いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

元日本兵と靖国神社

2005-05-29 16:27:42 | Weblog
国から戦死者と認定され、戦死者の霊として靖国神社に祀られている元軍人
が、赴任地のミンダナオ島(フイリピン)で、戦争が終結してから60年もの長
い期間、激戦地跡に生存している。

「還暦を5年前に迎えた元気印は、ひとつの人生に区切りをつけさせれられ
 たんですよネ。現役は60歳で終わりです。こんな社会常識によって」

ボケ封じ観音さまのご機嫌は、斜めらしい。

「60年間も」と一口で言うのは容易いが、これは古くから物事に区切りをつけ
る期間になっているようだ。
代表選手が還暦。家族全員がそれを祝福する習慣は守られ、継承されている。

地元に残っている出羽巡礼講の版碑(ばんぴ:講に行った場所、日時、参加
者名、人数、奉納した品目などを刻んで神社の境内に立てる長方形の石碑)
でも、60年を周期にして講を実行していた様子が解る。江戸時代の年代を
刻んだ板碑を調べていた時に発見した、地元の人の生活習慣だったし、現在
は、毎年出羽三山へ講に行っている。

昭和47(1972)年1月にグアム島で横井庄一伍長が、ジャングルを彷徨っ
ているところを現地の猟師に発見され「恥ずかしながら、帰ってまいりました」
横井伍長は2度招集され、兵役に就いている。グアム島は昭和16年に26
歳で、4年間の兵役を終え洋服店を立ち上げてから2年後に再度召集を受けて
いる。帰国第一声の「横井庄一 恥ずかしながら」には軍人としての任務を
全う出来ずに帰国する自分に対する羞恥心と、国民に向けたお詫が隠されて
いると感じた。
日本の土を踏んだのは57歳、平和ボケ病を患っている元気印には想像でき
ない、31年間の熱帯ジャングルでの生活を愚痴ることはしなかった。

同じ年3月に、小野田寛朗陸軍少尉がルパング島(フイリピン)で遭遇した
冒険家の尽力で、再び祖国の土を踏んでいる。
日本がポツダム宣言を受諾する8ヶ月前、昭和19(1944)年12月に
ルパング島へ赴任している。現地に残留して諜報活動にあたる「残留諜者」
遊撃隊を編成して戦う「遊撃指揮」の任務を与えられていた。

終戦後も島に残った軍人は4人おり、階級が一等兵の兵士は5年後の昭和
24(1949)年に投降する。これが契機になって小野田少尉達の生存が知
れ渡った。
それから新聞記者や少尉の兄が捜索をしたが、彼の強い警戒心に阻まれ成
功しないまま捜索が打ち切られている。

昭和29(1954)年に現地軍と武力衝突があり伍長が戦死したので、日本
政府は、その戦闘で全員が戦死と推測したことも、判断材料になった。
しかし18年後の昭和47(1972)年に起こった住民との戦闘で上等兵が
戦死して、少尉の生存を再び確認する証になった。

ここに残留し諜報活動を遂行する命令を受けているので勝手に帰国する訳
にはいかない。小野田少尉に遭遇し帰国を説得した冒険家は、彼からそう
打ち明けられ、再会の日と場所を決め、約束して帰国したと言う。
小野田少尉が50歳になる数ヶ月前で、赴任してから28年経っていた。

上官の命令は、軍人にとって絶対的なもの。
映画やドラマの世界に限ったことではない。指揮官にいたっては厳命だ。
だから冒険家は、小野田少尉の気持ちを斟酌し、元上官にあたる少佐に連絡
した。それを受けた少佐はルパング島へ急遽赴き、約束通り再会した小野田
少尉に残留命令解除を伝達すると共に、それまでの任務遂行の労をねぎらっ
た、と伝え聞く。

横井伍長、小野田少尉が除隊して帰国してから既に34年の時間が流れている。
二人の元軍人に共通するのは、自分に与えられそれを承諾した任務を最後ま
で遂行しようとする使命感にある。

