goo blog サービス終了のお知らせ 

いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

代引き仕入れで、寅さんは旅から旅へ

2006-10-20 20:32:58 | Weblog
寅さんの稼業は、香具師(やし)といって江戸の昔からあったのは、誰もが知っている。
知恵を絞った口上で人を集めて、その人達に、品物に啖呵をつけて売ることを「啖呵売・
たんかばい」といっている。物を売ることは「売・ばい」と呼ぶことも承知して映画を楽し
んでいる。

寅さんの全財産(写真)が「寅さん記念館」に展示されており、トランクの下に指輪、花札、腕時計、サイコロがある。

郵便番号枠つきの封筒とハガキ、レトロな目覚まし時計などがあるが、携帯電話は持っていない。
携帯電話でさくらと話すより、公衆電話で10円玉が切れる前にさっさと用件だけ言って話が終わる方が印象に残る。
この情報を仕入れるのに、入館料500円を支払っている。言ってみれば代引き(だいびき)
だが、そのお陰で、寅さんの身軽な旅と、縁日で切る口上、啖呵売を聞く楽しみが倍増した。

寅さんの客は、神社の縁日に訪れ啖呵売に集まる人だ。
ところが、旅先で売る商売品を、寅さんは何処でどう仕入れているのだろうか?

万年筆はトランクに詰められる。かさ張る品物はそうはいかない。トランク一つだけの身軽な寅さんが、旅先で売する品物を何処でどう仕入れているのか、映画では一切語られていない。

「仕入れの時は、問屋に駅留めで注文する。指定した駅で代金を支払い、品物を引き取るんです」

その都度、寅さんは、旅先の駅で代引しているんだ。虎屋に帰宅した寅さんの財布に、何時も500円札数枚か、千円札が2、3枚しか入っていない。妹のさくらが心配して、兄の空の財布に生活費を差し入れする場面ばっかり。ナットク、納得。

「はいっ、ハイハイハイハイ、悲しからずや、ズボンのおなら、右と左の泣き別かれ。一つ買ってくれた人に一つがおまけです。こっちを買えばこっちがおまけ。 こっちを買えばこっちがおまけ、二本そっくりでこの値段ならほんとに安いんだけど、二は憎まれて損をする。芝居でやる憎まれ役が仁木(にっき)の弾正(だんじょう)。よし、二という数字がよくなければ、もう一本まけてやろう、二本買って一本おまけが当たり前、一本買って、あとの二本がおまけだ。さっきのおじさんみたいに、今日はちょっと懐の具合が悪いから、こっちの一本、お金の掛かるほうは明日にして、今日はこっちのやつだけ二本下さいったって、それはだめですよ」

化繊のズボンを仕入れて、純毛と啖呵をきり、売りさばく寅さん。今日の縁日は何処だろう・・・。

 <補足>
塩野米松が曾津家本家六代目・坂田春夫から聞き書きした『啖呵こそ、わが稼業』(新潮社)という本を参考にしました。香具師(やし)の世界が面白く、丁寧に紹介されています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢切の渡しの『わらじっこ』

2006-10-18 19:27:23 | Weblog
さあ、さあ、さあ、さあ、寄ってらっしゃい、観てらっしゃい。矢切名物『わらじ
っこ』だよ。

幹に白いペンキで「矢切の渡し」と書かれた木と江戸川端の間に、ふくよかな丸顔
をした好々爺の営む露天がある。

名刺よりふた周りほど小さな『わらじっこ』を、丸っこい指で器用に編んで売っている。
人懐っこい笑顔で矢切にまつわる話をしてくれた。 

草鞋を『わらじっこ』と名付けているところが憎めなくて、パシッ、パシ、パシッ、パシ、パシ、
6回もシャッターを押してしまった。
露天の開店日は定かではないので、運がよければ逢えるでしょう。

渡し舟に乗る前、舟から降りて柴又へ向かう時、思い出して下さい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝釈天の酒豪松

2006-10-17 12:18:54 | Weblog
帝釈天参道の突き当たりにある日蓮宗の寺。寅さんが産湯をつかった帝釈天だ。
二天門を潜ると見事な松が目に飛び込んでくる。

