いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

春を告げてくれた、縁起のいい老いた浮目(うきめ)の最後

2011-09-24 21:58:55 | いろいろ
家庭菜園畑に沿った路の対面に植えられていた梅の老木が、9月21日に関東地方を襲った台風15号の強風に耐え切れず、倒木となっているのを見付けたのは、9月22日早朝です(写真)。

本題に入る前にお断りしておきます。
タイトルの「浮目」は、和名となった梅の由来のひとつで、冬を忘れて浮き浮きして見える花の意味を表す(木村陽二郎監修:図説 花と樹の事典)。本文は梅に統一して書きます。

さて、路の右は、元気印が家庭菜園をしている40坪の畑。
緑色の小山のように観えるのはゴーヤで、収穫時期を過ぎて刈り取る積りだった茄子は、ゴーヤの手前にそのまま残っています。

チャッピーとの散歩にこの路を通っているので、22日の早朝散歩時、この光景に出会ったのです。夕方の散歩時には、折れた幹は切断されて根元だけを残す無残な姿になっていました。

それまでは、この周辺に1本しかないこの老梅の紅赤の花が開花すると、春の訪れを感じていたのです。
地中深く根を張って、自重を支える大事な幹の根元部分を半分も欠損していても、時期になると可憐な紅花を咲かせていたのに。この老梅の開花は、桜の季節が間近に迫って来る予告であり、毎年胸が躍るのでしたが、来年からは、その楽しみもなくなりました。

この梅木を植えている方は、鉄骨の小屋を自作する職人さん。
畑作業をしている時に世間話をするくらいですが、畑作業で顔を合わせる機会が少なくて・・・。
今度、お逢いした時に、大事に育てていた老梅木のことを伺ってみたい。おそらく、余計なお世話になるでしょうが。

「元気印さんにとっては、冬を忘れさせてくれる梅でしたね。季節の移り変わりを予感して、心浮き浮きする紅梅だった。どのように処分されたのかを知っておくことは、余計なお世話ではない。違いますか?」

ボケ封じ観音さまは、元気印の心中を察してくれた様子。

 「そうそう、紅梅を詠んだ小林一茶の句があります。

  紅梅に ほしておくなり あらひ猫

  チャッピーはシーズ犬でしょう。あらひ猫をチャッピーに置き換えて、浮目を偲ぶ手立てにしては・・・。心が和みます、元気印さん」

老いた梅木の幹は無くなっても根元だけは残っている。
散歩するチャッピーは、この老梅の根元に自己主張を示す「臭いつけ」をするし、今日の散歩でもそれを忘れてはいなかった。
また、散歩路脇に茂る雑草のなかに踏み込むチャッピーの脚、胸や腹には、葉の上に溜まっている朝露で濡れてしまう。散歩から帰っても毎日洗っているんですよ。

  赤日(せきじつ)に 干して置くなり あらい犬

ボケ封じ観音さまの提言は、丸ごと拝借することにしょう。

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ノシメトンボ:もたもた台風を尻目に、一休み

2011-09-22 23:54:57 | いろいろ
猛暑に襲われた今夏は、6歳になるシーズ犬・チャッピーとの散歩時間を早朝に変更して熱中症防止対策にしています。
盛夏のころ、早朝5時には散歩に行こう、と誘いに来るので、その習慣が地に着き、日の出が5時20分になっても、そのペースを崩してはいないのです。

さて、15号台風の中心が関東近辺を通過した9月21日夕方は、総武線が運休になり帰宅困難者が出るほどの豪雨を残しても北上したので、22日早朝は快晴に恵まれました。

今朝のチャッピーとの散歩で、拙宅の近くにある家庭菜園畑に放ったままにしておいた、茄などの支えに使う支柱に羽根を休めているノシメトンボのメスがいたのです。早速、散歩から帰宅した後、畑に戻ってシャッターを切った次第(写真)。

畑からほど遠くない処にある小さい池で羽化し、畑隣のこじんまりとした林で摂食しながら成虫になったのでしょう。
今年は、姿を現す時期が例年より遅く、その数も少ないように感じながら支柱の先端に止まっているノシメトンボを横目に眺めてはいたのですが、台風一過の翌朝に出会ったノシメトンボ。何時もとは少し違う生命感に溢れているのです。

ちなみに、未熟なノシメトンボは雌雄ともに黄褐色で、成熟するとオスの腹部背面色が暗赤色に変わり、メスのそれは赤色が濃くなるようです。この違いが判ったので、写真のノシメトンボがメスであると識別できました。
これまで、矢車トンボと覚え、アキアカネと誤認していた元気印に、私はノシメトンボですよ、と、自己紹介をした根拠は、翅(はね)の先端にある褐色斑でした。また、ノシメトンボは人に対して警戒心が薄いとされ、元気印は彼女の尻尾を簡単に掴まえましたよ。それも束の間、直ぐ空に向け放しましたが。

