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いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

子育てに大車輪のツバメ

2015-05-27 14:52:14 | Weblog
2年前、玄関の上に設けた照明灯にツバメが巣をつくり9羽が巣立った。



5羽が巣立った後寂しい思いをしながら巣だけはそのままにしておいた。
暫らくすると空家になった巣の中で4羽の雛が餌をねだっている。



ツバメは年に2回子育てをすることが後でわかり、納得する。
背伸びをしてまで、嘴を大きく開けて自己主張する子ツバメは、元気印そのもの。
張れ裂けよとばかりに嘴開け広げ、大声を張り上げる負けん気の強いツバメの子。
右側のツバメ2羽は、給餌が終わり満足げな様子。



食べる時は、兄弟なんか関係がない。
餌を与えた親は、食欲盛んな子のためすぐに飛び去ってしまうから、兄がとか弟だとか、そんなこと考えている暇はないのだ。早いもの勝ち。
親の関心を惹きつけて、餌を貰う知恵だけが働く。早いもの勝ち。
このツバメたちも無事に育ち、長いながい渡りの旅に巣立っていった。

一昨年作られた巣を残し、ツバメの来訪を期待したけれども、外装工事をしたため、ほかの場所へ巣作りをされてしまった。
塗料やシンナーなどの匂いが巣に浸み込んでいたのだろう。
秋になりツバメの空家を取り壊して、元気印たちとの再会を待つことにした。

そして、今年はやって来ました。
4月の初めころから巣作りが始まり、親ツバメは抱卵に専念する。



今朝、写真を撮ろうと、巣の様子を窺いシャッターを切る。
シャッター音に反応し巣から頭をだしたツバメは3羽。



どれも元気印で、安心して撮る。
そこへ親ツバメが給餌に戻って来た。
3~4度旋回を繰り返し警戒していた親は、右側の子に餌を与える。



餌を強請(ねだ)るほかの2羽に給餌する親。
カメラを構える不躾な男を無視する親心がないと、子供たちを育てあげられないのだ。お邪魔虫は、子供の餌にせねば・・・。

そんなことを言われても、巣立ちする間、親子のつながりを記録するよ。勇気を持って、古希を過ぎて6年目を迎えるカメラマンを励ましてね。
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月の松、150年振りに復元

2015-05-24 14:19:03 | Weblog

葛飾柴又帝釈天の住職・御前様(笠 智衆)と娘冬子(光本 幸子)が京都の街を展望しながらひと休みしている。そこに、外人カップルを観光案内する寅さん(渥 美清)がやってくる。
「男はつらいよ」シリーズ第1作にある、御前様が京都美人とのデートと早合点した寅さんを窘めて3人が大笑いするシーンだ。
そこは、京都清水寺本堂(きよみずでら・ほんどう)の正面左右に設けた入母屋造りの翼廊にある懸造(かけづくり)あるいは舞台造と呼ばれるせり出したところ。ここ清水の舞台からの展望は、京都見学の定番となっている。

一方、清水の舞台に倣って造られた清水観音堂(きよみず・かんのんどう)のそれが、上野恩賜公園を縦断するさくら通りの小高い丘の上に観える。



観音堂から望む不忍池は琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)になぞらえた弁天島(中の島)を築いて辯天堂を建てた、と寛永寺由来にある。不忍池辯天堂はさくら通りの右側にあり、観音堂舞台の真正面に建っている。



清水寺の舞台高さは4階建てビルに相当する。
その昔、清水の舞台から老若男女が願を掛けて飛び降りる慣わしがあったようです。
清水観音堂は標高17mの丘に建っている。
ここの舞台から飛び降りても、数メートル下の丘の斜面に落ちるだけ。切羽詰った願掛けをして飛び降りよう、なんて考える人はいないだろう。

   名所江戸百景 歌川広重 月の松

と書いた看板が舞台前に立ててある。急ぎ足で観音堂への階段を駆けあがる。



「月の松」の集客力は抜群だった。舞台内は花見客で満杯。
松の円い枝をテーマーにするカメラマンに変身した花見客は、なかなか松の前から離れようとはしない。隙を見計らって、転落防止柵が写らないよう後退しながら、「月の松」全景が入るところでカメラを構える。しかし、その狭い空間に花見客が入り込んでは邪魔をする。暫くの我慢をお願いして狙いの写真を撮った。