前のブログで瑞龍松(ずいりゅうまつ)のことを紹介しましたが、樹齢380年とは
思えない雄姿です(写真)。

清酒100本を長寿の源(みなもと)にして、3世紀を生き抜き、20年後には4世紀を
迎える。
                 
日榮上人から寺を引き継ぎ延々と守ってきた住職、柴又に住む人、参拝に訪れる
人たちによって、帝釈天の縁起になった瑞龍松の生命が支えられているのだろう。

瑞龍松の雄姿を見詰めていると、耳打ちされた。

 花の色は うつりにけりな 
 いたづらに
 我が身世にふる ながめせしまに

 つまらない物思いに耽っているうちに、人生の盛りは過ぎてしまいますよ。元気
 印のお父さん。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長寿の源泉は、100本の清酒

2006-10-15 22:17:19 | Weblog
帝釈天の始まりは、松の根方に湧き出る水を霊泉として、日榮上人が庵(いおり)
を作ったこと。

 さあ、さあ、
 寄ってらっしゃい、聴いてらっしゃい
 時間と懐に余裕がある方は。

根方に湧き水が出る松、『瑞龍松・ずいりゅうのまつ』は左右と前の3方に見事な
枝を張り出し、どの枝も自重で折れないように「支木」で保護されている、樹齢
380年の老木だ。(次のブログに写真掲載)

 結構毛だらけ、猫はいだらけ、
 見上げたもんだよ、屋根やの褌。
 ハエは手をする、足をする。
 家の父ちゃんゴマをする。

老松が若さを保っている秘訣は、根元の周りに幅1㍍×深さ0.5㍍位の溝を掘って、
逆さまの一升瓶を100本埋めて栄養補給をしているから。その時期は11月初め
か、2月とされており、今年の予定を問い合わせる。

「帝釈天の行事は沢山あます。それとの絡みがあり、開催日時は1週間前に調整す
 るので、今年の予定はこれから決めます」

清酒を松の栄養にすることや100升になった由縁、それが始められた時期なども訊
ねる。

「大正12(1923)年9月1日起こった関東大震災の時、記録された文書が焼失して
 しまい、分からないんです」

逆さまにして埋められた1升瓶から、毎日ジワッ、ジワリ、ジワッと土に滲みこむ
酒を栄養源にして、張りのある樹皮、陽光に映える緑色の針葉、元気溌剌の樹勢を
保っているのだろう。
 
 酒と笑いは百薬の長。
 あなた百まで、わたしゃ九十九まで。ともに命尽きるまで。
 柴又名物草団子、孫の土産で福を呼ぶ。
 爺さん家族にゴマをするってね。
 帝釈天の松、緑に耀き若々しいが、毎晩、手酌の晩酌だ。

100升の酒を1年かけて呑み干す。3合の晩酌を380年。休肝日なしに、138,700日晩
酌している勘定になる。清酒を100升、毎年、瑞龍松の根元に埋める帝釈天の行
事、寅さんと付き合い始めた因縁で知った。

「それを見逃すと、寅さんに合わせる顔がないでしょう」

ボケ封じ観音さまも、栄養補給の仕来たりに興味津々だ。
行けとの催促。元気印に気が抜けない日々が待っている。

 結構ではありませんか、四谷、赤坂、麹町。
 豊かに流れる江戸川の、水の恵みに薄められ、
 薬の頭(かしら)は、毎夜の晩酌でしょう。
 元気印のお父さん。

寅さんから再会の督促だ。
誰も知らない、晩酌のツマミ。
瑞龍の松老に聴きに行かねばなるまい、男はつらいよ、本当に。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんがつかった産湯

2006-10-14 15:06:05 | Weblog
帝釈天の二天門を潜ると、身の丈より長く延びて帝釈堂の前を横切っている、生気
にあふれた緑色をした松の枝が眼に入ってくる。大正4(1915)年に完成した帝釈
堂も脇役に見える。

二天門と帝釈堂に挟まれるようにして、浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)と御神水(ごしんすい)が左側に横並で配置されている。

帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎

寅さんが、産湯につかったのは、湧水だった。
映画では帝釈天境内のシーンが少ないので、浄行菩薩も御神水も見られないが、どちらも参拝者の人気スポットになっている。

湧き水を、ひしゃくで飲む参拝者が多い。ペットボトルに汲んで持ち帰った参拝者がいたが、「お水取り」に訪れたのだろうか。「御神水」を飲んで『運』が向くように祈願する様子にも、参拝者の嗜みが感じられる。試しに飲んでみる。生暖かく、温泉っぽい味がした。

信奉する易者に方位みてもらい、大吉の方位にある場所で「お水取り」を続けてい
る友人がいる。毎回、その場所が違うところになるのに、遠出も厭わず、数十年間
欠かさずに励行している。
環境の変化が激しくて湧き水の出るところが激減してしまい、場所探しに苦労している様子だった。

江戸寛永の昔、日榮(にちえい)上人が、松の根方に湧き出る水を霊泉として、庵(いおり)を結んだのが、当山の縁起である、と故事来歴が記されている。
柴又帝釈天は経栄山題径寺(きょうえいざん・だいきょうじ)の愛称であること
を、縁起で知った。

ちなみに、日本史年表を調べると、寛永時代は1624年から1643年までの20年間で、将軍が徳川秀忠から家光に替わった2年目が、寛永元年に当っている。

初代中村勘三郎が江戸中橋南地(現日本橋)に猿若座の櫓を上げたのが寛永元年2
月。昨年3月に勘三郎を襲名した五代目勘九朗は十八代目だから、中村家は、江戸歌舞伎を起こしてから480年以上の歴史を背負っている。

春日局が寛永20(1643)年10月に、65歳で没している。時の流れは、4年間で慶安
に改められた正保(しょうほう)に移って行く。正保2年12月に吉原が全焼している。こんな余禄が得られるのも、寅さんの草鞋に「左足タッチ」をしたご利益だ。
(寅さんの左足で紹介)

寅さんがつかった産湯の水は、500年以上を経ても「御神水」として崇められ、今
も、こんこんと湧き出てきて、善男善女に汲めども尽きない御利益を授けている。

運の強い人はより強運を呼び込む、不運を嘆く人は強運を掴む為、吉とされる方位
に行ってその場所の水を飲み、その願望を叶える「お水取り」。
松の根方に湧き出る水を霊泉と崇めて庵を作った日榮上人。
何十年も「お水取り」に精勤している社長さんの姿に、日榮上人の心情を忖度し
た。

ボケ封じ観音さまは浄土真宗なので、日蓮宗のことについては気乗りしないのだ。
座禅を組んで黙想している。
同じ宗派の元気印も座禅を組むと話が先に進まないので、帝釈天で入手した縁起や
日本史年表などをめくりながらブログを書く羽目になった。

『慈悲の泉は湧き出て止まず、身を清めて心のえりを正して念じ、そして唱えよ』

ガバッ、と黙想から醒めたボケ封じ観音さまは、これだけを言い残して、何処かへ飛んで行った。

今日は土曜日。BSで「男はつらいよ・寅次郎真実一路」の放映がある。

私 生まれも育ちも
葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎
人呼んで
フーテンの寅と発します

マドンナは、大原麗子。
矢切の渡し船に乗った寅さんは、どんな気持ちで江戸川を渡るのだろうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草鞋の紐の柴又慕情

2006-10-12 08:20:33 | Weblog
真っ青な青空に浮かぶ入道雲のカットで、虎屋のシーンに場面が変わる。寅さん映
画のパターンだ。
あだなが出目金の冬子、リリー、そして、寅さん本人からの手紙が、食卓の片隅
に、何気なく置かれている。