いずれにしても、水辺で縄張りを形成しているオスに出会うと、子孫を残す行動に移行するでしょう。
池畔の草原などの上に、連結打空産卵を済ませます。それから先には、短い生涯を閉じる運命が待ち構えています。

何はともあれ、9月13日に発生したアジア名「Roke(ロウキー)」、我らが台風15号は、日本列島を縦断する進路を北上して、北海道の東方近辺を通過してから、熱帯低気圧になり消滅しました。
その間、広範囲に亘って、1時間当り雨量が50ミリ以上にも及んだ豪雨水害と最大瞬間風速50メートルを計測した強風被害を日本各地に残し、かつ、諸種交通手段に悪影響を与え、交通渋滞を惹起(じゃっき)し、千葉市内においてもゲリラ豪雨を見舞い、帰宅困難者が出たほどです。
また、元気印が借用している畑の脇に沿った道路の対面に植えてある老木梅を強風で煽って、倒木梅にしたのですよ。

台風の影響を受けて四苦八苦している人達の混乱をよそに、早朝の陽光を浴びて日向ぼっこをしているように映る、のんびり容姿のノシメトンボは、あの豪雨と強風から避難する知恵、つまり、どのような方策で、か弱い身の安全を守ったのでしょうか・・。

何事も、考え過ぎは眠られない夜を招きます。即刻、思考停止釦の作動開始です。
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トルコ10日間のたび その7-2:野外劇場で「サンタ ルチア」の響きに酔う

2011-09-18 23:36:53 | 散策
その昔から、楊貴妃と共に「絶世の美女」と称賛されているクレオパトラは、紀元前356年7月21日に放火・破壊され、紀元前323年に再建されたエフェソスのアルテミス神殿に聖域逃避(せいいき・とうひ)していた妹・アルシノエ4世を殺害するように、と、アルカデイアーネ大通りを連れ添って歩くアントニウスに囁くのです。アルテミス神殿がアルテミス崇拝の要として機能していたであろう紀元前44年3月頃のようです。

その一方、古代、中世、現代における「世界にある七つの景観(七不思議)」を列挙したものによると、アルテミス神殿は古代のそれに挙げられています。この神殿に逃げ込んだ何人(なんぴと)もアルテミスの保護下にあると看做(みな)される「駆け込み神殿」、つまり、聖域逃避場所であった。

姉のクレオパトラ7世にナイルの戦いで敗れたアルシノエ4世は捕虜になり、ローマ市中を引き回しにされますが、彼女の刑死を止めさせたカエサルは、愛人の妹をアルテミス神殿へ聖域退避させます。彼は、クレオパトラ7世の脅威が義妹に及ばないよう熟慮したのでしょう。

しかし、それも束の間のことでした。
カエサルの暗殺を機にアントニウスが実権を握ると、プトレマイオス朝最後のファラオ(古代エジプト君主の称号)となったクレオパトラ7世は、16歳前後の妹を抹殺してしまう権力の亡者に豹変したのです。

さて、これ以降は、元気印だけの創造話です。
野外劇場の正面から港に向かって伸びているアルカデイアーネ大通りの両側に建ち並ぶ列柱に灯が入り、その奥に軒を連ねる商人の店々は接客に追われ、エフェソスで生活している老若男女はもとより、野外劇場の催物見学者たち、アルテミス神殿の参拝に訪れた信者や旅人などで街並みは賑わっている。

そんな雰囲気を隠れ蓑にして、クレオパトラはアントニウスに妹を殺害するように懇願した。
ファラオと呼ばれる権力者の心理と行動については、洋の東西を問わず、歴史学者が異口同音に考証していますから、ここでは触れません。 
なにはともあれ、ピオンの丘の斜面に築かれた野外劇場は、2万4千人も収容する大劇場です。
前回書いた、市役所の並びにある小劇場・オディオンは、約1,500人収容の音楽堂ですし、最大1万4千人収容が最大とされたギリシャ劇場と比べても、ここの大きさは半端ではない。

また、ガイドブックには、野外劇場で繰り広げられる剣闘士のレリーフの写真が掲載されていますから、多機能劇場として建設された可能性も否定できません。

そこの半円形舞台に集まっているツア-参加者は、拍手を打ち、耳を澄まして劇場の音響を確かめています(写真)。

その響きのよさに、全員が驚きます。

「音の良さを体感してみませんか?」

 ♪♪
 月は高く 海に照り
 風も絶え 波もなし
 月は高く 海に照り
 風も絶え 波もなし

アドナン氏の誘いに当機立断(とうき・りつだん)したその参加者は、日本のどこかのコーラスグループで活動しているシニア男性でした。
 
 ♪♪
 来よや友よ 船は待てり
 サンタ ルチア
 サンタ ルチア

 来よや友よ 船は待てり
 サンタ ルチア
 サンタ ルチア
 
万雷の拍手鳴り止まず、です。
日ごろから鍛えている喉が奏でる美声に、思わず聴き惚れた数分間でした。
剣闘士の戦いなどを催した多機能野外劇場の舞台空間に、ある程度の音響設計がなされているとは予測していましたが、快い音場(おんじょう)の響きを実感した時の心境は、まさに、びっくり仰天。
巧みに計算された多機能を併せ持つ野外劇場の音場に酔い痴れたひと時でもあった。サンタ・ルチア氏の心意気に乾杯したくなったのですが、その場の雰囲気をぶち壊しそうなので、自重した次第。