ちなみに、この松は平成24年12月7日、除幕式を行いお披露目された、との記事を上野経済新聞(2013年01月09日)で見付けた。新たな観光名所として上野公園を盛り上げる目的から、約150年前に消滅した松を復活し江戸の風景を取り戻した。この松を目当てに高齢者を中心に多くの人が訪れ、外国人観光客も増えた、とも紹介されている。

江戸の風景を取り戻すというその心は、歌川広重が『名所江戸百景』で描いた「月の松」を復元する粋な計らい。とはいっても、関係者の話では、松の枝を丸くする腕をもった庭師は少なくなっているので、復元を急いだ。3年前に移植したこの松は、枝を丸くして育てた5本の松のうち成功した2本の1本。2、3年でこのような枝になるようですが、広重が描いた松に育つのは、あと数年先か数十年先であろう、とのこと。この松の枝を覆っている養生が不要になる、自然体の松にするための努力が欠かせないようです。



広重は、連作浮世絵名所絵「上野清水堂不忍ノ池]



「上野山内月のまつ]



に復活された松を画題にしている。

広重が名所絵を描いたのは、上が安政3(1856)年4月、下は翌年8月。

復元した松は、不忍池辯天堂が「月の松」の中央になる場所に植えられている。
『名所江戸百景』の「月の松」には、次のようなコメントが掲載されている。
広重の時代のころは、「縄の松」と呼ばれた有名な木であり、徳川幕府の中でも有力大名である加賀藩主前田氏の江戸屋敷周辺を描いている。その跡地に現在の東京大学がある。
清水観音堂周辺の彼岸桜の大木は花の豊かさと早咲きで評判が高く、露台からその展望を楽しむ人々の姿が描かれている。



その下で顔を隠している薄茶色の羽織の男は、ひいきの遊女と花見にでも来て、少々世間を憚っているのかも知れない、と。




世間を憚りながらも、顔は隠して花見を楽しむ。
共に来ている遊女への心配り、江戸っ子気質って、いいね。
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当日券で、国宝鳥獣戯画展を観る

2015-05-20 20:24:02 | Weblog
5月9日(土)9時40分ころ、国宝鳥獣戯画特別展を見に東京国立博物館に出かけた。





展示会場へ入場するのに40分、展示品を観るのに140分の待時間になります。それを承知で入場券を購入してくださいと、係員が説明するので見学を断念する。

甲・乙・丙・丁4巻からなる鳥獣戯画の修復を終えた記念に一般公開することになり、その特別展が京都で開催し終え、東京国立博物館で開催中のもの。

鳥獣戯画本物を見る機会に何時出会えるか判らない焦りもあり、19日(水)6時に拙宅を出る。
早いほうがラッシュを避けられ、朝食は上野駅構内にある飲食店でも食べられるだろうとの楽観が的中した。

早起きは三文の得を授かった。そんなことを考えながら会場へ急ぐ。8時20分頃に博物館へ着いた。
博物館前には、前売り券を購入した人達が列をなしている。列の最後尾を探していると、当日券は8時30分からこちらの売場ですとの案内があり、そこに行く。5ケ所ある窓口の前に20人前後の人が待っていた。

やがて、入館が始まる。
前売り券で並んでいた人達は、8時30分に入館が始まっても、一人ひとりチケットの確認を受けてから入場するので時間が掛かっている。
他方、当日券はその必要がなく、入場券買うまで5分ほど待ったがチエックなしで入場できた。
結局、当日券を購入した私は、入館待ち行列の4人並びの16列目で待つことになった。



開館が15分早くなった展示会場へは50人単位で入るので、2番目になった。
展示会場によっては順路に従って観なければならない制約があるので不安があったが、爆発的人気のある鳥獣戯画甲巻を最優先して観ることに決めていた。
同じ観かたをするようガイドが勧めており、甲巻の展示場所へ直行する。それでも、すでに行列が出来ていた。戯画に対面するまで10分くらいは要しただろうか。