はなればなれに、散る雲に
訊(き)いて応(こた)えが 出るものか

さくらは、俺の気持ちを知っている

一つしかない 命なら
一つしかない ふるさとの

そう、ふるさとは柴又だよ、おいちゃん、おばちゃん

野暮な渡世人の 意地っ張りよ
知った道理の裏を旅する リリーと俺さ

せめて畳の せめて畳の
上で死ぬ

それが叶うのなら、草鞋の紐だって泣かないよ。
こんな手紙とおさらばする日が、きっと訪れる。
百里千里を歩いた後に、きっとだ、さくら。

寅さん気取りの台詞に余韻を残して、ボケ封じ観音さまは十八番を締める。

「旅鴉」を聴きながら、寅さんの草鞋と対話していたんだ。藤田まさとの詞に、
遠藤実が曲をつけた演歌を、五木節で口ずさむ。人間臭い観音さまになってきた。
近頃、カラオケ三昧との噂がある観音さまに、元気印も負けてはいられない。

野暮な野郎の 意地っ張り
今日も草鞋の 今日も草鞋の
紐が泣く

何時訪れても、柴又駅前の寅さんは、人気者だ。笑い声だけが響いている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

踏みつけれれた天邪鬼

2006-10-10 16:05:25 | Weblog
帝釈天の西方を守護している広目天に踏みつけられた天邪鬼(あまのじゃく)。
前のブログに掲載した写真では天邪鬼が小さくて見えません。
拡大した天邪鬼です。

帝釈天と二天門との関係や天邪鬼については、前のブログに書きました。
寅さん、柴又帝釈天に興味のある方は、時間の許す限り寄ってください。
寅さんが待っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二天門で泣く天邪鬼

2006-10-10 14:52:26 | Weblog
柴又帝釈天参道で商いをしているおばさんに、「映画の碑」の写真を見せ、所在を
尋ねる。

 私 生まれも育ちも
 葛飾柴又です
 帝釈天で産湯をつかい
 姓は車 名は寅次郎
 人呼んで
 フーテンの寅と発します

「洋次さんのですね。この参道を柴又駅の方へ戻り、一つ目の信号を渡
 るとゑびす家さんがあります。そこの前辺りです」
「有難う」
「参道の左側ですよ」

親切に教えてくれた。山田洋次監督は「洋次さん」と呼ばれ、地元で親しまれてい
た。

「柴又帝釈天の町並みを散策する会」(9月29日)での写真を整理していると、撮
り忘れた映画の碑、矢切の渡しで小さいぞうり造りをしていた丸顔のおじさんの写
真構図が中途半端な出来映えで、撮り直しをするかどうするか、思案
六方だった。

「いよう、元気印のお父さん、柴又へおいで。下手な考え、休むに似たり、と言う
 じゃあないか。待っているよ。」

寅さんが催促するので、3連休最終日の9日、出かけた。
御神水、瑞龍松、映画の碑などは狙い通りの写真を撮れたが、丸顔おじさんの露店
は休業で、船乗り場も閉鎖されている。

台風がもたらした大雨で、江戸川は普段より1メートル近く増水していた。矢切の
渡し舟は対岸の船乗場に係留されていた。渡し船を楽しもうと訪れた男性が、残念
そうにひきかえす。元気印も次の撮影ポイントへ向かう。堤の階段で先程の男性に
会う。

奥さん、おばあちゃん、彼は乳母車を押しながら、堤の斜路を上っていた。柴又は
家族で楽しみ憩う場所なのだろう。寅さんの誘いに乗ってよかった。

「映画の碑」がある場所を親切に教えてくれたおばさんの店は、柴又帝釈天の顔、
二天門の左門真ん前にある。その中には増長天(ぞうじょうてん)が、右門には広
目天(こうもくてん)が納められている。写真は広目天です。
この門は明治29年(1989)年に建立されている。二天は大阪府堺市にある同じ日蓮
宗の妙国寺から創建祝に寄贈された、平安時代に創られた木彫りの像と云われてい
る。

帝釈天を訪れる観光客で、この像に気がつく人は殆ど見当たらない。
「かつしか語り隊」の会の方に説明を受けて知ったし、門内は暗くて二天が置かれ
ていると思わない雰囲気だから、正面に見える帝釈堂へ向かって通り過ぎて行く。