「恥ずかしながら」「上官の命令解除がなければ現地を離れるわけにはいかな
 い」当然の気持だろう。軍人だからどうの、こうのいう世界ではないと思う。

戦後60年目にあたる酉年に、激戦地跡に元日本軍人が生存していた。
マスコミの報道からは、小野田少尉を帰国させる際に配慮した気配りは感じら
れない。元上官とされる人達は、テレビインタビューで、これまでの辛酸な苦労
を慮ってはいるけれど、暢気に構えて苦労話に花を咲かせている。
皆さん、年齢が80歳を超えているので、欲張った期待なのかも知れない。

率先して現地=激戦地跡に飛び、任務命令を下した部下を説得して筋を通す
のが、元上官として残された唯一の使命だと思っている。
ゲリラ軍と行動を共にしているらしいと報道されているだけに、元軍人として
の経歴にものを言わせて貰いたいと痛感している。
横井伍長、小野田少尉が祖国の土を踏んでから流れた34年は、重たい。

生存が確認された元軍人は、戦死者として靖国神社に霊が祀られている。
小野田少尉は、帰国後日本政府から打診された、たっての慰労金支給申し出
を固辞し、当時(32年前)の100万円を、靖国神社に寄付して戦友の霊を
弔っている。
昭和天皇や田中首相との会見も断り、遊撃戦で戦死した部下、終戦後の戦闘
で亡くなった部下の墓参を最優先させて、指揮官としての礼節を貫いている。

小泉首相の靖国参拝が、マスコミを賑やかにしているが、報道の基本姿勢は
自分達の歴史認識を提示しないで、彼の国はこう言っている、友好関係にひ
びが入るから困ると関係者に問題を提起して、お伺いをたてた結果を報道す
ることではないだろう。
小野田少尉の礼節ある行動が靖国参拝の理念だと思うが、如何なものか?

出羽詣講板碑の近くにある小さな竹やぶに親子竹を見つけた(写真)
今年の若竹は、黄色味を帯びた青色の幹を覆っている皮が剥げかけている。
幹に生育する前に成長が止まってしまい、筍状態のままのものが結構あり、
生存競争が激しい!新鮮な発見だった。
真ん中の薄緑色をしたのが昨年の竹、左にあるお邪魔虫みたいなのがシニア竹。
勝手に命名した。

「素敵な命名です。丈夫な幹に生育して、若々しい青色の竹になるのが
 待ち遠しい。お邪魔虫竹も同じ気持ちでしょう」

観音さまのご機嫌が直ったようなので、一服にしよう。

  
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ピアノマンと個人情報の保護

2005-05-26 12:31:17 | Weblog
記憶喪失したピアノマンの報道が、沈静化している。
熱心に彼を追いかけているのは日本の放送関係者だけ、と苦笑いする
テレビ・レポーターからは、個人情報に対する報道機関の認識の差を
窺い知ることができるのではなかろうか?

彼が保護・収容されている町ジリンガムを、世界大地図で探してみた。
ロンドンから50Kmほど南東に、ドーヴア方面へ下った所にあった。
そこから更に30Kmほど下るとカンタベリーがあり、次男坊夫婦が暮
らしている。ピアノマンを現地ではどのように扱っているか、メディア
の反応を聴いてみた。

「パンツ姿の暴君」のタイトルで、サダム・フセインのパンツ姿を写真
入で掲載した『ザ・サン』(イギリスのタブロイド版大衆紙)がピアノ
マンをスクープした(と推測している)。彼はこの時から「時の人」に
昇進し、一躍有名人となった。

彼の第1報を報じた日本のメディアは、『ザ・サン』を情報源としてい
ると枕詞をつけていた。
カンタベリーの次男は当然知っていたが、日本でも彼のことを報道して
いる事も知らせてきた。イギリスのメディアが、彼のことを報道してい
る日本のTV映像を放映したから・・・。