そして、3mほどの戯画を観た時間の記憶はない。
歩きながら観るように督促されても戯画を観る積りだったものが、現物を目の前にするとついつい鑑賞してしまう。立ち留まらないように注意されても、1列に並んいる牛歩の列が早く進ことはなかった。
丁巻の展示場へ向かう頃には甲巻の行列はかなり長いものになっていた。甲・乙・丙・丁の4巻からなっている戯画を展示している第2会場内でも、甲巻を観るまでに40分お待ちください、との説明を小耳にした。

第1、2会場の展示物を観終えて11時頃に会場を出るときには、甲巻の待時間は140分になっていた。
9日に待時間140分と聞かされた現実がそこにあり、早起きは三文の得をもたらしてくれた。

そこで、お勧めすることは、

1.8時30分から発売になる当日券を購入する 
  当日券売り場に行列はできないし、ネットなどで前売り券を購入しても入場するのに時間が掛かる。

2.甲巻を最優先に観る
  見学者の関心は甲巻にあるので、皆がそこに直行する。


ちなみに、6月7日(日)が最終日です。

付録のはなし。
隣の本館では、鳥獣戯画甲巻の摸本も解説付きで展示されており、前後左右を気にすることもなく自由に鑑賞できるし、お気に入りの写真撮影もできた。







加えて、本番を観た後の復習ともなり、鳥獣戯画の理解を深めてくれた。

時間と体力に余裕があったので、本館巡りをする。
そこでは、日本に現存する、又は消滅した各種伝統文化が展示されているから、鳥獣戯画特別展で学んだ仏教文化と伝統文化全体との係わりなどを考える参考になった。



この菩薩立像は、鳥獣戯画展の第1会場に展示してある白光神立像(びやっこうしん りつぞう)を連想させる。本館に展示してある仏像の中で一番印象に残る仏像になった。


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千鳥足でつぶやく『映画ばなし』その10:婚活マニュアルを厳守して相手を探す香苗

2012-11-20 22:36:30 | Weblog
しなやかな発想をする内田 けんじ監督の映画「鍵泥棒のメソッド」を観ました。
毎回、プログラムを購入している元気印ですが、600円のプログラムにシナリオを掲載したそれは、稀です。年間数十本しか映画を観ないのですが、数十年に亘って購入した、部屋の片隅にうず高く積んであるプログラムで、シナリオを掲載したものは片手で数えられるから・・・。

映画製作、脚本のノウハウをサンフランシスコ州立大学で習得した、昭和47年生まれの内田監督は今年41歳を迎えるので、中堅監督になるでしょうが、この映画が3作目に当るという。



なにはともあれ、売れない役者で無職の桜井 武史(堺 雅人)は、銭湯で転倒した時、後頭部を強打して記憶喪失する伝説の殺し屋コンドウ(香川 照之)の手から外れたロッカーの鍵を拾い、コンドウに成りすます。先ず、内田監督の着想に口説き落とされます。

記憶喪失後の生活が、桜井の生活環境にはめ込まれてしまうコンドウ。
銭湯番台の老女は、桜井がすり替えたロッカーの鍵からコンドウは桜井である、と証言する。
過去の記憶をすべて喪失したコンドウが、桜井の生活環境の中で過ごさねばならなくなった経緯が語られるところ。

芝居が下手で売れない役者・桜井は、その世界では著名だが、顔の知られていない殺し屋コンドウに依頼された殺人を遂行する。その反面、桜井の生活環境を介して記憶を取り戻そうと必死にもがくコンドウ。

つまり、「鍵泥棒のメソッド」は、貧乏役者・桜井から伝説の殺し屋・コンドウへ変身する堺 雅人、その逆を演じる香川 照之が主役です。いってみれば、二役を演じ分ける堺と香川の芝居を堪能できる映画ですね。

特に、丸めた雑誌をナイフに見立て、意識を取り戻した殺し屋・コンドウに腹を刺された桜井が倒れる時、

「なんだそれ。いいか、突然腹を刺された場合は、そんなに早く身体は反応できない。まず衝撃。それから事態の把握。緊張。それから痛みだ。もう1回いくぞ」

ヤクザの親分・荒川 良々(工藤 純一)に見破られては、コンドウの計画は水の泡。
もう一度同じ動き(芝居)を繰り返す桜井。

「駄目だ。お前は演技の基本ができていない」

コンドウと桜井との掛け合いと、堺の芝居を魅せる内田監督の工夫があります。
この場面で俳優・堺は、芝居が下手くそで売れない、貧乏な役者・桜井を演じる彼の真偽が問われており、堺はそれを存分に楽しんで演じている。