多機能野外劇場であっても、その設計・施工に求められることは、2万4千席の最上段客席にまで声が届くことです。
ガイドブックなどに、ここの観客席は66段あると紹介されています。最上段の客席で「サンタ ルチア」を聴いてみたかった。後悔と槍持ちは、先に立たないんですね。

ちなみに、音波の存在する空間とされる音場には、自由音場と閉鎖音場のふたつがあって、屋根・外壁のない野外劇場は前者に属するようです。また、現代においても、音環境づくりを専業とする建築音響コンサルタントが活躍しています。
建築と建築設備、電気音響・映像・舞台設備などとの相関関係を試行錯誤の末、バランスの取れた音環境づくり、つまり「音場」を提案し具体化しています。

新しく計画されているコンサートホールなどの音場目標を、「静けさ」「よい音」「よい響き」の三要素に据えて、それらをいかにして調和させるかの建築空間づくりに挑戦しています。
音響が優れていると称される空間をもつコンサートホールなどには、コンサルタントの弛まぬ努力が隠されているのです。

『劇場造りに係わってきた元気印さんにとっても、得難い体験でしたね。劇場の音響効果は、劇場空間の形状、天井や壁の材料、 椅子を設ける床の傾斜角度などを組み合わせて、該当する劇場の音響効果を専門のソフトで選択・決定していますね。ローマ時 代に建造されたこの劇場の音響設計は、どんな方策だったのでしょう?』。

この、ボケ封じ観音さまの問に答える材料は手元にありませんが、野外劇場造りの職人技に適う技術者は、どこかに居た筈です。

『ヒントはありますよ。ピタゴラスの定理で知られるピタゴラス、ソクラテスは結婚に悩んでいる人に向かい、「良妻を持てば幸 福になれるが、悪妻を持てば哲学者になれる」と言い放ち、アカメディア学園をアテナ郊外に創設したプラトンがソクラテスの 弟子の当ることはご存知でしょう。そのアルカメディアは今日の大学の先駆をなすものと評価されています。彼らより時代は下 って、ユークリッド幾何学の祖とされ、西方社会の歴史において「聖書」に次いで多くの版を重ね研究されてきた「原本」(ユ ークリッド原論)の著者ユークリッド、それにアルキメデスなどは、学校の教材で学んだお馴染の名前でしょう。

 ギリシャ科学の発展に寄与・貢献した彼らの思想や理論は、エフェソスの多機能野外劇場が造られる時代に与えた影響は大きい 筈です。この野外劇場の音場は、幾何学的手法で計算し、そのイメージを平面・断面図に引き、既に建設した野外劇場から得た 経験則を積み重ねた賜物なのです』。

 ♪♪
 ほのかなる 潮の香(か)に
 流るるは 笛の音(ね)か
 ほのかなる 潮の香に 
 流るるは 笛の音か
 晴れし空に 月は冴えぬ

 サンタ ルチア
 サンタ ルチア
 晴れし空に 月は冴えぬ
 サンタ ルチア
 サンタ ルチア

ローマ時代、剣闘士同士や剣闘士とライオンの戦いを催していたこの野外劇場の観客席は、2mほどの垂直な壁の上から造って、危険防止策を施している。さらに、イエスの死に殉教しなかった使徒ヨハネが、イエスの母マリアを連れて移住した聖ヨハネ教会はエフェソスにあり、トルコ中南部にあるメルスイン県タルススに生まれ、新約聖書を表したひとりであるパウロは、キリスト教が禁止されていた時代にあっても、この野外劇場に人を集めて説教を強行し、ローマ軍に捕らえられ7年間、牢獄生活を強いられていることも、このブログを書く資料集めで知りました。

聖人として尊敬されているパウロの説教は、素晴しい響きをもたらすこの劇場に集まった聴衆を酔わせた筈です。キリスト教大発展の源となる基礎を築いたパウロの矜持がひしひしと感じられる説教であったことでしょう。半円形の舞台上に設けられた演壇から2万4千人の聴衆に向かって熱弁を奮(ふる)うパウロの勇姿を想像しつつ、この稿を終えます。
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