事件が起こると自局のアナウンサーを現場に派遣してライブ中継する手
法は、世界共通の常套手段になっているようだ。
ピアノマンが保護・収容されている Medway Maritime Hospitalを背景
にして女性アナウンサーがライブ中継した、日本の放送局もあった。

世界の放送局のニュースをBSで放映しているので、海外でライブ中継す
る際の報道姿勢=放送局の立場などを日本のそれと比較できる。
特に、ニュース・ソースが海外局のニュースにある場合は、それを取り上
げた日本の放送局の問題意識などを色濃く反映しているので、色の染め方
が読めるようになると、その局の報道方針が判断できて、楽しくなる。

海外の放送局は、その局やアナウンサーの見解を加えた報告=報道をする
傾向が強いが、日本の局は公共性=客観性の壁を前面に構えているので、
報告の中身に厚みがないように感じる。独自取材する情報源の有無、情報
収集と分析・評価能力の優劣に関係しているのかも。そんな思いがする。

ピアノマンが誰かを特定する、身元をいち早く特定するための個人情報は、
彼を保護・収容している病院が一般公開した。

彼の写真、保護・収容された時の身体状況、記憶はないがピアノに向かうと
落ち着きを取り戻し、長時間弾き続ける、弾いた曲目など、彼を知っている
人達の判断情報として、最小限の個人情報を公開した。イギリス国内向けピ
アノマン専用、海外の行方不明者用、公共施設の行方不明者用の3種類の電
話番号を公表し情報提供を呼び掛けている。

それまでに病院は、彼が誰であるかを特定するために情報収集していたはず。
オーストラリア、カナダ、スエーデン、ポーランド、イタリアそしてフランスから
問い合わせがあったが、身元確認までに至っていない。
そんな病院の動向を嗅ぎつけた『ザ・サン』の記者がスクープした。

ピアノマンがケント州シネアスというイギリス南東部にある小さな沿岸町で
ずぶ濡れになってさ迷っているところを発見され、保護・収容されてから1
ヶ月も経ってから、スクープされている。

病院は、スクープされたことを身元を確認する絶好のチャンスと捕らえ応対した。
それまで病院に寄せられた問い合わせ件数を整理して、身元確認の現況とし
て一気に情報公開して、マスメディアを通じて国内、海外に向けて協力要請をした。

「少なくとも、イギリス国内では300名以上の行方不明者の名簿を当り、
 海外からの行方不明者の問い合わせが520名以上、メールによる問い合
 わせも100名以上あったが、ピアノマンに該当する者はいなかった」

 情報提供専用電話が3本在ることも、この時に公開している。

この辺から、ピアノマン報道が日本で始まり現在に至っているようで、病
院からの問い合わせは無かったと思う。
ピアノマンの写真から、日本人との繋がりは想像できないし・・・。

 ※病院から問い合わせがありましたら、関係する皆様には、大変なご迷惑を
  お掛けいたしていること、ご容赦賜りたくお願い申し上げます。

ピアノマンが誰であるかの情報収集を熱心に繰り広げているのは、日本だけ。
テレビ・レポーターの苦笑いが語っているもの。
個人情報の収集と公開に係わっている。

イギリスのマスメディアは、病院がピアノマンの身元を確認する情報提供要請
を支援する目的意識で取材・報道しているから、それ以降は結果を待つだけ。
日本は、どうか?

ピアノマンの身元が確認されても、あの手で根を掘り下げ、この手で葉を調べ
上げ、それを報道するから、彼は、素っ裸にされて世間に曝されてしまう。

イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」に拘束された日本人の報道にその
ことがよ~く表れている。

拘束された日本人を雇用している警備会社がイギリスにあり、そこで一般人が
出来ない役務に就いていたが、現在は安否不明の状態にある。
これだけの報道で充分だろう。

視聴者が知りたいのは、何処に拘束されているのか、安否はどうなっているの
かであって、当事者の生い立ちや経歴などではない。視聴者の知りたいことを
情報収集して公表するのは、マスメディアの大事な機能だ。