さて、この二人に絡むのが、末広 涼子演じる水嶋 香苗。
雑誌編集者・香苗は、相手もいないのに結婚式の日取りまでのスケジュールをビジネス手帳に書き込み、「私、結婚することに決めました」と、職場で宣言する。

マニフェストで約束したことは、政権をとったら必ず実現できるとTVで公約していた政治家?に酷似する滑稽さ加減に吹き出してしまった。このシーンは映画の冒頭にあり、それ以降、彼女が遭遇する出来事の伏線になっている。

おそらく、元気印を含めた好事家さん達は、そのスケジュールに彼女の行動がどんなエピソードで絡んでくるのか? 
それを期待して話の進展を推し量り、何時それが現れるのかを想像しながら観ている。好奇心をくすぐる出だしですね。

 翔子「結婚相手見つかったの?」
 香苗「まだ。ただ・・・恋をしてもいいかっていう人はいる」
 翔子「ああ・・・。それは無理よ」
 香苗「なんで無理なの」
 翔子「・・・あんた、ちゃんと恋をしてから結婚する気?」
 香苗「当たり前でしょう。ちゃんとその期間は用意してます」
    あきれて笑う翔子。
 香苗「何?」
 翔子「若い頃、胸がキューンてしたでしょう?」
 香苗「何それ?」
 翔子「この辺に・・・キューンていう言葉でしか表現できないような痛みが走るのよ。好きな人のことを考えるだけでキューン、キューンって・・・」
   (シナリオから抜粋)

とにかく、翔子が呆れるほど恋には初な香苗。
胸キューンは、香苗の心境の変化を象徴するキーワードになっている。映画の最後を胸キューンで締める用意周到さもあるから、キューンの痛みを胸のあたりに走らせて映画館を後にするのでした。

また、内田監督の遊び心とサービス精神が、胸キューンを見事に勝ち取る二人の女性の対比描写に充満しているから、観なけりゃソン、ソン。

余談です。
邦画の世界でキャステイングは、余り重要視されていないように思います。
洋画では、監督、脚本と同じ扱いでクレジットされていますが、苦労して探さなくてはならないのが邦画ですよ。
ちなみに、「鍵泥棒のメソッド」のキャステイングは、杉野 剛。
かなりの映画本数をキャステイングしていますが、「ステキな金縛り」「トウキョウソナタ」「明日への遺言」そして、「博士の愛した数式」は観ています。元気印の勝手な思い込みですが、どの映画も印象に残るキャステイングでした。








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積雪した我家を訪れたスズメの番

2012-01-26 21:52:09 | Weblog
桜の季節になると雨樋の辺りに巣を作る雀の番が、毎年来るのですが、どこに作るのかは余り関心がなくて、早朝から鳴き声がする位の軽い気持ちで傍観していただけでした。

結論を先に書きますが、隅棟(すみむね)を葺いている瓦の下にある空間を子育てに利用しているようです。



雪が積もった24日朝、雀の鳴き声が聞こえたのです。
隅棟の先端には積雪がなく、雨樋の上が洞窟の入口のようになっている所に、一羽の雀が凍てつく寒気に堪え、首をすくめています。



暫く観察していると、もう一羽の雀が洞窟から後戻りして外に出てきます。そして、直ぐに洞窟のなかへ姿を消したのです。



再び洞窟から出てくると、雨樋で待っている雀の横に並ぶと、凍ったように動かなくなります。仲睦まじい夫婦のようです。
桜の季節には、此処で子育てを始める筈です、きっと巣作りに来ます。
おそらく、昨年、此処から巣立っていった雀かも。どちらかの一羽か、それとも番が・・・。



