さわやか散策と寺小屋を開催しているシニアジュク(ボランティア・グループ)のスタッフは12月18日、忘年会を兼ねた東京スカイツリー・津軽三味線・浅草寺散策の実踏をしました。
来年2月に企画している散策の実施要領などを協議するワイガヤ(定例会)を、津軽三味線の生演奏を聴きながら吉幸(きっこう)で行いました。それから浅草寺の参拝を終えて解散し駒形橋へ戻ると、橋の西詰(浅草寺側)に人溜まりが出来ています。
♪♪
晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音(ね)愉し
別れテープを 笑顔で切れば
東京スカイツリーを背にして直立不動の姿勢で歌っているのは、高島孝太郎、右でアコーデオンを抱えている高島雄次郎は孝太郎の弟、ウッドベースを弾いている高鳥玲(あきら)との3人で結成したのが、東京大衆歌謡楽団です。
その後、左端でバンジョーを奏でている向井普宣が、何時頃から楽団に参加したかは聞き損じてしまい。ここで、紹介できないのが残念です。
駒形橋路上ライブが終わった際、写真を撮らせてもらった謝礼に、ブログへ公開する可否を雄次郎に確認して了解を得たので、本文書いています。
昨今の歌謡界の風潮では、昭和歌謡を歌う歌手が少なくっている、と感じたことが楽団を結成した動機のようです。
そこで、昭和時代の流行歌に魅了された3人は、
「戦前の流行歌は歌謡文化ですし、その時代の歴史が築き挙げてきたものです。よりたくさんの人に聴いてもらえるよう、がんばっていきたい」
この孝太郎の意気込みに後押されて、今日も路上ライブで熱演していたのです。
帰宅してから、東京大衆歌謡楽団をキーワドにしてネットサーフインすると、かなりの情報が検索されたので、その中の一端を借用します。
第37回日本歌手協会歌謡祭に出演した東京大衆歌謡楽団は、青木光一、宇崎竜童、菅原洋一、平尾昌晃らが出演する10月27日夜の部で、2010年度奨励賞・歌唱賞にノミネートされていたのです。第二次審査は、2011年4月5日、古賀政男音楽博物館「けやきホール」(渋谷区代々木上原)で開催する予定になっています。
また、大晦日のNHKラジオ第一「思い出の昭和歌謡」の17.07~18.50に出演することが決まっていました。
この楽団の主なレパートリーも挙げられています。
啼くな小鳩よ・青い山脈・緑の地平線・東京ラプソディー・誰か故郷を想わざる・二人は若い・上海帰りのリル・森の小径・流転など。
シニア・エイジにとって、懐かしいメロデイーばかりですよ。
おそらく、その歌が流行った頃に自分は何をしていたのか、新婚ホヤホヤの人、仕事人間に没頭していたサラリーマン、おじいちゃん、おばあちゃんからピッカピッカのランドセルを息子や娘にプレゼントされた人、学徒出陣でわが子を戦場へ送った人など、など。
この楽団の前には、4人の演奏者がいたのです。
ギタリストと3人のドラマーが、孝太郎の歌に合わせて楽器らしきものを奏でます。
本物のギター以外は、自作のオリジナル楽器。
発泡スチロールをドラムにしているおばさん、タンバリンをドラムに準(なぞら)えているおじさん、プラスチック容器と空き缶を組み合わせて木製の棒をスティク代わりにして叩くおじさんの3人はドラマーでした。
その仕草は、孝太郎の歌うメロデイーにちゃんと乗っているのには驚きでしたし、楽団の路上ライブには協力しているようで、楽団も温かい気持ちで接している雰囲気でした。
♪♪
波の背を ばら色に
染めて真赤な 夕日が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌も懐かし あのアロハオエ
ああ 憧れの ハワイ航路
激動した昭和時代は、喜怒哀楽に満ちています。
昭和の喜びと悲しみのひとつ、ひとつを筆に込めた作詞家の歌詞に、オタマジャクシを躍らせた作曲家のメロデイーに、十人十色の喜怒哀楽が重なり合い、一喜一憂の想いが瞼に浮かび上がってくるのでしょう。東京大衆歌謡楽団の歌を聴いて目頭を潤ませる人もいたとのこと。
楽団を結成した2009年4月から路上ライブを始めて1年8ヶ月。
そんな楽団が、日本歌手協会歌謡祭で奨励賞にノミネートされ、大晦日のラジオで「思い出の昭和歌謡」を担うのです。