知人、旧友などを探し当てインタビューをとり、個人特有の情報を無分別に放映
するのは、過剰報道に過ぎない。
日本の放送局がピアノマンを飽きずに追いかけるのは、当事者にとって迷惑千
万にしかならない過剰報道の悪慣習、非常識荷物を背負っているからだ。

前夜の雨の名残を紫色の花弁に見つけた。早朝の散歩で道端に咲いている
あやめの水球が綺麗だった。

「カンタベリーからのメール、外から日本を見詰めるよい機会になりましたネ」
ボケ封じ観音さまも、元気印と同感なのだろう。
 
  
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制限速度と快適運転

2005-05-13 01:45:40 | Weblog
街中を走行する自動車の制限速度は40Km/h、街の周辺で60Km/h。
高速自動車道では、100~120Km/h。高速から一般道に入り直線道路が
続くと時速100Kmで運転してしまう。それまでのスピード感覚が身体に残って
いるので、高速運転している自覚はない。

「そんなにスピード出さないで。40Kmも出し過ぎている」
 隣のナビゲーターに注意されて、気がつくことがある。そんな時は、考え事を
 しているので運転に集中していない場合が多い。

車の流れに乗って運転するのは、安全面からも妥当と考えている。日頃の運
転はそうしている。その方が気分的に快適だし、精神的に落ち着いた運転が
できる。
その速度が制限速度を超えていても、流れを乱す方が”事故る”確立は高い。

「のろのろ運転しないで、もう少し早く走ってぇ~。あんたの車の前はがら空き
 なんだから」

渋滞だと諦めもつく。がら空き道で追い越し禁止車線だと、イライラは爆発する。
ドライバーなら、こんなイライラを、誰もが一度は体験しているだろう。
バックミラーで後ろを見ると何台も「ノロノロ」(失礼。制限速度だからノロ
ノロではありません?!)金魚のウンコみたいに繋がっていると、尚更だ。
堪えきれずに追い越してパトカーに捕まり、切符を切られた苦い経験もある。

「迷惑をかけているのは、あの車ではないか」と担当官に噛み付いても「ここは
 追い越し禁止です。異議があれば、交通裁判でやってください」

こんなやり取りをしているうちに、金魚のウンコは道路からきれいさっぱり流れ
ちゃって、地平線まで見える。

「13時に面談の約束が・・・。5分も無駄な時間を食ってしまった」
「そんな時こそ、急がば回れです。後悔は、先に立ちません」
 ボケ封じ観音さまの、物怖じしない心境が羨ましい。

制限速度を遵守して車道を走るドライバーは、敬服に値する。
自分の後ろに車が繋がていることを確認して、道を譲る気持ちを忘れずに運
転しよう。ドライバー”みんな”が、爽快な気分で運転するし、事故もなくなる。


「9時22分、大阪行電車は尼崎駅を発車する。オーバーランで到着時間が90
秒も超過してしまった。急がなければ・・・」

遅れた時間を取り戻す約3kmの直線は、時速120Kmの速度制限区間。
車両トラブルなどがあって列車運行予定時間を超過すると、それを取り戻して
いた区間で、ダイヤは、そのことを見越して編成した(とTVインタビューで
告白する関係者もいた)。  

元気印も同感。快速列車の停車駅を増やしながら、それを反映させていない
ダイヤ編成が証拠で、過密ダイヤ運行とは、別次元の話になる。

事故発生直後のTVに出演した技術士の解説を思い出す。
「私の計算では、時速108Kmでは脱線しません。126Kmになります」
「108Kmも疑って掛かると言うことですか?」
TVキャスターが怪訝な顔つきで、技術士に問いかける番組があった。
その後の調査で、技術士の計算が正しかったことが、裏づけられている。

時速120Kmの制限速度を超過していた電車が、脱線事故を起こした。
90秒の遅れ原因は、伊丹駅でのオーバーラン。ほとんどのマスメディアはその
ように報道していたが、事実関係の判明状況変化に伴い、宝塚駅を出発した
時からトラブルが起きていた、とする報道に替わってきた。

元気印は、後者の方が信憑性が高い(と推測している)。
運転士は、事故当日までに福知山線を何回かは運転している。これに関する情
報は皆無だけれど、元気印はそう考えて問題提起している。

路線の予備知識を得ていた運転士が、制限速度オバー運転に追い込まれたのは何故?

