美術館の前にL字状に広がる白鳥池は、ここからの展望が一番です。
首を長く伸ばして白鳥池の展望を堪能しているシナガチョウ(写真中央)は、目線がL字の縦軸に重なる位置にいます。目線の正面には、藤棚のある土手が構えています。
ガチョウ達が直進するとL字の縦線と横線との交点があり、そこから右手に延びている池は、桜並木のある土手に突き当たり、そこには研究所があります。
白鳥池には、オシドリ、マガモ、フランスガチョウ、シナガチョウ、コブハクチョウ、カワウがいると記した「白鳥池の野鳥たち」が、ガチョウ達の後にあります。その看板から、フランスガチョウとシナガチョウの説明を引用します。
『シナガチョウ:カモ科 Anser cygnoides f.domesticus
中国北部で、野生のサカツラガンをもとにつくられた飼い鳥。上くちばしの付け根に瘤のような隆起が見られ、体色は灰褐色か白色。警戒心が強く、見知らぬ人や動物を見ると鳴くので、番犬がわりに飼われることがある』
一般にガチョウと呼ばれているシナガチョウは、真中で首を伸ばしています。その奥に1羽座っています。
この家禽(かきん)ガチョウの原種サカツラガンは、冬鳥として日本各地に飛来、越冬していたのですが、昭和20(1945)年以降は、ヒシクイの群れに混じって稀に渡来するだけになり、絶滅危惧種に指定されています。
「サカツラガンの和名は、鵞(が)です。さかつらひしくい、の別名があります。
江戸時代の学者は、自著に鵞の記録を残しています。雄略(ゆうりゃく)天皇8(464)年秋9月頃には日本へ伝来していると、貝原益軒(かいばら・えきけん)は日本書紀から引用しています。
もとは中国から渡来したものだが、今では世間に多い、と記したのは小野蘭山(おの・らんざん)。形は雁に似ているが大きく、飛ぶことは出来ない、と自著で公表したのは享保から文化(1803年~1805年)にかけた時代です」
ボケ封じ観音さまの話を聞くことにします。
「シナガチョウは、唐雁(トウガン)と呼ばれ、羽根色が蒼の蒼鵞(そうがん)と白の白鵞(はくがん)が作られ、今、我が国で飼育されているのは、大抵白鵞である。夜盗が来るのを知って鳴くので家々でこれを飼育するのだと伝承していると、野必大(や・ひつだい)は本朝食鑑(ほんちょう・しょくかん)に記録を残しています。食鑑の刊行は元禄10(1697)年、徳川綱吉の時代ですね」
「見知らぬ人は夜盗を指していたんですか。動物を見ると鳴くので、防犯のため番犬がわりに飼うように。元禄時代から伝承されてきた生活の理恵か、フム、ふむ。なァ~るほど。でも、今は公園や動物園以外では飼われることはなくなりましたよ、観音さま」
「綱吉の時代と今とでは、社会や生活環境に雲泥の差があります。それで良いのです。
うさぎ小屋と揶揄されている日本の家で、シナガチョウは飼えませんしね。
番犬代わりに飼われていたことが後世に伝わるだけで、元禄の頃の生活環境や本草学(ほんぞうがく)との係わりが推察できるから面白い。そうでしょう。渡り鳥を家禽にするまでの改良記録は、今でも貴重な情報ですよ」
自然林散策路から美術館へ入る路に小さな門があります。
その少し先の方から、グァー、グァーと騒々しい鳴声が聞こえてきます。
シャッターチャンス到来と近寄っても、真中のガチョウだけが、警戒しています。
グァー、グァーと警戒の鳴声を発しても、カメラ目線の顔はサービス満点に見えます。
上嘴(くちばし)と額との間に隆起している瘤状の突起はオスの特徴で、サカツラガンから引き継いだ遺伝的なもののようです。サカツラガンのコブは、シナガチョウのように大きくはありませんが、コブの起源を見ることが出来ます(江戸鳥類大図鑑)。
『白鳥池畔で、Shall weダンス!?』(08年6月27日)で紹介したジョエル・シャピロのブロンズ像が展示されている場所の近くに、ガチョウ達の餌場があります。
そこから土手を登ると散策路があり、車椅子で散策している人を相手にしてグァー、グァー騒いでいたのも彼です。
彼の奥でじい~っとしている音無しがチョウの眼の上(ほとり)辺りから喉にかけて白色の筋が見えます。これが酒面(さかつら)に似ているので、ずばり、酒面雁(サカツラガン)。
