、石畳が敷かれた路の左右にヘラクレス像が建っている凱旋門に出ます。ここからの展望は、無限に広がる晴天に恵まれ、絶景かな、ぜっけいかな、でした。
少し勾配の強い下り坂になっているクレテス通りの突き当たりに鎮座しているケルスス図書館遺跡、凱旋門前から図書館まで1直線に延びている通りの左には高級住宅、その対面に建ち並んでいるハドリアヌス神殿や公衆便所などの遺跡が一望できたのです。うす青色に澄んだ空には、雲ひとつありません。一幅の絵を観ているような錯覚に襲われます。ツアー参加者は、思い想いの風景を借景にして、シャッターを押すのに余念がありません。時間の経過を忘れさせる絶景でした。

「尻合いの仲」になれる公衆トイレの中央台座では、音楽の演奏会も行われたとか・・・。
気張りながら用足しする人たちへ癒し効果をもたらしたかも知れません。間仕切りがないこの公衆トイレでは、横に座って用を足している人や他の用足人たちとも会話(はなし)が出来ますし、その気さえあれば、直ぐに「しりあいの仲」になれます。
トイレに座った参加者の間でも、そのことが話題になった程ですから、古代人も同じ心境で用足しをしていた筈です。

用足しを済ませてクレテス通りを降り切るとケルスス図書館、その正面を右へ曲がると野外劇場を経てアルカデイアーネ通りに至るマーブル通りになります。この図書館の横にあるマゼウスとミトリダテスの門を潜り抜けた処に商業アゴラが配置されています。

先に書いた、使徒ヨハネと共に余生を送ったイエスの母・マリアの礼拝堂、イエスの死後、その母マリアを見守ったヨハネが暮らした「聖ヨハネ教会」、アルミテス崇拝の拠点「アルミテス神殿」遺跡などは、ツアーコースから除外されていたので、見学できなかった。本文を書いていると、残念無念でなりません。団体旅行の辛い所で、我慢のしどころでしょう。

さて、掲載した写真に話を戻します。「その6」で紹介したガイドブックの解説では、

 「マーブル通りに残された古代の落書き、広告? 女の姿と左上のハートで、娼館を示す。足形は、娼館が前方にあることを表している」

ケルスス図書館の近くにあった議事堂から、公人が娼舘へ出入りしていた秘密の通路跡を教えてくれたアドナン氏。
娼婦の館は、高級住宅前にあるハドリアヌス神殿、その背後のスコラスティカの浴場近くにあったようです。しかも、娼舘と浴場は、女性クリスチャンが4世紀頃に大改修をした、とのことです。日本では古墳時代の出来事ですから、驚きもひとしおです。

トルコ人ガイドが私達日本人、つまり外国人に対して親近感をもって語ってくれた「しりあいの仲」が作れる公衆トイレ遺跡や、おおよそ1600年後の今、その面影も残っていない「娼婦の館」の伝聞には、強烈な匂い、当時の人達が発する生活の匂いがプンプンしてきます。これが、前日訪れたトルコ城市遺構との決定的な違い。エフェソスの遺構に魅せられた所以です。

 「図書館から少し先にある野外劇場へ向うマーブル通りの左隅に敷かれた石に彫ってある落書きの目論みは、「娼婦の館」広告であると、元気印さんは断定している。そうでしょう。たとえ、それが好事家の落書きであったとしても、現代にも相通じる広告効能を発揮していると・・・。図星ですね」

ボケ封じ観音さまのお出ましです。

 「石の表面を平らにすると、女性は彫れますね。予め足を彫る部分を鑿(のみ)で削って、そこに自分の足の外郭をなぞり書きして彫ったのが足の落書き。ハートは、その周りを削り落としてから表面の凹凸を石で擦り込んで平らにしている。足の方は、ハートの逆工程で彫った可能性が高い。足型を彫る箇所は、先ず、大まかに鑿で削り落として表面を平らに摺り込み、そこになぞり書きした足の線を鑿で彫ったのでしょう」

 「女性の下に彫ってある絵柄は、何を表していますか? 観音さま」

「さあ、4世紀頃に彫られたものですから、簡単に答える訳にはいきません」

元気印に宿題を残したまま観音さまは、ドロンです。

そうだ、きっと、そうに違いない。
今にも相通じる広告であることに同意した観音さま。
この落書き、いや、「娼館の広告」を彫り残した好事家の石工探しに、4世紀の世界へ「バック・トゥ・ザ・フユーチャー」したのでしょう。
21世紀から遥か昔の時代、4世紀へタイムスリップする離れ業は、観音さまのお家芸のひとつですから。