活動資金は、路上ライブでの心づけのようでした。
写真を撮らせて貰った謝礼に小額ですが帽子に入れて、楽団のHP,ブログを公開しているかを訊ねると、いずれもやっていないとの返答でした。
そこで、楽団の写真と団員名、活動状況などを紹介して、敬意を表することにしました。
「その心掛けを忘れないことです、元気印さん」
ボケ封じ観音さまは、どこにいるのだろう。
いつも声はするのですが、お姿は見えないのです。
「今日は、納めの観音ご縁日ですよ、浅草寺に羽子板市が立っていたでしょう。江戸時代の商人は、この日を境にして、新年の日用品などを売る市を立てたのです。そして、正月には女子の誕生した家へ羽子板を贈る習慣があったので、浅草寺境内に羽子板市が立つようになったのです。その習慣は、江戸後期から現在まで継承されているんですよ」
♪♪
とこ夏の 黄金月(こがねづき)
夜のキャビンの 小窓を照らす
夢も通うよ あのホノルルの
椰子の並木路 ホワイトホテル
ああ 憧れの ハワイ航路
明日もどこかで、東京大衆歌謡楽団は路上ライブを行っているでしょう。
これからも公演に出会う機会はあります。温かい支援と声援を贈って励まそう、と気持ちを引締めて筆を置きます。
気分が悪くなる余談です。
東京大衆歌謡楽団には、西詰でのライブを中止するよう警察官が行っていました。関係者の話では、場所使用の申請をしても許可が下りないようでした。その理由は、通行人の邪魔になるから。
たしかに、西詰周辺は、東京スカイツリーの写真撮影に絶好のポジションなので、俄かカメラマンで混雑します。それを警察官は、通行の邪魔になるから撮影のために立ち止まらないように警告を発していましたから、路上ライブで場所を占拠する許可は出さないでしょう。
このとき、東京スカイツリーの全体と朝日ビールのシンボルが見える側にある駒形橋の歩道は、大勢の歩行者で溢れてはいましたが・・・。
しかし、路上ライブの継続、カメラマンの撮影と歩行者の便宜を図って円滑にすることが警察官の仕事、と考えている元気印は、非常識なのでしょうか。歩行者を優先させることだけに専念するだけで、果たして、宜しいのでしょうか?
※ 本文中の敬称は省略しました。
来年2月に企画している散策の実施要領などを協議するワイガヤ(定例会)を、津軽三味線の生演奏を聴きながら吉幸(きっこう)で行いました。それから浅草寺の参拝を終えて解散し駒形橋へ戻ると、橋の西詰(浅草寺側)に人溜まりが出来ています。
♪♪
晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音(ね)愉し
別れテープを 笑顔で切れば
東京スカイツリーを背にして直立不動の姿勢で歌っているのは、高島孝太郎、右でアコーデオンを抱えている高島雄次郎は孝太郎の弟、ウッドベースを弾いている高鳥玲(あきら)との3人で結成したのが、東京大衆歌謡楽団です。
その後、左端でバンジョーを奏でている向井普宣が、何時頃から楽団に参加したかは聞き損じてしまい。ここで、紹介できないのが残念です。
駒形橋路上ライブが終わった際、写真を撮らせてもらった謝礼に、ブログへ公開する可否を雄次郎に確認して了解を得たので、本文書いています。
昨今の歌謡界の風潮では、昭和歌謡を歌う歌手が少なくっている、と感じたことが楽団を結成した動機のようです。
そこで、昭和時代の流行歌に魅了された3人は、
「戦前の流行歌は歌謡文化ですし、その時代の歴史が築き挙げてきたものです。よりたくさんの人に聴いてもらえるよう、がんばっていきたい」
この孝太郎の意気込みに後押されて、今日も路上ライブで熱演していたのです。
帰宅してから、東京大衆歌謡楽団をキーワドにしてネットサーフインすると、かなりの情報が検索されたので、その中の一端を借用します。
第37回日本歌手協会歌謡祭に出演した東京大衆歌謡楽団は、青木光一、宇崎竜童、菅原洋一、平尾昌晃らが出演する10月27日夜の部で、2010年度奨励賞・歌唱賞にノミネートされていたのです。第二次審査は、2011年4月5日、古賀政男音楽博物館「けやきホール」(渋谷区代々木上原)で開催する予定になっています。
また、大晦日のNHKラジオ第一「思い出の昭和歌謡」の17.07~18.50に出演することが決まっていました。