今は、オレンジ色を帯びている側頭部の羽毛が、飲食して紅潮した状態の酒面に見えるから、酒面雁とする説が通り相場になっています。
『フランスガチョウ:カモ科 Anser anser f.domestica
フランスで、野生のハイイロガンをもとにつくられた飼い鳥。体色は灰褐色か白色。肝臓を肥大化させたフォアグラをとることで有名である』
ところで、関東雁(かんとうがん)を記録した「江戸鳥類大図鑑」があります。
この大図鑑の説明は省略しますが、徳川幕府の若年寄を務めた下野佐野藩主・堀田正敦(ほった・まさあつ)は、30数年間に亘って作成した観文禽譜(かんぶんきんぷ)を天保2(1831)年に完成させ、それが現存しています。
図鑑には734項目、1,242枚の図、438種類の鳥が収録されています。その中に関東雁があったのです。
ハイイロガンを調べるのに江戸鳥類大図鑑の目次を検索すると、図は関東雁なのです。
ヨーロッパのハイイロガンは、亜種キバシハイイロガンを家禽化したツールーズ種などのヨーロッパ系ガチョウの原種であるが、この原種と関東雁の図に描かれた数少ない類似性をもとにして、関東雁が論じられていたようで、和名が関東雁らしいとされる図は、ヨーロッパ・ハイイロガンをもとに作出された可能性があると推測している。今日、図のような雁は世界のどこにも知られていない(江戸鳥類大図鑑解説)。
迷鳥または稀な冬鳥として日本へ渡来するのは、アジアの亜種ハイイロガンで、その詳しい生態情報は少なく、昔から珍鳥とされ関東雁とされていたのかも知れない(日本鳥類大図鑑、江戸鳥類大図鑑)。
フランス南部産ガチョウのツールーズの肝臓を肥大化させてとったフォアグラ・ドワが有名なことは、ご存知の人が沢山いるでしょう。
フォアグラ・ドワの価格は、1kg当たり15,000円で、量り売りもしている店がネット検索できるくらいだから。
首を伸ばしている彼の手前で一休みしているフランスガチョウは、自分がフォアグラの代名詞になっている現実を知らないせいか、うつろな眼をしたまま動きません。朝の餌をついばんだ後の休憩時間なのでしょう。
鳥類の世界では、同種または異種の2羽以上がなんらかの関係を持って生活している状態を社会と定義しています。
白鳥池では、酒面のシナガチョウの仲間とフランスガチョウとの社会生活が営まれ、安住しているようです。それで、見知らぬカメラマンが近寄っても、うつろな眼をしたままなのでしょうか。
酒面2羽とフォアグラ1羽の写真からは、仲間割れを起こすような雰囲気は感じられません。
首を伸ばしている彼は、カメラマンと接触をするために鳴いたのかも知れない。
車椅子の散策者に向かって鳴いた時、彼はカメラマンの声を聞いていますし、対峙しているのです。
「警戒して鳴いている」
カメラマンは、車椅子を押している男性に話かけると、彼と対峙して写真を撮っています。
だから、彼はカメラマンにコンタクト・コールを送ったのでは・・・。
ガチョウ社会におけるコミユニケーションは、鳴き声で行います。
ハイイロガンは、鳴き声の高低や音節の数などを組み合わせて自分の意志を相手に伝達します。
ガアガア鳴き、ゴロゴロ鳴きなど、それは、卵から孵化するまでの親子の会話から始まり、ヒナと親、番い、家族、仲間、群れなどの様々な関係に至るまで徹底されており、ガチョウ社会の秩序を構築・維持する基礎となっています。様々な関係の中で相手に意志を伝える鳴き声はコンタクト・コールと定義されています。
ガチョウ社会の秩序に適応できない個体には、社会からはじき出される厳しい掟、種内淘汰が待っています。
さらに、人間は、他のどんな社会的な動物より、種内淘汰の有害な作用には、はるかに強くさらされている、と明言しているのは、K・ローレンツです(ハイイロガンの動物行動学)。
酒面で鳴き声をあげた彼は、ハイイロガンと同じマガン属ですから、カメラマンに向かってコンタクト・コールをしたのではないか・・・。
サカツラガンがシナガチョウに変身させられる過程で、本来持っている習性との違いが生ずるか否かなど、専門的なことは素人には判りません。
ところが、写真を観ていると彼のコンタクト・コールが聞こえてきます。
「今日は。あなたの姿が目に留まったので声をかけました。ここからの展望は最高ですよ」