真冬の朝日が昇り日差しが強くなる7時ごろには、仲睦まじい番は、どこかへ飛び去ってしまい、この間、鳴き声を聞いてから30分位でした。



それにしても、隅棟にある瓦葺の空間を子育てに利用する雀の知恵袋には、刺激を与えられました。



それも、積雪があった日の早朝に、親が利用していた巣、あるいは、自分達が育った我家が今年も使えるかを見届けにきたようですから、その根性に「あっぱれ」。
雀の事情が分かった今、再会が巣作りの時期までになるかと思うと、ちょっと寂しい。
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ヴェネツィア展

2011-11-23 19:32:00 | Weblog
江戸東京博物館で12月11日(日)まで開催されている「ヴェネツィア展」のカタログ本から作成したものです。
会場内では撮影禁止のため複写を掲載してあります。



本邦初公開の「世界でもっとも美しい板絵」を含む展示品の数々、魅惑の芸術-千年の都、世界遺産に登録されているヴェネツィア共和国は、予備知識なしで訪れても会場内で放映されている映画で充分理解できます。さらに、音声ガイドを併用して展示品を巡る工夫がなされているので、ヴェネツィア共和国と展示品の理解度がより深まり、見ごたえがあります。
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トルコ10日間のたび その11:スルタンハヌ町のキャラバン・サライ

2011-11-12 17:45:55 | Weblog
5日目に入ったトルコ10日間のたび。
コンヤのリクソス・ホテルを7時30分に発ったバスは、220km先のカッパドキアへ向かいます。
おおよそ3時間バスに閉じ込められる今日のバス旅も、参加者は5日目になると慣れてしまい、昨夜泊まってもコンヤ、などの冗談が車中で飛び交います。

長距離バスでトルコを巡るツアーですから、その日の行程の途中に必ずトイレ休憩があって、それも無料で利用できる所、日本のドライブ・インのようなところが選択されています。今日は、カフエ・レストランとお土産屋を営む「緑の庭:GREEN GARDEN」で休憩です。結果として、キャラバン・サライの撮影に時間ばかり取られてしまい、店内には入らずじまいでした。



さて、ユーラシア大陸の東西交通の一大ターミナルであった国際都市・イスタンブールは、中国やインドから入ってくるさまざまな物資の集散地の役割を果たしていた。イスタンブールに集められたそれらの豊富な物資は、陸と海のシルクロードを通ってローマ帝国へ運ばれていた。イスタンブールを紹介している書籍などには、このような記述があります。

また、トルコの古代キャラバン・ルートを記載しているWEBサイトには、ラクダのために造られた路線・キャラバン・ルートは、舗装された路面が必要とされており、主要な軸をなす東西軸ルートと南北軸ルートの他に、アクサライ・ニーデ・アダナ街道と、ベイチュヒル・アランヤ間の街道との2ルートがあり、両街道を合わせて、おおよそ100棟のキャラバン・サライが設けられた、と紹介されています。

アンカラ県アクサライから1日の行程にある町名スルタンハヌを冠した「スルタンハヌ・キャラバン・サライ」は、アダナ街道沿いにあります。アクサライの西から42km、コンヤの東から110kmの位置関係です。
スルタン(君主)が造営した「王立隊商宿」、セルジューク建築様式で建立されたこのキャラバン・サライは、ルーム・セルジューク朝(1077年~1308年)の最盛期を築いたアラーウッディーン・カイクバード1世の命令で、キャラバン隊商宿(キャラバン・サライ)、あるいは、隊商が交易の際、中間駅として使用する目的で1228年、工事に着工して、1236年に竣功しているようです。



セルジューク朝のアナトリアでは、テユルベと呼ばれる墓塔やキャラバン・サライに関連する建築が発達した。キャラバン・サライは、一見砦を思わせるような強固な壁と堂々たる門を備え、アナトリアのイスラム建築史上、重要な形式に数えられている。
また、中東で石造建築を発展させていたシリアとアルメニア。戦乱で祖国を失い、離散の民となって中東に流亡していたアルメニア人が、セルジューク朝の建設活動を担っていた。
アルメニアは、キリスト教を世界で最初に国教とした国で、高度な教会建築を発展させていたので、アナトリア各地に建てられたセルジューク朝のキャラバン・サライは、アルメニア聖堂のようなデザインになっている(万有百科大事典4哲学・宗教 他)。