「広目天さまと増長天さま、だけでしたか」
ボケ封じ観音さまだ。
「何かを、踏みつけていたようだけれど・・・。広目天の左足で頭を踏みつけられ
 た奴は、頭を右にしてドングリ眼で睨みつけていた」
「増長天さまの右足で頭を踏みつけられていたのは、どんな様子でしたか」
「左頭で、両眼を剥いて睨み返していた」
「でしょう。二天さまが納められている門の位置と、二天さまに踏みつけられた奴
 の頭の向きが同じ方向になっているんです」
「しかも、二天とも外側の足で奴の頭を踏みつけていた」

「人の心の内を探り意に逆らう、ひねくれた悪い神、天探女(あまのさぐめ)が日
 本神話にあります。『瓜子姫』という昔話にも登場します」

同じ世界のことだから、情報に精通している。ボケ封じの観音さま、だ
し。

「仁王や四天王に踏みつけられている小さな鬼も天探女。それが転化して天邪鬼。
 あまのじゃくになったんです。
 二天門の広目天と増長天に持国天(じこくてん)さま、毘沙門天(びしゃもんて
 ん)さまを加えると四天王になります。毘沙門天さんは多聞天(たもんてん)と
 も呼ばれていますよ」

仏教では、天邪鬼を人間の煩悩の象徴としているが、帝釈天二天門の中で広目天と
増長天に踏みつけられている奴の正体は、天邪鬼であった。

「まあ、それでいいでしょう。でもね、彼らの特技は、読心術、飛行、化けるこ
と。時には、人間の社会に潜り込んで悪しきことを企てて実行することもあります
 から、油断のならない存在なんですよ」

観音さまの眼がきらっと光る。

「瓜姫を立派に育て上げたおばあちゃんは、92歳の天寿を全うしたと伺っておりま
 す。本日のお彼岸法要に、かくも大勢の方々が集まり、故人の人柄が偲ばれま 
 す。
 木の上の姫の声や鳥の鳴き声のために、我輩の陰謀から救われ嫁入りした憎き
 娘。いや、そうではありません、可愛かった瓜姫も今では子持ちのお母さんにな
 りました。寅さんの妹、さくらさんと瓜二つではありませんか」

ボケ封じ観音さまの声色を真似た、二天門の天邪鬼が媚を売ってきた。
経栄山題経寺(きょうえいざん・だいきょうじ)のご本尊「大曼荼羅」を拝まずに
帰宅したから、天邪鬼が憑いたんだ。天邪鬼の拡大写真を次のブログ
に掲載します。

「丸顔おじさんの写真、何時撮りに来るんだい。元気印のお父さん」
寅さんの催促が聴こえる。その時に、憑き物退治だ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんの左足ご利益・後日談

2006-10-08 21:29:20 | Weblog
寅さんは、雨にも負けず、風にも負けず、火傷をする猛暑でも不動の銅像に変身し
て、柴又駅前に立っている。
銅像の左足に触れると小銭が貯まると、地元の人は信じているらしい。

寅さんの横顔を観ていると、威勢のいい啖呵売(たんかばい)の口上が聞こえてくる。

「そりやあ、結構だ。結構毛だらけ、猫ハイだらけ。よう、また逢いましたね。こ
 れで4回目。都都逸(どどいつ)の一節じゃないが、四谷、赤坂、麹町(よつや
 あかさか、こうじまち)。チャラチャラ流れる御茶ノ水だ。懐かしいね。元気印
 のお父さん」

柴又帝釈天の町並みを散策する会を9月29日に開催した。
寅さんの左足信仰の話を、その時小耳に挟み、ご利益を授かろうとスケベ根性を発
揮したが、帝釈堂の木彫り、邃渓園(すいけいえん)や山本亭主庭などの素晴らし
さに飲み込まれ、すっかり忘れてしまった。

「元気印のじいちゃん、電話」
10月2日午後4時半過ぎ、孫娘に呼ばれる。
「○△会社の佐藤(仮名)です。元気印さん、ですか?」
「はい、そうです」
「豊島区△×警察署から、盗難届けの出ていたカードが見つかった、と連絡があり
 ましたのでお知らせします。警察署へ電話して下さいませんでしょうか」