首を長く伸ばして白鳥池の展望を堪能しているシナガチョウ(写真中央)は、目線がL字の縦軸に重なる位置にいます。目線の正面には、藤棚のある土手が構えています。
ガチョウ達が直進するとL字の縦線と横線との交点があり、そこから右手に延びている池は、桜並木のある土手に突き当たり、そこには研究所があります。
白鳥池には、オシドリ、マガモ、フランスガチョウ、シナガチョウ、コブハクチョウ、カワウがいると記した「白鳥池の野鳥たち」が、ガチョウ達の後にあります。その看板から、フランスガチョウとシナガチョウの説明を引用します。
『シナガチョウ:カモ科 Anser cygnoides f.domesticus
中国北部で、野生のサカツラガンをもとにつくられた飼い鳥。上くちばしの付け根に瘤のような隆起が見られ、体色は灰褐色か白色。警戒心が強く、見知らぬ人や動物を見ると鳴くので、番犬がわりに飼われることがある』
一般にガチョウと呼ばれているシナガチョウは、真中で首を伸ばしています。その奥に1羽座っています。
この家禽(かきん)ガチョウの原種サカツラガンは、冬鳥として日本各地に飛来、越冬していたのですが、昭和20(1945)年以降は、ヒシクイの群れに混じって稀に渡来するだけになり、絶滅危惧種に指定されています。
「サカツラガンの和名は、鵞(が)です。さかつらひしくい、の別名があります。
江戸時代の学者は、自著に鵞の記録を残しています。雄略(ゆうりゃく)天皇8(464)年秋9月頃には日本へ伝来していると、貝原益軒(かいばら・えきけん)は日本書紀から引用しています。
もとは中国から渡来したものだが、今では世間に多い、と記したのは小野蘭山(おの・らんざん)。形は雁に似ているが大きく、飛ぶことは出来ない、と自著で公表したのは享保から文化(1803年~1805年)にかけた時代です」
ボケ封じ観音さまの話を聞くことにします。
「シナガチョウは、唐雁(トウガン)と呼ばれ、羽根色が蒼の蒼鵞(そうがん)と白の白鵞(はくがん)が作られ、今、我が国で飼育されているのは、大抵白鵞である。夜盗が来るのを知って鳴くので家々でこれを飼育するのだと伝承していると、野必大(や・ひつだい)は本朝食鑑(ほんちょう・しょくかん)に記録を残しています。食鑑の刊行は元禄10(1697)年、徳川綱吉の時代ですね」
「見知らぬ人は夜盗を指していたんですか。動物を見ると鳴くので、防犯のため番犬がわりに飼うように。元禄時代から伝承されてきた生活の理恵か、フム、ふむ。なァ~るほど。でも、今は公園や動物園以外では飼われることはなくなりましたよ、観音さま」
「綱吉の時代と今とでは、社会や生活環境に雲泥の差があります。それで良いのです。
うさぎ小屋と揶揄されている日本の家で、シナガチョウは飼えませんしね。
番犬代わりに飼われていたことが後世に伝わるだけで、元禄の頃の生活環境や本草学(ほんぞうがく)との係わりが推察できるから面白い。そうでしょう。渡り鳥を家禽にするまでの改良記録は、今でも貴重な情報ですよ」
自然林散策路から美術館へ入る路に小さな門があります。
その少し先の方から、グァー、グァーと騒々しい鳴声が聞こえてきます。
シャッターチャンス到来と近寄っても、真中のガチョウだけが、警戒しています。
グァー、グァーと警戒の鳴声を発しても、カメラ目線の顔はサービス満点に見えます。
上嘴(くちばし)と額との間に隆起している瘤状の突起はオスの特徴で、サカツラガンから引き継いだ遺伝的なもののようです。サカツラガンのコブは、シナガチョウのように大きくはありませんが、コブの起源を見ることが出来ます(江戸鳥類大図鑑)。
『白鳥池畔で、Shall weダンス!?』(08年6月27日)で紹介したジョエル・シャピロのブロンズ像が展示されている場所の近くに、ガチョウ達の餌場があります。
そこから土手を登ると散策路があり、車椅子で散策している人を相手にしてグァー、グァー騒いでいたのも彼です。
彼の奥でじい~っとしている音無しがチョウの眼の上(ほとり)辺りから喉にかけて白色の筋が見えます。これが酒面(さかつら)に似ているので、ずばり、酒面雁(サカツラガン)。