通い慣れた道をドライブするとき、信号機のある交差点の込み具合、渋滞時の
逃げ道など先を読んでハンドルを握り、その時の車の流れから目的地までの道
順を選択する。
ところが、何時もと違うトラブルが愛車(?)に起こると、走行時の状況判断が鈍る。
先を急ぐことに注意力が集中してしまうと、安全確認が雑になる。
これは、運転者に共通する心理現象だろう。

T字路では、正面に設置されているミラーで左右の安全を確認しているのに、疎
かにして曲がってしまう。その鼻先をトラックが横切りヒヤ~っとするのは、
こんな精神状態のときで、最悪の場合事故ってしまう。

自家用車の運転と公共交通機関の運転では、その目的が180度も違う。
後者は乗客の安全確保が最優先で、運転士の不注意で事故が起きましたなん
ていう悠長な応対は、管理者には許されないが、運転者心理には、共通する
ものがある。
だから、事故防止に万全を期して鉄道路線に速度制限装置(ATS-P)を設
置して、機械的なサポートを運転士にしている。今度の事故区間にATSーP
は、設置されていなかった。

宝塚駅を出発した時点からトラブルがあった、と報道したマスメディアもあった。
事故発生直後の乗客とのTVインタビューで、ブレーキに関係した話題もあった。
遅れを取り戻そうとしていた電車に、予期せぬトラブルが発生していたのは確かだ。

車両に、運転士が制限速度で運行することが出来ないトラブルが生したとしたら。
電車の始動キーが入ってから起こっていたトラブルが蓄積され、90秒の遅れと
なって表れ、大事故に繋がったとする仮説も成立する。

発車オーライからトラブル続きでは、どんなに優秀な運転士でも精神的に不安
定な状況下で運転を強いられ、先を急ぐ。定刻到着の責任感が運行を後押し
するからだ。
それにしても、事故列車に乗務していた車掌、救助せずに現場放棄した2人の
運転士の証言が未だに未公開なのは、不可解な現象だ。
何事につけ”ああでもない、こうでもない”と詮索して無神経な過剰取材を繰り
広げるマスメディアが、そろって取材対象から除外しているのは何故だろう?
事故の被害者には、入院先まで押しかけて積極的に取材をしているのに・・・。

運転士が自分が果たす使命の達成感を享受するのは、お客さんを無事に送り
届けた瞬間ではないだろうか。
しかし、運転士が制限速度を遵守した運行を励行したくても、それを担保する機
能を不整備のまま放置していたJR西日本の経営実態が、マスメディアによって
暴露された。

JR福知山線の電車脱線事故原因調査は、事故調査委員会が慎重に進めている。
JR西日本の経営方針や事業体質まで調査視野に入れて、事故の背景や
それを引き起こした要因を総合的に解析して対策を講じ、乗客の安全輸
送を最優先する経営に思想革新を行い、事業体質の改革を実現する。
JR西日本は、多数の事故犠牲者に対して哀悼の意志を表すと共に、その成果を報告する。
当事者が取るべき礼節を重んじた最小限の態勢は、これしかないと思う。
信楽高原鉄道の正面衝突事故での犠牲者に対する態勢の前轍は、踏まないことだ。