上記説明のあるWEBサイトなどから、スルタンハヌ・キャラバン・サライの正門は、ギョクメドレセ・モスクのそれに酷似したデザインになっている背景が見えてきたのです。

その後、キャラバン・サライの周辺にあった小さな村は、スルタンハヌの町に発展したのでしょう。建設当初、ここは隊商の中間駅として機能していたことが推察され、隊商の交易が盛んになるにつれ中間駅機能よりも商業施設的な機能が重要視されるようになった。隊商交易から得られる経済的な恩恵を受けた集落が町へと発展し、キャラバン・サライとして定着して今に至っている。

ところで、キャラバン・サライは商業機能上の観点から二つのタイプがあるようです。
先ず、街道沿いに建てられた純然たる隊商宿。商人、巡礼者、旅人を宿泊させることを基本としているタイプ。
政府・王侯貴族・商人のワクフ(寄進財産)によって建てられた場合には、無料で泊ることができた。スルタンハヌ・キャラバン・サライは、カイクバード1世が寄進した、との情報も見受けられましたので、おそらく、宿泊は無料ですよ。
もう一つのタイプは、卸商人の事務所として使われるもので、都市のバザールに隣接して建てられ、カイサリーヤなどと呼ばれているもの。

さらに、キャラバン・サライは、卸売り業務を執り行う大規模な商業施設でもありました。
それは、2階建ての小部屋に区分された建物がぐるりと中庭を取り囲む方形の建築構造を採っている。1階部分は商品を保管する倉庫、事務所、時には厩舎として使われ、2階部分は旅行者や移動商人用の宿泊施設に当てられた。中庭とバザールを結ぶ細長い通路は、卸売商人が小売商に品物を卸す取引場としての機能を有していたのです。

アナトリアを領土とするカイクバード1世は、スルタンハヌ・キャラバン・サライを寄進(慈善ワクフ)していることは既に書きましたが、イスラム法では自ら管理者になるか、あるいはこのキャラバン・サライの管理者を任命して、有給の管理者を置くように規定しています。モスク・ワクフの管理権限を与えられた裁判官(カーディー:イスラム法に基づき、民事・刑事の訴訟に判決を下す)に、ここの管理者を選任する指令を出している筈です。

他方のキャラバン・サライを利用する商人は、商いをする地域の市況に疎い旅商人が一般的でしたので、地元に強い仲買人の斡旋で益のある商取引を行っていたのです。そして、キャラバン・サライの宿泊部屋は、同国・同郷、宗教・人種を同じくする者が部屋ごとに共同賃借する便宜を計る管理人が多かった(世界大百科事典)。

カイクバード1世が、スルタンハヌ・キャラバン・サライをワクフに指定した時点で、このサライの用益権と交易がもたらす収益の処分権とを放棄したことになります。土地・建物の所有権の移転は永久に停止されますので、サライが最初に設定された目的に使用されている限り、このサライは存続できたのです。収益は免税ですから、サライの維持・管理に要する諸費用を賄う資金源になっていたことでしょう。

サライ周辺の小さな村に在住しているイスラム法学に造形が深く、信仰の厚いムスリム(イスラム教徒)から選任されるであろうスルタンハヌ・キャラバン・サライの管理人は、、サライの経営権も与えられ、重責を負っていたことは推察できます。
そして、21世紀に入った今日、トルコに現存している保存状態のよいキャラバン・サライは数えるほどしかない状況の中にあって、保存状態が優れているスルタンハヌ・キャラバン・サライは、セルジューク朝の建築様式を持つ遺跡として評価されています。
現在も、サライ周辺には町が形成されて住民が生活しています。サライの奥にはモスクのミナレット(尖塔)が見えます。かってのサライ管理人の力量を示す証かも知れません。800年以上も前の集落に住んでいた人達の末裔かも・・・。想像するだけで、胸がワク、ワク踊り始めます。

これまで書いてきたことは、元気印の勝手気侭な推測が多分に含まれていますので、その信憑性はあてにしないで下さい。

スルタンハヌ・キャラバン・サライを背にした右側にスルタンハヌ町の一端が窺え、建設中のビルがありました。建築中のビルや家をバスの窓から眺めているうちに、その構造に興味が湧き目に留まるたびにシャッターを切って撮り溜めしていたのです。このような形で写真を掲載するなんてことは、肩身が狭い次第です。