今は、オレンジ色を帯びている側頭部の羽毛が、飲食して紅潮した状態の酒面に見えるから、酒面雁とする説が通り相場になっています。
『フランスガチョウ:カモ科 Anser anser f.domestica
フランスで、野生のハイイロガンをもとにつくられた飼い鳥。体色は灰褐色か白色。肝臓を肥大化させたフォアグラをとることで有名である』
ところで、関東雁(かんとうがん)を記録した「江戸鳥類大図鑑」があります。
この大図鑑の説明は省略しますが、徳川幕府の若年寄を務めた下野佐野藩主・堀田正敦(ほった・まさあつ)は、30数年間に亘って作成した観文禽譜(かんぶんきんぷ)を天保2(1831)年に完成させ、それが現存しています。
図鑑には734項目、1,242枚の図、438種類の鳥が収録されています。その中に関東雁があったのです。
ハイイロガンを調べるのに江戸鳥類大図鑑の目次を検索すると、図は関東雁なのです。
ヨーロッパのハイイロガンは、亜種キバシハイイロガンを家禽化したツールーズ種などのヨーロッパ系ガチョウの原種であるが、この原種と関東雁の図に描かれた数少ない類似性をもとにして、関東雁が論じられていたようで、和名が関東雁らしいとされる図は、ヨーロッパ・ハイイロガンをもとに作出された可能性があると推測している。今日、図のような雁は世界のどこにも知られていない(江戸鳥類大図鑑解説)。
迷鳥または稀な冬鳥として日本へ渡来するのは、アジアの亜種ハイイロガンで、その詳しい生態情報は少なく、昔から珍鳥とされ関東雁とされていたのかも知れない(日本鳥類大図鑑、江戸鳥類大図鑑)。
フランス南部産ガチョウのツールーズの肝臓を肥大化させてとったフォアグラ・ドワが有名なことは、ご存知の人が沢山いるでしょう。
フォアグラ・ドワの価格は、1kg当たり15,000円で、量り売りもしている店がネット検索できるくらいだから。
首を伸ばしている彼の手前で一休みしているフランスガチョウは、自分がフォアグラの代名詞になっている現実を知らないせいか、うつろな眼をしたまま動きません。朝の餌をついばんだ後の休憩時間なのでしょう。
鳥類の世界では、同種または異種の2羽以上がなんらかの関係を持って生活している状態を社会と定義しています。
白鳥池では、酒面のシナガチョウの仲間とフランスガチョウとの社会生活が営まれ、安住しているようです。それで、見知らぬカメラマンが近寄っても、うつろな眼をしたままなのでしょうか。
酒面2羽とフォアグラ1羽の写真からは、仲間割れを起こすような雰囲気は感じられません。
首を伸ばしている彼は、カメラマンと接触をするために鳴いたのかも知れない。
車椅子の散策者に向かって鳴いた時、彼はカメラマンの声を聞いていますし、対峙しているのです。
「警戒して鳴いている」
カメラマンは、車椅子を押している男性に話かけると、彼と対峙して写真を撮っています。
だから、彼はカメラマンにコンタクト・コールを送ったのでは・・・。
ガチョウ社会におけるコミユニケーションは、鳴き声で行います。
ハイイロガンは、鳴き声の高低や音節の数などを組み合わせて自分の意志を相手に伝達します。
ガアガア鳴き、ゴロゴロ鳴きなど、それは、卵から孵化するまでの親子の会話から始まり、ヒナと親、番い、家族、仲間、群れなどの様々な関係に至るまで徹底されており、ガチョウ社会の秩序を構築・維持する基礎となっています。様々な関係の中で相手に意志を伝える鳴き声はコンタクト・コールと定義されています。
ガチョウ社会の秩序に適応できない個体には、社会からはじき出される厳しい掟、種内淘汰が待っています。
さらに、人間は、他のどんな社会的な動物より、種内淘汰の有害な作用には、はるかに強くさらされている、と明言しているのは、K・ローレンツです(ハイイロガンの動物行動学)。
酒面で鳴き声をあげた彼は、ハイイロガンと同じマガン属ですから、カメラマンに向かってコンタクト・コールをしたのではないか・・・。
サカツラガンがシナガチョウに変身させられる過程で、本来持っている習性との違いが生ずるか否かなど、専門的なことは素人には判りません。
ところが、写真を観ていると彼のコンタクト・コールが聞こえてきます。
「今日は。あなたの姿が目に留まったので声をかけました。ここからの展望は最高ですよ」