△×警察署の代表電話番号と内線番号、4桁の紛失物受理番号などを丁寧に説明し
た佐藤さんは、それを元気印に確認すると電話を切った。教えられた警察の対応時
間帯は、8時15分~17時15分。17時少し前だったので電話する。

「元気印と申しますが、○△会社から盗難カードが届けられていると連絡があり、
 電話しました」
「受理番号は何番ですか」

女性係官から受理番号を問いかけられる。カード会社から知らされた番号を伝え、
番号照合で本人確認が終わると、届人の氏名と電話番号を告げられた。

「それで、このカードの処理、如何しますか」
「自宅へ郵送してもらえますか」
「紛失者の住所、氏名など、届人へ知らせますが、宜しいですか」
「そこへ取りに行っても」
「そうです。どちらにしても、同じです」
「融通が利かないね、紛失係のお姉さん。おあねえさんの顔も、俺と同じように四
 角い。四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水臭い。水臭いなんて云われたんでは
 しょうがないでしょう。」

寅さんなら、こう詰問したに違いない。

「ハイ、ハイ、ハイ。寅さん。悲しからずや、ズボンのおなら、右と左に泣き別れ
 ではありません。水臭いなんて野暮は云わせない。2週間警察に保管して、紛失
 者が現れない場合は届人へ戻すことも出来るんです」

リリー張りの、あねさん係官の口上に、寅さんも降参だ。

思い起こせば、雀荘の客は奥の卓に座っている3人と元気印達だけで、背広を白い
ビニールカバーのかかっている隣のジャン卓に置いたままゲームを始めた。暫くし
て、雀荘の人が「これ、ちゃんとしますね」と云って、脱ぎっぱなしの上着に衣文
掛けを通して壁のフックに吊るしてくれた。

6ゲームをトントンの戦果で終わる。ゲーム代金を清算しようと上着の内ポッケッ
トに手を入れると財布がない。仲間の融通で清算を済ませ直ぐ、
雀荘近くにある港区内の某交番へ盗難届けを出して、カード会社へ電話報告をした


「盗まれた夜、カメラと薬の購入、食事代にカードが使用されています。犯人を突
 き止めるよう、調べを進めています」
翌日、カード会社から勤務先へ電話報告があった。
「カードを盗んで、それが無効にされる前に買い物をする事件が多発しています。
 特に、東京駅周辺で頻繁に起きているんです。犯人捜しに追われる、毎日です」


豊島区内某所の路上に4枚束になって落ちていたカードが警察に届けられ、その一
枚が、平成7年(1995)4月7日に、雀荘で盗まれた財布に入っていたカード。
悪用された金額は40万円位だったように思い出すが、カード盗難保険に加入して
いたので、金銭負担はゼロだった。
だから、カード会社から連絡がなければ、今頃になって思い出すことのない盗難事
件だ。当時、雀荘の奥卓に座っていた3人組みの仕業だと、確信していたことなど
すっかり忘れていた。

ちなみに、今年2月にカンタベリー、ロンドン、バルセロナ、ブリュッセルを旅行
してカードで支払いをした時の経験談。
カード決済をしているところには、ID番号を打ち込む器械が常設されていて、カー
ドを挿入してID番号を入力してください、と差し出される。間違った番号を入力す
ると無効カードになり、何回も繰り返していると不審者扱いだ。

ブリュッセルのサン・ミッシエル大聖堂内にある売店でガイドブックを購入する際
ユーロの持ち合わせがなくなりカードで支払いをした。店番の老人が対応してくれ
たが、正しいID番号を入力するまでガイドブックの購入を認めてくれない。
領収書のサインとパスポートのそれが一致しても、首を縦に振らなかった。


日本国内では領収書に本人が署名するだけでOK。
カード裏に記入している署名と比べることは滅多にない。ID確認をされる時もある
が、忘れました、で支障はない。カードが有効か否かを器械が選別しているからID
番号を入力せずに買い物が出来るシステムになっている。
パスワードが該当者のカード番号に相当し、それが有効であれば問題なしとして器
械は判断する。