閑話休題
7人の男が眠っている間に、150年以上タイムスリップした洞窟協会跡が、エフェソス遺跡北入口から徒歩で10分余りの所にありました。ここを訪れた時期は閉鎖中のようでしたから、見学は無理な行動と思っても、興味津々な洞窟です。

トルコの人たちは、着古した衣類の端を結びつけて願い事をするようです。
日本の神社や寺院の境内には、お御籤を引いた参拝者がそれを結びつける樹など植えられています。
7人の男が眠った洞窟脇のフェンスには、願い事が込められた小さな布切れをいっぱい結わえ付けてある写真と、その洞窟の謂れに関しては、「その6」で引用したガイドブックにあります。
神さまや仏さまのに願掛けしたお御籤などを残す風習は、日本人と同じようですね。初めて訪れたトルコに魅せられた要因のひとつが、これでした。

ところで、当時迫害された若いキリスト教徒7人がこの洞窟に隠れると、そのまま眠込んでしまった。
やがて目覚めた7人は町に出ます。そこには、知った顔の人たちは誰一人見当たりません。パンの購入代金を払おうとしたコインは、彼らが迫害された350年代、デキウス帝の時代に通用していたもの。それから150~160年後は、テオドシウス帝の時代に移ってしまい、もう流通していないコインだったのです。

コーランにも記載されているこの伝説の主は、彼らの死後、奇跡を信じた町の人たちがこの洞窟に埋葬し、協会が建てられた。
また、この協会で神に一生を捧げた修道士達の数多くの墓穴が洞窟にある、ともガイドブックには記述されています。

タイムスリップの特技は、ボケ封じ観音さまだけのものではなかったんですね。
お伽噺に登場する浦島太郎も、乙姫さまとの約束を破った結果、今世の歳にタイムスリップしてしまいました。
浦島太郎信仰があるとの話は聞き及ばないのですが、後世の人が名付けた「7人の眠り男の洞窟」の場所に協会を建立して、信仰の対象にした。キリスト教の聖者に、イスラム教のトルコ人が願掛けをする行為にも、人の匂いが充満している。

やはり、エフェソスは、弱くはなかったのです。

 「世界遺産に登録していないが、トロイの古代遺跡よりエフェソスが好きだ、と呟いていたアドナン氏の心境に、少しばかり近づけましたか? 元気印さん」

宿題を残したままドロンしたボケ封じ観音さまの問いかけに、どう返答すれば宜しいのでしょう?
その答えを探求している間は、馬耳東風の態を続けます。










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トルコ10日間のたび その6:トロイ城市の木馬と悲劇の預言者カサンドラ

2011-06-19 21:37:08 | 散策
「トロイの木馬」をキーワードにネット検索をすると、コンピューターの安全を破壊するソフトウエアの一つであり、一般的にはウイルスとして認定されている。
しかも、バックドア型、パスワード窃盗型、クリッカー型など数種類あって、その感染経路や予防対策まで解説されています。

このウイルスが侵入したプログラムを普通のプログラムと誤認して操作を実行すると、パソコンに保存してあるデータを削除し、最悪の場合システム自体をも破壊させるウイルスである。これらは、パソコンを習い始めた頃に聴いた覚えがあります。

さて、タイトルにした「トロイ城市の木馬」は、あのホメロスが叙事詩「イーリアス」に描いたトロイア戦争の伝承を信じて、それを「頼りの地図」にして全財産を注ぎ込んで発掘に挑んだハインリッヒ・シュリーマンの業績が残るトロイにあります。

ヨーロッパ側のゲリボルからダーダネルス海峡をフエリーでチャナッカレに。
映画『トロイ』で使用した「トロイの木馬」が展示されているチャナッカレ見学のないバスツアーは、フエリーに同乗してきたバスに参加者が乗り終わると、一路トルコを目指します。

ちなみに、トルコ共和国は81県から成り、そのひとつがチャナッカレ県。
アジアとヨーロッパ側に県域があるのは、イスタンブールと同じですが、ヨーロッパ側にあるゲリボルは「その5」に書いた激戦地で、チャナッカレ県に属しています。トルコ城市遺構は、ギリシャ神話にあるアテナー神殿の遺跡があるアジア側にあって、そこの入口には「トロイの木馬」のモニュメントが建っているのは、ご存知の方も多いでしょう。

木馬に登って、窓から顔を出しVサインをして記念写真を撮っている筈です。この木馬の計は、古代ギリシャの英雄叙事詩のうちトロイア戦争を題材とした詩環(キュクロス)の「小イリアス(ミクラ)」に描かれているようです。というのは、ホメロスの英雄叙事詩は機会を見付けて読む積りだからです。

ところで、トロイ城市の遺構は「ヒッサリクの丘」にありました。
ざっと見学するだけでもこ1時間はかかる遺跡の概要などはガイドブックに譲り、3000年にも亘る、しかも5000年も前の断層(写真:クリックすると大きくなります)が一番印象深い遺跡だったので、その話しをします。

掲載した写真は、トルコ城市遺構見学コースの途中にあり、発掘した地層の年代を表示してある断層を撮ったものです。
表示された断層の年代を左上から順番に説明しますと、下記のようになります。
それらの断層に該当する城市の解説は、ブルーガイド・わがまま歩き34「トルコ」、ブリタニカ国際大百科事典14などを参考にして書きます。

 Ⅸ(第9市):ブルーのプレート 
       BC300~300。ヘレニズム・ローマ時代
       ローマによる再建で、劇場、浴場などが造られた。5世紀末の地震により放棄。
 Ⅲ(第3市):白のプレート BC2200~BC2050。前期ヘラディック文化Ⅲ期。
 Ⅳ(第4市):白のプレート BC2050~BC1900。前期ヘラディック文化Ⅲ期。
 Ⅲ(第3市):白のプレート
       Ⅲ、Ⅳの詳細は不明。停滞又はゆるやかな発展をしているが、人口構成に新要素が加わった兆候は存在しない。
 Ⅱ(第2市):黄色のプレート BC2500~2200。前期ヘラディック文化Ⅰ~Ⅱ期。
       最初の繁栄期。城門、傾斜路などを持つ城郭都市は最後の大火災で破壊された。
       シュリーマンは、この「焼けた都市」から財宝の殆どを発掘した。オスマン帝国の発掘許可を得ないで発掘に着手した1870(明治3)年から3年後のこと。このときは正式
       な発掘許可を得ており、「プリアモスの黄金」と呼ばれている。
 Ⅵ(第6市):右奥上の赤プレート BC1800~BC1300。
       城砦外の南方に火葬墓地があり、骨灰を入れる壷が200残っており、全家屋が破壊されて残骸となり、城壁の上部が破損しているが、火災を伴っていないので、大地
       震によるものと考えられている。

写真の断層の遺構には5居住期しかありませんが、主要な層は1~9層からなっており、さらに46段階に分かれています。そして、各居住層は数段階で発展し、最後に火災や地震で破壊されているけれども、生存者は床に落ちた残骸を清除せずに平坦にならしただけで、その上に新しい家を建てたことも解明されています。

また、第1市~第7市の遺構からは、同時代の記録文書がまったく出土していないけれど、トロイ城市の第1市から第5市までは、初期青銅器時代を通じて文化が断絶せずに存続していたことも、その種の実証研究で分かっています。第6市は青銅器時代の中期とその大部分が後期に属し、第7市は残る後期青銅器時代に属するとも、前記国際大事典に記されています。

シュリーマン没後、科学的な方法で全域を綿密に調査・発掘したシンシナティ大学発掘隊は、第7市a段階がホメロスのトロイ城市であるとしています。第7市の居住層は、a、b1、b2の3段階に分かれており、そのaでトロイア戦争が勃発した訳です。BC1300~BC1250頃になるのでしょうか。

それにしても、僅か数十mの断層には、3000年に及ぶ歴史が埋もれており、今から5000年も前の時代の遺構でした。温故知新という言葉の重さを実感させられた断層でしたから、印象に残ったのです。
これを書きながら、トロイ城市遺構内にある遺跡を解説した看板には、それぞれの遺跡がⅠやⅡであると明記してあったことを思い出しました。


トロイの木馬の計に纏わる話題です。
カサンドラのジレンマとも言われているので、既にご承知の方も多いでしょう。

トロイア最後の王プリアモスの末娘カサンドラは、アポロンの求愛を受け入れ結婚します。
アポロンから「予言能力」を授かる代償として結婚に踏み切ったカサンドラの悲劇の始まりでした。

 「アポロンに弄ばれたあげく、捨てられる自分の運命を予言してしまいました。それを知った彼女は、アポロンの元を去りましたね。当然でしよう」

ボケ封じ観音さまの声が聴こえてきます。

 「激怒したアポロンは、カサンドラの予言は誰も信じないとする呪いを掛けました。彼女の美貌に魅せられ求愛したことなどは、どこ吹く風です」

その反面、アポロンの奸計など露知らずのカサンドラは、父プリモアスらに「アカイア(ギリシャ)軍が攻めてくる」と警告を発し、「木馬の中に兵士が隠れている」とアカイア軍の戦略を明かすのですが、彼女の警告を馬耳東風と聞き流しました。その結果は、史実が証明している通りです。
釈迦に説法を承知で追記します。パソコンのソフトを破壊するウイルス名の由来は、この史実を基にしていたのです。

トロイアの悲劇を予測したカサンドラの警告を無視して国を破滅させたプリモアス王の逸話は、福島第1原発事故をもたらした東京電力株式会社(以下東電)のあり方を連想させられました。

というのは、平成23年6月12日の産経新聞によれば、今回の事故は東電が招いた、不作為による犯罪的災害である、との記事が掲載されていたからです。

国際原子力機関(IAEA)の元事務次長ブルーノ・ペロード氏とのインタビュー記事のタイトルは「東電は神のように尊大」。既読された方もおられるはずです。

1992(平成4)年頃来日し東電を訪れた同氏は、

 1.格納容器と建屋の強化
 2.電源と水源の多様化
 3.水素再結合機の設置
 4.排気口へのフィルター設置

を提案したのですが、東電はなんら対策を採らなかったことが掲載されていたのです。
スイスでは、90年代に格納容器も建屋も二重にするなど、水素ガス爆発防止策を強化した実績を有しており、同じゼネラル・エレクトリック社製沸騰水型原子炉マーク1型を使用している日本にも役立つと考えての提案だったのです。

ペロード氏が悲劇の預言者カサンドラを知っていたかどうか?
元気印には推測の域を出ませんが、今回の犯罪的災害を目の当たりにして、地団太を踏んでいることでしょう。

さらに、元福島県知事佐藤栄佐久氏は、東電の原子力発電に伴う管理の杜撰さを、

 「東電の故障・トラブル等は昭和46年から平成20年の間に161件あった」

として、複数の雑誌で告発しています。

宝島07には、昨年6月17日、福島第1原発2号機では『外部電源遮断』『非常用デイーゼル発電機が作動しないこと』によって電源喪失となり、給水ポンプが停止して、原子炉内の水位が約2m低下するという重大事故が起きている。当時の新聞や東電の発表資料を見ても、事故に軽く触れている程度で、その原因の究明はなし、との記述があります。

このような事は、経済産業省が東電をキチンと監視すべきである等の指摘があり、原子力安全・保安院がその行政処分を担っているのですが、今回の原発事故対応を発表する姿勢には、そのような自覚や認識があるようには感じられません。おそらく事実関係を隠蔽して公表しているのでしょう。

それにしても、今回の事故は、想定外の事故どころか経験済みの事態であったことを知った時の驚きは何と表現したらよいのか。凡庸な元気印には思い当たりません。ただ、ただ茫然自失するだけです。

「東電は神のように尊大」と感じて帰国したペロード氏の提言は、東電から原子力行政に携わっている関係者には伝えられた、もしくは伝聞として承知していたでしょう。しかし、「原子力は安全」とする神話を金科玉条とする人達には、スイスの防止対策を他山の石とするだけの腹が据わっていなかった。村八分にされる危険を冒してまで、議論することは避けていたから。これらは元気印の勝手な判断からくる推測であることをお断りしておきます。

いずれにしても、6月20日からウイーンで開かれる閣僚級会合において、福島第1原発の事故解明は客観的な立場で議論されることを期待しています。

「安全神話」にどっぷり浸かっている原子力村を構成する行政機関、学会、各種業界、金融機関、など、などで、原子力に係わる関係者達が共有する神話は木っ端微塵に粉砕され、日本の原子力行政が新しい民話の下で執り行われる日が到来するのを待つだけです。


「ウイーンでの閣僚級会合は、悲劇の預言者カサンドラにはなりませんよ」

ボケ封じ観音さまの予知能力に希望を繋いで、本稿を終えます。
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