角の店舗は鉄骨構造で建てられているようですが、写真中央の建物は「その8」「その9」に書いた建物と同じ構造のような印象を受けます。



冒頭に紹介した「緑の庭」は、この写真を撮った位置で90度右回転した場所、サライの左横にあります。

10月23日に起きたトルコの地震で被災者となられた人達への支援活動に携わっていた日本人のボランテイア男性が、11月9日の地震で亡くなり、それも、日本へ帰国する前日に遭遇した事故でしたから、心が痛みます。合掌。

ビルが倒壊する理由はさまざま潜在するでしょう。でも、今にして、この写真を眺めていると、どこからともなく不安感が襲ってきます。元気印の杞憂に終われば、それに越したことはありません。
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秋景色 その1:松ボックリに火がついた

2011-10-14 16:07:53 | Weblog
物心が付いてからも覚えていた「松ボックリに火がついた」。
ところが、意味を確かめようと辞書をひもといても言葉がありません。
それで、止む無くネット検索で頼り引っかかってきたのは、

焼けぼっくいに火がつく

その語源由来辞典によると、

『過去に関係のあった者同士が、再び元の関係に戻ることを意味し、多くは、男女関係について云う』
その由来は、

『燃えさしの切り株や焼けた杭のことを「焼け木杭(ぼっくい)」といって、「木杭」は「棒杭(ぼうくい)」が音変した語。
一度焼けて炭化した杭は、再び火がつきやすいことから、すぐに燃え上がる関係、特に男女の恋愛関係について言うようになった』

「松ボックリ」や「焼き栗」と混同して、

 焼けボックリに火がつく

とするのは間違い、と締めくくってある。

古稀を迎えるまで、とんでもない誤解をしでかしていたようです。

さて、チャッピーとの散歩道にある松(写真)のなかに白く見えるものが気になり、根元に近寄って、調べます。



それは、今年の夏受粉して白色になった雌花(種子錐)でした。
細長いシュートの先端に種子錐があるのですが、受粉後、それはなくなり、シュートは白色に変色し形も様変わりしています。
種子錐の根元には、受粉後の雄花(花粉錐)が生長して茶色に輝いていたんです(下写真)。



昨年の夏に受粉した緑色の花粉錐が左奥にあり、右手前にあるのは、今夏に受粉した花粉錐。
先のものより受粉時期が早かったのでしょう、種子錐はかなり小さくなっています(下写真)。



『松ボックリと呼んでいるのは、受粉1年後の花粉錐でしたね。来年の秋には、緑色の花粉錐が乾き茶色に変色して、鱗片が開いて種子を散布し始めるのです』
 
物知りのボケ封じ観音さまから助言があり、説明が省けて大助かり!!

この松の木には、1年経過した花粉錐や3年目のそれが散在していますが、殆どが今年の種子錐と花粉錐でした。白色に変色した種子錐(雌花)が遠目に見えた訳です。

今日までは、チャッピーとの散歩道脇にある何の変哲もない一本松でした。
緑色の針葉に混じって白く見えた雌花に興味をそそられて写真を撮り、その正体を調べると意外な発見。松ボックリに生長するまで3年も掛かるなんて、驚き桃の木山椒の木ですよ。
明日からは、チャッピーを共にした毎朝の散歩が楽しいものになります。
やはり、松ボックリに火がついた、が相応しいようで・・・。



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千葉市動物公園 その7:話題の映画に出演したアカ・ハナグマ

2009-03-11 01:35:19 | Weblog
寅、さくら、リリーの本籍は、千葉市動物公園です。
この3頭のアカ・ハナグマ(写真)は、平成16(2004)年生まれで、今年5歳になります。

写真入りの紹介とは別にアカ・ハナグマを解説したパネルがあります。

「アカ・ハナグマは、主に森林にすみ、日中に行動します。細長くよく曲がる鼻と強力な前足の爪を使い、探し出した虫などの小動物や、上手に木に登り果実も食べます。メスと子どもたちは4~12頭の群れを作っていますが、オスは交尾期以外は単独でくらしています」