有効カードであれば誰でも使用出来る日本。カードが有効であっても、本人の確認
が出来なければ使わせないベルギー。
教会での買い物は無事終えたが、危機管理意識の格差を実感した。
日本のカード会社も、ベルギーにような予防策、パスワードとID番号をセットにし
た対応をするよう加盟店に徹底して置くと、元気印の盗難カード悪用による被害は
未然に防止されている。

△×警察署に届けられた4枚のカードに、無効カードが2枚あるらしかった。雀荘で
盗まれたカードが、9月29日拾われて10月2日に警察に届けられた。しかも、その内
2枚は無効カードらしい。元気印の場合は、無効にしてから11年後に出てきた。

第六感が、胡散臭いと警告する。
「無効カードと判った時点で処分をするのが、常識的だ。有効であれば届けた人の
 好意に対して礼を尽さねば、礼節を欠いてしまうけれども」
「いい心掛けです。でも、無効カードが2枚も束ねられていた紛失物の届けでしょ
 う。触らぬ神にたたり無し、です」
ボケ封じ観音さまだって警戒している。

紛失人不明の処理を警察に依頼する。
届人の連絡先が携帯電話番号であったことで不信感を持った。カード所有者情報を
収集する新たな手口の可能性も否定できないと判断したからだ。
何らかの理由で無効カードにした、別の紛失届者も同じ処理をした様子だった。

元気印が留守の時に、振り込め詐欺電話が掛かってきた。息子と称する詐欺師の電
話に息子本人が出たことがあった。2年位前の笑えない出来事だった。

「息子からの電話を受けているのが、その本人です、と云うと、ビックリして、何
 も言わず“ガチャン”と電話を切った」
息子の解説に大笑いする夕食後の家族団欒になったが、振り込め詐欺電話を元気印
に掛けるように、誰かが情報を流していると感じた。

同業者に対する企業倫理を持たない経営方針と営業展開に堪忍袋の緒が切れて、そ
の数ヶ月前に辞めた某社の人物が浮かび上がる。
錦糸町に東京支店のある某社事務所に盗聴器を仕込んだり、会社からの金銭借用が
頻繁で返済に問題を起こしていた人物。金融筋の仕事をしているが、業績が悪いの
で運転資金稼ぎの為に某社勤務を続けている、と噂されている管理職がいたから
だ。
某社には元気印の履歴書がある。カモ探し情報に悪用されたとしても可笑しくはない。

偉そうに何だ、かんだと云っている元気印が振り込め詐欺電話を受けたとしたら、
どんな対処をしたか。息子を在宅させて無難に終わらせた。元気印を留守にしたの
も偶然だろうか。

「寅さんの思いやりだったのかも知れませんよ。私の見立てでは、元気印は寅さん
 オタクなんだから。不審と判断される物事には慎重に対処するこ
 とです。そうでないと、とんでもないことに巻き込まれる。嫌な風潮が蔓延して
 いるから、賢い対応をすることです」

今日のボケ封じ観音さまの忠告は、じい~ん、と我身にしみる。

柴又で、小銭が集まるように寅さんの左足にタッチ祈願したのが、9月29日。
すると、同じ日に盗難カードが路上で拾われたた。偶然にしても出来過ぎだが、本
当の話です。

偶然の一致話として片付けるには惜しくなった。
左足ご利益を信じ、元気印は寅さんと逢う度に「左足タッチ」をしよう。
もっと嬉しく楽しいご利益があるようにお膳立てしてくれることを、祈念しながら。
これも何かの縁、合縁奇縁でしょう、寅さん。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石玉垣の啖呵売(たんかばい)

2006-10-06 00:09:56 | Weblog
帝釈天境内にある鳳翔会館の裏と道路とは石玉垣で仕切られている。
会館を右手にして車道と石玉垣との間にある狭い歩道が江戸川堤に伸びている。

江戸川堤を正面にして、狭い歩道を歩いていると、

「やけのやんぱち、日焼けのなすび。色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ、入れ
 歯で歯がたたない」