「そうです。近所の原っぱに咲いていたアイスランド・ポピーも気苦労が重なって
花弁の先っちょが白くなり始めたでしょう。でもね、来年もきれいな花が咲くん
ですょ」

 観音さまの真意を、名無し羅漢が代弁する。
「彼女は、シベリアひなげしとも呼ばれている。ルーツは、シベリアみたいに
酷寒の北半球で、気性は忍耐強い。
そして、天性で持っている気高い精神の大切さを忘れないように努力している。
だから、肥料の乏しい荒地に打ち勝って、美しい花を咲かせられるんです」
   
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90秒の重み

2005-05-05 03:05:04 | Weblog
通勤する人にとって8分の時間短縮は、貴重な時間。乗り換えがある場合は、
ホーム、改札口などから、乗る電車の車両を決めている。
通勤時間を短くするためのノウハウを習得すると、無意識の内に自宅から出先
までの最短コースを選択し、それを利用する習慣になってしまう。

107名の死者、負傷者460名を出した、JR西日本福知山線脱線事故。
航空・鉄道事故調査委員会で、転覆脱線事故の原因調査が進められている。
マスメディアの報道も、事故発生当初に比べると冷静さを取り戻してきた。

常磐線三河島駅で列車の二重衝突があり、160名の死者、重軽症者325名
を出す列車事故が起こった。昭和37(1962)年5月3日のこと。

1三河島事故を契機に旧国鉄は、運転手が赤信号を見落とした場合そのことを
警告する安全対策の導入を始め改良を行ってきた。現在のATS-P型になっ
て事故防止対策は万全となった。

2列車を自動停止させるのがATS(オート・トレイン・ストップ)。
 型番が古い順に①ATS-S②ATS-SW③ATS-Pになる。
 JR東日本は③をほぼ全線に設置し、JR西日本は全路線の8%に設置され
ている。
 新幹線などに採用されている、最新型のATC(オート・トレイン・コントロール)がある。

尼崎駅は超過密ダイヤ編成がされているので事故原因のひとつになった、と
ある番組で指摘されたので、新宿駅と尼崎駅の8時台の列車運行数を時刻表
で比較してみた。
前者は東京駅行 後者は大阪行とする。

新宿駅              尼崎駅
 中央線快速    28本      東海道線快速 15本
    各駅    22本          各駅 17本
 山の手線(内廻り)24本      福知山線快速  7本
                       各駅  1本

超過密ダイヤで運行しているのは新宿駅の方で、尼崎駅の比ではない。
それでも、中央線快速は2分前後の余裕をみて運行しているし、ATS-P型を
設置し安全運行を確保して、2分間隔の運行サービスを乗客に提供している。
三河島駅での二重衝突事故の経験が、ここに生かされていると思う。

福知山線の安全対策は、どうなんだろうか。
今回の転覆脱線事故で、JR西日本の機械的な安全対策の実態が逐次報道された。

NHKスペシャル「脱線は何故起こったか」では、脱線した車両の運転席の上部
にある名板「ATS-S」を放映していた。これは、一番古い型番の列車停止装
置のはず。
ATS-S型を改良したのがATS-SW型だし、福知山路線上に設置した型番
との整合性など、素人判断は出来ないが、気になる映像だった。
番組では、S型とSW型の違いは触れずじまいで、ATS-P型の導入が予定さ
れていることに触れて、番組は進められた。内容から、SW型を想定していると
判断している。

運転手が赤信号を見落とした場合、信号のところで列車を急停止するのが
ATSで、青信号の場合は何の作動もしない。スピードオーバーでも、列車は信
号を通過してしまう。

「S型とSW型は、どう違うんですか?」
 観音さまは、突っ込みをいれてくる。
「現時点では、不明なんです。ごめんなさい」

SW型2個を組にして使用すると速度制限機能を持ちコストメリットが得られる
ので、私鉄では多用している。
福知山線はSW型を設置しているが、今度事故が起きた区間には設置してい
ないため6月末までにATS-P型を設置する予定であった。

つまり、電車が制限速度を超えて走行しても、運転手が速度計を見て制限速度
に減速しなければならない区間があった。
制限時速70Kmに減速する操作を、運転手に任せていた区間で脱線事故が
起こっている。
事故現場の前約3kmは直線で、制限時速120km区間になっている。遅れが
出た場合それを取り戻す最後の調整区間でもあった。
(JR西日本関係者のインタビュー談話)

ここで見落としてはならないのが、運転手に不測の事態が起きた場合、一時的
な意識不明に襲われたような場合、列車を停止させるバックアップが施されて
いないこと。
後部車両に乗っている車掌が、急ブレーキをかけて急停車させる方法しかない。

SW型2個を組にして2組設定すれば、事故は防止できた。
時速110Km、85Kmに速度設定したSW型速度制限装置を各1組線路内に
設置して置けば、制限時速70Kmに減速して走行できたので、事故は防止
できた。このことは、JR西日本の関係者は承知していた。
(サンデープロジエクト:ジャーナリスト内田誠 工学院大学教授 曽根悟)

列車の運転手は、事故を起こした当事者責任から免れることは出来ないが、
それ以上に安全対策を講じないまま列車運行を黙認していた事業者の責任
の方が計り知れなく大きい。

収益第一で事業展開した結果が、死者107名、負傷者460名の負傷者を出
す転覆脱線事故を誘引したともいえる。
安全運行サービスを顧客(利用者)に提供して事業の継続と発展を図る企業
が、収益拡大方針を最優先にした経営をしている。

こんな事が許される事業と考えて経営しているとすれば、経営陣は即刻退陣し
てもらわなければならないだろう。
今回の事故責任云々以前の問題で、通勤や用事で毎日電車を利用する顧客
にとって、迷惑千番な話だし、事故の犠牲者に詫びを入れて許される性質の
問題ではない。

宝塚駅から大阪駅までの運賃は、阪急電鉄より50円も高い。年間24,000円
違う。(50円×利用回数:通勤の場合20日/月×12ヶ月×2)
でも、大阪駅到着時間が、阪急電鉄より8分早いのは、魅力だ。

JR西日本は、ここにビジネスチャンスありとして、事業展開に成功した。
列車運行の安全保障を運転手に任せっぱなしにしないで、乗客の安全確保を
最優先する設備投資を惜しんだばっかりに、取り返しの出来ないしっぺ返し
を食ってしまった。

安全作りの基本は①機械的なバックアップ(ハード)②運転技量(ソフト)である
と鉄道車両メーカー勤務経験のある機械部門技術士は、提言していた。

ハードとソフトが車輪の両輪のようにバランスが取れていると、列車運行の安全
は担保されるのに、JR西日本の安全運行管理思想には前者を欠き、片輪走行
を強行していたが、バランスが保たれなくなり脱線転覆してしまった。
アンバランスな経営実態を、事故は象徴しているようだ。

旧国鉄時代の事故経験則が、安全管理思想に反映されていれば、顧客から得
ている信頼と優良企業評価を、裏切ることはなかった。

1両目は終点の同志社前駅で改札が近い、2両目は尼崎駅6番ホームから向
かいの東海道線大阪行き5番ホーム列車への乗り継ぎに便利なので、乗客が
多い。
後者は乗り継ぎに2分しかないので90秒の遅れが厳しく、運転手に”遅れを取
り戻さなければならない”という心理的なプレッシャーとして重くのしかかって
いた。殆どのTVキャスターは、このように解説している。
そうかも知れないが、機械的なバックアップがあることを前提にしての話だと思う。

利用者にとっても、乗り継ぎ時間を考えると90秒の遅れでも、気が焦る。
最短時間になるように通勤電車を選択していた現役時代を思い浮かべると、
よ~く解る。
だから、時間通りに運行しなければならない、とする運転手に90秒の遅れは精
神的な重圧を与え、それを解消するバックアップ体制があれば、正常な列車運
行に戻り犠牲者もでなかった。

「狭い日本、そんなに急いで、どこへ行くの?」

ボケ封じ観音さまは、ヒナゲシ(写真)を指差して、元気印を慰めてくれた。

      
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