雑食性の寅は、身長と同じくらいある尾、横しまのある長い尾でバランスを取りながらロープを渡り始めるのですが、餌に辿りつく前に反転してしまうようです。と言うのは、綱渡りをして餌採(さいじ)する彼らに、未だ遭遇していないからです。

アカ・ハナグマが綱渡りをして餌を捕食する様子は、「旭山動物園物語~ペンギンが空をとぶ~」で観ました。それも、映画のプログラムを読んでいて、寅であると知ったくらいですから、実際に食べている寅の様子を窺うのはこれからです。
おそらく、その機会に遭遇するためには、動物園に通い詰めることになりそうです。
綱渡り捕食は、寅のご機嫌次第になりますから、千載一遇の好機を待つしかありません。

「やけのやんぱち、日焼けのなすび。色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ、入れ歯で歯がたたない、ときたもんだ。
もう一丁いこうか、お猿のオケツはまっかっか。色の黒いが後家さんならば、山のカラスは後家さんばかり」

「男はつらいよ」と香具師(てきや)渡世に生きる、ふうてんの寅さんの啖呵売(たんかばい)で、寅のご機嫌をとる作戦が功を奏するかも・・・。いや、函館の屋台で再会したリリーを連れて行くともっと早くなる。
それまでは、映画に出演している寅を観て我慢です。当分の間、寅の写真もお預けですね。

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手賀沼に残る『ハケの道』と大正ロマン

2007-03-24 20:48:22 | Weblog
我孫子駅(JR武蔵野線)南口階段を降りて坂道を直進すると、突き当りに
手賀沼公園がある。
公園前の車道を渡る左手に、楚人冠(そじんかん)公園、白樺文学館、志賀
直哉邸跡を示す案内板があり、ここから旧村山堅固(けんご)別荘へ至る道が
『ハケの道』。

『ハケの道』に入ると道がYの字に分かれる。左側は天神坂で、道の両脇に茂
る樹林から木漏れ日が石段を照らしている。
大正の頃は階段下辺りまでが手賀沼の水際で、天神山に住んでいた加納治五
郎や白樺派の文人達が手賀沼で遊ぶ小船が出入りしていたことだろう。

天神坂を見過ごして白樺文学館へ向かう途中に楚人冠公園がある。
昭和初期,手賀沼干拓計画が決まった時に「手賀沼干拓の中止願い」を陳情書
として、時の農林大臣に提出した杉村廣太郎(楚人冠)の邸宅地を公園にした
ところで、陶製の句碑が建立されている。

公園からUターンしてハケの道を左折すると白樺文学館、志賀直哉邸宅跡は
直ぐだ。新しい村運動の創始者・武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)、白樺派
の重鎮・柳宗悦(やなぎむねよし)たちに出会える白樺文学館。

斜め前にある、小説の神様・志賀直哉が最初に持った家の跡地には書斎が保存
されている。楚人冠や治五郎と一緒になって手賀沼景観保護運動を推進した村山
堅固の別荘は直ぐ近くにある。

余談になるが、楚人冠、志賀直哉は手賀沼で鴨猟を嗜んでいた。剥製店が我孫子
にあった位だから、手賀沼は良い狩猟場だった様子が窺える。大正14年10月に行
われた第二回国勢調査では、我孫子町の人口は4,945人、手賀沼も今より大きく、
野鳥の飛来も多かった。

加納治五郎の姪・直枝子(すえこ)は東郷平八郎の副官を務めた谷口尚美(なおみ)
に嫁いでいる。日露戦役捷記念碑が「緑の香取神社」にあるのは、それが縁になっ
ているのだろう。

天神山、観音山と呼ばれる小高い丘のふもとは手賀沼の水際であった。
このような斜面下にある湿地際の道を『ハケの道』と関東地方では呼んでいる。
「水刷け」の「ハケ」が『ハケの道』(写真)の語源とする説が有力である。

手賀沼の『ハケの道』周辺には、大正デモクラシーに身を任せ、白樺派文人のロマ
ンに浸らせる情緒が漂っている。

コメント (1)
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