この楽団の主なレパートリーも挙げられています。
啼くな小鳩よ・青い山脈・緑の地平線・東京ラプソディー・誰か故郷を想わざる・二人は若い・上海帰りのリル・森の小径・流転など。
シニア・エイジにとって、懐かしいメロデイーばかりですよ。
おそらく、その歌が流行った頃に自分は何をしていたのか、新婚ホヤホヤの人、仕事人間に没頭していたサラリーマン、おじいちゃん、おばあちゃんからピッカピッカのランドセルを息子や娘にプレゼントされた人、学徒出陣でわが子を戦場へ送った人など、など。
この楽団の前には、4人の演奏者がいたのです。
ギタリストと3人のドラマーが、孝太郎の歌に合わせて楽器らしきものを奏でます。
本物のギター以外は、自作のオリジナル楽器。
発泡スチロールをドラムにしているおばさん、タンバリンをドラムに準(なぞら)えているおじさん、プラスチック容器と空き缶を組み合わせて木製の棒をスティク代わりにして叩くおじさんの3人はドラマーでした。
その仕草は、孝太郎の歌うメロデイーにちゃんと乗っているのには驚きでしたし、楽団の路上ライブには協力しているようで、楽団も温かい気持ちで接している雰囲気でした。
♪♪
波の背を ばら色に
染めて真赤な 夕日が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌も懐かし あのアロハオエ
ああ 憧れの ハワイ航路
激動した昭和時代は、喜怒哀楽に満ちています。
昭和の喜びと悲しみのひとつ、ひとつを筆に込めた作詞家の歌詞に、オタマジャクシを躍らせた作曲家のメロデイーに、十人十色の喜怒哀楽が重なり合い、一喜一憂の想いが瞼に浮かび上がってくるのでしょう。東京大衆歌謡楽団の歌を聴いて目頭を潤ませる人もいたとのこと。
楽団を結成した2009年4月から路上ライブを始めて1年8ヶ月。
そんな楽団が、日本歌手協会歌謡祭で奨励賞にノミネートされ、大晦日のラジオで「思い出の昭和歌謡」を担うのです。
活動資金は、路上ライブでの心づけのようでした。
写真を撮らせて貰った謝礼に小額ですが帽子に入れて、楽団のHP,ブログを公開しているかを訊ねると、いずれもやっていないとの返答でした。
そこで、楽団の写真と団員名、活動状況などを紹介して、敬意を表することにしました。
「その心掛けを忘れないことです、元気印さん」
ボケ封じ観音さまは、どこにいるのだろう。
いつも声はするのですが、お姿は見えないのです。
「今日は、納めの観音ご縁日ですよ、浅草寺に羽子板市が立っていたでしょう。江戸時代の商人は、この日を境にして、新年の日用品などを売る市を立てたのです。そして、正月には女子の誕生した家へ羽子板を贈る習慣があったので、浅草寺境内に羽子板市が立つようになったのです。その習慣は、江戸後期から現在まで継承されているんですよ」
♪♪
とこ夏の 黄金月(こがねづき)
夜のキャビンの 小窓を照らす
夢も通うよ あのホノルルの
椰子の並木路 ホワイトホテル
ああ 憧れの ハワイ航路
明日もどこかで、東京大衆歌謡楽団は路上ライブを行っているでしょう。
これからも公演に出会う機会はあります。温かい支援と声援を贈って励まそう、と気持ちを引締めて筆を置きます。
気分が悪くなる余談です。
東京大衆歌謡楽団には、西詰でのライブを中止するよう警察官が行っていました。関係者の話では、場所使用の申請をしても許可が下りないようでした。その理由は、通行人の邪魔になるから。
たしかに、西詰周辺は、東京スカイツリーの写真撮影に絶好のポジションなので、俄かカメラマンで混雑します。それを警察官は、通行の邪魔になるから撮影のために立ち止まらないように警告を発していましたから、路上ライブで場所を占拠する許可は出さないでしょう。
このとき、東京スカイツリーの全体と朝日ビールのシンボルが見える側にある駒形橋の歩道は、大勢の歩行者で溢れてはいましたが・・・。
しかし、路上ライブの継続、カメラマンの撮影と歩行者の便宜を図って円滑にすることが警察官の仕事、と考えている元気印は、非常識なのでしょうか。歩行者を優先させることだけに専念するだけで、果たして、宜しいのでしょうか?
※ 本文中の敬称は省略しました。