バシ、バシ。

啖呵売(たんかばい)の人(じん)集めをしている寅さんの声がする。

「お猿のオケツはまっかっか。色の黒いが後家さんならば、山のカラスは後家さん
 ばかり」

バシ、バシ、バシッツ。

柴又散策に参加した20数名の殆どは、子育てを終えた淑女だった。

「ここにいるのは現役の夫婦。馬鹿にしないでよ。寅は馬鹿でも長男だ。馬鹿とは
 さみは使いよう。カッカするなよ、短期は損気」

バシッ、バシッツ。
おばはん、失礼、淑女達は、やり返した。

「奈良の大仏焼き芋食えば、ブツブツ匂うよ、オナラさん。よく見りゃ男が六人。
 七つ長野の善光寺だねえ。八つ谷中(やなか)の奥寺で、竹の柱に茅(かや)の
 屋根。手鍋下げてもいとやせぬ。信州信濃の新ソバよりも、あたしゃ、あなたの
 傍がいい」

バシ、バシッツ、バシ、バシ。

寅さんが叩くバシ棒の音が、晴天に響き渡る。

「寅さん、私達はね、あなた百までわたしや九十九までなんて、まっぴら御免。共
 にシラミのたかるまで、ですって。寅さんは、どうなのさ。早く身を固めなさい
 よ」

「ああ、大いに結構だね。結構毛だらけ、猫灰(はい)だらけ。お尻のまわりはくそ
 だらけ。俺が真剣に惚れたのは御前様の娘さんだけよ。江戸川提に吹く風もレ・
 ミゼラブルと泣いていた。縁がなかったねえ」
「それから、ずう~っと、無縁仏でしょう」
「分かっちやくれないねえ。ちゃんといるでしょう、仏さんが」

「どこに?」
「分かんないの。ここは、帝釈天の玉石垣の前だが、後ろに松があるから松の廊下
 だよ。浅野匠頭(たくみのかみ)じゃないが、腹切った積りで告白しちゃおう。
 忘れな草ですよ。リリーが虎屋に泊まった夜、結ばれた。隣部屋で寝ているリリ
 ーが俺に声をかける、それに俺が答える。その時の満足顔と仕草をみて・・・。
 もう、まだ、分かっちゃくれない。それが、映画ってもんでしょう」

「何よ、偉そうに。だって、寅さんは泥棒退治のバットを持って喜んでいただけな
 んだから」

「よ~うし、はっきりさせようじゃないか。やけのやんぱち、日焼けのなすびだ。
 小樽に住んでいる初恋の人妻に逢いたくて、家族に無断で家出をしたパジャマお
 父さんと八戸で知り合い、函館の屋台でリリーと再会。長万部、札幌、小樽へ3
 人一緒の珍道中。お父さんが帰宅して、珍道中の礼にメロンを土産にして虎屋に
 来たでしょう。そのメロンをめぐってリリーと大喧嘩した。彼女の求婚も断った
 のに、相合傘で仲直りですよ。まだある。恐怖の飛行機に乗って、沖縄
 の病院まで見舞いにも行った。彼女はハイビスカスの花を、病気見舞いのお返し
 にくれた。それが嬉しくて、おいちゃん、おばちゃん、さくらや博のいるところ
 で、リリー、お前と一緒になろう、と思わず本心を打ち明けてしまった。
 彼女は、一瞬、戸惑ったけど、笑って誤魔化したね」

「寅さん、冗談でしょう。素人さんが聞いたら誤解しちゃう」
「見事に、一本取られた。たいしたもんだよ、蛙のションベン。見上げたもんだよ
 屋根やのふんどしって、ねえ。リリーの求婚を断った俺の台詞
 を、そのままオウム返しよ。さくらは、お兄ちゃんは半分本気だった、と彼女を
 慰めていたが、しがない渡世人同士の、激しく燃える恋って奴さ」

「そんなこと、他のマドンナに云ってないじゃないか」
「そこが役者稼業の辛いところ。それを云っちゃあ、お仕舞いよ」

「寅さんが売(ばい)をしていたものは、何んだったの?」
ボケ封じ観音さまに聞かれたが、おばはん達との結婚談義に忙しい寅さんは、そそ
くさと店じまい。

渥美清と倍賞千恵子、三崎千恵子と春風亭柳昇が寄進した石玉垣の写真を見せて、
急場を凌ぐ。




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする